▼詳細検索を開く
作者: 鈴奈
Exspetioa2.6.28
 今日は、復帰しました。しとしととした雨の音が沈んだままの心に響いて、一層切ない気持ちになりましたが、朝から通常通りの動きをすることができました。沈黙していても、皆さんがそっと私に心配のまなざしを向けてくださり、とても心が温かくなりました。まだ、やさしくしていただくと、じんわりと涙が浮かんでしまうので、明日までにはきちんと心を整えなければと思います。

 隣には、いつもシスター・ルドベキアがいてくださいました。
 シスター・ルドベキアは背が高く、いつも上を見て凛としていらっしゃって、とても格好良いお方です。四月に西の修道院が亡び、こちらにいらっしゃったのですが、私にとっては高嶺の花で、今まで一度もお話をしたことがなく、お顔をはっきり拝見するのも初めてでした。とはいえ、まぶしいほどのご尊顔で、正面からしっかりと目を合わせることはいまだにできていません。

 シスター・ルドベキアはこの二日間、何も話さず、私の後ろにいてくださいました。マザーのご命令に従い、誠心誠意、務めていらっしゃったのです。ただ存在を知っているだけの時より一層、気高さを感じ、改めて素敵なお方だと、あこがれの気持ちを抱きました。
 そのおかげで、私も頑張らなくてはと背筋が伸び、いつもより丁寧に花の世話を務めることができました。どの花たちも、時間が空いたにもかかわらず、とても美しく咲いていて、ほっとしました。昨日の雨のおかげです。神の恵みに感謝。

 私は、シスター・ルゴサの種を、秘密の花園に埋めました。これでこれからも、皆で集まれます。

 埋め終わり、安堵して立ち上がると――ふと、視線を感じました。
 私は、いつものように見上げました。
 私の視界が、暗くなりました。肌触りのいい白い布の感触と、その奥から感じる、とても、不思議な感触。私は、シスター・ルドベキアに、後ろから目隠しされていました。

「マザーの、ご命令だから」

 やさしいささやきの直後、シスター・ルドベキアの手が離れました。私の視界の先――いつもの塔の上の窓には、もう、どなたもいらっしゃいませんでした。

「ありがとうございました。自分で、もう上を見ないようにしなければいけないのに。お手を煩わせて申し訳ありません」

「大丈夫だ。これが私の務め。君を、必ず罪女ニゲラから守る」

 シスター・ルドベキアは、真っ白な手袋をつけた手を胸に当てました。その時初めて、シスター・ルドベキアのお顔を真正面から拝見しました。凛々しくて、まっすぐで――まるで、「務め」以外の何もないようで……。手の届かない、高い、厚い壁の向こうにいらっしゃるかのようでした。自らの役職への責任感の強さ、マザーへの忠誠心の強さに、ますます尊敬の念を抱きました。ただ、その一方で、もっと、シスター・ルドベキアの違う面を、心を知りたいと思いました。
 私は、休息の時間に、「少し、お話ししませんか」とお誘いしました。シスター・ルドベキアは、「わかった」と承諾してくださいました。私たちは、大樹の下の長椅子に並んで腰掛けました。ここなら、雨が当たりません。
 ちょうど、シスター・ロベリアとシスター・アナベルがいらっしゃいました。二人は、シスター・ルドベキアの姿を見るなり「あっ」とおどおどして、わたわたと一礼をしました。そうして私を手招きで呼びました。

「シスター・セナ。もう大丈夫なの?」

「無理はしないでね」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「これ、クッキー」

「一緒に食べようと思ったけれど、まだシスター・ルドベキアがいらっしゃるのね」

「マザーが私を心配して、しばらく一緒にいていただくことになったのです」

「そっか。シスター・セナは、『神の花嫁』だもんね」

「ドキドキするでしょ、あんなに格好良い方が隣にいらっしゃったら」

「目が合っただけでくらくらして倒れちゃったって子、何人もいるらしいよ」

「倒れないようにね」

「ありがとうございます。気を付けます」

 せかせか、こそこそと言葉を交わして、お二人は帰っていかれました。何度も何度も、シスター・ルドベキアにお辞儀して。

「お待たせいたしました。クッキーをいただきました。ご一緒にいかがですか」

 シスター・ルドベキアは、クッキーを見つめて、とても悲しそうなお顔をなさいました。そして静かに首を振り、「いや、私はいい」とおっしゃいました。

「それより、よかったのか。彼女たち」

「はい。また今度、遊びに来てくださるそうです。それで……えっと。質問大会、いたしませんか」

「答えられることなら答えよう」

「ありがとうございます。えっと、では……」

 私は、色々な質問をいたしました。こちらでの生活は、もう慣れましたか。いつも休息の時間は何をして過ごされるのですか、など。

「不便なく過ごしているよ。休息の時間は、副隊長のシスター・サンビタリアが一緒にいることが多いかな。大体木陰に座って、とりとめもない話をしているよ」

 通りかかった何人かの花の修道女たちが、シスター・ルドベキアのお姿を見つめて、キャッと声をあげ、盛り上がりました。西の修道院からいらしたその日から、花の修道女たちからの人気を一気に集められたと聞いていました。実際の光景を初めて目撃し、私は少し感動しました。
 しかしシスター・ルドベキアは彼女たちの方をまったく目に入れることなく、

「他には?」

 とおっしゃいました。こうした他を寄せ付けない毅然とした姿がまた、美しさを際立たせていて、魅力的なのだと思いました。そんなお方と二人きりでお話しさせていただいていることに畏れ多い気持ちになりつつ、私は質問を続けました。

「シスター・ルドベキアはイクス・モルフォでいらっしゃるとのことですが、どういったお力をお持ちなのですか」

「私の力は『再生レスレクティオ』。触れたものの時間を、約十分の間、一時的に元に戻すことができる。だから、この壊れた神の聖剣のかたちを元に戻し、使わせていただいている。この聖剣には守りの力しかないから、蟲を亡ぼすことはできないけれど」

 シスター・ルドベキアは、鞘から抜いた聖剣を見せてくださいました。刃が真ん中から折れ、無数の傷がついていました。神様が私たち花の修道女のために戦ってくださったことが伝わってきて、神様の愛を感じました。

「まるで、神様の愛の証ですね」

 とつぶやくと、「そうだね」と小さくおっしゃいました。
 その後少しやりとりをして、シスター・ルドベキアは、イクス・モルフォとしての力が目覚めた時、自ら騎士長に志願し、その力と正義心が評価されたことで、聖剣を授かったのだと教えてくださいました。

「シスター・ルドベキアが、神様と同じように、私たち花の修道女すべてを愛してくださっていることが伝わったのですね」

「そうだったんだろうね」

「私も、皆さんのことが大好きで、皆さんに幸せになってほしいと思っているのです。同じ思いをもっていらっしゃる方がいると知ることができて、とても嬉しいです」

 シスター・ルドベキアは、小さく、「もう、昔のことだけどね」と静かにつぶやかれました。静かに……いえ、なぜか私には、冷たいご様子に見えたのですが……気のせいかもしれません。
 ふと、ひそひそとした音が聞こえました。声の方向をたどると、シスター・ルドベキアの肩に、紫色の花びらのようなものがついているのに気が付きました。
 このあたりには、上から降る紫色の花はないはず……。不思議に思って、その花びらを取ってさしあげようと指を伸ばすと、なんと、その花びらがぱたぱたと動き、宙に浮かんだのです! 私はびっくりして悲鳴をあげ、椅子から落ちてしまいました。
 シスター・ルドベキアが、「大丈夫か?」と手を引き、椅子に座らせてくださいました。私は、ドキドキする胸を押さえながら「ありがとうございます」と頭を下げ、もう一度その花びらを見ました。心が落ち着いてくるにつれ、華麗に舞うその姿を、美しいと感じるようになりました。

「とても美しいですね。なんというのでしょう」

「ああ。蝶だよ」

 シスター・ルドベキアが肩を払うような仕草をすると、蝶はひらひらと空高く舞い、去ってしまいました。私は初めて見たのですが、西の修道院にはいたのでしょうか。
 訊いてみようと思った時、シスター・ルドベキアが、

「じゃあ、私からも質問をしていいかな」

 とおっしゃいました。

「君の、イクス・モルフォの力のことだ。マザーは『浄化クオーター』の力だと言ったが、どういうものだ。少し、見せてくれないか」
 私は、答えられませんでした。そして、お見せすることもできませんでした。手を伸ばしたり、力をいれてみたり、色々とやってみたのですが、力を出すことができなかったのです。
 私ができないのを知ると、シスター・ルドベキアは、「それならそれでいい」と首を振られました。
 この質問を最後に、休息の時間を告げる鐘が鳴りました。シスター・ルドベキアはまっすぐなまなざしで鐘を見上げ、音を全身で感じていらっしゃるご様子でした。それ以上話しかけることができなくて、お約束はできなかったのですが、また明日の休息の時間も、質問大会ができれば嬉しいです。

 その後のマザーとの「神の学び」で、私は、私のイクス・モルフォの力についてお尋ねしました。ですが、マザーは、「知らなくていい」と首と振りました。

「それよりセナは、自分の心を正すこと、神を想うことに集中して。神以外のことを考えるのは間違い。自分の考えで動くこと――ううん、自分の考えをもつこと自体が間違いなんだ。あの件でわかったよね。セナが自分の気持ちや考えで動くと、誰かを不幸にする。だからセナは、何も考えなくていいんだ。私に従っていればいい。そうすれば、間違いは起こらない。むしろそれで、神を幸せにできる。神の望む正しい美しさで在れる。セナが幸せにできるのは、この世界でただひとり、神だけ。だからセナは、私に従って、神を幸せにする存在になって。もう、誰のことも考えないで。イヴのような、イヴ以上の『神の花嫁』になって」

 自分の考えをもたないようにするために、どんな時も神様のことだけを考え、神様への愛で頭をいっぱいにすればいいと教えていただきました。神様以外のことが脳裏によぎったら、神様への愛を唱えるようにとのことでした。
 思い返すとここ数日、自分のことにいっぱいいっぱいで、神様への愛と感謝を想うことがおろそかになっていた気がします。
 今日からまた、神様への愛と感謝を、丁寧に、心の奥底から唱えていきたいと思います。

 シスター・ルドベキアは、今この日記の時間も、窓辺に座り、膝の上で日記を書いていらっしゃいます。しばらくベッドでお休みになっていらっしゃらないことも、とても申し訳なく思います。マザーのご命令が解かれるまで、せめて少しでも、心穏やかな時間が提供できるよう、私ができることを考えたいと思います。

 今日も、尊い生を過ごさせていただき、ありがとうございました。
 様々な方の愛を感じ、私が幸せに咲くことができるのは、神様がこの世界を創り、私に生を、かたちを与えてくださったおかげです。

 ありがとうございます。神に感謝。神に愛を。
Twitter