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作者: 鈴奈
Exspetioa2.7.15 (1)
 今日は、午前の労働の時間に、ニゲラ様と仕事場の見学に行きました。
 その前の礼拝の終わりに、マザーが皆さんに、そのことを知らせました。

「本日、罪女ニゲラが仕事を決めるため、すべての仕事場を見学にまわります」

 礼拝堂がどよめきました。その雰囲気は物々しく、恐れで満ちたものでした。シスター・プリムラとシスター・パンジ―が、びっくりしたお顔で振り向き、私を凝視されました。

「マザー……罪女ニゲラ、とは、あの……? 本物なのですか?」

「なぜ、ここにいるのですか? あのものは亡びたはずでは……」

「あなたたちが詳しいことを知る必要はありません。罪女ニゲラには、自らを悔い改め、罪を償うことができるよう、生を賭(と)して働くことのできる仕事を選ばせます。そうでなければ、この修道院で咲くことはできませんから」

 そしてもうおひとこと、マザーはおっしゃいました。

「神を愛し、神のために咲くあなたたちなら、どういう行動が正しいか、わかりますね」

 マザーが、ヴェール越しに私を見ました。ぽつりぽつりと聞こえてくる、皆さんのつぶやきや吐息が、マザーの沈黙を隠しました。

「――解散」

 マザーがそうおっしゃると、ざわついていた礼拝堂はいつものようにしんと静まり、皆整然と食堂へ行き、食事を終えました。私がニゲラ様と食べるケーキを包んでいると、シスター・プリムラとシスター・パンジーが声を掛けてくださいました。

「シスター・セナ……あの時のあの方が罪女ニゲラだったのね」

「私たち、シスター・ニゲラと言われたばかりに気が付かなくってぇ……」

 お二人の眉間にはしわが刻まれていて、ひどくおびえていらっしゃるご様子でした。

「大丈夫なの?」とシスター・プリムラが、本当に心配そうにおっしゃいました。

「はい。何も心配はありません」

「どうしてあなたが罪女ニゲラと一緒にいたの?」

「神様を亡ぼす力をもっているのにぃ……危ないわぁ」

「なんだかとても距離が近かったし……何か企んでいるのではないかしら……」

「シスター・セナがやさしいから、助けを求めようとしているんじゃなぁい? 騙そうとしているんじゃなぁい?」

「そんな。ニゲラ様はそんなお方じゃ……」

 午前の仕事のはじまりを告げる鐘が鳴りました。
 お二人は、「心配なのよ、シスター・セナ」「罪女ニゲラから離れた方がいいわぁ」とおっしゃると、「お願いよ」ともうひとこといい残し、急いで去っていかれました。
 私は、落ち込みました。ニゲラ様は、そんなお方ではないのに。
 あまりにとぼとぼと歩いていたのでしょう。中庭に着くなり、

「大丈夫?」

 とニゲラ様が声を掛けてくださいました。ニゲラ様のさらりとしたお言葉、かすかな笑みを浮かべた唇、組んだ脚の上に肘を置き、頬杖をついていらっしゃる素敵なお姿。そのすべてに私は不思議と安心し、自然と元気が出たのでした。
 ニゲラ様は、とても素敵なお方です。ニゲラ様のこの温かいほほ笑みを見てくださったら、皆さんも、ニゲラ様が素敵なことに、きっと気付いてくださいます。そうして、きっと受け入れてくださるはずです。

「ありがとうございます。なんでもありません。まいりましょう」

「はじめはどこから行くの?」

 私は、せっかくなのでこの修道院を案内しながら仕事場をまわろうと思っていました。正門から出て、右まわりにぐるりと行くのがいいだろうと考えていました。私は、最初に礼拝堂の前を通りました。礼拝堂とつながった少し小ぶりのお館がマザーのお部屋であるということもお伝えしました。
 マザーのお部屋は一階が種の保管庫になっていて、「種の管理者」であるシスター・フリージアたちが働いていらっしゃいます。私がノックをすると、そっと扉が開いて、シスター・フリージアが穏やかにほほ笑まれました。

「お忙しいところ失礼いたします。お仕事を見せていただけませんか」

「構いませんよ。どうぞ」

 シスター・フリージアに招かれて中に入りました。マザーはいらっしゃいませんでした。いつもシスター・フリージアがお仕事をしている午前中は、二階のお部屋にいらっしゃり、皆を見守っていらっしゃるのだそうです。
 机の上に、日記が開かれていました。

「日記を書くのもお仕事なのですか?」

「これは記録帳。前日にあったことを事細かに記録しておくの。種になった子たちが復活した時に、すべてのことを伝えられるように」

「きっと、とても喜ばれます。こちらの壁の引き出しに、皆さんの種があるのですね」

「種はもうひとつもないわ。あなたにすべてお渡ししたから」

 壁一面に埋め込まれた引き出しには、かつて、神様が亡んだ時、絶望で心が渇き、枯れてしまった方々の種が入っていたそうです。すべての種をいただいたと知り、私はとても恐れ多い気持ちになりました。今はもう、種になった方々の残した私物しか入っていないということです。

「私の仕事は、私ひとりで手が足りているの。力になれなくてごめんなさいね」

「とんでもないです。ずっとお世話になっていたのに、シスター・フリージアのお仕事のことを知らなかったので、詳しく知ることができて嬉しかったです。お邪魔いたしました」

「ええ。……気を付けてね」

 引き出しをちょっと開いては覗き込み、また戻しては違う引き出しに同じことを繰り返すニゲラ様に声を掛け、一礼して外に出ました。
 次は、隣の井戸へ行きました。いつも花の水をいただきに来るので、水汲みの皆さんとは顔なじみです。
 ですが、今日はいつもと様子が違いました。いつもは一礼すると笑顔で一礼を返してくださるのですが、今日は、目をそらし、いそいそとお仕事をされています。

「お忙しいところ申し訳ありません。お仕事の見学をさせていただきたいのですが……」

 皆さんは声を出さず、いそいそとお仕事をされていました。水汲みの方々は、大きな木の樽にたっぷりの水を川の方から運んできて、井戸に入れていらっしゃいました。ニゲラ様が、「忙しいみたいね。次、行きましょ」とささやかれたので、私は一礼をして、後にしました。

「二階や、お菓子づくりの仕事場にも水場があります。もしかすると、午後はそちらに運ばれるのかもしれません」

「大変ね。腕がちぎれちゃうわ」

「ニゲラ様はお強いので、きっと大丈夫です」

「私、そんなに強くないわよ」

 ニゲラ様が、私に手を差し伸べられました。手を乗せると、きゅ、と私の手を握りしめて、

「ね」

 とほほ笑みかけてくださいました。お言葉通り、強くはありませんでした。やさしく、温かく、とても心地がよかったです。
 ニゲラ様は、クス、とほほ笑まれました。

「このまま歩く?」

 ドキリとしました。そして、気付きました。私は気付かぬ間に、ニゲラ様の手を握り返していたのです。慌てて「ごめんなさい!」と手を離すと、ニゲラ様は、

「あら。じゃ、また今度ね」

 とおっしゃいました。また今度……手をつないで歩くことになるのでしょうか。想像するだけでドキドキします……。
 次に、銀食器職人の仕事場にお邪魔しました。広い仕事場で、おひとりおひとり、銀色の水を型に流し込んでいらっしゃいました。たくさんの方々の中に、シスター・マネチアのお姿をみつけました。シスター・マネチアは、フォークの型に、水差しで少しずつ銀色の水を流し込んでいらっしゃいました。作業がひと段落されるまで後ろで静かに待ち、「ふう」と息を吐かれたタイミングで、「シスター・マネチア」と小さな声でお呼びしました。シスター・マネチアはびっくりした顔で振り向き、私を見ると、ちらっとニゲラ様を目に映し、考えるような素振りをされました。そして、「今、シスター・キリに聞いてくるから待ってて」と席を立たれました。シスター・マネチアは銀食器職人長であるシスター・キリに交渉してくださっていました。戻ってくると、「ごめんね、見学は難しいって」とおっしゃいました。そして、「うちの仕事は、七日に一度皆で中央の鉱山に銀の水を採りに行くことと、それを型に入れたり模様を描いたりしてものをつくること。そのくらい。大したことはしてないよ」と教えてくださいました。

「いいえ。シスター・マネチアのつくってくださった私の水差しは、丈夫なのに重さもちょうどよく、大変美しく繊細な模様まで描いていただいて、いつもほれぼれしながら使わせていただいています。ご多用の中、教えていただきありがとうございました」

 私がぺこりと一礼すると、ニゲラ様がくるりと扉の方に踵を返されました。私も退出しようと思ったその時。シスター・マネチアが私の袖を静かに引いて、「大丈夫? 気を付けてね」とささやきました。

 次の石職人、木職人、雑貨職人、糸職人と布職人の仕事場でも、見学はできないと断られました。
 ですが、石職人の皆さんは、五日に一度鉱山で石を集めてきて、それを砕いてかためたり、何かをつくったりしてくださっているということ、それに、修道院のどこかが壊れたら修理もしてくださるのだということがわかりました。木職人の皆さんは木の雑貨をつくる方と、紙をつくる方で分かれていらっしゃいました。私がいつも使っているこのペンと紙はすべてこちらにいる皆さんがつくってくださっているのだと思うと、感謝がひとしお深くなりました。

 雑貨職人の皆さんは、木職人の皆さんがつくった紙をノートに仕立てたり、透明のとろりとした水を型に入れて何かをつくったりと、様々でした。葉や果物を使って染料をつくる方や、その染料を使って布や糸、紙を染めたり、紙に模様を描いたりする方もいらっしゃいました。あの美しいデザインはどうやったら浮かんでくるのでしょう。とても不思議で、だからこそ、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

 糸職人の皆さんは、ふわふわの綿を鉄の櫛のようなもので梳いて、手でぎゅっと細く伸ばし、とても繊細な糸をつくっていらして、根気が必要なお仕事だな、と感じました。

 布職人の皆さんは、できた糸を少しずつ少しずつ編んでいらっしゃいました。毎日本当に少しずつ進むのでしょう。ひとそれぞれできた部分の長さが違っていていました。私が着ているこの服は、皆さんの並々ならぬ日々の努力でできたもの。感謝をしみじみと感じるとともに、大切に着なければ、と心から思いました。

 すべての見学は叶いませんでしたが、皆さんが一生懸命に力を注いでくださっている姿を拝見し、私が不自由なく咲いていることは皆さんのおかげであること、皆さまなくしてはこの幸せはなり得ないことを、改めて感じることができました。

 服飾の仕事場へ行くと、シスター・トレニアがいらっしゃいました。声を掛けると、「ちょっと……」と、静かに外に出されてしましました。

「悪いけど、中には入れられない。私たちは服飾をつかさどる身。着崩れた身だしなみの罪女は受け入れられない」

「そう。足を踏み入れて悪かったわ」

 ニゲラ様はそうおっしゃると、くるりと踵を返して、すたすたと先に行ってしまわれました。私は「申し訳ありませんでした」と一礼をし、すぐに追いかけようとしたのですが、シスター・トレニアに止められてしまいました。

「シスター・セナ。どうして罪女ニゲラといるの? 罪女ニゲラに何を言われたのかわからないけど、一緒にいちゃだめ。皆罪女ニゲラを怖がってる。『破壊デストラ』の力のことだけじゃない。罪女ニゲラは罪を背負ったもの。それを受け入れたら、罪女ニゲラと同類――罪のあるものになる。マザーのお言葉は、そういう意味だよ。わかるでしょう? 私たちにとって、罪はとても重いもの。周りから冷たい目で見られる、そういう恐怖を伴うものなんだよ。だから、罪を背負ってまで罪女ニゲラを受け入れる子なんて、誰もいない。お願いだから、こんなことから手を引いて。そうでないと、シスター・セナが、皆から疎まれてしまう」

 私は、ニゲラ様の方を確かめました。どんどん遠くなっていきます。
 私は、「申し訳ありません……」とひとこと残し、一礼し、急いでニゲラ様を追いかけました。
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