▼詳細検索を開く
作者: 鈴奈
Exspetioa2.10.8
 今日は、礼拝の終わりに、シスター・アザレアが「花の修道女たちを正すための規則」を発表したのですが……。
 たくさんのことがあって……今でも胸が震えています。

 はじめに、マザーからお話がありました。

「シスター・アザレアから、現状の風紀の乱れを指摘する声があり、風紀や考え方を正すための規則をつくること、それを施行することを許可しました。シスター・アザレアが読み上げます」

 マザーに代わり、シスター・アザレアが講壇に立ちました。私はいつもの席にいていいとマザーに言われたため、座ってシスター・アザレアを見守っていました。
 シスター・アザレアは、規則を記した書を一枚めくると、まっすぐ、鋭い視線を私たちに向けました。

「まず、現状の問題点からお話しします。私が見る限り、衣服の着こなし、交友関係が激しく乱れています。衣服は、特に靴。かかとの高いものを新調するものが増えています。交友関係については――エス。この関係をもつものが、公然と仲睦まじく過ごしている。以前は見られなかった、キスや抱きしめ合う行為など、あまりにも目に余る行為が目立っています。あなたたちが罪女ニゲラを受け入れはじめた時から」

 私は、恥ずかしくなりました。ニゲラ様と私の数々の行動が流行している……それを全体で言い渡されたことで、消えない烙印を押されたような気持ちになったのです。

「罪女ニゲラを受け入れるご判断は、マザー、そして神のご意思です。ですが、罪女ニゲラの行動に影響を受けるか否かは、あなたたちの心次第。つまり、簡単に影響を受け、激しく乱れた現状を正すには、あなたたちの心を正す必要があるということ。したがって、次の規則を提示します」

 シスター・アザレアは、規則を読み上げました。

「余計な装飾物を身につけず、揃った修道服で過ごすこと。休息の時間は、親密な関係なものと逢瀬を交わす、大人数で集まるなどの遊びをせず、午後の労働のための休息に徹すること。そして――エスであるものは、エスの関係を解消し、そのような想いを他の花の修道女に抱いている場合は、速やかにその心を鎮めること」

 礼拝堂が、ざわりとどよめきました。私は、ドキリとしました。批判的な声音。このままでは、シスター・アザレアおひとりが、批判を受けることになります。私が立ち上がろうと腰を上げた時、反対の二席前の場所に座っていらっしゃったシスター・ルドベキアも、慌てて立ち上がろうとされるのが見えました。
 しかし、それを制するように、

「静まりなさい!」

 とシスター・アザレアの鞭のようなお声が響きました。

「こうして、堂々と口を開くところもまた、心の乱れの表れるところ。節制なさい。私たちは、自分のために咲いているのではない。私たち花の修道女は皆、神を愛するため、神の楽園をつくるために生まれた存在。神への感謝を抱き、神のみを愛する。それが私たちの正しく、美しい在り方。神様の『美しい花で在れ』というお言葉を胸に、今一度、美しい心を取り戻せるよう善処しなさい」

「お言葉ですが、シスター・アザレア」

 手を上げ立ち上がったのは、シスター・マネチアでした。シスター・マネチアは今までに見たことがないほど怒りを露(あらわ)にしたお顔をしていらっしゃいました。

「私たちは、神への感謝と愛を忘れたことはありません。私たちが今在り、幸せに過ごしていられるのは、神のおかげ。それでも、私は私である以上、私の生を歩んでいます。私は、私が幸せになれるよう咲いている。それが、私にとって美しく咲くということです!」

 ニゲラ様のお言葉がある、と思いました。すると、続々と手を挙げ、立ち上がる方々が現れました。

「私たちはニゲラ様がいらっしゃったことで、自由を知りました。ですがその自由は、心を乱してはいません。むしろ何の恐れもなく、自分らしく咲くことができ、今まで以上に美しく咲いていると思っています」

「エスの禁止に反対します! 私たちの幸せを奪わないでください!」

 ガタガタッと音がしました。順番を待たず、皆口々に反対の声をあげはじめました。
 私は、だんだんと怖くなってきました。その反対の声は、自分たちを守るためのもの――そのはずなのですが、次第に、シスター・アザレアを攻撃するものに思えてきたのです。
 シスター・ルドベキアが、勢いよく立ち上がりました。

「だまっ――……」

「黙りなさい!」

 シスター・アザレアの声が再び響きました。礼拝堂が、しん、と静まり返りました。

「あなたたちは、何を履き違えているの。自由は、美しさではない。ただの身勝手。ただの乱れよ。
 規則は、マザーからすでに施行するよう言い渡されています。異論は認められない。沈黙して仕事に励み、自身の発言と考え方を悔い改めなさい」

 シスター・アザレアがそうおっしゃると、また少しざわつきました。しかし、マザーが「食事へ行きなさい」と澄んだ声でおっしゃると、ひとり、またひとりと、礼拝堂を後にしました。
 私は、凛と立ったままのシスター・アザレアを見つめていました。これだけたくさんの方々から批判を受けて、どれほど恐ろしかったことでしょう。
 シスター・アザレアがマザーに一礼し、降壇したところで、ちょうど、隣の方々が席を抜けました。私はすぐに、シスター・アザレアの近くに行き、お名前を呼びました。
 私は、おひとりでお話をさせてしまったこと、私も一緒に考えたのに、何もご助言ができなかったことなどを謝らなければと思いました。ですが、シスター・アザレアは、私が言葉を紡ぐ前に、

「言ったでしょう。自分の幸せを求める心は醜いと。彼女たちのどこが美しいというの」

 とおっしゃいました。そのまま私の脇を通り抜け、シスター・ルドベキアの横で、ぴたりと止まりました。
 私は、驚いたのですが――シスター・ルドベキアのご様子が、おかしかったのです。胸を握って体を震わせ、出ていく花の修道女たちを強い憎悪の目で睨みながら、何かをぶつぶつつぶやいていらっしゃったのです。副騎士長であるシスター・サンビタリアが、そんなシスター・ルドベキアの背中をさすり、「大丈夫ですか」と必死に声を掛けていらっしゃいました。
 シスター・アザレアが、シスター・ルドベキアの顔を見ず、ひとこと、

「私のことで口出しをしないで。二度と」

 とおっしゃいました。
 シスター・アザレアは、そのまままっすぐ、礼拝堂を出ていかれました。
 シスター・ルドベキアは、苦しそうに荒い息をしていらっしゃいました。そして、シスター・サンビタリアが、「シスター・ルドベキア? シスター・ルドベキア、大丈夫ですか⁉」と一生懸命に呼びかけている途中、

「うるさい!」

 とシスター・サンビタリアの手を払い、もがくように走って出ていかれてしまわれました。
 残されてしまったシスター・サンビタリアはうつむいて、涙を拭っていました。

「大丈夫ですか、シスター・サンビタリア……」

「ええ……。だめね、私。ずっとシスター・ルドベキアの隣にいるのに、少しも力になってあげられない……」

 そんなことはない、と言いたかったけれど、お二人がどのようにかかわっていらっしゃったのか、私にはひとつもわかりません。ですから、そんな無責任な言葉は掛けられず、私は、シスター・サンビタリアが吐き出したいお言葉を、ただ受け止めることにいたしました。

「……わかってる。シスター・ルドベキアが、シスター・アザレアのことを特別に想っていることは……。だけど、私の方がずっと前に慕っていた。ずっとシスター・ルドベキアのことを想っていた……。だけど、私はどうしたって、シスター・ルドベキアの力にはなれない。悔しいけど……あなたの方が、きっと力になれる」

「私、ですか?」

「シスター・ルドベキアが、あなたを、希望だって言っていたから。西の修道院が亡んだ時から、人が変わったようになって、誰も寄せ付けなくなったシスター・ルドベキアが、ここに来てはじめて、唯一あなたを信頼したと話したの。そんなあなたなら、きっとシスター・ルドベキアを慰められる」

 シスター・サンビタリアは、涙で濡れる顔を覆い、「おねがい……」とおっしゃいました。どんなにおつらかったことでしょう。想いを寄せる方を、他の子に託すなんて……。けれども、どんなにご自身がつらくても、その方のために、できることをしたいと思う気持ち――そのあまりの美しさに、私は、胸を打たれました。「必ず……」と約束し、私は、シスター・ルドベキアを追いかけました。
 シスター・ルドベキアは、ご自身のお部屋に戻ろうと、ふらふらと壁を伝って、中庭脇の回廊を歩いていらっしゃいました。しかし、私が駆け寄り名前を呼ぶと、がくりと膝から崩れ落ちてしまわれました。

「シスター・ルドベキア!」

 私が寄り添うと、シスター・ルドベキアは、苦しそうに荒い息をしながら、右手で胸を掴んでいらっしゃいました。私は、もしかして、と思いました。さっきの出来事で激しい怒りを感じたことで、シスター・ルドベキアの心が、渇いてしまったのではないかと……。

「シスター・ルドベキア……」

「やっぱり、ここの花の修道女も、皆同じだ……アザレアを傷つける……」

 どうしたらいいのでしょう、怒りを鎮めていただくには。お話を聞く? それとも、賛同してさしあげる? 私は、とにかく、ただひたすら、小さく震えるシスター・ルドベキアの背中をさすりました。必ず、とシスター・サンビタリアと約束したのに……ふがいない気持ちが込み上がりました。

「どうして皆、アザレアを傷つけるんだ……どうして……。アザレアの言葉を、ただ悪いものだとしか考えない。アザレアの言葉で、自らを省みたりもしない。醜い、穢れた心の奴らめ!」

 シスター・ルドベキアのこぶしが、ドン! と壁を殴りました。私はビクッとしましたが、シスター・ルドベキアのお言葉を聞いて、シスター・ルドベキアのお怒りを鎮める言葉が思い浮かびました。

「私は……何日も、休息の時間に、シスター・アザレアとお話をしました。神様への愛にひたむきで、信念を強く持ち、凛として立ち、まっすぐ進むそのお姿が、私は、とても美しいと思いました……」

 シスター・ルドベキアが、私の両腕をぐっと掴みました。

「ああ! やっぱり……やっぱり君は、素敵な子だ。アザレアの美しさをわかってくれる……皆が、君のようであればいいのに……」

「先ほどは、互いの意見をぶつけて終わってしまいました。意見ではなく、心を見せ合えば、きっと皆さんも、シスター・アザレアのことを……」

「いや、それはないよ」

 シスター・ルドベキアは、きっぱりとおっしゃいました。淀んだ、とても低いお声で。

「ここの花の修道女たちの心も、もう腐りきっている。あんなにアザレアを批判して。もう戻りようがない。ここはもう、アザレアの楽園にはなりえない。――でも……」

 シスター・ルドベキアの右手が、私の頬に触れました。私はびくっとして体をかたくしたまま、私を見つめる、シスター・ルドベキアの暗い瞳を見つめていました。

「シスター・セナ。君だけはいいね。君だけは、アザレアの求める楽園にふさわしい。アザレアの望む楽園を、一緒につくろう……」

 私は、何をおっしゃっているのかわかりませんでした。
 ただ、強い力が、手袋越しに感じる不思議な感触が、いつものシスター・ルドベキアではないように思えて、少し、怖いと思ってしまっていたのです――。

「何をしているの」

 はっと顔を上げると、階段から、ニゲラ様が降りていらっしゃるところでした。

「あの、シスター・ルドベキアが体調を崩されて……」

「そう。じゃあ、手を貸すわ」

「いい。自分で行ける……」

 そうおっしゃると、シスター・ルドベキアは私から離れ、再び壁に縋るようにして、階段を登っていかれました。私は心配で、部屋の前までついていったのですが、その後はどうしようもなく……。とりあえずどなたかにシスター・ルドベキアの様子を報告しようと思いました。悩む間もなく、シスター・フリージアのお顔が浮かびました。
 ついてきてくださっていたニゲラ様が私の考えを察したのか、

「しばらくここで様子を見ているわ」

 とおっしゃってくださいました。
 私が駆け出そうとした時。

「セナ。もしこれから危ないと思うことがあったら、私を呼んで。たとえ離れていても、あなたが強く祈ってくれれば、私は行くわ」

 とおっしゃってくださいました。
 私はお礼をお伝えして先を急ぎました。

 その後はシスター・フリージアがシスター・ルドベキアを見てくださったようでした。私は、あまり力になれなかったことを、シスター・サンビタリアにお詫びしました。シスター・サンビタリアは悲しそうなお顔で、首を振っていらっしゃいました。

 あまりにもたくさんの感情が押し寄せてきた一日でした。なんだかわからないことも多いのに、まだ動揺しているのでしょうか――頭も心も追いつきません。

 だからでしょうか。なんだか、恐ろしい気持ちが続いているのです。

 神様。どうか、明日が素晴らしい日になりますよう、お見守りください。
 どうか、お願いいたします。
Twitter