無用の弓
弓など必要ない。それをどう解釈すれば良いか
「ビーちゃん!」
ドラゴンの背から降り崩れた柱を伝って駆け下りていく。そこから見える地上の景色は破壊されつくしていて、わたしの視界には白髪の男と無手の弓兵の姿が映っていた。
いま、彼女は得物を手にしていない。それでも、誇り高きエルフのもとで暮らしてきた戦士は、力強い目で眼前の粗暴な人物を見つめる。
「だめ!」
それがビーちゃんを蹴飛ばした。なすすべもなく壁まで激突し苦悶の表情を浮かべている。わたしは少しでも早くたどり着きたくて、ナナメになった柱を走るのをやめそこから飛び出した。
激しい空気抵抗を受ける。その間にもスナップは歩を進め、ビーちゃんが守っていた女性に近づいていく。
(だめ、間に合わない!)
「やめろおおおおおおおおおおおおお!」
これまで聞いたことのないような声がした。その主はビーちゃんで、怒号と金切り声と、怒りと悲壮と熱望が混じった悲しい感情。
そのまま彼女はスナップに突進し、彼はそれを嘲笑い、その手が人を殺める形となって、振り下ろされて――。
「ああ!!」
ビーちゃんの身体から閃光が走った。
「んな、なんだ!?」
爆炎と風圧。スナップは間近にそれを受け半ば自分から飛び退いた。それでも衝撃を吸収しきれずに逆側の壁までふっとばされていく。
「ビーちゃん!」
地上まで到達したわたしはそちらの方向を見た。
とてもまぶしい。まるで、あのスキルを使ったときのような光がそこから溢れてくる。
「……うそ」
閃光が消失し、そこにひとりの女性がいた。
凛々しい表情。鋭い視線。堂々と佇む姿は全身もじゃもじゃ。
顔が、とくに鼻先がびろーんと前に伸びていて、白地に淡い茶色の被毛がかすかな風に揺れている。それはまるで――。
「おおかみ、さん?」
「……これが、変身」
目の前にいる女性が、確かめるように自分の全身を眺めていく。手、うで、胸、自分自身の伸びた鼻先に触れて、そこに鋭い爪があることに気づく。
「グレースやスプリットとおなじ……身体に力が溢れてくるようだ」
今にも走り出したい! そんな衝動を抑えるように、彼女は顔を伏せて笑った。わたしもそうだったからわかるんだ。
なんでもできるような気持ちになる。なんかこう、ヒャッホウ! みたいな感じになって大空の下で走り回りたくて、どんな障害物もひとっとびて飛び越えられそう。
「ビーちゃん」
「実にいい気分だ。これほどまで清々しい心持ちでいられた日はいつごろだろうか――今なら、ヤツを追い返せる」
こっちと話すときはおだやかに、けど不審者にはわんわん吠えまくるいっぱしの戦士。撃退すべきターゲットを捉えた弓持たぬスナイパーは、その標的を見据えるようにスッと立ち、今から仕留めるぜ! 的な感じで右腕を前に突き出していた。
(ちょっと背伸びたのかな?)
以前よりビーちゃんの顔が高いトコにある気がする。
「グレース、手を出さないでくれ。こいつの相手は私だけで充分だ」
いつものビーちゃんなら協力を誘ったところだけど、うんわかる。変身中ってメチャクチャ万能感あるもんね、ぜんぶひとりでやりたくなっちゃうよね。
(ん、いまは"いっぴき"かな?)
「スナップだったな。これ以上だれも傷つけさせはしない。覚悟しろ!」
「――へっ!」
(ん、どういうこと?)
変身した状態の戦闘能力を知ってるはずが、対峙するスナップは不敵な笑みを消さない。
「テメーバカか? このクソアマ。そこのガキとあのクソボーズは近接戦闘の訓練を受けてたがテメーはちげぇだろ。フィジカルが上がっただけでどーオレさまとヤり合うってんだ?」
白髪で猫背の男は、そう言って地面に転がっていた包丁を手に取る。食器を切り分けるために用意されたそれは、わたしが仕込んでたナイフの数倍大きい。
「油断しないで。そのスキルは最近実装されたものだからまだ隠されたスキルがあるかも――」
「キャスはすっこんでろ!」
なにかの魔法かな? スナップは、遠くから声を届けてきた彼女の助言をただ一言で片付けた。
「テメーひとりで充分だぁ? 舐めやがって、その女の代わりにテメーが死ねや!」
砂塵をバックにスナップが跳んだ。ほぼ一瞬で距離を詰めてきた相手に対し、ビーちゃんは鋭い爪をもった腕ひとつで受け止める。
美しい被毛には、かすかな甘い匂いが隠されていた。
「わたしも!」
「いい。この程度ならひとりで充分だ」
「言ったなこのクソアマァ!」
激しいラッシュ。そのすべてを受け止め、あるいは躱し、ビーちゃんの身体にはキズひとつ付きはしなかった。
(すっご! ビーちゃんすっご!)
「チッ、手こずらせやがって。だが」
「ッ!」
両腕での素早い連撃。ビーちゃんはそれを受け流したけど、スナップはそのまま彼女の腕を掴んだ。
「やっぱりコイツらほどじゃねーな。今のオレさまでもガチれば捉えられるぜぇ!」
「はああ!!」
そこではじめてビーちゃんが動く。長い足が弧を描いて、腕を引っ掴んできた不届き者の股間を蹴り上げた。
スナップは反射的に腕を離し距離をとる。ビーちゃんはさらにもう片方の足で顔面を蹴りスナップとの距離を稼いだ。
「ちょ、バカヤロー! 再起不能になったらどーしてくれるんだクソが――ハッ!?」
ビーちゃんが弓を構えている。見えない弓を。
一瞬、距離が空いたから反射的にその動きをしてしまったのかと思った。でも違った。彼女はほんとうに弓を持っていた。
「スキル、無用の弓」
彼女の唇が揺れたその瞬間、光とともに黄金の弓が現れた。
具現化した? ううんちがう。それは物質じゃなくてイメージ。ビーちゃんの構えにしたがって光が収束し、そこに弓と矢が存在する。でもそれは、たしかに質量をもった実像。
「貴様がなぜこのようなことをするのかしらない。知らないし興味ない。ただワケもなく破壊を尽くす貴様にはそれ相応の報いを受けてもらう」
そして、矢が彼女の指から解き放たれた。
舌打ちしつつその場から離れるスナップ。それを追うように矢は軌道を離れ、彼の背を追いかけていった。
「なんだこれ! くそどーにかしろキャス!」
「だから言ったのに――スキル、風」
砂塵が矢を包み込み、それでも光はとどまらない。
「消えねーんだけどォ!?」
「黙って。標的に命中するまで消滅しない、そんな都合の良い物質ある? ――これでどう。スキル、暴風」
また砂塵が矢を包み込む。それだけでなく、こんどは会場全体に大きな竜巻が発生し、ガレキが浮き上がり矢をめがけて収束していく。
矢はそれらを躱し、時には突き破り、勢いを落としつつ仕留めるべきターゲットに襲いかかる。そして――。
「グァ!」
彼の背、おそらくその向こう側に心臓がある位置に命中した。そのままふっ飛ばされて、彼はドラゴンの背まで到達し情けなく身体を二転三転させる。
「イテーじゃねえかよ!」
「威力は削いだ。致命傷じゃない……潮時ね」
緑髪の少女は、夜空に浮かぶ星々を見渡す。その瞳には白く輝く月がやさしく輝いていた。
ドラゴンの背から降り崩れた柱を伝って駆け下りていく。そこから見える地上の景色は破壊されつくしていて、わたしの視界には白髪の男と無手の弓兵の姿が映っていた。
いま、彼女は得物を手にしていない。それでも、誇り高きエルフのもとで暮らしてきた戦士は、力強い目で眼前の粗暴な人物を見つめる。
「だめ!」
それがビーちゃんを蹴飛ばした。なすすべもなく壁まで激突し苦悶の表情を浮かべている。わたしは少しでも早くたどり着きたくて、ナナメになった柱を走るのをやめそこから飛び出した。
激しい空気抵抗を受ける。その間にもスナップは歩を進め、ビーちゃんが守っていた女性に近づいていく。
(だめ、間に合わない!)
「やめろおおおおおおおおおおおおお!」
これまで聞いたことのないような声がした。その主はビーちゃんで、怒号と金切り声と、怒りと悲壮と熱望が混じった悲しい感情。
そのまま彼女はスナップに突進し、彼はそれを嘲笑い、その手が人を殺める形となって、振り下ろされて――。
「ああ!!」
ビーちゃんの身体から閃光が走った。
「んな、なんだ!?」
爆炎と風圧。スナップは間近にそれを受け半ば自分から飛び退いた。それでも衝撃を吸収しきれずに逆側の壁までふっとばされていく。
「ビーちゃん!」
地上まで到達したわたしはそちらの方向を見た。
とてもまぶしい。まるで、あのスキルを使ったときのような光がそこから溢れてくる。
「……うそ」
閃光が消失し、そこにひとりの女性がいた。
凛々しい表情。鋭い視線。堂々と佇む姿は全身もじゃもじゃ。
顔が、とくに鼻先がびろーんと前に伸びていて、白地に淡い茶色の被毛がかすかな風に揺れている。それはまるで――。
「おおかみ、さん?」
「……これが、変身」
目の前にいる女性が、確かめるように自分の全身を眺めていく。手、うで、胸、自分自身の伸びた鼻先に触れて、そこに鋭い爪があることに気づく。
「グレースやスプリットとおなじ……身体に力が溢れてくるようだ」
今にも走り出したい! そんな衝動を抑えるように、彼女は顔を伏せて笑った。わたしもそうだったからわかるんだ。
なんでもできるような気持ちになる。なんかこう、ヒャッホウ! みたいな感じになって大空の下で走り回りたくて、どんな障害物もひとっとびて飛び越えられそう。
「ビーちゃん」
「実にいい気分だ。これほどまで清々しい心持ちでいられた日はいつごろだろうか――今なら、ヤツを追い返せる」
こっちと話すときはおだやかに、けど不審者にはわんわん吠えまくるいっぱしの戦士。撃退すべきターゲットを捉えた弓持たぬスナイパーは、その標的を見据えるようにスッと立ち、今から仕留めるぜ! 的な感じで右腕を前に突き出していた。
(ちょっと背伸びたのかな?)
以前よりビーちゃんの顔が高いトコにある気がする。
「グレース、手を出さないでくれ。こいつの相手は私だけで充分だ」
いつものビーちゃんなら協力を誘ったところだけど、うんわかる。変身中ってメチャクチャ万能感あるもんね、ぜんぶひとりでやりたくなっちゃうよね。
(ん、いまは"いっぴき"かな?)
「スナップだったな。これ以上だれも傷つけさせはしない。覚悟しろ!」
「――へっ!」
(ん、どういうこと?)
変身した状態の戦闘能力を知ってるはずが、対峙するスナップは不敵な笑みを消さない。
「テメーバカか? このクソアマ。そこのガキとあのクソボーズは近接戦闘の訓練を受けてたがテメーはちげぇだろ。フィジカルが上がっただけでどーオレさまとヤり合うってんだ?」
白髪で猫背の男は、そう言って地面に転がっていた包丁を手に取る。食器を切り分けるために用意されたそれは、わたしが仕込んでたナイフの数倍大きい。
「油断しないで。そのスキルは最近実装されたものだからまだ隠されたスキルがあるかも――」
「キャスはすっこんでろ!」
なにかの魔法かな? スナップは、遠くから声を届けてきた彼女の助言をただ一言で片付けた。
「テメーひとりで充分だぁ? 舐めやがって、その女の代わりにテメーが死ねや!」
砂塵をバックにスナップが跳んだ。ほぼ一瞬で距離を詰めてきた相手に対し、ビーちゃんは鋭い爪をもった腕ひとつで受け止める。
美しい被毛には、かすかな甘い匂いが隠されていた。
「わたしも!」
「いい。この程度ならひとりで充分だ」
「言ったなこのクソアマァ!」
激しいラッシュ。そのすべてを受け止め、あるいは躱し、ビーちゃんの身体にはキズひとつ付きはしなかった。
(すっご! ビーちゃんすっご!)
「チッ、手こずらせやがって。だが」
「ッ!」
両腕での素早い連撃。ビーちゃんはそれを受け流したけど、スナップはそのまま彼女の腕を掴んだ。
「やっぱりコイツらほどじゃねーな。今のオレさまでもガチれば捉えられるぜぇ!」
「はああ!!」
そこではじめてビーちゃんが動く。長い足が弧を描いて、腕を引っ掴んできた不届き者の股間を蹴り上げた。
スナップは反射的に腕を離し距離をとる。ビーちゃんはさらにもう片方の足で顔面を蹴りスナップとの距離を稼いだ。
「ちょ、バカヤロー! 再起不能になったらどーしてくれるんだクソが――ハッ!?」
ビーちゃんが弓を構えている。見えない弓を。
一瞬、距離が空いたから反射的にその動きをしてしまったのかと思った。でも違った。彼女はほんとうに弓を持っていた。
「スキル、無用の弓」
彼女の唇が揺れたその瞬間、光とともに黄金の弓が現れた。
具現化した? ううんちがう。それは物質じゃなくてイメージ。ビーちゃんの構えにしたがって光が収束し、そこに弓と矢が存在する。でもそれは、たしかに質量をもった実像。
「貴様がなぜこのようなことをするのかしらない。知らないし興味ない。ただワケもなく破壊を尽くす貴様にはそれ相応の報いを受けてもらう」
そして、矢が彼女の指から解き放たれた。
舌打ちしつつその場から離れるスナップ。それを追うように矢は軌道を離れ、彼の背を追いかけていった。
「なんだこれ! くそどーにかしろキャス!」
「だから言ったのに――スキル、風」
砂塵が矢を包み込み、それでも光はとどまらない。
「消えねーんだけどォ!?」
「黙って。標的に命中するまで消滅しない、そんな都合の良い物質ある? ――これでどう。スキル、暴風」
また砂塵が矢を包み込む。それだけでなく、こんどは会場全体に大きな竜巻が発生し、ガレキが浮き上がり矢をめがけて収束していく。
矢はそれらを躱し、時には突き破り、勢いを落としつつ仕留めるべきターゲットに襲いかかる。そして――。
「グァ!」
彼の背、おそらくその向こう側に心臓がある位置に命中した。そのままふっ飛ばされて、彼はドラゴンの背まで到達し情けなく身体を二転三転させる。
「イテーじゃねえかよ!」
「威力は削いだ。致命傷じゃない……潮時ね」
緑髪の少女は、夜空に浮かぶ星々を見渡す。その瞳には白く輝く月がやさしく輝いていた。