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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
魔を狩るものたち(1)
 しん、と静まり返った夜の平原のど真ん中に、ぽつりと明かりが灯っていた。

 明かりの主は、小さな商隊だった。
 馬車一台分くらいの道幅しかない狭い街道の脇で、三台の幌馬車が停められていた。馬車はコの字型に陣を組み、陣の中心で火を焚いていた。

 商人は馬車の中で休んでいるのか、外に天幕は張られていない。
 代わりに、二人の用心棒が火の番を行っていた。

「不思議……何が起こるか分からない闇夜なのに、全然怖くないや」

 用心棒の片方は革のジャケットを着た黒髪の若い女性――元リドバルド王国外地派遣師団所属のリンだった。

 もう暖かい季節とはいえ夜は流石に冷えが強く、リンは背中に毛布をかけひざを抱えて座っていた。
 まるで緊張感もなくのんびりとしているようにも見えるが、足下に置かれた長銃にはいつでも撃てるように弾丸がこめられていた。

外地イパーナに比べれば、此の辺りの夜なんて昼も同じだよ。ボクまで平和呆けしそうだ」

 同じく番をしていた用心棒の相方が、冷静な口調で言った。

 こちらは、隣の少女と比較しても、浮世離れした美貌の持ち主だった。
 みすぼらしい煤けた髪と、汚れのこびり付いた顔でも、素の均整のとれた顔立ちと元来の肌の白さが際立っていた。新緑色の瞳も、目を奪われそうになるほど美しい。
 体格より二周りほど大きい黒い外套を着ているせいで身体の線は分かり辛いが、細身であることは確かだった。

 自分の左側の地面に突き刺した両手剣を振るうには、華奢な印象が否めない。そのさらに隣に置かれた片手剣の方が、まだ見合っているように思えた。
 だが、どちらの剣も、この剣士の得物だった。

「もう、そういうことじゃないって。リーフがいるから安心できるって言いたかったの」

 理知的な相方の言葉に、リンは少しむくれた。
 ほんの少しだけ身体を寄せて、リンは相方――リーフに目を向けた。

 リーフは浅く息を吐いた。

「リン、君は勘違いしているようだけど、ボクの感覚は万能じゃあない」
「だーかーら、違うってば――」

 いきなりリーフはリンの肩を掴んで自分の胸元に引き寄せた。

 突拍子もない行動にリンの胸は弾んだが、側頭部を掠めた風切り音に冷や水を浴びせかけられた。
 二人はお互いに身体を突き飛ばし合い、その場から転がるようにして離れた。間一髪、二人のいた場所をさらに二本の矢が素通りした。

「敵襲!?」

 リンは毛布を投げ捨て、長銃を掴んで馬車の影に隠れた。

 もはや隠す気などない様子で、乱雑な足音と共に盗賊が闇の中から躍り出てきた。数は五、全員が剣で武装している。防具は鉄の篭手と胸部を守る鎧のみと軽装だ。

 リーフは両手剣を手に、盗賊達に突貫した。

 捨て身覚悟に見える勢いに気圧された先頭の一人を腹で分断、続いて円を描くように振るわれた両手剣が下段から二人目を斬り裂いた。
 三人目はなんとかリーフの動きに対応し、振り下ろされる両手剣を自らの剣で受け止めたが、剣閃が止まったのは一瞬のみ。剣は負荷に耐えきれず諸共真っ二つにされてしまった。

 瞬く間に三人を屠ったリーフを前に、残った二人はたじろいだ。実力に差があり過ぎた。

「うおおおおっ!」
「うああああっ!」

 それでも、今更背を向けて逃げることなど不可能だった。自らを奮い立てるために雄叫びを上げ、一縷の望みを賭けてリーフに立ち向かった。
 一人ずつでかかっては一方的にやられるだけだと判断したのか、二人は左右から同時に斬りかかった。挟み込むように同時に攻撃すれば、どちらかの動きに対応した瞬間に隙が生じる。

 だが、リーフは斬撃の隙間をすり抜けると闇の中へと飛び込んだ。

「後は任せたぜ」

 そう言うと、リーフは盗賊に背を向けて駆け出した。

 盗賊達は反射的に逃げるリーフを追いかけようと、馬車に背を向けた。
 あまりにもリーフが派手に動くので、盗賊たちはリンの存在がすっかり頭から抜け落ちていた。

 重い銃声が二回とどろき、弾丸が盗賊の薄い鎧を貫いて肋骨を粉砕した。
 走り出そうとした姿勢のまま、二つの骸が膝から崩れ落ちた。

 銃声に驚いた馬が、嘶きながら馬車を揺らした。馬車の中にいた商人達も異変に気付いて馬車の中から顔を覗かせた。

「どうした!?」

 焚き火の傍に倒れる五人の武装した男と、丁度暗闇の中から聞こえる断末魔の声に、商人達は事態をすぐに察した。

 軽い銃声も交えながら、通算四回目の悲鳴の後、ようやくリーフが馬車の元へと戻ってきた。

 焚き火に照らされて、闇夜から浮かび上がったリーフの姿は壮絶なものだった。
 右手にぶら下げた両手剣は、血と脂の織り成すぬめりのある光沢を赤みがかかった刃の上に化粧していた。血は手元にまで及び、手に嵌めた革のグローブにも斑模様が散っていた。漆黒の外套は夜目で見る限り変わりないようだが、血を浴びていないわけがなかった。
 その証拠に、リーフの白い顔に鮮血が付着していた。

 行商をしている以上、荒事にも多少慣れている筈の商人でさえ思わず息を呑んだ。

「飛び道具を使う賊がいたので、掃討してきました。これでおそらく全員でしょう」

 リーフは左腕に抱え込んだボウガンと拳銃をばらばらと地面に落とした。ボウガンは全部で四つ、悲鳴の数と合致した。拳銃は副装備のようで、一つしかなかった。
 商人が恐る恐る馬車から降り、ボウガンを一つ拾い上げた。

「これは、東の方で使われているものだな。最近噂になっている傭兵崩れの盗賊がここまで流れ着いていたとは、いやはや」

 外地に隣接する最西端の国家群は、軍事力をモンスター討伐に大きく割いているので、大きくいがみ合う余力がない。南の内海沿いの海洋国家も然りである。
 そのため、人間同士の戦争というのは大抵、モンスター災害の少ない大陸中央諸国が舞台になっていた。口さがない者は、戦争ができることは平和な証とさえ言った。

 大きな戦争が起こる度に西にも噂が流れてくるが、軍勢が雪崩れ込んでくるような大きな被害はない。むしろ戦争の度に特需で穀類やモンスター素材の輸出価格が高騰するので、戦争は西の商人や国家にとっておいしい話である。

 しかし、一つだけ問題があった。傭兵の賊化である。

 西では、傭兵は護衛として個人や隊商に散発的に雇われることが多い。対して、中央諸国の傭兵は戦時に国が一気に雇用する。
 戦争に勝利した際、傭兵の一部は報償と共に国に召し上げられるが、大多数は解雇される。敗れた側は言うに及ばず、路頭に迷う人間が戦後に大量に出現する。

 次の戦争まで酒場でくだを巻きつつ、小さな護衛仕事をこなしていく者もいるが、中には賊となって略奪行為を行う者もいた。

 そして、賊の一部は獲物を求めて街道を西進し、西方国家の民を脅かしていた。
 皮肉なことに、賊化した傭兵が護衛の仕事を増やし、西の傭兵の飯の種になっていた。特に、モンスターを相手にすることもある西の果ての傭兵にとって、人間は簡単に死ぬだけ楽だった。

「証拠として、武器を持って行こう。エスペで賞金がでるやもしれん」

 商人が指示を飛ばした。

「分かりました」

 リーフは血に濡れた両手剣を地面に突き刺し、弓を拾い集めて使用人に渡した。拳銃からは残った弾を抜き取っておいた。リンも、盗賊の死体から剣と鞘を回収した。

 弓と剣は商品の横に積まれ、他の刃物や金になりそうなものはその場の報酬としてリーフが物色して回った。

 一通り死体の検分を済ませると、リーフとリンは金にならない残りを街道の外れまで引きずって捨てた。獣が死肉を漁りに街道近辺まで寄ってきてしまうが、埋めるとなるとかなりの労力を要するので致し方なかった。

「これで終わりました」
「ご苦労、怪我はしていないか」

 馬車の中で事の成り行きをずっと見ていた商人が、リーフに声をかけた。優しさからくる言葉ではなく、今後の護衛に支障を来さないかの確認だった。

「ご心配には及びません。最後まできっちりとお守りします」
「私も大丈夫です」

 リーフに目配せされ、リンも勢い込んで言った。
 後方支援のリンは勿論のこと、一人で盗賊の大半を片付けたリーフも、驚くべきことに全くの無傷だった。返り血こそすさまじいが、擦り傷一つ、外套の繊維の一本も断ち切られていなかった。

 多人数、しかも飛び道具相手に剣のみで戦える者などそうはいない。商人達を信用させるには十分だった。

「分かった、引き続き頼むぞ」

 商人達はあっさりと馬車の中に引っ込んだ。
 ただ、馬はリーフの全身に纏わり付く血の臭いを嗅いで、まだそわそわしていた。リーフが静かにしていることで時間を掛けてようやく落ち着いた。

 リーフは汚れた外套を地面に広げ、シャツ姿で座り直した。流石に寒いのか、先程よりも火に近い場所に陣取った。
 リーフが外套の下に身につけていたのは七部丈の白いシャツだった。シャツに覆われていない前腕には暗器を収めた鞘が巻かれていたが、左だけ、鞘の下に包帯が覗いていた。

 リンが毛布を拾い、リーフの肩に掛けた。
 リンもリーフの隣に座り、火にあたって身体を温めた。

「ねえ、左腕の調子はどう?」

 商人が盗み聞きしていないことを確認して、リンがぼそぼそと尋ねた。

「まだ完全とは言えない。さっきも、剣を振るったら少し痛んだ。もう少し、君が当てになればよかったのだけれど」

 リーフは手の調子を確かめるように、左手を開いたり閉じたりした。

「あれに反応するのはちょっと無理でしょ……でも、助けてくれてありがと」

 もしリーフが盗賊に気付いていなければ、リンは矢に射抜かれて命を失っていただろう。

「礼ならそっちに言ってくれ」

 リーフは右脇の地面に突き刺した両手剣を指差した。

「あの距離じゃ、ボクには敵がいることしか分からなかった。弓矢に気付いて避けさせたのは、ギルの判断だ」
――おう、遠慮なく俺に感謝しろ!

 軽薄そうな若い男の声がリンの耳に届いた。
 それらしい者の姿はどこにも見えないが、尊大にふんぞり返っていてもおかしくない口調だった。

 リンはリーフの肩越しに両手剣にちらりと目を向けたが、すぐにリーフに視線を戻した。

「でも、抱きしめてくれたのはリーフだよね、ありがとリーフ」

 リンは満面の笑みを浮かべてリーフの左の二の腕に縋り付く。リーフは顔色一つ変えずに、黙ってリンの体重を支えた。

――だから、助けたのは俺だっての! おい!

 ありがたく感謝しやがれ、と喚く声に、リンはあからさまに嫌な顔をした。

「うるっさいわね、乙女の夢を壊してんじゃないわよ。これだから、空気を読めないクズ鉄魔剣は」
――んだとテメェ! 最強の魔剣をクズ鉄呼ばわりたぁ、細切れにして食ってやろうか、ああ!
「曰く付きの最低の骨董品の間違いじゃないの。持ち主の腕を切り飛ばそうとした奴のどこが、ポンコツ以上に見えるってわけ?」

 町娘なら震え上がってしまうような怒声を、リンは涼しい顔で流した。加えて、相手の脅しも口先だけと分かっているので、軽い気持ちで言い返した。

 リンと言い争っているのは、地面に突き刺さった両手剣に他ならなかった。
 無論、ただの剣ではない。モンスターを確実にほふる事が出来る希少な武器であり、魔戦士タクシディード以外に御せる者のいない魔剣である。

 この両手剣に宿る意思はギルスムニルと名乗り、かつてはレニウム村で管理されていたが、今はリーフに力を貸していた。
 ギルは自称『最強の憑依霊デモニア』で、その気になればモンスターの群れを遠ざけさせる程の力を備えていた。ギルさえいれば、モンスターのかっする外地を一人旅することも可能だろう。

 片腕を犠牲にしてでも、手に入れた甲斐があったとリーフは確信していた。

 ただし、一つだけ問題があった。

 ギルとリンは壊滅的に馬が合わなかった。

 リンが一方的にギルのことを嫌っているようだが、一度ギルが挑発にのってしまうと、もうどちらが悪いのかがどうでも良くなる程やかましくなる。しかも、ギルはリーフの所有であるので、喧嘩の場にリーフがいることが殆どだった。

 現に、リンは左腕に縋り付いている状態で、ギルは右手が届く場所にいた。間にいるリーフは自分に向けられていないとはいえ否応なく両側から罵詈雑言を聞かされるはめになっていた。

「大体、何で剣が喋るのよ。脳みそ無いくせに……あー、だから馬鹿なんだ」
――はっ、今更指摘するとかテメェの方が馬鹿じゃねぇの。それから残念だったな、俺は脳みそ有る無しに関わらず馬鹿だ! そしてテメェの方がもっと馬鹿ー。
「馬鹿だって認めるとか、本当に頭逝ってるわね、この骨董品」
――テメェに比べりゃマシだ、マシ!
「双方黙れ」

 さすがに鬱陶しくなったのか、リーフは手を上げて二人の罵り合いに割り込んだ。

「一つ言っておくけど、ボクは本当に何もしていないから。ギルが咄嗟にボクの身体を使っただけだ」
「……え?」

 リーフの告白に、リンは凍りついた。

「それから、盗賊を斬り殺したのも全部ギルがやったことで、ボクは意識の隅で眺めていただけだ」

 リンの頭の中で薔薇色の情景が音を立てて崩れていくのを知ってか知らずか、リーフは衝撃の事実を次々と述べていった。

 リンを助けたのは外側がリーフでも、中身は憑依霊の能力で乗り移っていた魔剣ギルだったというのだ。
 確かに、戦いの最中でリンに声を掛けたのはリーフではなくギルだった。

「まあ、ボクも敵には気付いていたけれど、まさかギルに動きを先んじられるとは思っていなかったよ」
――テメェは一コの感覚に拘り過ぎだ。耳を澄ましてりゃ、弓矢ぐらい見切れんだろ。
「百年以上殺し殺されしているモノと同列に語られても、簡単に出来るわけがないだろう」
――いつかはできんのかよ。
「会得するまで死ななければ、の話だけれど」

 捻くれた返事をして、リーフは興味なさげに首を傾げた。

「リーフは力及ばずだったってことね……じゃ、クズ鉄が邪魔しても仕方なかったわけか」

 リンがリーフの顔を覗き込んだ。

「じゃあ、次に危なくなったら助けてくれるよね」
「助けるよ、当たり前じゃあないか」
「やった」

 無理やり納得出来る理由をこじつけ、リンはようやく大人しくなった。

――次クズ鉄呼ばわりしやがったら、モンスターの目の前に突き出すぞ。

 悪態を吐いて、ギルも引き下がった。

 ようやく静かになった一人と一本に、リーフは溜め息を零した。

「今は別に騒いでいても良いけれど、エスペに着いたら大人しくしていてくれ、絶対に」

 リーフの言葉遣いは穏やかだったが、『絶対』に有無を言わせない気迫が込められていた。

 二人が護衛している商人達はインディム王国内の商業都市エスペに向かっていた。
 エスペは東方へと続く街道の始点に位置し、交易の重要な拠点となっている。遥か昔には、外地との境界のさらに西まで亡国と繋がる大街道が伸びていたらしいが、今は荒れ果てて使い物にならなくなってしまっていた。

「私だって、人前で武器に話しかける程頭悪くないもん」

 リンは素直に了承した。

――えー、俺も黙んねぇといけねぇのか?

 一方、ギルは不満げだった。リーフと契約してから、黙っていた日は一日たりともない。

「当たり前だ。普通の武器は喋らない」
――でも、声が聞こえるのはテメェらだけだろ。
「町に他の魔戦士がいる可能性がある。お前のせいでこちらの正体が暴露することだけは避けたい。だから、絶対に人前で喋るな」

 魔剣は強力な武装だが、所有者の精神を呪いでむしばみ、周囲にたちの悪い悪戯を仕掛けることもあるため、外地から一歩でも人の世界に入れば煙たがられがちになる。なにより、現代には魔剣の代わりに銃があるのだ。

 実際、ここに来るまでの間、小さな村に立ち寄って魔剣持ちの魔戦士だとばれてしまったことがあったが、途端に村人からの視線が冷たくなった。
 魔剣と意思疎通が可能な魔戦士の才能を持つ者は、数が少ないとはいえ確実に存在する。リンのように、才能に気付く機会に恵まれなかった卵の存在を考慮すれば、増々町中でギルが話すリスクは高かった。

――もし喋ったら?

 どうせ何も出来ないだろ、と高をくくってギルが挑発した。

 だが、リーフはきちんと回答を用意していた。

「公衆便所にお前を突っ込む」

 リーフは真顔で言い放った。

 便所というものは、水道が整備された都会の中の都会ならともかく、基本的にくみ取り式である。穴の開いた椅子に座って、下に置かれた壺で排泄物を受け止めるのだ。
 勿論、排泄物を受け止める壺は汚く臭く、年中蛆虫と蝿がついてまわっている。

――……誠心誠意黙らせて頂きます。

 常に傲慢で舐め腐った態度のギルが、初めて敬語を使った瞬間だった。剣なので表情を窺い知ることは出来ないが、声色は恐怖で若干震えていた。

「はー、いい気味」

 ギルの困った様子がリンを元気にさせた。

「分かったのなら良い」

 二人に注意が行き届いたのを確認し、リーフはおもむろに空を見上げた。
 月のない空にさごのような星が輝いていた。

「もうすぐ、だな」

 まだ治りきっていない左腕をさすりながら、リーフは呟いた。

「あのさ、リーフ」

 リンは少し目を伏せながら口を開いた。

「どうした?」
「……やっぱりいいや、先におやすみっ」

 喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んで、リンは地面に寝転がった。
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