残酷な描写あり
20話 幸
明治生まれの常太郎。大阪の材木商で丁稚。買い付けに単身四国にて道中地震に遭い死亡。100石の嫡男に転生。事故で右肩を火傷。時は徳川幕府2代将軍秀忠。前世の記憶と知識を持つ。寺子屋を預かる。大御所死去後、恒興は小山を発ち、苦労で体調を崩し隠居。恒太郎に家督を譲る。翌月恒興死去。正純から転生者と指摘。浪人を雇う為50石加増。雇ったのは陸奥国会津藩出身の佐々木国明という若者。家事手伝いから解放された妹詩麻が通う。昼食の開始と仮眠の導入。寺子屋の雑炊として販売開始。寺子屋に賊が入り書物などの盗難。賊を捕まえ褒美を戴き両替商と知り合う。研究用に水田2反借りる。カタワの少女幸と出会い手習道場へ通わせる。
半月が過ぎた頃
百太・賛太「先生!幸も連れてきたよ!」
明るい声が響き渡る。幸の顔を見ると苦しそうにしている。
恒太郎「お千代さん。座布団を敷き詰めてください。火鉢を近くに置いてください。詩麻!詩麻は軽く《しぼ》った手ぬぐいを持ってきてください。それから国明先生は、念のため薬師を呼んで来てくだされ!」
百太・賛太は、手習道場へ幸を連れてくることばかり考えていたため無理をさせてしまったようだ。普段から歩いていればここまで酷いことにはならなかった。いきなり身体を動かせてしまったことをあまり理解していないようだ。恒太郎の指示を聞いて動く人たちを見て段々と二人の顔色も悪くなった。
百太「先生。俺たち変なことしちゃったの?幸は大丈夫?」
恒太郎「たぶん疲れたんだ。これまで家から一歩も出たことの無い子だ。頭に知らないことがたくさん入ってきてそれが追い付かないのと身体を動かしてこなかったことから動かすだけでも疲れが出る。病気では無いと思うが念のための薬師を呼んだのだ。とりあえず、百太と賛太は幸のそばにいてやってくれ。幸が心細くなるだろうからな」
兄二人は、幸のそばで手を握りずっと謝り続ける。
詩麻が手桶に入れた手ぬぐいを軽く絞り幸の額に乗せる。少し冷えてきた時期。井戸の水も冷たい。丁度良かった。詩麻はこまめに手ぬぐいを交換する。
千代は火鉢に炭を入れ幸のそばに3つ置く。足が冷えるだろうとしばらくさする。
国明は薬師を呼んでいる途中。まだ戻らない。
恒太郎「幸さん。よく来てくれましたね。大変でしたでしょう。今日はしばらくこのまま横になったままでお過ごしください。この後、薬師が来ます。念のためです。よく見てもらってくださいね」
恒太郎が今まで着ていた着物をそっと掛ける。
幸は小さくうなずく。しばらくすると子供たちがやって来た。「せんせーおはようございます!」出迎えに、千代があたる。いつもの名簿を付ける。
千代「おはようございます。今日は新しい子が来てます。その子は横になっていますが、このまま受けてもらいます。その子の名前は、幸さんと言います。幸さんの邪魔をしないように気を付けましょうね」
子供たち「え!?どの子?あの寝てる子?見てきてもいい?」
千代「ダメですよ。今から薬師さんがきてくれます。皆さんは、静かにして座って待っててくださいね」
子供たちにとって新しく入ってくることが嬉しくついつい賑やかになるのと同じく、幸のことを気にして静かに座って待つことが出来ない。隣の席の子とヒソヒソと話す声が大きくなってしまう。
千代「静かにしなさい!」
一喝され、ビックリして目を丸くする子供たち。
そうこうしてる内に、薬師が到着。
到着した薬師は一言
薬師「なんだ?寺子屋に病人か?どの子だ?」
異様な雰囲気に驚く薬師。
恒太郎「薬師さまいかがでしょう」
薬師「脈がかなり早いな。熱もある。すぐに寝かせたのは良いことだ。また手ぬぐいで冷やすのも良いな。火鉢はもう少し離してやって欲しい。暑くはないだろうが、煙を吸うのは苦しいだろう。寒そうにしてたら着物で良いから掛けてやってほしい。昼にまた来る。それまでこのまま寝かせてやってくれ」
恒太郎「もちろんです。お千代さん火鉢を少し離してください。わかりました。薬師さまお昼ですね。よろしくお願いします。お代はその時でよろしいでしょうか」
薬師「今すぐ寄越せなんて無粋なことは言わん。お代は今日中に頼む」
恒太郎「ありがとうございます」
手習道場でここまで深く頭を下げる恒太郎を見たことの無い子供たちもマネして頭を下げた。
恒太郎「今日は少し狭いですが、いつも通り楽しく勉強しましょう。今日は、私が見ますからね。国明先生は、幸さんの方をお願いします。詩麻は席に戻ってくださいね。お千代さんは、私の手伝いをお願いします。百太と賛太は自分たちで選択してください。どちらでも良いですよ」
普段は、国明に任せていたが、今日は一人一人を見て回る。普段は、全体を見渡していた。国明に指示を出し一人一人の勉学に配慮していた。国明が来る前のように一人一人を見て回るのはどこか新鮮に感じる。千代は普段は、末席の子たちを見ることはあったが、本格的に指導にまわるのは初めてだった。急な出来事にも対処でき時折その様子を見ては納得した。
ー鐘の音ー
恒太郎「鐘がなりましたね。少し休憩しましょう」
そう言うと幸の元へ行き脈をはかる。少し落ち着いてきたように感じる。その間もこまめに手ぬぐいを交換している。相変わらず足は冷たい。足元に火鉢を置き手ぬぐいを脚に巻く。その上からさすって温める。細い足が運動不足をよく現している。手も細い。良く言えば色白だが顔はいくらか血の気が戻るも元からの色白。手習道場に来たときは、顔面蒼白。それから比べればいくらかマシになったくらいだ。
しばらく休憩した後、勉学再開。
千代を呼ぶ。
恒太郎「お千代さん。膝をついて一人一人を見てはどうでしょう」
千代「膝ですか」
恒太郎「そうです。身を低くすると見栄えが良くなります。また、子供たちと近くなるので効果的です。身をかがめている今よりずっと近しい感覚になります」
千代は、普段から高身長の大人2人を見ていたためそれをマネしていた。大人の男性ということもあり威厳ということもあり身をかがめていただけだった。しかし、千代は女性。それも歳の近い女性。膝をついて目線が近いと親近感が沸く。まだ教え慣れてないのであれば、尚、親近感があると勉学に力が入るということを伝えたかった。
高身長の場合、膝をついて説明すると立ち上がるのに時間がかかりやすい。素早く動けるように身をかがめているだけなのだが。恒太郎はまだ若いので威厳を示す意味でも身をかがめるのが適していた。
千代は言われた通り膝をつきながら教える。子供たちも一気に近しい人となり男の子も女の子も喜んでくれた。優しいお姉さんという感じだろうか。出来の良い子には自然と頭を撫でている。恒太郎も国明も普段しないことを自然としている。
ー昼の鐘ー
恒太郎「おつかれさまでした。お昼なので、皆食の準備をして下さいね。今日は、詩麻が作ってくれました。美味しくできてるでしょうか?楽しみですね」
恒太郎も一緒に準備をする。詩麻が粥を作った。雑炊となる野菜が今回は無かったためだ。味見をすると少し薄いが、問題ない。
恒太郎「詩麻。よく作ってくれたね。勉学中に台所に行くのを見て兄は嬉しかったよ。自発的に動いてくれてありがとうな」
詩麻「はじめて作るから大へんだったけど、上手に作れてうれしかった。おにいちゃんが頭なでてくれてうれしい」
詩麻は少し勉学をしただけで文字の読み書きができるようになり言葉遣いもどこか成長した。さすがは、武家の娘。覚えが早い。まだまだ子供っぽいが、徐々に大人になればよい。詩麻は兄が大好きなのだ。
少しして、皆食の準備をしていると薬師が来た。
薬師「なんだ食事か。話には聞いてたが皆で食うのか?」
恒太郎「そうです。ここでは身分は関係ありません。皆一緒に食事をします」
薬師「それは良い。育ち盛りの子供に食事をとらすのは良いことだ。どれ、具合はいかがかな」
脈を診る。体温を測る。息遣いを診る。
薬師「うむ。落ち着いたようだな。足を温めるのは良いことだ。冷えた足を温めるだけで違うからな。それとちょっといいか」
そういうと、薬師は恒太郎の腕を取り外へ出た。
薬師「どういうことだ。カタワの娘を外に出すとは」
恒太郎「私が招きました。本人が外を見てみたい。勉強して見たいと言われたので」
薬師「親は納得してるのか?」
恒太郎「はい。もちろんです。今日ここに来るのに、兄二人が着いてきてくれたのです。それも自発的に。素晴らしい家族愛です」
薬師「そうか。それなら良いが。だが、今はまだ寝ているだけだからカタワに気付く子供も少ないだろう。気付いて騒ぎになったらどうする」
恒太郎「私が分かった上で招いてます。私が招いた客人を罵るようなことがあれば叱ります。それは、幸さんもある程度は理解してますし、ご家族も理解してます。しかし、そんなのは理由を説明すれば解決します。それよりも幸さんの性格からしてきっと生活に役立ちますし外に出ても良いのだと自信を持ってもらえるように私が仕向けます。彼女は生れからしてカタワですが、人間が出来てます。きっと彼女は立派な職人になるでしょう」
薬師「それなら良いのだが。職人か。職人以外にはどうなのだ?」
恒太郎「今日からなので、まだわかりかねますが、言葉遣いもキレイです。賢そうな感覚がします。草履職人だけでなく何かしら出来るような気がします。得意なことが分かればよいですね」
薬師「もしだ。無事に勉学が出来るようになったらまた儂に声を掛けてはくれんか」
恒太郎「はい。もちろんです。彼女のお披露目もしたいですからね。それまで大事に育てます。また、彼女のように家の奥で隠されて生きる子供たちを救いたいですね」
薬師「そのためには、大殿に指示を仰ぐ必要がありそうだ。お主ひとりでまわっても時間がかかる。そんな余裕も無いだろうしな。百姓に儂ら薬師に診てもらう金も無いだろう。知らないことには進んで動くようなことはしない。そのためにも、正純様に指示を仰ぐと良い。その方が手っ取り早いぞ」
恒太郎「ありがとうございます。そうさせていただきます。明日にでも登城してまいります」
薬師「そうか。儂の名は、装庵言う。小さな薬師だから知らんだろうが、儂の名を伝えてもらえると話がしやすくなるだろう」
恒太郎「そうなのですか。装庵殿。ありがたく使わせていただきます」
装庵「とりあえず七つの頃に顔を出す。それまで帰さず寝かせておいてくれ。暗くなる前には来るから安心してくれ」
恒太郎「ありがとうございます。お待ちしております」
幸を起こし粥の汁だけをすすらせ再び寝かせる。
昼寝を全員でした後勉学に努める。
挨拶をして子供たちが帰っていく。
子供たち「お姉ちゃんまたねー」
子供たち「お姉ちゃんはやく元気になってね」
思い思いに言葉をかけて帰っていく。みな優しい子供たちだ。
しばらくすると薬師の装庵がやって来た。
装庵「どうだ。落ち着いたか」
恒太郎「はい。昼に、粥の汁をすすりました」
装庵「それで良い。粥の汁は身体の弱ってる人に出すと良い。口にするだけでお大違いだ。弱っているときに米を食わすのは悪影響になりかねんからな。また、塩が入っているから身体によい。少しは元気になったのではないかな」
ひととおり粥の汁の効果を伝えた。
装庵「どれ。うむ。脈が安定したな。娘よ。儂の声は聞こえるか?聞こえたら手を握って」
手を軽く握った。
装庵「よしよし。その手を出来る限り強く握れるか?」
出来る限りの強さで握った。
装庵「なるほどな。では起き上がって見なさい。自力でな」
懸命に起き上がろうとする。上に掛かっていた着物を皆で取ろうそうとする。
装庵「余計な手出しは無用。本人にさせなさい」
幸は体をゆすりながら起き上がろうとする。身体に掛かった着物を左手ではずしていく。片手では起き上がるのが精いっぱい。だが、一度寝転んで着物を動かし起きやすくしてから左腕で身体を支えながら起き上がる。
少し時間はかかったが、ひとりで出来た。
装庵「そうだ。良いぞ。自分の事は自分でできるようにならないとな。偉いぞ」
ぶっきら棒に見える装庵からの褒めの言葉。
幸はどこか嬉しそうだ。
装庵「口を開けてあーと言って」
幸「あー」
装庵「もう少し長く」
幸「あーーーーー」
装庵「うむ。良いぞ。声も良いようだ。病では無いようだな。今日はゆっくりと歩いて帰りなさい。出来ればおぶってもらいなさい」
百太「ではぼくが!ぼくが幸を苦しい思いをさせたんだ。おぶって帰るよ」
恒太郎「そうか。百太一人で大変なら賛太お前さんも手伝ってあげなさい」
賛太「もちろんだよ。幸ごめんな。苦しい思いをさせて」
幸「おにいちゃんいいよ。ありがとう。おそとはしらないことがいっぱいでたのしいよ。みせてくれてありがとう。かえりはおねがいします」
装庵はこの幸のやり取りを聞いて賢さをさらに強く感じる。上手く成長したらまた会いたい。恒太郎に期待を寄せた。
装庵「滋養強壮の薬だ。これを毎日、朝晩飲みなさい」
百姓の子供が飲むような代物ではない。だが、素直に受け取り持ち帰る。
百太・賛太・幸「先生ありがとうございました。また明日も来ます」
恒太郎「無理するなよ。また会えるのを楽しみにしてるぞ」
3人は仲良く帰っていく。
恒太郎「よし。では、装庵殿おいくらでしょうか。三度も来ていただき感謝しております」
装庵「そうだな。初めて診るのと薬もあるから金二枚だな」
国明・千代の顔が曇る。詩麻はきょとんとしてる。2両という意味である。1両10万円相当で考えると、20万円の請求だ。
恒太郎「薬は見越してなかったので、足りない分は明日お届けします」
装庵「よいよい。今日のところは、二分金で良い。薬は今回は負けといてやる。正純様に必ず名前を言えよ」
恒太郎「ありがとうございます。必ずお伝えします」
二分金は1両の半分なので、5万円。初診料が1000文と言われた時代より前の時代。2000文はしただろう。2000文は、5万円相当だ。初診料だけで済んだことになる。それでも高いことには違いない。
装庵「たしかに頂いた。では儂は帰る」
全員でお見送り。国明と千代は深く頭を下げて見送った。詩麻は手を振っている。
この時代では、医師はまだまだ珍しく、立派なお武家さんくらいしか診てもらえない。その下の薬師も町人向けにいるのだが、それでもまだまだ高い。庶民がなけなしの金を叩(はた)いて診てもらうくらいだ。皆保険(かいほけん)も無い時代。妥当な金額だろう。
恒太郎「では戸締りして帰るか」
家に帰り、千代は事の顛末を両親に話した。両親も驚いた。だが、すぐに払える恒太郎のことに感心。武家は違うのだとまざまざと知らされた。
夜分遅くに家の戸を叩く音がする。恒太郎が対応する。どうやら幸の父八太が来たようだ。夜も遅いからと家に上げると。
八太「このたびは申し訳ありません」
恒太郎「どうかしたか」
八太「娘の幸のために薬を支払っていただきまして。今の儂らに返す金はございません。ご迷惑をおかけしました。代わりに野菜をお持ちしましたので受け取ってください」
八太は野菜を詰め込んだ手持ちの籠を横に置き平伏。
恒太郎「よい。私に非がある。百太たちを責めないでやってくれ。百太はいつもの調子で来ただけだ。幸の身体に負担をかけさせてしまったのは私だ。前もって百太たちに指導しなかった私が悪い。だから、金の事は心配するな。幸がまた懲りずに来てくれたら私は嬉しい。今後幸のような子が通う時には、時間をかけてゆっくり来なさいと指導することが出来る。それを教えてくれたのは幸たち兄弟だ。幸が無事で本当に何よりだ。この野菜はありがたくいただくとしよう。どれ。おっ、キノコもあるではないか。これは美味そうだ。実が厚くて美味そうだ。焼いても煮ても美味いだろう。これはありがたい」
恒太郎が一礼すると。八太は笑顔で再び平伏する。
安心した顔して八太は帰っていく。
国明はその様子を離れから見て、なんとも微妙な気持ちになった。自分の最初の給金と同額だったことに。給金の少なさを感じながら布団に入り寝る努力をする。
恒太郎にとっては、痛手ではあったが病ではないようでひと安心。風呂に入り温まりホッとして寝る。
詩麻は粥を作ったことを母に自慢気に話した。カメにも同じように話す。何度も。何度も。繰り返し。
百太・賛太「先生!幸も連れてきたよ!」
明るい声が響き渡る。幸の顔を見ると苦しそうにしている。
恒太郎「お千代さん。座布団を敷き詰めてください。火鉢を近くに置いてください。詩麻!詩麻は軽く《しぼ》った手ぬぐいを持ってきてください。それから国明先生は、念のため薬師を呼んで来てくだされ!」
百太・賛太は、手習道場へ幸を連れてくることばかり考えていたため無理をさせてしまったようだ。普段から歩いていればここまで酷いことにはならなかった。いきなり身体を動かせてしまったことをあまり理解していないようだ。恒太郎の指示を聞いて動く人たちを見て段々と二人の顔色も悪くなった。
百太「先生。俺たち変なことしちゃったの?幸は大丈夫?」
恒太郎「たぶん疲れたんだ。これまで家から一歩も出たことの無い子だ。頭に知らないことがたくさん入ってきてそれが追い付かないのと身体を動かしてこなかったことから動かすだけでも疲れが出る。病気では無いと思うが念のための薬師を呼んだのだ。とりあえず、百太と賛太は幸のそばにいてやってくれ。幸が心細くなるだろうからな」
兄二人は、幸のそばで手を握りずっと謝り続ける。
詩麻が手桶に入れた手ぬぐいを軽く絞り幸の額に乗せる。少し冷えてきた時期。井戸の水も冷たい。丁度良かった。詩麻はこまめに手ぬぐいを交換する。
千代は火鉢に炭を入れ幸のそばに3つ置く。足が冷えるだろうとしばらくさする。
国明は薬師を呼んでいる途中。まだ戻らない。
恒太郎「幸さん。よく来てくれましたね。大変でしたでしょう。今日はしばらくこのまま横になったままでお過ごしください。この後、薬師が来ます。念のためです。よく見てもらってくださいね」
恒太郎が今まで着ていた着物をそっと掛ける。
幸は小さくうなずく。しばらくすると子供たちがやって来た。「せんせーおはようございます!」出迎えに、千代があたる。いつもの名簿を付ける。
千代「おはようございます。今日は新しい子が来てます。その子は横になっていますが、このまま受けてもらいます。その子の名前は、幸さんと言います。幸さんの邪魔をしないように気を付けましょうね」
子供たち「え!?どの子?あの寝てる子?見てきてもいい?」
千代「ダメですよ。今から薬師さんがきてくれます。皆さんは、静かにして座って待っててくださいね」
子供たちにとって新しく入ってくることが嬉しくついつい賑やかになるのと同じく、幸のことを気にして静かに座って待つことが出来ない。隣の席の子とヒソヒソと話す声が大きくなってしまう。
千代「静かにしなさい!」
一喝され、ビックリして目を丸くする子供たち。
そうこうしてる内に、薬師が到着。
到着した薬師は一言
薬師「なんだ?寺子屋に病人か?どの子だ?」
異様な雰囲気に驚く薬師。
恒太郎「薬師さまいかがでしょう」
薬師「脈がかなり早いな。熱もある。すぐに寝かせたのは良いことだ。また手ぬぐいで冷やすのも良いな。火鉢はもう少し離してやって欲しい。暑くはないだろうが、煙を吸うのは苦しいだろう。寒そうにしてたら着物で良いから掛けてやってほしい。昼にまた来る。それまでこのまま寝かせてやってくれ」
恒太郎「もちろんです。お千代さん火鉢を少し離してください。わかりました。薬師さまお昼ですね。よろしくお願いします。お代はその時でよろしいでしょうか」
薬師「今すぐ寄越せなんて無粋なことは言わん。お代は今日中に頼む」
恒太郎「ありがとうございます」
手習道場でここまで深く頭を下げる恒太郎を見たことの無い子供たちもマネして頭を下げた。
恒太郎「今日は少し狭いですが、いつも通り楽しく勉強しましょう。今日は、私が見ますからね。国明先生は、幸さんの方をお願いします。詩麻は席に戻ってくださいね。お千代さんは、私の手伝いをお願いします。百太と賛太は自分たちで選択してください。どちらでも良いですよ」
普段は、国明に任せていたが、今日は一人一人を見て回る。普段は、全体を見渡していた。国明に指示を出し一人一人の勉学に配慮していた。国明が来る前のように一人一人を見て回るのはどこか新鮮に感じる。千代は普段は、末席の子たちを見ることはあったが、本格的に指導にまわるのは初めてだった。急な出来事にも対処でき時折その様子を見ては納得した。
ー鐘の音ー
恒太郎「鐘がなりましたね。少し休憩しましょう」
そう言うと幸の元へ行き脈をはかる。少し落ち着いてきたように感じる。その間もこまめに手ぬぐいを交換している。相変わらず足は冷たい。足元に火鉢を置き手ぬぐいを脚に巻く。その上からさすって温める。細い足が運動不足をよく現している。手も細い。良く言えば色白だが顔はいくらか血の気が戻るも元からの色白。手習道場に来たときは、顔面蒼白。それから比べればいくらかマシになったくらいだ。
しばらく休憩した後、勉学再開。
千代を呼ぶ。
恒太郎「お千代さん。膝をついて一人一人を見てはどうでしょう」
千代「膝ですか」
恒太郎「そうです。身を低くすると見栄えが良くなります。また、子供たちと近くなるので効果的です。身をかがめている今よりずっと近しい感覚になります」
千代は、普段から高身長の大人2人を見ていたためそれをマネしていた。大人の男性ということもあり威厳ということもあり身をかがめていただけだった。しかし、千代は女性。それも歳の近い女性。膝をついて目線が近いと親近感が沸く。まだ教え慣れてないのであれば、尚、親近感があると勉学に力が入るということを伝えたかった。
高身長の場合、膝をついて説明すると立ち上がるのに時間がかかりやすい。素早く動けるように身をかがめているだけなのだが。恒太郎はまだ若いので威厳を示す意味でも身をかがめるのが適していた。
千代は言われた通り膝をつきながら教える。子供たちも一気に近しい人となり男の子も女の子も喜んでくれた。優しいお姉さんという感じだろうか。出来の良い子には自然と頭を撫でている。恒太郎も国明も普段しないことを自然としている。
ー昼の鐘ー
恒太郎「おつかれさまでした。お昼なので、皆食の準備をして下さいね。今日は、詩麻が作ってくれました。美味しくできてるでしょうか?楽しみですね」
恒太郎も一緒に準備をする。詩麻が粥を作った。雑炊となる野菜が今回は無かったためだ。味見をすると少し薄いが、問題ない。
恒太郎「詩麻。よく作ってくれたね。勉学中に台所に行くのを見て兄は嬉しかったよ。自発的に動いてくれてありがとうな」
詩麻「はじめて作るから大へんだったけど、上手に作れてうれしかった。おにいちゃんが頭なでてくれてうれしい」
詩麻は少し勉学をしただけで文字の読み書きができるようになり言葉遣いもどこか成長した。さすがは、武家の娘。覚えが早い。まだまだ子供っぽいが、徐々に大人になればよい。詩麻は兄が大好きなのだ。
少しして、皆食の準備をしていると薬師が来た。
薬師「なんだ食事か。話には聞いてたが皆で食うのか?」
恒太郎「そうです。ここでは身分は関係ありません。皆一緒に食事をします」
薬師「それは良い。育ち盛りの子供に食事をとらすのは良いことだ。どれ、具合はいかがかな」
脈を診る。体温を測る。息遣いを診る。
薬師「うむ。落ち着いたようだな。足を温めるのは良いことだ。冷えた足を温めるだけで違うからな。それとちょっといいか」
そういうと、薬師は恒太郎の腕を取り外へ出た。
薬師「どういうことだ。カタワの娘を外に出すとは」
恒太郎「私が招きました。本人が外を見てみたい。勉強して見たいと言われたので」
薬師「親は納得してるのか?」
恒太郎「はい。もちろんです。今日ここに来るのに、兄二人が着いてきてくれたのです。それも自発的に。素晴らしい家族愛です」
薬師「そうか。それなら良いが。だが、今はまだ寝ているだけだからカタワに気付く子供も少ないだろう。気付いて騒ぎになったらどうする」
恒太郎「私が分かった上で招いてます。私が招いた客人を罵るようなことがあれば叱ります。それは、幸さんもある程度は理解してますし、ご家族も理解してます。しかし、そんなのは理由を説明すれば解決します。それよりも幸さんの性格からしてきっと生活に役立ちますし外に出ても良いのだと自信を持ってもらえるように私が仕向けます。彼女は生れからしてカタワですが、人間が出来てます。きっと彼女は立派な職人になるでしょう」
薬師「それなら良いのだが。職人か。職人以外にはどうなのだ?」
恒太郎「今日からなので、まだわかりかねますが、言葉遣いもキレイです。賢そうな感覚がします。草履職人だけでなく何かしら出来るような気がします。得意なことが分かればよいですね」
薬師「もしだ。無事に勉学が出来るようになったらまた儂に声を掛けてはくれんか」
恒太郎「はい。もちろんです。彼女のお披露目もしたいですからね。それまで大事に育てます。また、彼女のように家の奥で隠されて生きる子供たちを救いたいですね」
薬師「そのためには、大殿に指示を仰ぐ必要がありそうだ。お主ひとりでまわっても時間がかかる。そんな余裕も無いだろうしな。百姓に儂ら薬師に診てもらう金も無いだろう。知らないことには進んで動くようなことはしない。そのためにも、正純様に指示を仰ぐと良い。その方が手っ取り早いぞ」
恒太郎「ありがとうございます。そうさせていただきます。明日にでも登城してまいります」
薬師「そうか。儂の名は、装庵言う。小さな薬師だから知らんだろうが、儂の名を伝えてもらえると話がしやすくなるだろう」
恒太郎「そうなのですか。装庵殿。ありがたく使わせていただきます」
装庵「とりあえず七つの頃に顔を出す。それまで帰さず寝かせておいてくれ。暗くなる前には来るから安心してくれ」
恒太郎「ありがとうございます。お待ちしております」
幸を起こし粥の汁だけをすすらせ再び寝かせる。
昼寝を全員でした後勉学に努める。
挨拶をして子供たちが帰っていく。
子供たち「お姉ちゃんまたねー」
子供たち「お姉ちゃんはやく元気になってね」
思い思いに言葉をかけて帰っていく。みな優しい子供たちだ。
しばらくすると薬師の装庵がやって来た。
装庵「どうだ。落ち着いたか」
恒太郎「はい。昼に、粥の汁をすすりました」
装庵「それで良い。粥の汁は身体の弱ってる人に出すと良い。口にするだけでお大違いだ。弱っているときに米を食わすのは悪影響になりかねんからな。また、塩が入っているから身体によい。少しは元気になったのではないかな」
ひととおり粥の汁の効果を伝えた。
装庵「どれ。うむ。脈が安定したな。娘よ。儂の声は聞こえるか?聞こえたら手を握って」
手を軽く握った。
装庵「よしよし。その手を出来る限り強く握れるか?」
出来る限りの強さで握った。
装庵「なるほどな。では起き上がって見なさい。自力でな」
懸命に起き上がろうとする。上に掛かっていた着物を皆で取ろうそうとする。
装庵「余計な手出しは無用。本人にさせなさい」
幸は体をゆすりながら起き上がろうとする。身体に掛かった着物を左手ではずしていく。片手では起き上がるのが精いっぱい。だが、一度寝転んで着物を動かし起きやすくしてから左腕で身体を支えながら起き上がる。
少し時間はかかったが、ひとりで出来た。
装庵「そうだ。良いぞ。自分の事は自分でできるようにならないとな。偉いぞ」
ぶっきら棒に見える装庵からの褒めの言葉。
幸はどこか嬉しそうだ。
装庵「口を開けてあーと言って」
幸「あー」
装庵「もう少し長く」
幸「あーーーーー」
装庵「うむ。良いぞ。声も良いようだ。病では無いようだな。今日はゆっくりと歩いて帰りなさい。出来ればおぶってもらいなさい」
百太「ではぼくが!ぼくが幸を苦しい思いをさせたんだ。おぶって帰るよ」
恒太郎「そうか。百太一人で大変なら賛太お前さんも手伝ってあげなさい」
賛太「もちろんだよ。幸ごめんな。苦しい思いをさせて」
幸「おにいちゃんいいよ。ありがとう。おそとはしらないことがいっぱいでたのしいよ。みせてくれてありがとう。かえりはおねがいします」
装庵はこの幸のやり取りを聞いて賢さをさらに強く感じる。上手く成長したらまた会いたい。恒太郎に期待を寄せた。
装庵「滋養強壮の薬だ。これを毎日、朝晩飲みなさい」
百姓の子供が飲むような代物ではない。だが、素直に受け取り持ち帰る。
百太・賛太・幸「先生ありがとうございました。また明日も来ます」
恒太郎「無理するなよ。また会えるのを楽しみにしてるぞ」
3人は仲良く帰っていく。
恒太郎「よし。では、装庵殿おいくらでしょうか。三度も来ていただき感謝しております」
装庵「そうだな。初めて診るのと薬もあるから金二枚だな」
国明・千代の顔が曇る。詩麻はきょとんとしてる。2両という意味である。1両10万円相当で考えると、20万円の請求だ。
恒太郎「薬は見越してなかったので、足りない分は明日お届けします」
装庵「よいよい。今日のところは、二分金で良い。薬は今回は負けといてやる。正純様に必ず名前を言えよ」
恒太郎「ありがとうございます。必ずお伝えします」
二分金は1両の半分なので、5万円。初診料が1000文と言われた時代より前の時代。2000文はしただろう。2000文は、5万円相当だ。初診料だけで済んだことになる。それでも高いことには違いない。
装庵「たしかに頂いた。では儂は帰る」
全員でお見送り。国明と千代は深く頭を下げて見送った。詩麻は手を振っている。
この時代では、医師はまだまだ珍しく、立派なお武家さんくらいしか診てもらえない。その下の薬師も町人向けにいるのだが、それでもまだまだ高い。庶民がなけなしの金を叩(はた)いて診てもらうくらいだ。皆保険(かいほけん)も無い時代。妥当な金額だろう。
恒太郎「では戸締りして帰るか」
家に帰り、千代は事の顛末を両親に話した。両親も驚いた。だが、すぐに払える恒太郎のことに感心。武家は違うのだとまざまざと知らされた。
夜分遅くに家の戸を叩く音がする。恒太郎が対応する。どうやら幸の父八太が来たようだ。夜も遅いからと家に上げると。
八太「このたびは申し訳ありません」
恒太郎「どうかしたか」
八太「娘の幸のために薬を支払っていただきまして。今の儂らに返す金はございません。ご迷惑をおかけしました。代わりに野菜をお持ちしましたので受け取ってください」
八太は野菜を詰め込んだ手持ちの籠を横に置き平伏。
恒太郎「よい。私に非がある。百太たちを責めないでやってくれ。百太はいつもの調子で来ただけだ。幸の身体に負担をかけさせてしまったのは私だ。前もって百太たちに指導しなかった私が悪い。だから、金の事は心配するな。幸がまた懲りずに来てくれたら私は嬉しい。今後幸のような子が通う時には、時間をかけてゆっくり来なさいと指導することが出来る。それを教えてくれたのは幸たち兄弟だ。幸が無事で本当に何よりだ。この野菜はありがたくいただくとしよう。どれ。おっ、キノコもあるではないか。これは美味そうだ。実が厚くて美味そうだ。焼いても煮ても美味いだろう。これはありがたい」
恒太郎が一礼すると。八太は笑顔で再び平伏する。
安心した顔して八太は帰っていく。
国明はその様子を離れから見て、なんとも微妙な気持ちになった。自分の最初の給金と同額だったことに。給金の少なさを感じながら布団に入り寝る努力をする。
恒太郎にとっては、痛手ではあったが病ではないようでひと安心。風呂に入り温まりホッとして寝る。
詩麻は粥を作ったことを母に自慢気に話した。カメにも同じように話す。何度も。何度も。繰り返し。