Exspetioa2.12.27 (2)
「――セナ。体から毒を抜くよう祈って」
まどろみながら、私は、やさしいお声のおっしゃる通りにしました。たちまち私はするりと目が覚めました。
穏やかにほほ笑まれるマザーが映りました。見覚えのある場所でした。少しして、礼拝堂の講壇の後ろにいるのだと気が付きました。
「私は、どうしてここに……」
「セナをみつけて駆け寄ったら、私の服にくっついていた蛇がセナを噛んだみたいで、セナが倒れてしまって……。礼拝堂は一番丈夫だし、中庭からも離れているから、運んだんだ」
「そうだったのですね。お手数をおかけしました。それより、マザーがご無事でよかったです。心配していて……」
話しながら体を起こして、私はようやく、自分の異変に気付きました。袖のない生身の腕。白いレースの裾……。慌てて胸もとに触れると、肩が出て、胸もとが開いていて――私は、あの、神の儀式のためのドレスを着ていたのです。
「似合ってるよ、セナ」
窓から差し込む夜の光、そして、私が見上げていたからだったのでしょうか。
いつも幼く、かわいらしく見えるマザーが、不敵な笑みを浮かべていらっしゃるように見えました。
マザーが、着替えさせてくださった?
どうして――……。
私は、はっとしました。今は、それどころではありません。蟲が、ラジアータさんの奇襲で大変なことになっていたのです。あれから、どのくらいの時間が経ってしまったのでしょう。とにかく、ニゲラ様のもとに戻らないと!
行こうと立ち上がった私の手を、マザーが握りしめました。
「行かないで。ここにいれば安全だから」
「いえ。ニゲラ様と皆さんのもとにいかなくては……」
「ニゲラは、もういないよ」
空気が、一瞬で凍りました。息が止まり、音が消え、すべての感覚がなくなって、体が一気に冷たくなって……まるで、心がぽっかりとなくなってしまったように思えました。
「う、そです……」
そんなはずがない。そういう思いのまま、私の唇は、勝手に言葉を紡いでいました。
マザーが首を振り、「窓の外を見てみて」とおっしゃいました。
私は、感覚のない足で、正門に近づきました。次第に、外の音――悲鳴と破壊音の入り混じる悲痛な音が聞こえてきました。
正門の隣の小窓を覗いた時、私は、言葉を失いました。
私たちの暮らしていた石造りの修道院はすべて壊れ、中庭の草木は毒を受けて、枯れ果てていました。大量の蟲が、次に壊すものを探して、悲鳴をあげていました。
そして――崩れ落ちた瓦礫の山に、ニゲラ様のお姿がありました。
ニゲラ様はそこにゆったりと足を組んで腰掛け、唇に笑みを浮かべて、事態を眺めていらっしゃいました。ニゲラ様の体には、三匹の蛇が絡まり、色とりどりの蝶たちが舞っていました。お体に咲いている花が、すべて、真っ黒に枯れ果てていました……。
私は、察しました。あれは、ニゲラ様じゃない。ラジアータさんだと。ニゲラ様のお体の中に、ラジアータさんがいるのだと……。
後ろから、マザーが私の手を引きました。私はマザーと向かい合う形になりました。
マザーは、にっこりと笑いました。
「やっと邪魔ものがいなくなった。これでセナは、僕のものだ」
「僕」? マザーのお口から初めて聞く一人称に、空っぽだった私の心はざわつきました。
「僕」という一人称を使う方は、あの夢の中にでてきた、低いお声の方しか知りません。
マザーは私の手を引きました。いつも、マザーのお部屋で、中庭に一緒に行く時の楽しくあどけない雰囲気ではない、言葉にできない威厳を、マザーから感じました。
私たちは、十字架の前で向かい合いました。マザーは私の両手を握りしめ、しっかりと私の瞳を見つめました。
「セナ、よく聞いて。これからセナに、大切なことを教えてあげる。セナは、花の修道女じゃない。僕と同じ、『自然の意思』によって生まれた存在」
「自然の意思」――それはこの世界そのもので、この世界を創るため、神様を生んだとされるもの……。
私は、はっとしました。
「あなたは、あなたはもしかして……」
マザー……いえ、そのお方は、とても気高く、ほほ笑まれました。
「そう。僕は、神だ」
私は、ふらりと膝をつきました。ほとんど空っぽの心の中が、畏れ多さに支配されたようでした。私はガタガタと震えながら、指を組んでうつむくことしかできませんでした。
「念のために言っておくけど、花の修道女、イクス・モルフォということ自体が違うんだ。ラジアータの邪魔が入らないよう、偽っていただけ。僕は、神そのもの」
ずっと、マザーと思っていたこのお方が、神様そのもの……。私は言葉を出すことができませんでした。息が止まり、指一本動かすことができませんでした。何もかも、はばかれるような気持ちがしたのです。神様は、お話を続けられました。
「セナ。君の力は、イクス・モルフォの力ではない。『自然の意思』がもたらした、特別な力。祈りを叶えられる力だ。僕を復活させたのも、君。君の声が聞こえたんだ。『神様と、お会いできますように』と……。その瞬間、僕は意識を取り戻し、この体を手に入れた」
「創造」のお力はなく、もとの姿かたちより小さくはあったものの、記憶と思考は同じものであったそうです。もしかすると、私が自覚していないばかりに、祈りの強さが未熟でこうなってしまったのかも、と神様はつぶやかれました。私は、とても申し訳ない気持ちになったのですが、やはり、畏れ多くて言葉にすることができませんでした。
「顔を上げて、セナ」
神様の小さな指が、私の顎を上げました。夜の光に照らされたお顔は、今まで見ていたマザーのお顔にはもう見えませんでした。
神様は、目を細められました。
「僕が最も恐れていたものを教えたよね。孤独だ。僕はこの世でただひとり、『自然の意思』から生まれた存在。それを慰めるために、イヴやアダム、花の修道女たちを創った。だけど皆、僕の孤独を真に理解してはくれなかった。だけど、セナは僕と同じ存在。僕の孤独を真に理解できる存在なんだ。その上僕を復活させた。セナは、僕のために、僕の孤独を埋めるために、僕を幸せにするために、生まれてきた存在なんだ」
神様が、手の甲を覆っていた白い布をおとりになりました。その甲には、花が咲いていませんでした。私と同じように……。
神様は、右手の甲を差し伸べられました。私のさしあげた指輪が、薬指に光っていました。これまで練習してきた、神様に、「神の花嫁」を誓うための儀式のかたちでした。
「さあ。誓って、セナ。僕の花嫁になると。僕の楽園をつくると。そして、祈って。ラジアータもニゲラもいない、他の花の修道女もいない。僕と君が、二人きりで生きる世界を。君が、永遠に僕だけを愛し、僕の孤独を埋め、僕を幸せにしてくれる、僕の理想の楽園の創造を!」
まどろみながら、私は、やさしいお声のおっしゃる通りにしました。たちまち私はするりと目が覚めました。
穏やかにほほ笑まれるマザーが映りました。見覚えのある場所でした。少しして、礼拝堂の講壇の後ろにいるのだと気が付きました。
「私は、どうしてここに……」
「セナをみつけて駆け寄ったら、私の服にくっついていた蛇がセナを噛んだみたいで、セナが倒れてしまって……。礼拝堂は一番丈夫だし、中庭からも離れているから、運んだんだ」
「そうだったのですね。お手数をおかけしました。それより、マザーがご無事でよかったです。心配していて……」
話しながら体を起こして、私はようやく、自分の異変に気付きました。袖のない生身の腕。白いレースの裾……。慌てて胸もとに触れると、肩が出て、胸もとが開いていて――私は、あの、神の儀式のためのドレスを着ていたのです。
「似合ってるよ、セナ」
窓から差し込む夜の光、そして、私が見上げていたからだったのでしょうか。
いつも幼く、かわいらしく見えるマザーが、不敵な笑みを浮かべていらっしゃるように見えました。
マザーが、着替えさせてくださった?
どうして――……。
私は、はっとしました。今は、それどころではありません。蟲が、ラジアータさんの奇襲で大変なことになっていたのです。あれから、どのくらいの時間が経ってしまったのでしょう。とにかく、ニゲラ様のもとに戻らないと!
行こうと立ち上がった私の手を、マザーが握りしめました。
「行かないで。ここにいれば安全だから」
「いえ。ニゲラ様と皆さんのもとにいかなくては……」
「ニゲラは、もういないよ」
空気が、一瞬で凍りました。息が止まり、音が消え、すべての感覚がなくなって、体が一気に冷たくなって……まるで、心がぽっかりとなくなってしまったように思えました。
「う、そです……」
そんなはずがない。そういう思いのまま、私の唇は、勝手に言葉を紡いでいました。
マザーが首を振り、「窓の外を見てみて」とおっしゃいました。
私は、感覚のない足で、正門に近づきました。次第に、外の音――悲鳴と破壊音の入り混じる悲痛な音が聞こえてきました。
正門の隣の小窓を覗いた時、私は、言葉を失いました。
私たちの暮らしていた石造りの修道院はすべて壊れ、中庭の草木は毒を受けて、枯れ果てていました。大量の蟲が、次に壊すものを探して、悲鳴をあげていました。
そして――崩れ落ちた瓦礫の山に、ニゲラ様のお姿がありました。
ニゲラ様はそこにゆったりと足を組んで腰掛け、唇に笑みを浮かべて、事態を眺めていらっしゃいました。ニゲラ様の体には、三匹の蛇が絡まり、色とりどりの蝶たちが舞っていました。お体に咲いている花が、すべて、真っ黒に枯れ果てていました……。
私は、察しました。あれは、ニゲラ様じゃない。ラジアータさんだと。ニゲラ様のお体の中に、ラジアータさんがいるのだと……。
後ろから、マザーが私の手を引きました。私はマザーと向かい合う形になりました。
マザーは、にっこりと笑いました。
「やっと邪魔ものがいなくなった。これでセナは、僕のものだ」
「僕」? マザーのお口から初めて聞く一人称に、空っぽだった私の心はざわつきました。
「僕」という一人称を使う方は、あの夢の中にでてきた、低いお声の方しか知りません。
マザーは私の手を引きました。いつも、マザーのお部屋で、中庭に一緒に行く時の楽しくあどけない雰囲気ではない、言葉にできない威厳を、マザーから感じました。
私たちは、十字架の前で向かい合いました。マザーは私の両手を握りしめ、しっかりと私の瞳を見つめました。
「セナ、よく聞いて。これからセナに、大切なことを教えてあげる。セナは、花の修道女じゃない。僕と同じ、『自然の意思』によって生まれた存在」
「自然の意思」――それはこの世界そのもので、この世界を創るため、神様を生んだとされるもの……。
私は、はっとしました。
「あなたは、あなたはもしかして……」
マザー……いえ、そのお方は、とても気高く、ほほ笑まれました。
「そう。僕は、神だ」
私は、ふらりと膝をつきました。ほとんど空っぽの心の中が、畏れ多さに支配されたようでした。私はガタガタと震えながら、指を組んでうつむくことしかできませんでした。
「念のために言っておくけど、花の修道女、イクス・モルフォということ自体が違うんだ。ラジアータの邪魔が入らないよう、偽っていただけ。僕は、神そのもの」
ずっと、マザーと思っていたこのお方が、神様そのもの……。私は言葉を出すことができませんでした。息が止まり、指一本動かすことができませんでした。何もかも、はばかれるような気持ちがしたのです。神様は、お話を続けられました。
「セナ。君の力は、イクス・モルフォの力ではない。『自然の意思』がもたらした、特別な力。祈りを叶えられる力だ。僕を復活させたのも、君。君の声が聞こえたんだ。『神様と、お会いできますように』と……。その瞬間、僕は意識を取り戻し、この体を手に入れた」
「創造」のお力はなく、もとの姿かたちより小さくはあったものの、記憶と思考は同じものであったそうです。もしかすると、私が自覚していないばかりに、祈りの強さが未熟でこうなってしまったのかも、と神様はつぶやかれました。私は、とても申し訳ない気持ちになったのですが、やはり、畏れ多くて言葉にすることができませんでした。
「顔を上げて、セナ」
神様の小さな指が、私の顎を上げました。夜の光に照らされたお顔は、今まで見ていたマザーのお顔にはもう見えませんでした。
神様は、目を細められました。
「僕が最も恐れていたものを教えたよね。孤独だ。僕はこの世でただひとり、『自然の意思』から生まれた存在。それを慰めるために、イヴやアダム、花の修道女たちを創った。だけど皆、僕の孤独を真に理解してはくれなかった。だけど、セナは僕と同じ存在。僕の孤独を真に理解できる存在なんだ。その上僕を復活させた。セナは、僕のために、僕の孤独を埋めるために、僕を幸せにするために、生まれてきた存在なんだ」
神様が、手の甲を覆っていた白い布をおとりになりました。その甲には、花が咲いていませんでした。私と同じように……。
神様は、右手の甲を差し伸べられました。私のさしあげた指輪が、薬指に光っていました。これまで練習してきた、神様に、「神の花嫁」を誓うための儀式のかたちでした。
「さあ。誓って、セナ。僕の花嫁になると。僕の楽園をつくると。そして、祈って。ラジアータもニゲラもいない、他の花の修道女もいない。僕と君が、二人きりで生きる世界を。君が、永遠に僕だけを愛し、僕の孤独を埋め、僕を幸せにしてくれる、僕の理想の楽園の創造を!」