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作者: 香澄翔
29.偽善はおわりにする
 大切なものが何なのかはわからない。

 俺が大事にしているマウンテンバイクとか、それくらいの代償であればいい。またいつか買い直せばいい。
 おじいちゃんの形見の懐中時計はもう無くしてしまったら取り返しはつかない。だけど穂花を救うためなら、きっとおじいちゃんもわかってくれる。

 それ以上の何を無くすものがあるのかは、俺にはわからない。もっと大切に思っている何かを見落としているのかもしれない。
 けどそれでもよかった。

 穂花を救えるのでさえあれば、どんなものを無くしたとしても、俺は受け入れられる。
 ただその前に確認をしておかなければいけないこともあった。

「フェル。時間を戻す前にもう少しだけ教えてくれ。もし何回も時間を戻したとしたら、俺はその回数分何かを失ってしまうのか」
『それなら大丈夫。失うのは何回戻したとしても一つだけだから。時間を戻すことによって、それが失われた事実もまた無くしてしまうからね』

 俺の疑問にフェルは静かな声で答える。

 これは確認はしたけれど、だいたい想像はついていた。俺は今まで同じ事で何度か時間を戻した事があった。先日の唐揚げとフランクフルトもそうだ。結局二回戻したけれど、無くしたのはお気に入りの消しゴムだけだった。だから時間を戻した回数は関係がない。そうだろうとは思っていた。

 だけどまだ他にも確認しておく必要がある。

「それならもし失敗したとしても、まだまだやり直すチャンスはあるんだな。じゃあ時間を戻した時に何かを無くすのは、どのタイミングなんだ。時間を戻したらすぐに無くなってしまうのか。もしそうだとしたら、無くしたものは絶対に取り戻せないということになるのか」

 これも確認しておく必要があった。
 別に何が失われたからといって、時間を戻すのをやめる事は考えていない。だけどその無くしたものが、あまりにも代償が大きなものだったときに、どうなるのかだけは訊いておきたいと思う。

 例えばスマホを無くしてしまうなんて事があったとしたら、その後にとれる行動に影響が出るかもしれない。それによって穂花を救えなくなる。そんな事態だけは避けたかった。

『失われるのは、普通は戻した時間が経過した後ね。だから今回の場合でいけば何かを失うのは、ほのかを救ったあとの事になるはず。そしてね。正確に言えば戻した時間の量だけじゃなくて、もともとたかしが過ごすはずだった時間の流れにどれだけ沿っていたかによっても失われるものが変わるの。だから例えばもういちど時間を戻した後に、全く違う時間の過ごし方をすれば、失われるものは変わるはずよ。もういちど時間を戻して行動を変えればそれ自体は変える事ができる。かつての時間と全く同じ過ごし方をすれば、ある程度は元の状態に近づくから』

 フェルの答えにほっとしていた。
 これは失われたもののために穂花を救えないなんて事態はあり得ないということだった。
 そして万が一失われたものが大きすぎたとしても、またやり直す事が出来るということでもある。

「それなら何度もやり直して、失われるものを選ぶ事ができる。そういう意味になるのか」
『そうね。いちおう理屈の上ではそうなる』

 フェルの言葉に俺はうなづく。ただフェルはすぐ続けて話し始めていた。

『でもね。過去を変えたいからこそ時間を戻すのだし、それに時間を戻したたかしはすでにこれから起きる事を知っている。だからね。本当に前と完全に同じ時間の過ごし方をすることなんて出来ないし、多少は失われるものが変わったとしても本当に大切なものを失う事には変わりないの。だから戻した時間の後でやっぱり前のままがいいなんてことは無理だし、無くしたものが大きすぎるからやり直すなんて事は意味がないと思っていてね。未来を変える事は出来る。でもね、一度戻した時間と完全に同じようには戻せないからね。大切なものを無くす事は避けられないの』

 フェルの真剣な眼差しに、俺は大きくうなづく。
 時間を戻してやり直す事はできる。だけどやり直した時間をもういちど取り戻す事は出来ない。

 仮に穂花を救ったあとに失われた何かが気にくわなくて、もういちど時間を戻したとして。もういちど時間を戻した時に、今度は穂花を救えないという事だってあるということ。そしてその時にもういちど穂花を救えた時間に戻すなんて事は難しいということだ。
 戻した時間のうちほんの些細な事が成否を決めてしまう事だってあるという事だろう。だから何でも自分の思うようにはいかないという事だ。

 そして大切なものが気にくわなくてやりなおして、また穂花を救えたとしても、同じくらい大切な何かを失う事には変わりないということ。
 今までよりも、ずっとやり直す事のリスクが高いということだろう。
 だけどそれでも俺にはまだチャンスがあった。フェルがくれた時間を戻す力で、穂花を救う事の出来るチャンスだ。
 それを絶対につかみ取ってみせる。

「わかった。でも俺は何度でも繰り返す。何度でも。穂花を救えるようになるまで、何度でも。たとえ何を失ったとしても」

 俺は穂花を救う決意を固めていく。
 どんなに繰り返したとしても。絶対に諦めない。
 そして穂花を救えさえすれば、何を失ったとしてもやり直すつもりはない。どんなに大切に思っていたとしても、穂花と引き替えにできるものなんてない。
 だから穂花を救えればそれでいい。
 しかし強く思う俺に、再びフェルが声を荒げる。

『でもいいの? それでいいの? たかしは時間を巻き戻す事をフェアじゃないと感じていた。だから他人を巻き込むような時間の戻し方はしなかったよね。でも今回のは違う。ほのかを始めとして、たぶん沢山の人を巻き込む。これってみんなの運命を選び取ろうということよ。ねぇ、これはもう本当は神様の領域よ。それだけの事をしようとしているの。たかしは本当にそれでいいの!?』

 フェルは本当に俺の事を気遣ってくれているのだろう。
 今まで気軽に時間を巻き戻してきたけれど、俺はくだらない事にしか時間を巻き戻さなかった。本当に大事な事には使ってこなかった。
 それはやってはいけない事だと思っていたから。
 だけど今からやろうとしていることは他人の未来を変えるということだ。

 やろうとしていることは穂花を救う。それだけのことだけれども、それによって他にどんな影響が出るのかはわからない。三日間も戻して何かを変えるということは、俺や穂花の行動が変わる事によって、つもりつもって他の人も行動も少しずつ変わっていくだろう。
 それほど大きな差はでないかもしれないけれど、もしかしたら全く違う未来になってしまうのかもしれない。少なくとも事故がなくなるとしたら、その事故の張本人や周りにいた人達の時間は確実に変わるということになる。

 まさにそれは俺がやってはいけないと感じていた事の一つだった。

 だけど。

 それは所詮は偽善に過ぎないことだ。俺が買わなかった唐揚げとフランクフルトのせいで人生が変わった人だって、もしかしたらいたのかもしれない。
 五百円の売り上げのために、あの出店のおじさんの運命だって変わっていたのかもしれない。くだらない事だけにしか時間を戻してこなかったけれど、それだって本当はやってはいけない事だったのだろう。
 だからもう偽善はやめだ。どんなことだって俺はやってやる。神様の領域だろうが、かまうものか。穂花を救うためなら、何だってするんだ。

「それでいいんだ。穂花を救うためなら、穂花のためなら。俺は何度だって時間を巻き戻す。俺は」

 拳を握りしめて歯を食いしばる。
 絶対に穂花が事故に遭う時間なんて変えてみせる。
 そのために何を犠牲にしたっていい。強く思う。

「穂花が何よりも大切なんだ」
『わかった。たかしがそこまでいうのなら私はもう何も言わない。たかしの覚悟に応えるから』

 フェルは俺の頭を上をくるくると飛び回る。
 フェルにとっても覚悟が出来たのかもしれない。

『たかし、他に質問はある?』
「いや、十分だ。フェル、頼むよ」

 フェルの問いかけに俺は首を振るう。
 穂花を救うために時間をやり直す。その時に思っていない事態におちいったとしても、まだやりなおす事はできる。それだけわかれば、もういちど何ででも繰り返すだけだ。
 三十分間の繰り返しでは届かなかった別れを避ける道を、絶対に手に入れる。俺はそう誓って手を握りしめる。

『わかった。じゃあいくよ。やりなおす?』
「三日間、戻してくれ」

 いつもとは違う時間の量を戻した時、そこに何が待っているのか、俺にはわからない。
 だけど絶対に取り戻してみせる。穂花のいる平穏な日常を。それだけを強く誓う。

『わかった。時間よ戻れリターン

 いつものやりとり。だけど違うのは三十分間ではないということ。
 俺は始めて大きく時間をさかのぼる。
 それによって俺に何が待ち受けているのかはわからない。失われる大切なものが何なのか、大切なものの意味する事とは何なのか。
 穂花以上に大切なものなんてない。
 この時の俺はそう思っていた。

 そしてそれは正しかった。正しかったけど。
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