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作者: 幸村京
残酷な描写あり R-15
私を縛る心の病
 ───生まれた時から、私は人の感情に支配されていた───



 私は青峰蒼子アオミネ ソウコ。当時16歳。女子高生。

 髪色は黒。瞳の色も。体型は細身。自分で言うのも何だけれど、所謂モデル体型だ。オープンキャンパスで東京の大学に行くついでに、せっかくだから少し遊んで帰ろうと思って都内を歩けば、それはもうスカウトの嵐だった。毎回断るのも骨が折れるものだ。

 モデルにならない理由は一つだけ。

 私は人と関わりたくなかったのだ。

 沢山の人に羨望と嫉妬の感情を向けられるような仕事は、絶対に私には向いていない。

 だって、私には人の感情を決めつけてしまう悪癖があったから。

 ───いつからか、だって?

 当時は知らなかったが、気がついた時にはそうなっていた。話を聞く限りでは生まれた時から有していたモノなのだよ。


 それでも小さい頃は大したことはなかったのだ。そもそも人の感情というものを理解していなかったから。

 理解し得えないモノは想像のしようが無いし感じ取れない。どうやらそれがの仕様らしい。

 小学校に入学したあたりからだろうか。ある日突然、人の感情を想像するとそれが増幅されていき、あたかもそれが正解であるかのような錯覚に陥るようになった。

 もっと詳しく聞きたいって?あぁ、君自身の事例と照らし合わせたいのかな。そうだね、例えば──────

 目の前の男の子が私の事を見ているとしよう。あの子はもしかして私の事が好きなのかな。だとすると、今彼は私をどんな目で見ているのだろう。あぁ、今目が合った。あれ、逸らされてしまった。緊張してしまったのかな。

 ───その「緊張してしまったのかな。」という推測を立てた時、私の能力はスイッチが入る。

 その緊張が膨張して私の心に広がっていくのだ。心の中で膨れ上がりきったその感情に対し、私の心はそれを正だと無理やり決めつける。

 結果、彼の内心に対する私の推測は、と自分の能力によって結論づけられてしまう。もしかしたら私の頭に虫が付いていて、それに気づかない私を間抜けだと思って見ていたかもしれないのに、だ。

 本当に厄介な能力なのだよ。他人が考えていることを想像するなんて限界があるのに。

 私の能力は決して心を読む能力では無い。人の心を推測したら勝手にそれが正解だと決めつけられるという、とんでもない能力なのだ。これはむしろ能力と言うより一種の病気なのだと、幼い頃の私は本気で思っていた。


 だが、それが普通の人は持ち合わせていない特別な力なのだと知ったのは高校に入学した時だった。

 今から丁度8年ほど前の事だ。あの男が私の元に現れたのは。



 ─1─

 ───2004年4月某日。

 ───県立真山女子高等学校。私、青峰蒼子が通っていた高校だ。

 ───なぜ女子校を選んだのか、だって?

 それは単純な理由だよ。男女の諍いに巻き込まれたくなかったからだ。単一の性別しか居なければ、異性絡みの問題が減るだろう。そうなれば、私にかかる心労も少しはマシになるという訳さ。アレは相当に複雑で面倒だからね。

 入学式を終え、各々の教室に案内された私達は、初対面となる担任から自己紹介と簡単なオリエンテーションを受けて夕方頃に解散した。

 ちなみに友達は出来なかった。私が誰とも目を合わそうとしなかったからね。

 まだ初日なのだから特段おかしな事は無い。周りからすれば、私の挙動は少々おかしかったかもしれないが。



 ─2─

 ───その日の帰り道。

 私の通学距離はおおよそ30分。自宅から徒歩5分の所にある停留所からバスに乗る。そこから15分程かけてバスを降り、終点である真山駅から10分歩いて高校に到着する。帰りはその逆をやる。


 その日は初の帰り道だったので、行きと同じ道を通っていてもどこか新鮮な気持ちを味わえた。田畑の中にぽつりぽつりと一軒家が立っているような田舎に向かうバスの車内は意外と混んでいて、辟易したよ。まぁ、人の顔さえ視界に入ってこなければ私のは姿を表さない。だから私は出来るだけ顔を俯かせて人を見ないようにしていた。

 


 人と関わらないようにそうしていたのに、意外と私は初日の登校に緊張していたのかな。バスが半分ほどその道のりを終えたところで、私の腹が異常を訴えた。


 あぁ、ここからは私の語り口より実際の場面を見せた方がわかりやすいか。すまないが少しだけ頭を借りるよ。



 ────────────────────

 修繕が間に合っていないガタガタの田舎道をバスが走る。

 バスが大きく揺れる度に、蒼子の胃はタップアウトした。もう無理ですと言わんばかりに。

 先程から気分が悪い。乗り物酔いなんてした事がないというのに、今日の彼女は体調が悪いのか、帰りのバスに乗ってしばらくしてから非常に気持ちが悪いのである。

(気持ち悪い…座りたいな…。)

 満席の車内で彼女が寛げる場所は無い。目の前の優先席にはスーツを着た男性が座っているし、「申し訳ないのですが気分が悪いので、席を譲って頂けませんか」なんて蒼子には言えない。この男の素性が分からない以上、どんな反応をされるか分からないからだ。

 もしかしたら快く譲ってくれるかもしれないが、もしかしたらものすごく嫌な顔をされるかもしれない。そうなれば彼女の心はこの男の感情を勝手に推測して、気分はもっと悪くなるだろう。そうなったら最後、すぐにでもこの場を汚物で荒らす確信が彼女にはあった。だから動くに動けないのだ。

(まぁ…降りるのは次のバス停だ…もう少し我慢すれば…。)

 顔面蒼白の状態で必死に口を噤んで堪えていた蒼子だったが、たった一人で苦しむ彼女の目の前にいた男は一時の救世主となった。


「あの、すいません…。僕の席座ってください…。」


 男の声が自分に向けられていると直感で理解した蒼子は、思わず少しだけ

「あ…。」

 ───下から覗き込むようにしている男の顔を、見てしまった。


 顔どころじゃない。ガッツリ目まで合ってしまった。こうなってしまってはもう祈るしかない。でも彼は自分から声をかけてくれたのだ。きっと100%の善意の感情が汲み取れるはずだ。もうそう祈るしかないだろう。そうじゃなきゃ困る。私は初日からバスでゲロなんて吐きたくない。


 ───頼む。それは切実な願いだ。


「あ…ありがとうございます…。」


 ───なんて優しい目なんだろう。

 思わず合わせてしまった少し上目遣いのその目は、とても優しい色をしていて。

 安心した私の目は、もう大丈夫だとほっとしたように上へ上へとズレていく。

 席を譲った男の目は、役割を終えたように下へ下へとズレていく。

 蒼子と男の空間だけが切り取られてスローモーションになるような感覚と共に、蒼子の目線は真っ直ぐ前を。男の目線はゆっくりと蒼子の顔の下あたりに。


(あれ…。)


 男の目が、蒼子の首あたりに到達する。


(こいつ…?)


 男の目が、蒼子の鎖骨。


(私の…)

 そして、蒼子の胸へ。


 ───最悪だ。勘弁してくれ。最後までキレイでいてくれよ。ここまで完璧だったんだから。


 普通の人なら不快感を感じるだけで終わるのだろうか。だが私にとってはそうはいかない。今から私の感情は、目の前の男の下心を感じ取って増幅させる。加えて今は状況が悪い。ただでさえバス酔いで気分が悪いのだから、

 ───男は完璧に、モデル体型の私の膨らみをじっと見ている。そこから読み取れる感情なんて一つだけだろう。こいつは、私をいやらしく──────


(うっ………!)


 増幅される感情はドス黒いピンク色をしていた。襲ってくる感情に陵辱される様な気分に吐き気は限界を迎え───


 ───若色〜若色です───

 もうダメだ。そう思ったのとほぼ同時に車掌のアナウンスが車内に響き、バスは停車した。若色は蒼子が降りるバス停だ。蒼子は真の救世主にすがるようにしてバスを飛び出し、バスが過ぎ去るまで最後の力で少しだけ堪えた。


 ────────────────────


「っぁぁ…。はぁ…はぁ……。」

(ここがド田舎で助かった。こんなの──────)

「年頃の女の子が見られて良い姿じゃない。そう思ってんのか。まぁ〜確かにそうだなぁ〜。ちっと気の毒だな…。」



(は?)



(見られた?どこだ?)

 蒼子は全身から血が引いていくような感覚を覚えたのと同時に、それまでの不調など嘘だったかのように勢い良く周囲を見渡した。

 そいつが見えたのは彼女の背後。一体いつからそこに居たのだろうか。ただ、そいつの発言からして私の乗っていたバスにそいつは居たのだろう。周りなんて気にしている余裕が無かった。せいぜいバスが過ぎ去るまで待つ事くらいしか出来なかった。

 私の痴態を見届けたその男は、白い短髪をしていた。前髪はアップバングにしていて、どことなく軽そうな雰囲気を醸し出している。

「あ…あぁ………。」

 漏れ出るような声しか出ない彼女にかけられた彼の言葉は、その時の蒼子にとっては理解し難いものだった。



「よう嬢ちゃん。謎多きイケメンはお好みかい?」



 アップバングにした白い短髪。

 まるで他者を排斥するような緋色の目。

 長身で細いが比較的ガッチリとした体を覆う、黒のライダース。



 漏れ出るような声しか出ない蒼子にニヤニヤと話しかけるその男は、彼女にとって真に救世主と呼ぶべき存在だった。






─────────蒼色の夜─────────


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