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作者: 水無月 龍那
本日の点呼をいたします
「ヤミちゃんヤミちゃん。さっき奥でこんな物を見つけたんだ」
 物理準備室の掃除中。そう言ってハナがヤミに突き出したのは、古びた木製のラジオだった。
「ラジオ?」
「うむ。なんだか懐かしい感じがしたからヤミちゃんにも見せようと思ったのさ」
 首を傾げてハナの手にある木の箱を見る。
 人の頭くらいの大きさの、ドーム型のラジオ。装飾は少ない。古びてはいたが、丁寧に使い込まれていたようだ。ささくれなどはなく、どこか年季を感じさせる艶やかさがあった。
「まあ……確かに昔あったのに似てる。が。どっから持ってきたんだよそんなもん。元の場所に返してこい」
「子犬を拾ってきたんじゃあるまいし、別に良いじゃないか」
「子犬の方がタチ悪いが、校内にある古いものってのは」
 ロクなもんじゃないだろ、とヤミは溜息をつくように言った。
「まあ、それもそうだ。元よりボクもここから無闇に持ち出す気はないから安心したまえよ」
 彼女はそう言って準備室の奥へと引き返して行った。

 □ ■ □

 夜。

 ――ぢっ
 ざ、ざざ……ざ――――

 砂を流し込んだようなノイズ音で、ハナは目を覚ました。
「ん、むう……?」
 寝ぼけた目で天井付近にあるスピーカーを見る。その隣にある時計は午前2時半を指そうとしていた。
「こんな時間に目を覚ますとは……」
 珍しい事もあるもんだとハナは目をこすり、ぴたりとその手を止めた。
 ――ざ、ざっ……
 ノイズ音。擦れるように聞こえるそれは、室内からのものじゃなかった。
「ヤミちゃんがラジオでも聴いてるんだろうか……」
 ふとそんな事を思ったが、壁一枚向こうにある彼の部屋からの音でもなさそうだ。
 そもそも隣の物音は意外と聞こえない造りだ。あり得ない。
 はて、と首を傾げて。気付く。
「――、……ヲは、  んじつ 、点呼――た、 す」
 ノイズはいつの間にか何かの音、いや、声を為していた。
「……、 ラじ――ほ、 つも 、……を」
「……?」
 耳を澄まして音の出所を探す。
 室内ではない。隣室でもない。自分からは見えなくて、何かに遮られた先にあるような、そんな聞こえ方。
「――廊下?」
 いやいや、と可能性を否定する。
 しかし、一度気付いてしまえばどうしても意識してしまう。聞こえる音は確かに形を成している。なんだか胸の奥がそわそわする。
 ハナはそっとベッドから出て、引き戸になっているドアに耳を押し当てる。

 音が、する。
 気配が、ある。

 夜に活動する人だって居るから、誰かしら起きているだろうが。こんなの聞いたことがない。
 とりあえず立ち上がってドアを開けてみた。
 全体的に暗いけど、どこかの部屋の電気が付いていて、中庭の街灯がそれなりに明るい。
 夜深い廊下は、いつも通りの景色だった。
「なんだ、なにもないじゃない……」
 ハナの言葉はそこで途切れた。
 視界の隅に、小さな箱があった。

 ラジオだ。
 少しだけ離れた所にぽつんと、ラジオが置いてあった。
 さっきから聞こえていた、あのノイズが流れている。

「……原因はこれか」
 近付いてひょいと持ち上げる。電源コードは繋がっていない。むしろ途中で千切れていた。だが、スイッチは入っているようで、砂を流すような音とノイズが交互に流れている。
「しかし……これでよく動いているな」
 箱の底や裏を覗き込んでみる。昼間に見たのと同じ、普通の。

「――本日の点呼をいたします」

 突然。
 背後から女性の声がした。
「!?」
 ラジオを手にしたまま振り返ったハナの真後ろに、天井まで届きそうな黒い影があった。
 姿形は曖昧でよく見えない。顔も分からない。のっぺりとした影が、ただぶつぶつと同じ言葉を繰り返しているのが聞こえる。
 その声は背後の影が喋っているようにも、手元のラジオからノイズ混じりに流れているようにも聞こえた。
「お、驚かせるのは良くないな……一体なんだい? ボクに何か用があるのかい?」
「……こ、を――たし、ます」
 答えの代わりのように、ざざっ、とラジオのノイズが一際大きく響いた。
「あま……、れ、 ツロ。――ぃま  ういちろ」

 名前だ。

 ノイズが混じってよく聞こえないが。ノイズの合間に在るのが名前だと理解した瞬間、背筋がひやりとした。
 聴いちゃいけない。これは、聴いてはいけないモノだ。
 だが、気付いても遅かった。
 ラジオを持った手が、固まったように動かない。耳を塞ぐことすら叶わない。聞いてしまう。聴きたくなってしまう。
 身体の中、胸の辺りに何かが溜まるような感覚がする。
 読み上げている者か、読み上げられている者か。彼らに何があるのかは分からないが、淡々と読み上げられていく名前に、ハナの呼吸が浅くなっていく。

 浅く。
 あさく。
 どんどん浅く。

 それに反して手にしたラジオは。背後の影は名を連ねていく。

 ノイズを交え。
 淡々と。
 淡々と。
 淡々と。

 いけない。このまま聴いていては、いけない。
 この心の底に溜まっていくような感情は、良い物ではない。ノイズに混じる名前がざらりと胃を重くする。色んなことを。考えなくて良い物を、考えないようにしてた物を、思わず考えそうになる。今はまだノイズ混じりだからいいけれど。もし誰かの――いや、自分の名前がはっきり聴こえてしまったら――!
「――ディ スレ……ン、カ……、g  み。 ミ あおカ」
 気付いてしまった可能性は、ハナの恐怖を瞬間的に引き上げ、叫び声になる。
「――や。やめて。……やめてくれ!」
 それで声が止まる訳はなかったが、その拍子に手からラジオが落ちた。
 一瞬、読み上げる声が止まる。
 がこん、と重い音が硬直した身体から自由を取り戻す。気付くが早いか、ハナは足元に転がったそれを力一杯蹴り飛ばした。
 そのままラジオがどうなったかも見ずに彼女は駆け出し――隣の部屋の引き戸を力一杯開いた。

 □ ■ □

 ばあん! という、いつになく乱暴な音にヤミは目を覚ました。

「ヤミ! ヤミちゃん!」
「……なんだ、騒々し……って、こんな時間に」
 どうした、と目をこすりながら起き上がるヤミは、よく分からないまま腕を引かれ、ベッドから引きずり出された。
「おい、ハナ……? どうしたんだよ一体」
「……ええと。名前が、呼ばれて……それが、」
「落ち着け。ゆっくり話せ」
 とりあえず腕を掴むハナの手に自分のを重ねて落ち着かせる。小さく暖かな手に安堵したのか、少しだけ彼女の呼吸は落ち着いたようだった。
「ああ、……その。だな。ボクは。どうやら妙な物に、手をつけたらしくて」
 なんだそれは、と問う言葉は、彼女の姿を見て飲み込んだ。
 俯いているが、頬が濡れているのが分かった。ヤミの腕を掴む彼女の手は、小さく震えていた。

 怯えている。
 その一点が、ヤミの目を一気に覚ます。

「おい、何があった?」
「油断、してた。こういうのは……ヤミちゃんかウツロさんが適任、だから……」
「だから俺を起こした、と。それは分かった。それは一体何だ」
「話すより、見……いや、聴いた方が早いと、おもう」
「?」
 どういうことだ、と首を傾げる。廊下か、ハナの部屋か。どちらか分からないがとりあえずこの部屋を出たら分かるかもしれない。
「外か」
 こくり、とハナは頷いた。
「廊下に、ある」

 ハナと手を繋いだまま廊下に出たヤミは、夜特有の薄暗い空気に目をこらす。
「……あれか?」
 廊下に木箱のようなものがあった。
「何だアレ……」
 宙に浮いている。千切れた紐が、尻尾のようにぷらぷらと揺れている。
 ヤミは訝しげに廊下の木箱を睨みつける。それが何かが分かった瞬間、視線を勢いよくハナへと向ける。
「お前どうしてこのラジオ持ってきたんだよ!?」
「ボクじゃない! 昼間のアレはきっちり片付けたとも!」
「……じゃあなんであそこにあるんだよ。あれ、同じヤツだろ?」
「知らない。分からないんだ。ただ、さっき目を覚まして、声がして……廊下に出たらあったんだ! さっきだって――遠くに、蹴飛ばして……!」
「は……?」
 状況を飲み込めず聞き返そうとしたヤミの耳元で。

「――点呼を、いたします」

 やけにはっきりと、その声が響いた。
 繋いだハナの手が、ぎゅっと強くヤミの手を握る。
「雨nn―― gぐれ、うつrrrr 鹿シm そうい――ざざ……」

 ざらざらと名前が呼ばれていく。
 ノイズ混じりでよく聞きとれないないが、時折拾える単語じみた何かは、確かに誰かの名前だった。

 ヤミは舌打ちを一つして、軽く腕を振る。
 これは確かに良くないものだ。奥歯で砂を噛むような、嫌な感覚がする。名前が読み上げられていくにつれ、胸の奥が酷く重くなっていく。思わず目を伏せて、頭を抱えて、その場に蹲ってしまいたくなる。それを、奥歯を噛み締めて堪える。

 きっとハナは、この箱を見つけた時に目をつけられたのだろう。
 彼女は昔からそうだった。本人の意志に関わらず、人の厄を己の身に引き寄せる。そんな、厄を背負う人形のような体質だから、怪我や病気が絶えなかった。
 今でも変わらないそれをどうにかするのも、自分の役割だ。
 彼女の体質は。随分とマシになってはいたと思ったのだけれど――、とそこまで考えてヤミは頭を振って思考を止める。
 この想起で自分まで過去に引きずられてはいけない。

 影はこれを点呼と言っているが、これはこの学校に住む者の触れたくない物を想起させ、走馬灯にも似た追体験で強制的に暴くような呪い。
 自分の名前が呼ばれたら。聞こえたら。きっと「あの頃」に引きずり戻されるかもしれない。
 そうなってしまったら……とても、まずい。

「ハナ」
 彼女の名を呼ぶ。
「今回はツケといてやる。今度ギザ十寄越せ。あと、耳を塞いでろ」
 こくこくと頷く振動と離された手。そのまま言われた通りに耳を塞いだハナを視界の隅で確認して、ヤミは床を軽く蹴る。

 二歩もあれば得物の間合い。
 ヤミは狙いを定め、一歩高く飛ぶ。
 虚空から取り出した鎌を振り上げて刃を背に回し、窓の間にある柱を蹴る。
 廊下は狭く、鎌を振り回すには向いてない。無闇に振り回せばこっちが不利。チャンスは一度。斜めに振り下ろすだけなら、なんとかなる。
 まずは。ラジオに狙いを定め、柄で叩き落とす。
「g、はら――」
 がつん! と音を立ててラジオが床で跳ねる。側面と底の板が外れて転がると、その向こうにゆらりと影が見えた。
「本体は――お前だな。あいつを怯えさせた罪は重いと知れ」
 それが届いたかどうかは分からない。柄と同じ軌道で、刃を斜めに振り下ろす。
「はn――」

 ぶつんっ

 一際大きな音を立て、影が崩れ落ちた。
 とん。と小さな音を立てて着地したヤミが大きく息をつくと、廊下に静寂が戻ってきた。
 振り返ったヤミが睨み付けるその先――廊下の端には、すっかり壊れたラジオが転がっている。
 もう何も音はしない。周囲に動く気配もない。
「終わったかい?」
「ああ、多分」
 寄ってきたハナと二人で、壊れたラジオを見下ろす。
 これを拾い上げていいものかどうか一瞬悩んだその時。
「お前らこんな時間に何してる」
 後ろから低く思い声がした。
「――!」
 ハナとヤミが同時に振り返ると。
 そこには懐中電灯片手に、呆れた顔の用務員が立っていた。

 □ ■ □

「ははあ、なるほど?」
 自室で二人に茶を出して落ち着かせ、一通り話を聞いたウツロはそれだけ言った。
「ウツロさん。あのラジオは……一体何だったんだい?」
 おそるおそる、といった様子で尋ねるハナに、ウツロは紫煙を吐いて「ああ。そうか」とつぶやく。
「お前らには触れさせなかったヤツだったな……あれはまだ校舎建て替え前だったか。物理準備室で使われてたラジオさ」
「なんであんな物」
「最初はな。普通に壊れてただけだったんだ」
 いつだったっけなあ、とウツロは天井を見上げる。
「元の持ち主――あのラジオを使ってた教師は授業の前に点呼を取る人だったらしい」
 ウツロの話に二人はじっと耳を傾ける。
「その教師がいなくなって、……どんくらい経ったかは分からんが、噂がひとつ流れはじめた」
「噂……」
 そう、とウツロは言葉を挟む。
「校内でラジオを聴いてると、どこぞのクラス名簿が読み上げられる。それを聴いてしまうと、何か事件が起こる」

 誰かが怪我したり、何かが落ちてきたりする、ってのは聞いたことあるだろ? とウツロが付け足す。二人はこくりと頷く。
 えーと、とウツロは一息つくように紫煙を吐いて話を続ける。
 当時はウツロとハナブサ、サクラの三人で対処しようとしたらしい。しかし、ラジオはこちらが手を回すより先に力をつけ、自分達の名前もラジオを介して呼ぶようになったのだという。
「夜になると俺達の名前も読み上げはじめてな。俺とかはまだいいが、過去に何か持ってる奴は危険だって判断で、該当者はあんまり関わらせなかった」
 少なくとも過去に何かしらの感情がある者は関わらせにくい。一度話が詰みかけたのだが、そこにやってきたのが放送部員のスイバだった。
「で、その対処と後の管理はミキに任せたんだったな」
「それで……あのラジオそのまま放置してたのか?」
「いや、定期的に見に行ってはいたみたいだが……そこは本人に聞かんとなんともなあ。はなぶさは記録に残してるだろうが、俺も言われるまで忘れてたくらいだ」
 それにしても、とウツロは灰皿にタバコを押し付け、頬杖をついた。
「あのラジオ、こうして忘れかける程度には厳重に封じてあったはずだ。……ハナ、あれをどうやって見つけた?」
「どうやってもなにも……昼間掃除した部屋の奥にぽつんと置いてあったのさ」
 首を傾げたハナの回答に、ウツロは渋い顔をする。
「それは……ちと不可解だな。明日ミキを探してみるか。あと、ヤミ」
「ん」
 ウツロが言おうとしている事を察して、ヤミが頷く。
「他に影響がないか見ておく。サクラとカガミにも手伝ってもらう。ハナもしばらく……不安、定だろうから、一緒に居る」
「おや、ヤミちゃん心配してくれてるのかい?」
「お前が突飛な行動しない限りはな」
「突飛……全く、ボクがいつもそんな事をしてるかのような」
「してんだよ。自覚しろよ少しは……」

 ウツロには、頭を抱えたヤミの溜息に「さっきの言葉撤回してやろうか」という意志が見えたような気がしたが。
 きっとそれは、さっき吐いた紫煙のせいだ。それで煙って見えたんだ。
 そう思う事にした。

 なにやら自分達の知らない所で何かが動いているようなそんな気もしたが。
 それはきっと、今ここで話すべき時じゃない。
「まずははなぶさに相談、か……」
 そんなつぶやきは、誰の耳にも届く事なく消えた。
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