残酷な描写あり
穢れの雨の町ナガル 5
魔鉱石のある洞窟の探索をした翌日。美味しいものを食べてぐっすりと寝たら激戦の疲れも吹き飛んだアリアとシスティナは、今日も冒険者ギルドへと足を運んだ。
さすがに二日続けて冒険に出るほど金銭に困っているわけではないが、何かいい依頼が入っていないか一応確認しておくためだ。
時間は早朝。ギルドは今日も閑散としている。
「よう。あんたたちか」
アリアとシスティナに声をかける人物がいた。いつもギルドの同じ場所に座っている、くたびれた様子の男だ。
「どうだ。冒険者の生業には慣れてきたか?」
「うん。昨日も洞窟の調査の依頼をこなしてきたよ」
「そうか……そいつはよかった」
へへへ、と卑屈げに男は笑う。
彼も最初は、いかにも不慣れな様子のアリアに苦言を呈していた。
「無駄に命を落とす前に、冒険者なんかやめておくんだな」
「夢を見ているのかもしれないが、どうせあんたたちも現実を思い知ることになるのさ」
などと、どこか自嘲めいた口調で語っていた。
だが、アリアたちが依頼をこなして帰ってくるうちに、だんだんとその態度も変わっていった。
今なら、なんとなく分かる。
彼はアリアたちの身を案じて、忠告をしていたのだろう。半端な気持ちで冒険者になどなるものではないと。若い命を危険にさらさないように。
「今日も依頼を受けるのか?」
そう言う男の口調は、少し呆れたようなニュアンスがあった。生き急ぐもんじゃないぞ、というように。
「一応、新しい依頼がないか見るだけ見ておこうと思って」
「そうか。……あんた、死ぬんじゃないぞ」
「うん。ありがとうね」
そう言ってアリアが通り過ぎていくと、後ろに隠れていた人見知りのシスティナが、小さく男に会釈をした。
さて、依頼が張り出された掲示板の前には、珍しく先客がいた。
背丈はアリアやシスティナよりも高く、しっかりと背筋を伸ばして立つ後ろ姿から、若い男性であろう。
その背には一振りの槍を背負っている。
「――どうしたものか」
彼が発したのはささやくような言葉だったが、実によく通る聞きやすい声音だった。
「この案件は好都合だが、制圧となると、あと二、三人は戦力が欲しいところだ」
何を悩んでいるのだろうか。アリアが男の顔を覗き込む――――直後に、思わず後ずさってしまった。
赤みがかった髪色の、精悍な青年。というところまではいいのだが、その顔だちがあまりにも整っていたからだ。
完璧なラインを描く目鼻立ちである。きつすぎない程度に釣り上がった眉と、それとは対照的に甘く優しげな瞳。
かすかに笑みを浮かべた口元が、彼の美男子ぶりをより際立たせている。
(イ、イケメンだ……)
ごくりと息を呑む。
特に理由はない、理由はないが――絶対に苦手なタイプだと勝手に思ってしまった。
「……ん?」
青年が、自分を見つめるアリアたちに気づいた。
「やあ。私に何か用か?」
話しかけられて、思わず心拍数が上がる。
システィナはアリアの背後へと引っ込んでしまった。
「あ、いえ……。用があるわけではないのだけど……」
「ん……貴公」
青年が、おもむろにアリアのほうへと一歩近づく。
ただでさえ自分より背が高い上に、顔は絶世の美男子である。少し詰め寄られるだけで迫力があって、アリアは思わず身を小さくした。
「貴公は迷い人か?」
「え……? は、はい」
思いがけない言葉に、アリアはしばし呆けてしまった。
「なんで、わかったの?」
「その髪だ」
「……髪の毛?」
「ああ。貴公のような艶やかな黒髪は珍しい。……それは、異なる世界から訪れた『迷い人』に多く見られる特徴だという」
それは初耳だった。迷い人となってこちらの世界に来るのは、アリアのような日本人が多いということだろうか。ファウンテールでは黒髪の人物が少ないというのも、言われてみればそんな気がする。
青年の言葉に、システィナが補足する。
「黒い髪を持つのは、迷い人か……あるいは高貴な身分の人間にときどき見られる特徴だそうです」
「へぇ……」
言われてアリアは、自分の髪をさらりと軽く撫でてみた。
それを見て、青年が微笑む。
「漆黒の髪とは、美しいものだな」
ぼっ、とアリアの頬が熱を帯びる。
隣でシスティナが小さくうなずいた。
そんな二人に、青年は交互に視線を向ける。
「それにしても、剣士と魔術師の二人組の少女か……。どうやら貴公らが、噂に聞く新人のようだ」
「え、私たちって噂になってるの?」
「ギルドの依頼を積極的にこなす新人、それも見目麗しい二人組の少女がいると。近頃よく話題に上がっている」
「そ、そうなんだ……」
知らないところで自分たちの話がされているのは、なんだかむずかゆい気持ちになる。
(見目麗しいなんて、生まれて初めて言われた……)
隣にいる少女に目を向ける。
たしかにシスティナは可愛らしいから、いっしょにいると目立ってしまうのは仕方がないかもしれない。と、アリアは納得する。
「おっと、申し遅れてしまってすまない――。私はルイス・ホーク。旅の騎士だ」
ルイスと名乗る青年は、片膝をついて丁寧なお辞儀をした。優雅であるが大袈裟すぎず、さりげない所作で。それは、いかにもアリアの想像の中にある騎士のイメージに近しい姿だった。
彼の身に纏う装備は肩や胸を守る金属の鎧であり、その下には鎖帷子と呼ばれる鎖を編み込んだ防具を着込み、前述の通り背中には大ぶりな槍を背負っている。そんな出立ちもまた、旅の騎士と称するのにぴったりだと思った。
「えっと、私はオースアリア……鉄級の冒険者です。こっちの美少女はシスティナ」
「美っ……!」
「そうか。よろしく、オースアリア。それにシスティナ」
挨拶も済んだところで、アリアは掲示板に目を向けた。
ざっと見たところ、特に目新しい依頼はない。昨日確認した際に、報酬が割に合わなくてスルーしたか、アリアたちの戦力的に受けるのを断念したものだけだ。
「それにしても……これも何かの縁かもしれないな」
その声にアリアはまたルイスのほうへと目を向ける。彼はまだ、じっとこちらを見つめていた。
「な、なんですか?」
「一つ提案があるのだが、いいだろうか?」
聞くだけなら……とアリアたちはうなずいた。
するとルイスは、掲示板にとめられていた依頼用紙の一枚を剥がしてアリアたちに見せる。
「この依頼を見てほしい」
「妖魔の巣の制圧……?」
「そう。ゴブリン退治だ」
内容は、遺跡に住み着いたゴブリンの群れを殲滅するというものだった。
ゴブリンであれば、アリアも前に戦ったことがある。緑色の肌を持つ、子供くらいの背丈の小さな鬼のような魔族である。知恵も力も人間より劣るが、繁殖力が高く群れで活動する傾向があるため、このファウンテールの世界では厄介な存在として知られている。
また、ゴブリンのような下級の魔族のことを妖魔と呼ぶこともあるらしい。
アリアが依頼内容を確認したところで、ルイスが補足する。
「ゴブリンは一匹ではさほどの強さではないが、群れを成すと脅威だ。下級とはいえ魔族。そこらの魔物よりも知恵が働くぶん、一人で挑むには危険が伴う。――そこで、貴公に協力を願いたい」
「なるほど……」
事情はわかった。
この依頼は少し前から張り出されていたものであり、相手がゴブリンなので銅級以上の冒険者であれば受けられる内容ではあるが、敵の数が多いことが予想されるため、ある程度の人数が必要とされていた。
少なくとも四、五人で受けるべき依頼であり、その分だけ貰える報酬も多い。
たった二人で冒険をするアリアとシスティナからすると、報酬は高いが危険すぎるため、この依頼を受けるという選択肢はなかった。
「どうする、システィナ?」
こういうときは、まず先輩の助言を聞くべきだ。
問いかけると、アリアの後ろに隠れるようにして佇んでいたシスティナが、おずおずと前に出てくる。
「わたしは構いませんが……他に戦力の当てはあるのでしょうか?」
ルイスはかぶりを振った。
「いいや。私と貴公とオースアリアだけだ」
「……三人では、やや心許ないかと」
「問題ない」
ゴブリン程度なら一人でも殲滅できる、と。
そんな自信が込められた口調でルイスが言う。
「背中を預けられる仲間がいるだけで、十分さ」
たしかに、一人と二人では安心感がぜんぜん違うことはアリアにもわかる。
危険な場所を旅する上で、互いに死角を補い合うことができる意味は大きい。
しかし、それは互いの信頼があってのことだ。
「……でも、どうして私たちなの? 会ったばかりだし、私たちの実力だってわからないはずなのに」
背中を預けるなんて言葉は、よほど相手のことを信用していないと出てこない言葉だと思う。
「それは――」その問いに、少しの間を置いてからルイスは答える。「――貴公は信頼の置ける人物だ。これは私の勘だが、確かにそう感じたんだ」
「勘って……」
「どうだろう。私とともに戦ってくれないか?」
言いながら、ルイスは手を差し出してくる。
握手を求められているのだろうか。そのイケメンさが眩しくて、真っ直ぐに見られない……。
軽薄そうな見た目の割にけっこう礼儀正しかったし、悪い人ではないのだろうけど。
「……いいのではないでしょうか?」
アリアの迷いを察したシスティナが、ぽつりと言った。
「最近では、畑や家畜などにもゴブリンの被害が及んでいると職員さんが言っていました。……これ以上、人に被害が及ぶ前に……もしこの三人で依頼が解決できるのなら、それに越したことはないと思います」
「そっか……そうだよね」
依頼が出されるということは、それだけ困っている人がいるということ。
こういった危険度が高くて売れ残った依頼こそ、解決できるときに解決するべきなのである。
(……やっぱりシスティナは偉いな)
報酬がもらえるか、この新しい環境で生活していけるかで頭がいっぱいだったのにアリアに対し、システィナは今も他の誰かの心配をしている。
ルイスのほうを見ると、少し屈んで手を差し出したポーズのまま、まだ待っていてくれている。
「そ、それじゃあ……」
アリアはもともと握手の文化の乏しい日本人である。さらに初対面で苦手意識のある相手ということで、遠慮がちにルイスの手を握ると――。その瞬間、ルイスはがっしりと強い力でアリアの手を握った。
「ひゃっ」
「ありがとう。――このルイス・ホーク、騎士としてかならず貴公を守ろう」
真っ直ぐ目を見ての、硬く熱い握手。その勢いに慣れないアリアは、思わず悲鳴をあげてしまった。
そんなアリアの様子に気を遣ってか、はたまた単に面白がっているのか、ルイスは小さく微笑んでみせる。
それからシスティナにもルイスは手を差し出した。
システィナのことは内気な少女だとわかっているからか、アリアのときほど強い握手ではなかったが、代わりにルイスは両手を使ってシスティナの手を優しく包んだ。
「よ、よろしくお願いします」
柔らかく優雅な仕草のルイスとは対照的に、システィナはかちこちに固まってしまった。
ともあれ、三人はさっそく依頼を受注するために、依頼書を持ってギルドの受付へと向かった。
「では、二日後の朝に町の入り口に集合でいいかな?」
「うん」
「明後日ですね。わかりました」
「では。……ともに冒険ができるのを、楽しみにしている」
ルイスは最後に片手を上げてアリアたちに挨拶をして去った。
話をしたのは短い時間だったが、なんだかアリアは嵐に見舞われたような気分になった。
「なんというか……すごい人だったね」
「でも、いい人そうです」
「まあ……ね。いい人なんだとは思うけど」
あのルイスという青年は、見た目がいかにも軽薄そうなイケメンな上にぐいぐいと来るので、やはりアリアは少し苦手意識があった。
見た目で偏見を持つのは、あまりよくないとはいえ。
「それにしても、妙でした……」
「ルイスのこと?」
「はい。……彼のことで、一つ疑問があります」
アリアは何も感じなかった――とは言わないが、怪しいところは何もなさそうに思えた。そういった感覚が鋭そうなシスティナには、感じる何かがあったのだろうか。
そんなふうに思って彼女の次の言葉を待っていると、
「ルイスさん、わたしたちのことを『貴公』と呼んでいました」
「うん。そうだけど……それがどうかしたの?」
「貴公というのは、男性に対して使うものです……それなのに、なぜわたしたちをそう呼んでいたのでしょう?」
「え……、そこ?」
こてん、とシスティナは首をかしげる。たしかに、言われてみればそれも気になるけど――。
銀髪の少女の可愛らしく呑気な姿に、アリアは少しだけ二日後の冒険が心配になっていた。
さすがに二日続けて冒険に出るほど金銭に困っているわけではないが、何かいい依頼が入っていないか一応確認しておくためだ。
時間は早朝。ギルドは今日も閑散としている。
「よう。あんたたちか」
アリアとシスティナに声をかける人物がいた。いつもギルドの同じ場所に座っている、くたびれた様子の男だ。
「どうだ。冒険者の生業には慣れてきたか?」
「うん。昨日も洞窟の調査の依頼をこなしてきたよ」
「そうか……そいつはよかった」
へへへ、と卑屈げに男は笑う。
彼も最初は、いかにも不慣れな様子のアリアに苦言を呈していた。
「無駄に命を落とす前に、冒険者なんかやめておくんだな」
「夢を見ているのかもしれないが、どうせあんたたちも現実を思い知ることになるのさ」
などと、どこか自嘲めいた口調で語っていた。
だが、アリアたちが依頼をこなして帰ってくるうちに、だんだんとその態度も変わっていった。
今なら、なんとなく分かる。
彼はアリアたちの身を案じて、忠告をしていたのだろう。半端な気持ちで冒険者になどなるものではないと。若い命を危険にさらさないように。
「今日も依頼を受けるのか?」
そう言う男の口調は、少し呆れたようなニュアンスがあった。生き急ぐもんじゃないぞ、というように。
「一応、新しい依頼がないか見るだけ見ておこうと思って」
「そうか。……あんた、死ぬんじゃないぞ」
「うん。ありがとうね」
そう言ってアリアが通り過ぎていくと、後ろに隠れていた人見知りのシスティナが、小さく男に会釈をした。
さて、依頼が張り出された掲示板の前には、珍しく先客がいた。
背丈はアリアやシスティナよりも高く、しっかりと背筋を伸ばして立つ後ろ姿から、若い男性であろう。
その背には一振りの槍を背負っている。
「――どうしたものか」
彼が発したのはささやくような言葉だったが、実によく通る聞きやすい声音だった。
「この案件は好都合だが、制圧となると、あと二、三人は戦力が欲しいところだ」
何を悩んでいるのだろうか。アリアが男の顔を覗き込む――――直後に、思わず後ずさってしまった。
赤みがかった髪色の、精悍な青年。というところまではいいのだが、その顔だちがあまりにも整っていたからだ。
完璧なラインを描く目鼻立ちである。きつすぎない程度に釣り上がった眉と、それとは対照的に甘く優しげな瞳。
かすかに笑みを浮かべた口元が、彼の美男子ぶりをより際立たせている。
(イ、イケメンだ……)
ごくりと息を呑む。
特に理由はない、理由はないが――絶対に苦手なタイプだと勝手に思ってしまった。
「……ん?」
青年が、自分を見つめるアリアたちに気づいた。
「やあ。私に何か用か?」
話しかけられて、思わず心拍数が上がる。
システィナはアリアの背後へと引っ込んでしまった。
「あ、いえ……。用があるわけではないのだけど……」
「ん……貴公」
青年が、おもむろにアリアのほうへと一歩近づく。
ただでさえ自分より背が高い上に、顔は絶世の美男子である。少し詰め寄られるだけで迫力があって、アリアは思わず身を小さくした。
「貴公は迷い人か?」
「え……? は、はい」
思いがけない言葉に、アリアはしばし呆けてしまった。
「なんで、わかったの?」
「その髪だ」
「……髪の毛?」
「ああ。貴公のような艶やかな黒髪は珍しい。……それは、異なる世界から訪れた『迷い人』に多く見られる特徴だという」
それは初耳だった。迷い人となってこちらの世界に来るのは、アリアのような日本人が多いということだろうか。ファウンテールでは黒髪の人物が少ないというのも、言われてみればそんな気がする。
青年の言葉に、システィナが補足する。
「黒い髪を持つのは、迷い人か……あるいは高貴な身分の人間にときどき見られる特徴だそうです」
「へぇ……」
言われてアリアは、自分の髪をさらりと軽く撫でてみた。
それを見て、青年が微笑む。
「漆黒の髪とは、美しいものだな」
ぼっ、とアリアの頬が熱を帯びる。
隣でシスティナが小さくうなずいた。
そんな二人に、青年は交互に視線を向ける。
「それにしても、剣士と魔術師の二人組の少女か……。どうやら貴公らが、噂に聞く新人のようだ」
「え、私たちって噂になってるの?」
「ギルドの依頼を積極的にこなす新人、それも見目麗しい二人組の少女がいると。近頃よく話題に上がっている」
「そ、そうなんだ……」
知らないところで自分たちの話がされているのは、なんだかむずかゆい気持ちになる。
(見目麗しいなんて、生まれて初めて言われた……)
隣にいる少女に目を向ける。
たしかにシスティナは可愛らしいから、いっしょにいると目立ってしまうのは仕方がないかもしれない。と、アリアは納得する。
「おっと、申し遅れてしまってすまない――。私はルイス・ホーク。旅の騎士だ」
ルイスと名乗る青年は、片膝をついて丁寧なお辞儀をした。優雅であるが大袈裟すぎず、さりげない所作で。それは、いかにもアリアの想像の中にある騎士のイメージに近しい姿だった。
彼の身に纏う装備は肩や胸を守る金属の鎧であり、その下には鎖帷子と呼ばれる鎖を編み込んだ防具を着込み、前述の通り背中には大ぶりな槍を背負っている。そんな出立ちもまた、旅の騎士と称するのにぴったりだと思った。
「えっと、私はオースアリア……鉄級の冒険者です。こっちの美少女はシスティナ」
「美っ……!」
「そうか。よろしく、オースアリア。それにシスティナ」
挨拶も済んだところで、アリアは掲示板に目を向けた。
ざっと見たところ、特に目新しい依頼はない。昨日確認した際に、報酬が割に合わなくてスルーしたか、アリアたちの戦力的に受けるのを断念したものだけだ。
「それにしても……これも何かの縁かもしれないな」
その声にアリアはまたルイスのほうへと目を向ける。彼はまだ、じっとこちらを見つめていた。
「な、なんですか?」
「一つ提案があるのだが、いいだろうか?」
聞くだけなら……とアリアたちはうなずいた。
するとルイスは、掲示板にとめられていた依頼用紙の一枚を剥がしてアリアたちに見せる。
「この依頼を見てほしい」
「妖魔の巣の制圧……?」
「そう。ゴブリン退治だ」
内容は、遺跡に住み着いたゴブリンの群れを殲滅するというものだった。
ゴブリンであれば、アリアも前に戦ったことがある。緑色の肌を持つ、子供くらいの背丈の小さな鬼のような魔族である。知恵も力も人間より劣るが、繁殖力が高く群れで活動する傾向があるため、このファウンテールの世界では厄介な存在として知られている。
また、ゴブリンのような下級の魔族のことを妖魔と呼ぶこともあるらしい。
アリアが依頼内容を確認したところで、ルイスが補足する。
「ゴブリンは一匹ではさほどの強さではないが、群れを成すと脅威だ。下級とはいえ魔族。そこらの魔物よりも知恵が働くぶん、一人で挑むには危険が伴う。――そこで、貴公に協力を願いたい」
「なるほど……」
事情はわかった。
この依頼は少し前から張り出されていたものであり、相手がゴブリンなので銅級以上の冒険者であれば受けられる内容ではあるが、敵の数が多いことが予想されるため、ある程度の人数が必要とされていた。
少なくとも四、五人で受けるべき依頼であり、その分だけ貰える報酬も多い。
たった二人で冒険をするアリアとシスティナからすると、報酬は高いが危険すぎるため、この依頼を受けるという選択肢はなかった。
「どうする、システィナ?」
こういうときは、まず先輩の助言を聞くべきだ。
問いかけると、アリアの後ろに隠れるようにして佇んでいたシスティナが、おずおずと前に出てくる。
「わたしは構いませんが……他に戦力の当てはあるのでしょうか?」
ルイスはかぶりを振った。
「いいや。私と貴公とオースアリアだけだ」
「……三人では、やや心許ないかと」
「問題ない」
ゴブリン程度なら一人でも殲滅できる、と。
そんな自信が込められた口調でルイスが言う。
「背中を預けられる仲間がいるだけで、十分さ」
たしかに、一人と二人では安心感がぜんぜん違うことはアリアにもわかる。
危険な場所を旅する上で、互いに死角を補い合うことができる意味は大きい。
しかし、それは互いの信頼があってのことだ。
「……でも、どうして私たちなの? 会ったばかりだし、私たちの実力だってわからないはずなのに」
背中を預けるなんて言葉は、よほど相手のことを信用していないと出てこない言葉だと思う。
「それは――」その問いに、少しの間を置いてからルイスは答える。「――貴公は信頼の置ける人物だ。これは私の勘だが、確かにそう感じたんだ」
「勘って……」
「どうだろう。私とともに戦ってくれないか?」
言いながら、ルイスは手を差し出してくる。
握手を求められているのだろうか。そのイケメンさが眩しくて、真っ直ぐに見られない……。
軽薄そうな見た目の割にけっこう礼儀正しかったし、悪い人ではないのだろうけど。
「……いいのではないでしょうか?」
アリアの迷いを察したシスティナが、ぽつりと言った。
「最近では、畑や家畜などにもゴブリンの被害が及んでいると職員さんが言っていました。……これ以上、人に被害が及ぶ前に……もしこの三人で依頼が解決できるのなら、それに越したことはないと思います」
「そっか……そうだよね」
依頼が出されるということは、それだけ困っている人がいるということ。
こういった危険度が高くて売れ残った依頼こそ、解決できるときに解決するべきなのである。
(……やっぱりシスティナは偉いな)
報酬がもらえるか、この新しい環境で生活していけるかで頭がいっぱいだったのにアリアに対し、システィナは今も他の誰かの心配をしている。
ルイスのほうを見ると、少し屈んで手を差し出したポーズのまま、まだ待っていてくれている。
「そ、それじゃあ……」
アリアはもともと握手の文化の乏しい日本人である。さらに初対面で苦手意識のある相手ということで、遠慮がちにルイスの手を握ると――。その瞬間、ルイスはがっしりと強い力でアリアの手を握った。
「ひゃっ」
「ありがとう。――このルイス・ホーク、騎士としてかならず貴公を守ろう」
真っ直ぐ目を見ての、硬く熱い握手。その勢いに慣れないアリアは、思わず悲鳴をあげてしまった。
そんなアリアの様子に気を遣ってか、はたまた単に面白がっているのか、ルイスは小さく微笑んでみせる。
それからシスティナにもルイスは手を差し出した。
システィナのことは内気な少女だとわかっているからか、アリアのときほど強い握手ではなかったが、代わりにルイスは両手を使ってシスティナの手を優しく包んだ。
「よ、よろしくお願いします」
柔らかく優雅な仕草のルイスとは対照的に、システィナはかちこちに固まってしまった。
ともあれ、三人はさっそく依頼を受注するために、依頼書を持ってギルドの受付へと向かった。
「では、二日後の朝に町の入り口に集合でいいかな?」
「うん」
「明後日ですね。わかりました」
「では。……ともに冒険ができるのを、楽しみにしている」
ルイスは最後に片手を上げてアリアたちに挨拶をして去った。
話をしたのは短い時間だったが、なんだかアリアは嵐に見舞われたような気分になった。
「なんというか……すごい人だったね」
「でも、いい人そうです」
「まあ……ね。いい人なんだとは思うけど」
あのルイスという青年は、見た目がいかにも軽薄そうなイケメンな上にぐいぐいと来るので、やはりアリアは少し苦手意識があった。
見た目で偏見を持つのは、あまりよくないとはいえ。
「それにしても、妙でした……」
「ルイスのこと?」
「はい。……彼のことで、一つ疑問があります」
アリアは何も感じなかった――とは言わないが、怪しいところは何もなさそうに思えた。そういった感覚が鋭そうなシスティナには、感じる何かがあったのだろうか。
そんなふうに思って彼女の次の言葉を待っていると、
「ルイスさん、わたしたちのことを『貴公』と呼んでいました」
「うん。そうだけど……それがどうかしたの?」
「貴公というのは、男性に対して使うものです……それなのに、なぜわたしたちをそう呼んでいたのでしょう?」
「え……、そこ?」
こてん、とシスティナは首をかしげる。たしかに、言われてみればそれも気になるけど――。
銀髪の少女の可愛らしく呑気な姿に、アリアは少しだけ二日後の冒険が心配になっていた。