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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
魔を狩るものたち(2)
 エスペは二人の予想以上に活気のある都市だった。

 町の入り口にいた兵士に賊と遭遇、さらには討伐したことを告げると、すぐさま官吏の元へと通された。
 戦利品は鑑定され、治安維持に貢献したとしてささやかな報奨金が授与された。

 程なくして、二人は宿屋通りの一角で護衛契約の満了を商人達に告げた。

「ここまでご苦労だった。報奨金は報酬に加えておいた」

 商人は、尊大な口調でリーフに告げた。懐から袋を取り出し、リーフの手に落とした。
 ずっしりとした貨幣の重みを手で感じ、リーフは袋の口を開けて中身を確認した。安い硬貨で水増ししている訳ではなく、重さに見合うだけの価値があった。

 商人も報奨金の取り分がある筈だが、盗賊の首に懸けられていた額はそれなりに高かったようだ。報酬は倍近くに増えていた。

「ありがとうございます」

 リーフは軽く頭を下げた。こういった臨時の収入は黙って持ち逃げされることが多い。この商人は、良心的な商売を行っているようだった。

「これから、どうするのかね。我々はこれから街道沿いに東へ向かうが、行き先が同じなら依頼を継続してもいい」
「ありがとうございます。ですが、私達は南の、ギリスアンの方面に向かうつもりです」

 リーフの言葉に、商人は手を顎に当てた。

「ふむ、あちらは最近きな臭い噂が広がっている。見たところ、君はあちらの出身のようだが、気をつけ給え」

 リーフは頭を上げて商人の顔をうかがった。

「……何故、そのように思ったのですか」
「君の持っている剣に、敬月教ロエールの印が見えたものでね。ギリスアンは敬月教の総本山だろう」

 リーフは自分の左腰に目を落とした。
 腰に巻かれた剣帯には、剣が挿してあった。特に業物というわけではないが、護拳に月の意匠が組み込まれており、それなりに目をひく品だった。

「確かに、私はギリスアンに行ったことがあります。状勢が荒れているのは承知の上です」
「そうか。ならば、私からはもう何も言う事はない。良い旅路を」

 商人は特に残念そうにするでもなく、二人に背を向けて立ち去った。

「――と、言うわけでお金頂戴!」

 商人の姿が完全に見えなくなると、リンはいつも通りリーフに向かって両手を突き出した。

「たくさん貰ってたよね、ちょっと多めにくれると嬉しいなぁー」
「武器の整備に余念が無いのは良い事だけれど、節制という言葉を知っておいて欲しいと思うのは、決してボクがケチだからでは無い筈だ」

 リーフの遠回しな嫌味にも、リンは澄ました顔を崩さなかった。

「弾丸の予備にしょうざい、それから各種罠。最低限これくらいは揃えなきゃ、いざっていうときに足元すくわれるわよ」
「その前に財布に足元を掬われそうな気がするのだけれど」

 愚痴を零しつつ、リーフは袋から硬貨を必要な分だけ取り出して自分の懐に突っ込んだ。残りは全て、リンの豊満な胸元に押し付けた。

「余ったら返すように。宿を確保してから別行動をとろう」
「うん!」

 都市の一家族が三ヶ月は暮らせる程の資金に、リンは満面の笑みを浮かべた。



 それから半日が過ぎ、夜の帳が町を覆った。
 ごった返していた通りは一転、人の姿は疎らになった。所狭しと並んでいた屋台もほぼ畳まれてしまい、本来の道幅を取り戻したこともあって、余計に寂れたような錯覚を抱かせる。

 しかし、まだ多くの店の軒先には明かりが灯され、多くの食堂では昼間以上に賑やかな声が中で響いていた。

 さすがに街灯に整備が行き届くほどの財源はないが、多くの家は軒先に灯りを吊す余裕があった。民家や店から零れる光も街路を明るく照らし、市民に安心感を提供していた。
 戦乱の続く東方諸国は遠く、モンスターに脅かされることもそうそうない――地理的条件に恵まれたエスペだからこその、平和な日常だった。

 そんな平和な外とは打って変わり、とある宿の一室では穏やかではないやり取りが交わされていた。

「それで、何かまともな弁明はあるのかい」

 リーフの指がコツコツとテーブルを叩いた。

 リーフは部屋に備え付けの椅子にどっかりと座っていた。

 外套を脱ぎ、えりを緩め、手袋も外してくつろいでいる。身体の線の細さと滑らかで白い指先が露わになるだけで、本来の性別が強く現れた。
 だが、その雰囲気と仕草には女性らしさなど欠片も無く、眉間に寄ったしわは判決を下す裁判官のようだった。

「それは、その……」

 椅子に座ったリーフの正面に、被告人のようにリンが立っていた。

 リンの顔は珍しく沈んでいた。普段の明るい雰囲気は何処かに蒸発し、妙に居心地が悪そうにしてすっかり萎縮していた。リーフと目を合わせないように、斜め下に視線を彷徨わせている。
 リーフの爪がテーブルを叩く度に、怯えたように少し身体を震わせているようにも見えた。

 リーフはテーブルを叩くのを止め、振り下ろした指先でテーブル上に置かれた袋を摘まみ上げた。昼に、リーフがリンに渡した資金の袋の成れの果てだった。
 潤沢な資金で膨れていた袋は、見る影も無くしぼんでしまっていた。袋の中に残っているのは小さな硬貨が数枚のみ。

 たった半日の間に、リンがほぼ全てを使い切ってしまったのだ。

 これには、さすがのリーフも物申さずにはいられなかった。

「どこで使い切った」

 リーフの声には特に何の感情も込められていなかった。
 謝れば良いのか、それとも涙を絞り出せば良いのか分からず、リンはただ怯えていた。

「し、新型のモンスター弾が出てたから、つい」

 リンの弁解は、銃器専門店で商売道具の整備をした際に、金の匂いを嗅ぎつけた店員が大々的に売り込んできたというものだった。

 勿論、リンの眼鏡にかなうだけの品質だったので購入に踏み切ったのだが、普段の弾の二倍以上の値段だというのにいつもの調子で買いつけてしまったのだから、有り金が無くなるのも当然というものだ。

「思わず箱単位で買ってしまった、というわけか。成る程」

 ふむ、とリーフは顎に手を当てた。淡々と状況を確認する様子が、更にリンの恐怖を煽っていく。

「その常軌を逸した金銭感覚に呆れてものも言えない、と言いたいところだけれど、つい多めに渡してしまったボクにも問題はある」

 リーフはリンに金を渡した際、今後の旅費の分も抜いておくのをうっかり忘れていたのだ。しかし、それでもある程度は返ってくるだろうと高をくくっていたのが、此の様である。

「だ、だよね! 別に私だけの問題じゃ」
――いや、それとこれとは話が別だろ。

 横からギルが口を挟んだ。ギルは、背負うための帯を付けたまま、寝台の上に置かれていた。
 二人の他に誰もいない場所なので、喋ったことについてリーフは指摘しなかった。

――財布が空っぽになるのが分かってて買い物するとか馬鹿じゃねぇの。
「あんたに言われる筋合いなんか爪の先もないわよ!」

 むきになってリンは言い返した。
 ちなみに、ギルのせいで増えた出費といえば、リーフの腕の治療費と少々の食費程度で、リンの浪費と比べるまでもなく少なかった。

「確かに、君のせいで常に財布が軽いのは考えものだね」
「え、ちょっとリーフまでそんなこと言わなくても……」

 リーフに食って掛かるのは抵抗があるのか、リンの勢いは急速に萎んでいった。
 失敗したという自覚があっては、傍若無人ぶりで数多の人間を泣かせてきたお嬢様といえど我が儘を通せなかった。

「全て一人で揃えろ、とは言わない。せめて半分は用意しろ」
「きついって、半分は。せめて四割で」

 自分が浪費したことを棚に上げて主張するリンに、とうとうリーフは溜め息を吐いた。静かに、けれども大きく首を横に振って要求を拒否する。

「譲歩して半分だ。なあに、裏ですぐに稼げるよ」

 さも当たり前のように言葉を紡ぐリーフに、リンは思わず目を剥いた。

「花を売るって……あれ?」
「あれ」

 ダメ押しにリーフが下品な手振りをした。リンの顔が真っ赤になった。

「性別が同じなのにそういうこと真顔で言うのはどうなの」
「初めては特に高く売れるらしい、と聞いたことがある。よかったじゃあないか、一財産だ」
「待ってちょっと冗談に聞こえない!」

 リーフの視線が下腹部へと向けられているのに気付き、リンの顔は一気に真っ青になり両腕で腹部をおさえた。

「君がどうしても稼ぐ手段を見つけられなかったときの最後の手段だ。今は本気で考えなくてもいい」
「今は、って。ちょっと本気だったでしょ!?」

 リンは思わず叫んだ。このままでは本気でいかがわしい店に沈められかねない。

 リンは確信した。
 リーフの表情はいつもと然程変化がなかったが、実はかなり怒っていたことを。

――摘んできた花売るだけで、そんな金になんのか?

 

◆ ◆ ◆


「いらっしゃいませ、お席にご案内させていただきます」

 顔全体にひきつった営業スマイルを貼付け、リンは来店した客を案内した。
 エスペで人気の高級喫茶『野薔薇の園』は、本通りの一等地に位置し、豪商や貴族が利用する格調高い店だ。

 比較的安価な糖蜜ではなく、十分に精製された希少な白砂糖を用いた上品な甘さの菓子と、南岸から輸入された茶葉を一緒に出せるのは、エスペではこの店しかない。

 店舗は南向きで、大きな窓には曇りの無い硝子が嵌められ、差し込む光はぴかぴかに磨かれたタイルの床に反射している。
 天井には輝くシャンデリアが幾つも吊るされ、広間の壁際に置かれた白磁の花瓶から瑞々しい花が良い香りを振り撒いていた。
 花模様が染め抜かれたテーブルクロスに染みはなく、使われている食器もよく磨かれていた。

 勿論、広間で働く給仕も洗練されている。男性も女性も制服を着こなし、足音をしめやかにテーブルの間を歩く様は、客に負けず劣らず優雅に見えた。

 この店に奉公に出された者は皆並み以上の器量持ちで、数年に渡る教育の末にようやく給仕として表に立つことを許される。
 しかし、可愛らしい顔立ちと育ちのよさを両立したリンは、特例として即戦力で給仕を任されていた。

 急いでそれなりの金を用意しなければ本気で娼館に投げ込まれる羽目になりそうだったので、リンは必死で稼ぎ口を探した。

 そして、『野薔薇の園』の給仕が一人、失踪したことを知った。いなくなったのは若い娘で、流れの貴族に見初められたという噂が立っていた。
 人攫いに目をつけられたという話もあったが、どちらもこの界隈ではよくあることだ。

 店にとって重要なのは、労働力が一人分減ったという事実のみ。
 おかげで、リンは自らの貞操のためにも店長を半ば脅すようにして職をもぎ取ることに成功し、短期の穴埋め要員となったのだった。

 リンが自分の生まれに感謝したのは久しぶりのことだった。

「ご注文をお聞きしてもよろしいでしょうか……はい、かしこまりました。お煙草に火をお点けしましょうか」

 客の片方が一服しようとパイプを取り出したのを目敏く見つけ、リンはここぞとばかりにサービスした。
 リンは手早く煙草に火を点け、預かった外套の埃を落とした。外套を掛けてから注文内容を厨房へと伝えに戻ったリンのポケットには、小額ながらも心付けが収まっていた。

 ちょっとしたコツで稼ぎが多くなるのならと、鳥肌が立つを抑えてリンは愛想を振りまいていた。
 リンがリーフの提示した額を貯めるのに、五日を要した。

 もうしばらく働いてくれないかという店の申し出を断り、リンは給仕の制服を脱いだ。

「はい、約束していた額ね」

 宿で溜まった資金を数え直し、リンはテーブル上の硬貨の山をずい、と向かい合って座ったリーフに向かって押し出した。
 それからふらふらと寝台まで歩いて倒れ込んだ。数日分の精神的な疲労を安いマットレスに吐き出し、幸せそうにシーツにくるまった。

「これで、資金が半分は溜まったな」

 リーフは手早く金額を計算し、もうなくならないように全て袋に収めて紐で縛った。

「残り半分はどうするの」
「ボクに考えがある」

 リーフの目が、空いている方の寝台の上に放り出されたままの魔剣へと向いた。
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