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作者: 鈴奈
Exspetioa2.10.9 (1)
 礼拝の時間。修道女の誓いを、目をつむり、声を合わせて唱えていた、その時です。

「聞け!」

 シスター・ルドベキアの声が響き、私たちは、一斉に見上げました。見ると、二階に、シスター・ルドベキアとシスター・サンビタリアが、手をつなぎ、立っていたのです。シスター・ルドベキアは右手に大きな茶色いトランクを持っていました。お二人の薬指には、エスの証である、指輪が光っていました。本来二階にいるはずの聖歌隊の方々は、何かから逃げるように、ぱたぱたと一階に降りていらっしゃいました。

「私たちは今ここで――エスの、愚かさを証明する」

 シスター・サンビタリアが、驚いた顔でシスター・ルドベキアを見た、その瞬間。シスター・サンビタリアは、シスター・ルドベキアに振り落とされるような形で、二階から、墜落したのです。
 大きな悲鳴が上がりました。シスター・サンビタリアの体が床にぶつかった、ドン、という大きな音が鳴り響きました。
 私は、シスター・サンビタリアのもとへ走りました。シスター・サンビタリアは無事でした。体を支え起こして、シスター・フリージアと一緒にお体を見たのですが、外傷は見られませんでした。ただ、自らの体を抱きしめ、がたがたと震えていらっしゃいました。
 シスター・サンビタリアが負っていたのは、心の傷だったのです。
 シスター・サンビタリアは、指輪をしている右手で、ぎゅっとご自身の胸を掴みました。

「ルドベキア、お姉さま……。どうして……一緒に、エスの素晴らしさを証明しようって……。ずっと、寄り添っていた私に、感謝してるって……私が一番大切だって、そう言って、指輪をくれたんじゃない……」

 見上げると、シスター・ルドベキアの周りには、六羽ほどの蝶が舞っていました。
 シスター・ルドベキアは、眉ひとつ動かさず、氷のようなお顔でおっしゃいました。

「嘘に決まっているだろう、そんなこと」

 シスター・サンビタリアは、え、と唇から小さな息をこぼしました。

「感謝? 大切? お前にそんなことを感じたことなんてない。頼んでもいないのに、私についてきて。ずっと鬱陶しかった。お前なんていらない。とっとと蟲になってしまえ」

 シスター・ルドベキアがつけていた指輪を投げ落としました。私たちの膝の前に転がった指輪を見て、シスター・サンビタリアの体が、ますます震えました。

「……どうして。どうして、どうして、どうして、どうして…………」

 涙で濡れた顔が――怒りと憎しみにまみれた顔が上がった、その時。

「好きだったのに……。どんなにつらくても、危険があっても、傍にいたいって、支えたいって、そう思うくらい、好きだったのに……! ずっとずっと……愛していたのに‼」

 シスター・サンビタリアの叫びと同時に、シスター・サンビタリアの指にあった指輪が動き、シスター・サンビタリアの胸に噛みつきました。あっと思ったのもつかの間。シスター・サンビタリアの体が、ぶわりと膨らみました。衝撃で、私とシスター・フリージアは背後に吹き飛びました。
 シスター・サンビタリアだった蟲は、天井に頭部がつくほど背が高くなり、私たち花の修道女たちは、見下ろされる形になりました。私たちは自然と、講壇の周りに集まったのですが、それではいけないことに気が付きました。ひとつしかない扉が、蟲に阻まれてしまっていたのです。背後は、行き止まりの壁。どうしましょう、逃げるすべがありません……!
 高い悲鳴が上がりました。はっとそちらの方を見ると、蟲が一体、そして、反対側にもう一体、誕生してしまったのです。逃げ道がないことに気付き、絶望で心が渇き、体が枯れてしまったところを、指輪の蛇に噛まれたようでした。

「指輪を外しなさい!」

 シスター・アザレアの声が響きました。周りにいた、指輪をしていた方々が次々に指輪を外して投げ捨てました。
 蟲の腕が、シスター・ルドベキアを襲いました。シスター・ルドベキアは瞳を光らせ、神の聖剣を抜くと、その力で、ご自身の前に光の壁をつくられ、弾き返しました。
 シスター・ルドベキアは、余裕の笑みをたたえていらっしゃいました。

「エスは、感情が揺れ動く。心を渇かせ、枯れさせる。蟲の格好の餌食になる。わかったか、エスの愚かさが。お前たちの昨日の判断の愚かさがわかったか‼」

「シスター・ルドベキア……!」

 シスター・アザレアが悔しそうにつぶやかれました。ですが、唇を噛んだのは一瞬。シスター・アザレアはすぐに瞳と花とを輝かせ、腰の後ろにかけていらっしゃった細く長い鎖を掴みました。その途端、鎖は意思をもったように動きだしました。そして、ひゅんと飛んだかと思うと、二体の蟲をぐるりと縛り上げました。

「今のうちに、反対側の壁を壊して! あなたたちはマザーをお守りしなさい! 早く!」

 マザーの周りにいた子たちが、ぎゅっとマザーにくっつきました。ですが、反対側の壁を壊せと言われても、道具も何もありません。何より、皆恐ろしく、蟲の向こうへ行くなどできなかったのです。私は、シスター・アザレアのもとに駆け寄りました。

「シスター・アザレア! 武器をお持ちではありませんか⁉」

 武器があれば、私も自分の力を使って、蟲たちを種に戻せる。そう思ったのです。

「私には、罪女ニゲラの監視の際にマザーから授かったこの鎖しかないわ。あなたたちは」

「申し訳ありません……礼拝の直前、シスター・ルドベキアに武器を貸してほしいと言われ、その通りに……」

 集まってきていたお二人の騎士がおっしゃいました。シスター・アザレアは、唇を噛みました。

「私の力は、触れたものを、触れている間だけ、私の意思のままに動かせる力――『節制プロシュネ』。だけど、十二分しか持たない。どうにかしなければ。シスター・ルドベキアは、花の修道女たちを一斉に亡ぼそうとしているんだわ。また、あの時のように……」

 そんな。どうしたらいいのでしょう。どうしたら、皆さんを救えるのでしょう。
 私は、救いたい、と思いました。そして、目をつむって祈りました。助けて、と。
 ニゲラ様、どうか、助けて――と。
 その時です。

「よく呼んでくれたわ、セナ」

 ニゲラ様のお声が、お隣から聞こえました。それは、聞き違いではありませんでした。
 正真正銘本物のニゲラ様が、私の隣に、立っていらっしゃったのです。
 シスター・アザレアたちが、唖然としたご様子で、ニゲラ様を見つめていらっしゃいました。
 シスター・ルドベキアも、「なぜ……」とニゲラ様に見入りました。

「どうやって入った。扉は、剣で塞いでおいたはず……」

「そんなことより、あなたの作戦、終わらせちゃうけどいいかしら」

 ニゲラ様の瞳と花が青く光りました。たちまち、長銃が現れました。ニゲラ様がしっかりと構える前に、蟲を薙ぎ払ったシスター・ルドベキアが、腰に刺さっていた剣を、ニゲラ様に投げつけました。ニゲラ様はそれを、目と鼻の先ほどの距離で掴むと、あっさりと捨ててしまわれました。

「お怪我は⁉」

「大丈夫よ。それより、来て、セナ」

「はい!」

 いつも通り、ニゲラ様の腕の中に入ったのとほとんど同時のことでした。
 シスター・ルドベキアにまとっていた蝶が、私たちの目の前に飛んできて、円を描きました。ふふふ、ふふふ……と、以前聞いた、幾重もの高い声が聞こえてきました。

「気を付けて。あれは、ラジアータの使いよ」

 ふふふ……と笑っていた蝶たちの声が、言葉になっていきました。
 ――ニゲラ、ニゲラ。ニゲラが欲しい……。

「あげないわ。私は、誰のものにもならない」

 ニゲラ様はそう宣言すると、蝶に向かって容赦なく銃弾を撃ち込みました。連続で、三羽の蝶が撃ち抜かれ、砂のように崩れました。ひらひらと逃げていく三羽の蝶に、シスター・アザレアが叫びました。

「あなたの毒のせいね! シスター・ルドベキアを元に戻しなさい! これ以上、シスター・ルドベキアを使うことは許さないわ!」

 三羽の蝶がシスター・アザレアの方へ飛びました。そして、シスター・アザレアの顔の前でくるくるとまわりました。

 ――ご名答。シスター・ルドベキアに毒を入れて上げたのは、この私、ラジアータ。ほんの少しだけどね。貴女を笑顔にする為の力を望んでいたから、手伝って上げたって訳。之れからも、ルドベキアは壊れ続ける。壊れて、壊れて、壊れて壊れて壊れて壊れて、そして亡びる。もう元には戻れない。貴女の所為で、ね――。

 金属が割れる高い音が響き渡りました。シスター・アザレアの鎖が、二体の蟲に壊されたのです。
 シスター・アザレアの体の光が消えていました。顔色が、真っ白でした。まるで、絶望の底に堕とされたように……。

「アザレア!」

 シスター・ルドベキアが、手を伸ばしました。
 ニゲラ様は空いている右手に短銃を宿し、即座に数発、二体の蟲の手足を撃ちました。

「ちょっと押さえていらっしゃい」

 ニゲラ様の足もとから四体の鉄甲冑の兵隊さんが生まれました。四体は斧を持って蟲の方に走っていくと、二体ずつに分かれて、蟲の体を壁に押し付けました。

「じゃあ、あとは撃つだけね。セナ、強く願って」

「はい!」

 私は、祈りました。どうか、種に戻ってくださいますように――。体の底から力が込み上がって、足もとに光り輝く白い花が咲き広がりました。
 ニゲラ様が、シスター・サンビタリアだった蟲の頭に銃を向け、私の指と一緒に、引き金を引きました。形が崩れていくのを見届けないうちに、今度は反対側を向き、鉄甲冑が押さえている左側の蟲を、そして直後に、右側の蟲の頭部を撃ちました。
 安堵の声と小さな歓声が、花の修道女たちから聞こえてきました。
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