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作者: 栗一
残酷な描写あり
穢れの雨の町ナガル 6

 日が暮れた頃、アリアは一人で町の近くの林へと向かった。

 今はシスティナはいない。彼女は昨日の疲れが出ていたのか「少し仮眠をします……」と言って眠ってしまったからだ。思わず指で突っつきたくなるような、可愛らしい寝顔だった。
 起こすのも悪いので、アリアはシスティナに黙って宿を出たのだ。

 林へ来た目的は、フローリアとコンタクトを取るため。
 ナガルの町の宿屋から一番近い聖花のある場所が、ここだからだ。

 薄闇の中、木々の合間に光る白い花をアリアは見つける。
 この聖花の発する光は、アリアにしか認識できないものらしい。

「フローリア、聞こえる?」

 声をかけると、応じる声が聞こえた。

『オースアリア。よかった。ちょうど、あなたとコンタクトを取りたかったのです』
「私に何か用があったの?」

 フローリアの安堵したような声。
 アリアとしては近況報告するだけのつもりだったが。フローリアが言葉を続ける。

『この世界に五つあるアウラの花弁。そのうちの一つが、アリアの現在位置の近くにあることがわかりました』
「え、ほんとに!?」

 この世界におけるアリアの使命とは、アウラの花弁を五つ集め、神花のもとへとたどり着くことだ。
 この情報は、使命の達成に一歩近づくことを意味する。

「よかった……。これで私も本格的に動けるんだね」
『はい。……どうか、よろしくお願いします』
「うん。それで、アウラの花弁はどこにあるの?」

 フローリアの返答は、アリアにとって意外なものだった。

「雨の町ナガルの近くで最近見つかったという、とある遺跡を抜けた先にあります」
「最近見つかった遺跡……それってもしかして」
「ここから南西の方角の、アル・グレイル遺跡です」

 聞き覚えのある名称なのである。

 それもそのはず。アル・グレイル遺跡とは、アリアがこれからギルドの依頼でゴブリン退治に向かう場所だからだ。

「まじかー……」
「その遺跡について、知っているのですか?」
「うん。これからギルドの依頼で行くところ」
「……そうでしたか」

 声だけでは感情が読み取りづらいフローリアは、驚いているのかどうか判別しがたい。

「これも、運命の女神の導きでしょう」
「運命の女神って?」

 それは、エレノーア教会にいた頃にも聞いたことがない神の名だった。

「……遠い昔に、忘れられた者です」

 フローリアの返答には、少しだけ言い淀むようながあった。
  なんとなく、詮索しないほうがいい気がしたため、アリアはそこで話題を変えるつもりだったのだが、意外にもフローリアのほうが話を続けてきた。

「……神々は、各々おのおのが持つ力によって、人々から向けられる信仰の量が決まります。同時に、神々は人々からの信仰によって力を得ます」
「ふぅん?」
「相関しているのです。神は力を失うほどに信仰は薄れていき、信仰を失うほどに力が弱まります」

 アリアは細いおとがい・・・・に指を当てて考え込んだ。
 フローリアの言っていることは、わかるような気もするし、わからないような気もする。

「神がそのようを変えてしまえば――それは初めからいなかったことと同じことになります……少なくとも、人々の認識においては、そうなります」
「それは……よくわからないけど、信仰に矛盾が起きるから?」
「そうです」

 かすかに――フローリアから、ため息をつくような気配がした。

「もういないはずの神の、失われたはずの力……その導きと加護が、あなたには備わっているのです」

 アリアは「うん」とうなずいた。
 話の内容はしっかりとは理解できないけど、フローリア以外にも神様が協力してくれているなら、心強い。

「話を戻しますが、あなたのほうにもアル・グレイル遺跡に向かう用事があるのは、幸運なことです」
「だね。依頼のついでに、アウラの花弁を探してくるよ」
「どうか、気をつけてください……アウラの花弁を先に手にして、力が増した魔物や魔族がいるかもしれません」
「……わかった」
「それに――もしも穢れの怪異がアウラの花弁を手にしていたら、それは最悪の事態です。手がつけられない異形が生まれる可能性があります」

 アウラの花弁がすでにその地にあるということは、何者かがそれを拾っている可能性があるということ。
 そうだとしたら、今回の冒険は想定よりも難しいものになるかもしれない。
 会ったばかりのルイスはともかく、せめてシスティナには、アリアの使命について話しておいたほうがいいだろう。
 そう心に決めたアリアは、アウラの花弁についてもういくつか情報を聞いてからフローリアに別れを告げて、宿へと戻った。



 二日後の朝。
 目覚めたアリアは、こちらを覗き込んでいるシスティナと目が合った。
 ベッドの脇に腰掛けて、微笑むシスティナ。
 寝顔を見られていたのだろうか――少し恥ずかしくて、アリアは頬が熱くなった。

「おはようございます。アリア」
「ふぁ……。うん、おはようシスティナ」

 部屋干し用のハンガーラックには、洗われた洗濯物が、アリアのものも含めて干されている。
 早起きしたシスティナがやっておいてくれたようだ。彼女は放っておくと、家事など生活の雑務をすべて一人でやってしまう。――というか、アリアの世話を焼きたがるのだ。
 おかげでアリアは、システィナといっしょに生活していると見事にダメ人間にされてしまいそうで少し不安だった。

「今日は、遺跡に行くんだっけ?」
「はい。ゴブリンを退治するために、アル・グレイル遺跡へ……」

 窓の外は、まだ少し薄暗い。今日も雨だから正確な時間はわからないが、まだ日が昇ったばかりなのだろう。
 どうやら寝坊はせずに済んだらしい。それに安堵しながら、アリアは軽く伸びをして起き上がる。

「それじゃ、準備をしてから朝ご飯を食べに行こう」
「はい、アリア。ルイスさんを待たせるわけにはいきませんから」
「うっ。そうだよね……今回は彼といっしょに行くのかぁ」
「ルイスさんのことで、なにか気になることがあるのですか?」
「そういうわけじゃないけど……なんというか、ちょっと苦手というか……」

 悪い人じゃないのは、わかっているのだけど。

「とりあえず、足手まといにならないようにしないとね」
「ふふ。アリアなら大丈夫です」

 システィナから向けられる熱い信頼に、アリアは苦笑しながら、するりと寝巻きを脱いで着替えを始めた。



 朝食を済ませたアリアとシスティナは、ルイスとの待ち合わせ場所へと向かった。

 ちょうど町の南端にある女神リーティアの銅像の前。
 美しい女性の銅像は、しかし雨により錆びてところどころ欠けており、見ていて少し物悲しい気持ちになる。それに――神聖なものが朽ち果てているのは、冒涜的な気味の悪さを感じずにはいられなかった。
 もっとも、その感情自体が罰当たりな気がして、極力気にしないようにしたが。

「やあ、オースアリア。それにシスティナ」

 自らの背丈ほどの槍を背負い、鎧を着込んだ赤毛の青年――ルイスが、微笑みながらアリアたちに手を振る。

「お、おはよう……ございます」

 ぎこちなく挨拶をするアリアの隣で、システィナがぺこりとお辞儀をした。

「約束通り、来てくれて嬉しい。今日はよろしく頼むよ」
「うん……よろしく。これから歩いてアル・グレイル遺跡まで行くんだよね」
「ああ。本当は馬を用意する方法もあったのだが、今回は徒歩だ。すまない。……今回は遺跡の中の探索をしなくてはならない都合上、魔物の出る未開の地に馬を待たせて探索しなくてはならなくなる。それでは、馬がかわいそうだ」
「大丈夫だよ。私たちも、いつも歩きだから」
「そうか。それなら安心した」

 言っていることはごく当たり前のことなのだが、ルイスが真面目な顔をして馬の心配をしているのが、なんだか少し面白かった。
 いかにも気遣いができそうな雰囲気の彼だが、その気遣いの矛先が人間よりも動物に向くなんて。

「では、談笑は依頼達成後の楽しみに取っておいて、行こうか。オースアリア、システィナ」
「アリアでいいよ」

 必要以上に距離を詰めることもないけど、少しくらいは気を許してもいいのかもしれないと思って、アリアは言った。
 だって、少しの間かもしれないけど、これからいっしょに冒険をする仲間なのだから。

「もともとね、名前の『オース』って部分はせいだから」
「ほう」
「そうなのですか?」

 それにはルイスだけでなくシスティナも興味津々といった様子だった。

「私のいた国では、姓が先に、名前が後に来るんだよ」
「文化の違い、か」
「そうだね。もとの世界でも、私のいた国はいろいろと特殊だったから」
「アリアの国のお話、もっと聞きたいです」
「話かぁ……何を話せばいいんだろう」

 いざ日本の話をしようと思っても、普段から意識していないと、話のネタなんて出てこないものだ。
 アリアは別段、日本の文化について詳しいわけでもないし、文明レベルの違いについては説明するのも難しい。

「たとえば、こちらの世界に来て苦労したこととかはないか?」

 ルイスの言葉に、システィナが目を輝かせる。

「アリアの苦労話!」
「ああ、うん。それならいろいろ語れるかも」

 さて、とルイスが荷物を背負い直して、歩ける体勢になった。

「目的地まで距離があるし、歩きながら聞くとしよう。戦いでのチームワークを得るには、互いのことを知ることが肝心だからな」

 これにはアリアとシスティナも同意して、三人は軽い談笑をしながらアル・グレイル遺跡へ向けて歩み始めた。
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