▼詳細検索を開く
作者: 嵩都 靖一朗
残酷な描写あり R-15
霧ノ病~Ⅲ
 
 
 
その病を発症した者は、あらゆる欲を失っていく。
精神的なものから、食欲、睡眠欲などといった生理的なものまで。

そして、じわじわと ... ... 心も身体もれていくのだ。

『君のお兄さんは、もう何日も眠っていないようだね... とこずれも目立ってきた。
 どうにかしたいと言うのであれば、薬を追加しなければならないが。
 それも、まだ効能を受け付ける身体であることが前提だ。
 だが実際には使用してみなければ分からないことなのだよ ... ... 』

医学的に霧ノ病を治療しようとするこころみは、今なお続けられている。
しかし我々は、錬金術師のように神秘と科学を結ぶことは出来ない。
彼らが神秘にまつわる学識を理解できるのは、ある意味 ... 特殊能力のようなものだからね。

とある医者は言う。

『それでも君は、お兄さんの回復を望んで、私達、医者にすがるというのかい ? 』

もう、何ヶ月も前のことである。
医者からたずねられ、少女はうなづいて答えた。


   錬金術師は言う。翠玉碑エメラルド・タブレットの洗礼が鍵となり、神秘の扉が開かれるのだと。

   つまりは、翠玉碑タブレットの洗礼を受けることで覚醒し。
   一つの成り立ちを、より細かに、より深く、より広く。
   あらゆる角度から読み解くことが可能になるのだそうだ。

   目に見えなくても感じる何か。
   あらわせない次元のシステムをすら、彼らは利用することが出来る。

   正に、創造主があえて封じた領域の〈知識〉と、
   その〈鍵〉が、あの翠玉碑には秘められているのだ。


少女の兄が三ヶ月前からもりきりという古家の離れの一室。
ドアの前に立ったフェレンスは、目には見えぬ壁に触れた。

極僅ごくわずかな空間のひずみを複数、派生させることで探知をまぬがれたか」

光の粒子を指先で操り、落ちる影と手前に生じた光の屈折によって、それらを認識する。
一つ一つ手早く撫で上げ、手前に引き出しては構造を記文化させ。
インの配列を変えることで修復していきながら、彼は言った。

「帝国の技師たちが結束して創り上げた探査塔を警戒するかのような工作 ...
 もしそうなら。自身の状態と敵襲の考察が可能なお前は、三ヶ月もの間、独りで一体何を ... ... 」

ほどかれた結界が、虹をまとう風となって春野へと吹き込み、やがて消えていく。

ゆっくりと部屋の扉を開くと。
立ち姿に加え、もう一つ床に落ちるシルエット。

一寸先いっすんさきは、まるで別世界だった。

窓からの逆光を背にする人らしき影と、ツルのように部屋中をつたう無数の何か。
目をらすと、影が若干、顔を上げたかのように見えた。

その瞬間。

影の視線に瞳を捕らえられたフェレンスの視界が、激しくゆがんで暗転していった。

ザワザワと耳の奥で聴こえる。
嘲笑あざわらうかのような、何者かの声が ... ...


古美術的アンティークな映写機のフィルムに映り込むノイズのように。
脳裏に浮かび上がる、古い記憶。

どす黒く干乾びた血痕をベロベロと音を立てて舐める肉塊。
もとが人であったとは到底、思えぬ。

変異体の様相を目の当たりにした人々の多くが、
グチャグチャと崩れる腐肉と臓器、そして漏れだす排泄物の汚臭にね逃げ出していった。

その場に残るのは、想定した訓練を受けている軍人と、経験からの対策が万全な魔導師や、その助手のみ。

それは、カーツェルが幼きに見た光景である。
白と黒に支配された記憶の断片に映る、一人の少年の姿が忘れられない。

漂うちりが、土煙を切る日差しに細かな影をチラつかせながら、軍人達の肩をかすめて落ちていく。

ゆっくりと ... ゆっくり と... コマを進める映像の中。
明暗 際立つ世界に、ただ一つだけ異色をえた銀髪。

彼は、心を奪われた。

『人格を形成する精神の 基 質 エリクシールが変異することにより、心に穴が空くのです』
『そこに負の概念 ... つまりは悪しき死霊が取りくと?』
『いえ。取り憑くと言うよりは、冥府へ落ちて凍き砕かれ、
 雪のように降り積もったそれらが穴を通じ、
 こちらの世界に雪崩れ込む ... とでも、例えておきましょう』
『人の心に〈冥府の扉〉が生じると言うのか ... 』

幼いカーツェルよりも少しだけ背の高いその少年は、
何人もの兵士が慌ただしく行き交う一角で、陣営の指揮官と向き合う。

『霧ノ病の初期症状は、鬱病のそれと類似しますが、
 重度ともなれば感情の麻痺まひともない、関係深い部位の機能障害まで引き起こします。
 ですが、その時点ならまだ ... 治癒する手立てはあるのです。
 しかし、あらゆる欲を失い枯れ果ててからでは、もう手遅れ』

彼は淡々と述べた。

『その段階まで至ると、もう ... 変異の連鎖がとどまることはないので。
 魔物キメラ化が進行するあいだ、人体機能、
 および人格の全てを書き換えられ、いつしか暴走することに』

するとそこに、補佐を言いつかったと思わしき兵士が駆け込み加わる。

『大佐! つい先頃、一連の捜査と診断にあたった錬金学者から報告書が届けられたのですが。
 彼、いえ、特務士官殿が仰るとおりの内容です』

二人のやり取りを極力邪魔せぬよう、書類を見ながらの口頭伝達。
だが、その詳細は読み上げようにも理解不能らしく。
沈黙してしまった兵士はダラダラと汗を流しはじめ、次には一息で言葉を切った。

『以上! その他の文書もろもろ、自分の頭では解読できません ! 』

そうして、あっさりと書類をぶん投げ、敬礼。

投げた? 今、投げた ... ?

あまりのいさぎよさに指揮官は唖然あぜんとした様子だったが、
物資の上に叩きつけられたそれを手に取った少年を見れば、いささか表情をほぐしたかのよう。

無理もない ... と、そう言って。彼は書類に目を通しはじめた。
土に触れそうな丈の紫紺のローブを着込んだ姿で、黙々と紙面をめくっている。

指揮官と同等に扱われている異様さもることながら。
帝国政府が未だ対策を議論するにとどまるというのに、病の進行段階まで知りるとは。

一体、何者だろうか ... ...

物陰に身を寄せ、のぞき見ながらカーツェルは思った。

ところが、ある時。
読み終えたらしいそれを指揮官に手渡した後。
フードに手をかけ頭に被る彼が、突如とつじょこちらを振り向いたので、思わず息を呑む。

おだやかに見据えてくる碧眼へきがん

何もかも見透かされてしまいそうだと、感じるやいなや。
頭の中が真っ白になり、カーツェルは言葉を失った。

興味本位の視線にはれているため、あえて素知らぬふりをしていたらしい少年だったが。
耐え兼ね、たずねる。

『ところで、大佐。 ... 彼は?』
『ああ、すまない。あれは、その ... ... 私の息子なのだが ... 』
貴方あなたの?』
『うむ。... 君より、五つか六つほど下だろうと思う』

まこと、申し訳ないことに ... と、カーツェルの父である指揮官は続けた。
何処に隠れひそんでていたものやら、私的なことで文句を言いに忍び込んだらしいとの弁明である。

聞きながら歩み寄る少年。

そんな彼が正面に立って胸を指差してきても、カーツェルは黙ったままだった。

胸元で魔法陣を描きインしるえる様子さえ、ただ ジッ ... と見つめる。

手のひらに集約したそれを指先でかこい、手首を返すと。
縦横無尽じゅうおうむじんじく回転する円の中を浮遊する文字が、より一層、輝いて。
結晶化し雪へと変じる雫のように、光を走らせ結ばれていく。

一連の過程をカーツェルに見せてやりがら、少年は微笑んだ。
ところが次の瞬間にはそれを握り込み、小さな胸に向かって一思いに押して宿やどす。

胸が詰まる感覚にせきき込みながら、よたよたと後ろに下がり胸元をさすっていると。
ふわり、肩にえられる少年の手。

彼は言った。

『これで、しばらくは悪臭や吐き気を感じずに済む。
 ... 悪いことは言わない。今すぐここを立ち去りなさい』

ほがらかな息遣いと、澄み渡る声がつむぐ。

『それから ... 時期が訪れるまで、お父上の仕事にはかかわらないことだ』

それは、いずれ兵役に服すであろう軍人の子への忠告だった。
なのに、どうしてなのか。カーツェルにはそう聞こえなかったのだ。

例えるなら、切なる祈りにも似たささやき。

言われる筋合いなど無いはずが。
反感を抱くどころか、ささくれ立つ上辺をでおろされたかのような。
不思議な気分だった。

入れ替わりに兵士達が行き交う黒ノ廃墟へと、立ち返る。
彼の奥ゆかしさは、殺伐さつばつとした人々の目を引くが。
それとは逆に、負傷者やおびふさぐ者の目には心強く映る模様。

良くも悪くも聞こえる人々の話し声が、周囲の雑音に入りじった。

さすがは異端ノ魔導師 ... 平然として歩いて行く ...
先の境界を踏み越えたら、もう、そこは地獄だというのに。

それを聞いて尚更なおさら、関心が深まったのだ。
名前くらいは知っておきたいと感じ、カーツェルはたずねた。

『あいつ ... あの偉そうなチビは、いったい何者なんだ?』

すると、近くにいた兵士がキョロキョロと辺りを見渡し、
自分以外に彼の質問を聞いた者がいないことに気がついて振り返る。

『えぇと ... チビと言うのは、もしかして銀髪の少年のことか?』
『そうだ。こんなむさ苦しい陣営のどこに、あいつ以外のチビがいるってんだ』
『いや ... と言うか ... 』

見比べるまでもなく。お前の方が断然チビなんだけどな ... ...
兵士は口から出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
言ったが最後。そんな気がして。

『んん ... 何だ。ほら。 ああ、でも ... どうでもいいか ... 』

ところが身振り手振りは馬鹿正直ときた。
両者を指差した後の手幅てはばが伸び縮みしている様子を見れば、何を言いかけたか分かる。

『お前。今、頭の中で思ったこと ... 大佐オヤジの前で言ってみろよ』
『ええぇぇ!? どうしてそうなるんだ!!』

一筋縄では通用しない。ちっちゃな頃からのひねくれ者。

おちびカーツェル。
りゃくしてチビツェル。

兵士の間でもちょっとした噂になる御子様おこちゃまなだけあって、
親の七光りも平気で盛り込み、毒突く。

もう余計なことは言わずに答えよう。面倒事は御免ごめんこうむる。
兵士はそう思って続けた。

『ええと、だな』
『さっさと答えろ。のろま』

おチビにかれ、情けなくも涙をみつつ。

『聞いたことくらいはあると思うぞ ? つまり、あの方が
 の有名な亡国の民の子孫。フェレンス様だ』


思えば ... ... あの時、すでに確信していた気がする。

町外れの丘を登る道途。
風に波打つ野の向こうに、鉱夫らの社屋と並ぶ白い病舎をながめながらカーツェルは思い返した。

自分の望みに応えられるのは、神でも、如何いかなる権力者でもなく。
〈あいつ〉しかいないと。

の奇病によって人々の心に空いた穴。
開かれてしまった冥府の扉。

彼は、それを塞ぐすべと根源を断つ方法を知る、唯一ゆいいつの存在と言われていた。

先代より受け継いだ因果から、彼が負ことになった贖罪しょくざいも承知の上である。
関わるなと言われようが、知ったことではなかった。

連隊ないし、旅団の指揮官と肩を並べる立ち姿。
高貴さのにじあふれる面持おももち。
歳相応とは とても思えぬ、したたかな言動。

若かりしは容姿のみではなかろうか。
当時の彼と接した誰もが、そんな考えを抱いたはず。

年端としは、十に満たなかった幼き日のカーツェルでさえ、
彼を一目見て、利用しない手はない ... ... そう思ったのだ。

それからというもの。
地方で起きる抗争の鎮圧、あるいは魔物討伐と。
任を受け、それに向かう隊列を見かけては彼の姿を探し。

兵士を見守る人々の合間から背伸びするカーツェルは、
それらしい姿を確認するなり付近の店に押し入って、階段を駆け上がって行った。

声の届くうちでなければ ... !

そして、呆然ぼうぜんとする店員も余所目よそめに窓を開け放ち、思い切り息を吸って彼の名を呼ぶのだ。

『 フ ェ レ ーー ン ス ! ! 』

かたや、名の主はと言うと。
強く言って聞かせたつもりが。
何故なぜだ ... ... と、言わんばかり。

その声に気付いたところで、彼が振り向くことは決して無かったが。
いくら無視されようが、カーツェルがりることも、また、決して無く。
ただ、一方的に忘れられることほど屈辱的くつじょくてきなものはないので。
とにかく彼の記憶にとどまり、渡り合える日を夢見たのだ。

『いつか ... ! いつか俺がのぼりつめたら、お前は俺の右腕になるんだ! 忘れるなよ!!』

約束したおぼえもないのに、忘れるなとは如何いかなる了見りょうけんか。
軍馬にまたがり、揺られながらわずかに項垂うなだれるフェレンス。

そんな様子を眺めながら、思ったものである。

噂に名高い〈異端ノ魔導師〉よ。
お前となら、どんな無茶な願いだって叶えられるに違いない ... と。

狡猾こうかつ眼色めいろに底知れぬ野心を宿し。生意気に笑う。
幼き頃のカーツェルは、人々の目にどう映っただろう。

当初は、優秀な手駒てごまとして彼をそばに置くことを強く望んでいただけ。

だったはず が ... ...

どうして 々 。
いつの間にこうなった。

カーツェルは、おのいさみ足をいるかのように、手でひたいを掴んだ。
頭痛がしてきそうな気配。

主従関係を結ぶ前の〈あいつ〉は自分にとって、ただ利用価値のある人材に過ぎなかった。
なのに ... 今や、彼をはじめとする魔導師の言い分を聞かない医師たちに腹など立てているのだから。

自分自身にあきれてしまうようだった。

町の住人に診療所の場所をたずねて歩きながら、やり場のない戸惑いを押し殺すのに、
やたらと当たり散らす羽目になったカーツェルだったが、 実のところ、もう疲れたと言うか。

診療所が見えてきた頃には、怒りも戸惑いも何処どこへやら。
カーツェルは、平静を取り戻していた。

それまで虫の居所が悪かった彼に出くわしてしまった人々こそ、まこと愁傷しゅうしょうである。
 
 
 
Twitter