残酷な描写あり
R-15
129 妻
愛する妻レリアが自分の前にいる。それが例え霊魂でも、驚きや悲しみよりも嬉しさが上回った。
「お前の声を初めて聞けたな……」
涙を拭い、震える声を絞り出した。まさか口の利けなかった妻の声を聞くことができるとは思わなかった。それも死んだ後に。
「約束守れなくてごめんなさい」
レリアが悲しそうな表情をしてそう言った。
「い……、今からでも、身体に、戻れないのか?」
「何回か試してみたんだけど無理だったわ。何か繋がりが切れちゃった感じなの」
涙で上手く喋れない状態ながら少しだけ希望を持って聞いてみたが否定されてしまった。
「でもね、全然苦しくなかった。眠るのと変わらなかったわ。とても幸せな気持ちで人生を終えられたの。あなたのおかげよ」
何と言っていいか言葉が見つからない。苦しまなかったのは良かったことになるのだろうか。もう死んでしまったのに、良かったと言えるのだろうか。驚きで一度止まった涙がまた溢れそうになっていた。
レリアは穏やかに語りかける。
「あのまま死んじゃうとは思わなくて、あなたに何も言えなかったから、こうして喋れるように頑張ったの」
「……頑張ってなんとかなるもんなのか?」
「きっと長くは続けられないと思うわ。理力でなんとかなってるみたい。疲れるし」
妻を失うことは覆せないと察し、憔悴した声で呟いた。
「俺も、お前と一緒に連れていってくれ……」
それを聞いたレリアが悲しそうな顔をして告げる。
「ダメよ。あなたにはして欲しいことがあるから」
「ガキをよろしくって言うんだろ」
レリアは首を振る。
「違うわ。もっと別のこと」
「?」
少し考えてからレリアは切り出した。
「ビスタークが私のことを想って悲しんでくれるのは嬉しくもあるんだけど、今後を考えると心配なの」
「……」
何も言葉が出なかった。
「今の状態で赤ちゃんを育ててねって言っても無理でしょう?」
「……もしかして、死んでから俺のことをずっと見てたのか?」
「うん」
途端に恥ずかしくなった。全部見られていたのかと。丸一日何もせず、ただ呆然としていただけの自分を見ていたなら心配にもなるだろう。
「あなたは本当に私を愛してくれてたんだなあと思って、悪いけど嬉しくなっちゃった」
「やめろ。言うな」
「ふふっ。生きてるときからわかってたけどね」
レリアはおどけてそう言った後、真面目な表情になり頭を下げた。
「頑張ってなんとかしようとしてくれたのに、生き返れなくてごめんなさい」
「何度も謝るなよ……」
「あなたを幸せにするって約束したのに」
「それはもうしてもらった」
からかわれて恥ずかしい思いをした後に急に深刻な話になり感情の浮き沈みが激しい。妻は自分を何度泣かせるつもりなのかと胸が苦しくなる。
「疲れて出てこれなくなる前に、大事なことを言うね」
「何だ?」
「この前ホノーラさんたちへの手紙に書いておいたの。『万が一私に何かあったら赤ちゃんをお願いします』って」
「え……」
出産後見舞いに来ていた二人に手紙を渡していたのは見ていた。そんな内容だったとは。
「だから、あなたにつらい思いをさせながら育ててもらおうとは思ってないの。他にして欲しいこともあるから」
「……して欲しいことって?」
先程から怪訝に思っている。てっきり息子を頼むという話だと予想していたからだ。今の自分に任せたら息子を殺されてしまうかもしれないと思ったのだろうか。自分でもそう考えるのだからレリアがそう考えていても何もおかしくはない。
「お父さんたちのこと」
「ストロワ達のこと?」
「そう。何だか引っかかって……新しい人のこと」
手紙に書かれていた神官候補にと考えているという女性のことである。
「ああ、そっちか……。あれから手紙が来なくなったもんな」
「そろそろ炎の都の試験は終わってると思うんだけど、どうなったか気になって」
手紙が来なくなって半年は経っている。
「まだ新しい奴は信用されてないってことなのか?」
「単純に手紙を書くのを忘れてるだけかもしれないけどね。それかどこかで紛失したとか」
「次は時の都か光の都だよな?」
「うん、あとその二つね」
水の都で出会った時にレリアは都の半分の試験を終わらせていた。水、命、炎が終わったとすると残り二つとなる。
「で? 俺に様子を見に行けって言うのか?」
「そう。それなら私がいなくてもあなたの気が紛れると思って」
「そうだな……それがいいかもな……」
ここにいてもつらいだけだ、という言葉は飲み込んだ。それを誤魔化すようにおどけて言う。
「お前のいない日常に耐えられそうもねえしな。俺はお前より心が弱いからよ」
「まだ根に持ってるの?」
「……まあ事実だしな」
ビスタークは自嘲気味に笑みを浮かべる。
「今お前が出てきてくれて良かった。あんな風に逝かれてしまって後悔しか無かったからな」
「それは本当にごめんなさい。私も死ぬつもりなかったから」
「ガキを育てられる自信なんかねえし、お前の提案通りにするよ。ただ、ジーニェル達がガキ育てるのを了承するかはまだ確定してねえよな」
「うん……」
「まあ、そしたらニア姉に頼むだけだ」
我が子を想い心配そうなレリアを気遣う。
「お義姉さんはもう三人もお子さんがいるから、押し付けたら迷惑だと思って……」
「ジーニェルんとこは子ども欲しそうだったし、昔俺を引き取るつもりもあったらしいからまあ大丈夫だろ」
「うん、私もそう思ったから手紙を書いたの」
レリアは少し間を置いてビスタークへ要望を伝える。
「でも、あの子の名前はあなたに決めて欲しいと思ってる」
「あ? 引き取り先で決めるほうがいいんじゃねえか?」
「これは私のわがまま。お父さんとして決めてあげて欲しいの。親子の繋がりを作っておいて。私からの最期のお願い」
その言葉が重くのしかかる。
「最期って言うなよ……。ずっとそばにいてくれ」
「言ったでしょ、疲れるって。たぶん疲れすぎると悪霊になるんだと思う」
「そうか……」
「寂しくないように、輝星石をあげるね。私の石袋の中を見て」
そう言われて先ほど出してきたレリアの石袋の口を開く。
「その銀色の真ん丸の石がそうよ。これから星になるから、その石で私の星を見つけて。いつでも空で見てるから」
「俺はこの石持ってなかったから助かる」
輝星石を取り出して握りしめた。今後、レリアの星と繋げてくれる大事な石だ。今感じられる二つの星はおそらく両親のものだろう。レリアの魂が昇り星となった後はおそらく妻の星だけが感じられるようになると推測していた。
「神の子が降臨しそうだって話はしたよね?」
「それがヤバそうだって言うのか?」
「わからないけど、何か嫌な予感がするの。だからお父さんたちの助けになってほしい」
「合流できてもお前を死なせたって責められそうで気が重いな」
「兄さんはそうかもしれないけど……お父さんはそんなこと言わないよ」
「まあ、ストロワはそうかもな」
ストロワはとても穏やかな人格者だった。確かにそんなことは言いそうもない。キナノスとエクレシアには何を言われるかわからないが。
「そろそろ、休むね。空へ昇る前にあと一回はあなたの前に出てきてお別れを言いたい。そのためにもそれまで休むね」
「絶対だぞ。そう言いながらこれが最後になるのは嫌だ」
「うん。頑張るけど……もしダメだったときのために言っておくね」
そんな前提はやめろと文句を言いたかったが、霊魂の出現条件などわかるはずもない。大人しくレリアの言葉を待った。
「私ね、次に生まれ変わってもまたビスタークと一緒になりたい」
「……ああ、俺もだ」
「もしかしたら前の人生でも同じことを言ってたかもしれないわね」
レリアはふふっと笑う。
「今回出会えたんだから、きっと次も出会えるよね」
「ああ。絶対に見つける」
「私も。次は健康な身体に生まれてたくさんの子どもたちに囲まれてあなたと一緒に長生きするわ」
「そうしよう。平和で平凡な普通の人生を送りたいよな」
「約束ね」
「ああ、約束だ」
霊魂に触れることは出来ないが、抱き締めるように妻を腕で覆った。段々レリアの姿は見えなくなり、遺体だけがその場に残された。
「お前の声を初めて聞けたな……」
涙を拭い、震える声を絞り出した。まさか口の利けなかった妻の声を聞くことができるとは思わなかった。それも死んだ後に。
「約束守れなくてごめんなさい」
レリアが悲しそうな表情をしてそう言った。
「い……、今からでも、身体に、戻れないのか?」
「何回か試してみたんだけど無理だったわ。何か繋がりが切れちゃった感じなの」
涙で上手く喋れない状態ながら少しだけ希望を持って聞いてみたが否定されてしまった。
「でもね、全然苦しくなかった。眠るのと変わらなかったわ。とても幸せな気持ちで人生を終えられたの。あなたのおかげよ」
何と言っていいか言葉が見つからない。苦しまなかったのは良かったことになるのだろうか。もう死んでしまったのに、良かったと言えるのだろうか。驚きで一度止まった涙がまた溢れそうになっていた。
レリアは穏やかに語りかける。
「あのまま死んじゃうとは思わなくて、あなたに何も言えなかったから、こうして喋れるように頑張ったの」
「……頑張ってなんとかなるもんなのか?」
「きっと長くは続けられないと思うわ。理力でなんとかなってるみたい。疲れるし」
妻を失うことは覆せないと察し、憔悴した声で呟いた。
「俺も、お前と一緒に連れていってくれ……」
それを聞いたレリアが悲しそうな顔をして告げる。
「ダメよ。あなたにはして欲しいことがあるから」
「ガキをよろしくって言うんだろ」
レリアは首を振る。
「違うわ。もっと別のこと」
「?」
少し考えてからレリアは切り出した。
「ビスタークが私のことを想って悲しんでくれるのは嬉しくもあるんだけど、今後を考えると心配なの」
「……」
何も言葉が出なかった。
「今の状態で赤ちゃんを育ててねって言っても無理でしょう?」
「……もしかして、死んでから俺のことをずっと見てたのか?」
「うん」
途端に恥ずかしくなった。全部見られていたのかと。丸一日何もせず、ただ呆然としていただけの自分を見ていたなら心配にもなるだろう。
「あなたは本当に私を愛してくれてたんだなあと思って、悪いけど嬉しくなっちゃった」
「やめろ。言うな」
「ふふっ。生きてるときからわかってたけどね」
レリアはおどけてそう言った後、真面目な表情になり頭を下げた。
「頑張ってなんとかしようとしてくれたのに、生き返れなくてごめんなさい」
「何度も謝るなよ……」
「あなたを幸せにするって約束したのに」
「それはもうしてもらった」
からかわれて恥ずかしい思いをした後に急に深刻な話になり感情の浮き沈みが激しい。妻は自分を何度泣かせるつもりなのかと胸が苦しくなる。
「疲れて出てこれなくなる前に、大事なことを言うね」
「何だ?」
「この前ホノーラさんたちへの手紙に書いておいたの。『万が一私に何かあったら赤ちゃんをお願いします』って」
「え……」
出産後見舞いに来ていた二人に手紙を渡していたのは見ていた。そんな内容だったとは。
「だから、あなたにつらい思いをさせながら育ててもらおうとは思ってないの。他にして欲しいこともあるから」
「……して欲しいことって?」
先程から怪訝に思っている。てっきり息子を頼むという話だと予想していたからだ。今の自分に任せたら息子を殺されてしまうかもしれないと思ったのだろうか。自分でもそう考えるのだからレリアがそう考えていても何もおかしくはない。
「お父さんたちのこと」
「ストロワ達のこと?」
「そう。何だか引っかかって……新しい人のこと」
手紙に書かれていた神官候補にと考えているという女性のことである。
「ああ、そっちか……。あれから手紙が来なくなったもんな」
「そろそろ炎の都の試験は終わってると思うんだけど、どうなったか気になって」
手紙が来なくなって半年は経っている。
「まだ新しい奴は信用されてないってことなのか?」
「単純に手紙を書くのを忘れてるだけかもしれないけどね。それかどこかで紛失したとか」
「次は時の都か光の都だよな?」
「うん、あとその二つね」
水の都で出会った時にレリアは都の半分の試験を終わらせていた。水、命、炎が終わったとすると残り二つとなる。
「で? 俺に様子を見に行けって言うのか?」
「そう。それなら私がいなくてもあなたの気が紛れると思って」
「そうだな……それがいいかもな……」
ここにいてもつらいだけだ、という言葉は飲み込んだ。それを誤魔化すようにおどけて言う。
「お前のいない日常に耐えられそうもねえしな。俺はお前より心が弱いからよ」
「まだ根に持ってるの?」
「……まあ事実だしな」
ビスタークは自嘲気味に笑みを浮かべる。
「今お前が出てきてくれて良かった。あんな風に逝かれてしまって後悔しか無かったからな」
「それは本当にごめんなさい。私も死ぬつもりなかったから」
「ガキを育てられる自信なんかねえし、お前の提案通りにするよ。ただ、ジーニェル達がガキ育てるのを了承するかはまだ確定してねえよな」
「うん……」
「まあ、そしたらニア姉に頼むだけだ」
我が子を想い心配そうなレリアを気遣う。
「お義姉さんはもう三人もお子さんがいるから、押し付けたら迷惑だと思って……」
「ジーニェルんとこは子ども欲しそうだったし、昔俺を引き取るつもりもあったらしいからまあ大丈夫だろ」
「うん、私もそう思ったから手紙を書いたの」
レリアは少し間を置いてビスタークへ要望を伝える。
「でも、あの子の名前はあなたに決めて欲しいと思ってる」
「あ? 引き取り先で決めるほうがいいんじゃねえか?」
「これは私のわがまま。お父さんとして決めてあげて欲しいの。親子の繋がりを作っておいて。私からの最期のお願い」
その言葉が重くのしかかる。
「最期って言うなよ……。ずっとそばにいてくれ」
「言ったでしょ、疲れるって。たぶん疲れすぎると悪霊になるんだと思う」
「そうか……」
「寂しくないように、輝星石をあげるね。私の石袋の中を見て」
そう言われて先ほど出してきたレリアの石袋の口を開く。
「その銀色の真ん丸の石がそうよ。これから星になるから、その石で私の星を見つけて。いつでも空で見てるから」
「俺はこの石持ってなかったから助かる」
輝星石を取り出して握りしめた。今後、レリアの星と繋げてくれる大事な石だ。今感じられる二つの星はおそらく両親のものだろう。レリアの魂が昇り星となった後はおそらく妻の星だけが感じられるようになると推測していた。
「神の子が降臨しそうだって話はしたよね?」
「それがヤバそうだって言うのか?」
「わからないけど、何か嫌な予感がするの。だからお父さんたちの助けになってほしい」
「合流できてもお前を死なせたって責められそうで気が重いな」
「兄さんはそうかもしれないけど……お父さんはそんなこと言わないよ」
「まあ、ストロワはそうかもな」
ストロワはとても穏やかな人格者だった。確かにそんなことは言いそうもない。キナノスとエクレシアには何を言われるかわからないが。
「そろそろ、休むね。空へ昇る前にあと一回はあなたの前に出てきてお別れを言いたい。そのためにもそれまで休むね」
「絶対だぞ。そう言いながらこれが最後になるのは嫌だ」
「うん。頑張るけど……もしダメだったときのために言っておくね」
そんな前提はやめろと文句を言いたかったが、霊魂の出現条件などわかるはずもない。大人しくレリアの言葉を待った。
「私ね、次に生まれ変わってもまたビスタークと一緒になりたい」
「……ああ、俺もだ」
「もしかしたら前の人生でも同じことを言ってたかもしれないわね」
レリアはふふっと笑う。
「今回出会えたんだから、きっと次も出会えるよね」
「ああ。絶対に見つける」
「私も。次は健康な身体に生まれてたくさんの子どもたちに囲まれてあなたと一緒に長生きするわ」
「そうしよう。平和で平凡な普通の人生を送りたいよな」
「約束ね」
「ああ、約束だ」
霊魂に触れることは出来ないが、抱き締めるように妻を腕で覆った。段々レリアの姿は見えなくなり、遺体だけがその場に残された。