33話:葬儀
ロイヤルダークソサエティの重要拠点。
ビッグボックス壊滅作戦赤くひび割れた大地の上空は、モンスターの瘴気が霧となって視界を50メートルにまで絞り込んでいた。
メインセーフエリアの外縁、合金製の5キロ滑走路。その中央に、白銀のゴーレムギアを纏ったラスティが立っていた。
魔力の剣を腰に、髪を濡らす汗が瞳に落ちる。
ラーダーとしての仮面は完璧だったが、唇の端に苛立ちが滲む。
全域に、ネフェルト少佐の声が流れた。
『ブリーフィングを始めるわ。今回の標的はロイヤルダークソサエティの要塞ビッグボックス。彼らの最終目的は人類爆弾計画。ダンジョンが降ってときの混乱に乗じて生存者を攫い、痛みを感じず、命令に絶対服従するダークソルジャーに改造し、ダンジョン深層にある『超次元モンスターコア融合炉』の独占を目指しているわ』
超次モンスターコア融合炉は無限の資源を生み出すダンジョンの命だ。それを占領できればロイヤルダークソサエティの勢力は大きく伸びる。
『無限のエネルギーと資源を得れば、彼らは永遠に世界を支配できる』
ネフェルト少佐の声は冷たく、続けた。
『だから優秀なロイヤルダークソサエティの主戦力は温存。量産型のダークソサエティを数万の肉盾にして深層へ突入し、炉だけ奪って撤退するのが彼らの計画だ。それを防ぐためにビッグボックスを根こそぎ破壊してもらう。ラスティ、エクシア、デュナメス。そして後方管制のシャルトルーズ。これで十分でしょう。大元を潰せば、彼らの計画は終わるわ』
滑走路後方、管制室。
長い黒髪を耳にかけたシャルトルーズが、ホロディスプレイを睨む。琥珀の瞳がデータを叩き込む指先は、一切震えなかった。
「巨大推進加速装置、展開完了。魔力注入率100%。暴走確率1.2%。安定出力です」
全長80メートル、12,000トンの銀青の魚雷型ブースターが降下し、滑走路に固定される。尾部から魔力が放たれ、プラズマが噴く。膨大な熱が地面を溶かす。
まずラスティの背中が開き、コネクタが脊髄に直結。青い雷が走る。次にエクシアの右腕が《マグロ》と融合する。
魔力が目覚め、蒼眼が輝いた。
最後にエクシア。環境改変モジュールが同期し、魔力の軌跡を描く。
シャルトルーズのカウントが開始される。
『30秒後発進。距離2,300km。防衛戦線を突破し、ビッグボックスを完全に破壊してください。発進』
巨大推進加速装置マグロが咆哮した。衝撃は音より先に到来。マッハ5、マッハ8.7、そしてマッハ12.4。12,000トンの質量がビッグボックスの外殻を粉砕。
ラスティが魔力剣を抜き、雷を投射。要塞内部へ突入する。
シャルトルーズの声。
『破壊率25%。続けてください』
ラスティの侵入を許した。しかし後から続けてくるエクシアとデュナメスを迎撃するべく、敵は起動した。
「敵を捕捉。飽和攻撃開始」
800機のダークソルジャーが一斉に魔力弾を放つ。
直撃。魔力回路が共鳴し、高出力の火力が集中する。
デュナメスが静かに呟いた。
「おい、嘘だろ……つまらねぇ終わり方だ」
爆発。赤い超新星となり、要塞内部を呑み込む。
800機のダークソルジャーが蒸発。それを狙ってエクシアがビックボックスへ突撃する。外殻に巨大な亀裂が走る。シャルトルーズの声が震えた。
『報告。デュナメス……生命反応、消失』
ラスティは低く唸る。
「ビックボックスの損壊率は?」
「89%です」
「あと少しか。徹底的にやろう」
世界が赤く染まった。天蓋が崩落し、星のない空が覗く。
そこに立つのは金髪は逆立ち、金眼は溶岩のように煮えたぎっている
「ロイヤルダークソサエティは破壊する。こんなことを許しはしない」
掠れた声が雷のように轟いた。
「ダンジョンも、モンスターも、ロイヤルダークソサエティも。だから――」
両手を広げる。
魔力の残滓が暴風となり、魔力の残光が瞳に宿る。ラスティが十メートル先に立ち、初めて本物の恐怖を瞳に宿した。
「そこまで身を削る必要は」
「もう、遅いわ」
エクシアの肉体が輝く。皮膚が裂け、結晶が噴き出す。蒼瞳が最後にラスティを捉えた。涙はなかった。
ただ決意だけ。
「私は、殺す」
終焉の詩。第二の超新星がビッグボックス全体を呑み込む。残るダークソルジャー全機が塵となる。衝撃波は音速の百倍で広がり、大陸を震わせた。
ラスティは動かなかった。折れかけた魔力剣を前に突き出し、魔力の障壁を展開。
魔力と魔力と激突する。ゴーレムギアの装甲が剥がれ、肉が裂け、骨が砕ける。だが魔力は消えない。
静寂。ビッグボックスは消滅した。
ロイヤルダークソサエティの要塞は粉砕された。巨大なクレーターが刻まれる。その中心で、ラスティが膝をついた。魔力は消滅し、ゴーレムギアが削れていく。
エクシアの金髪は血と煤で黒く染まっている。
彼は呟いた。
「エクシア。君は強かいな。私には、そこまではできない」
遠く、シャルトルーズの声が途切れ途切れに届く。
『ラスティ様……! エクシア様の生命反応、微弱……!』
風が吹いた。
魔力の霧が晴れる。空に、星が灯る。初めて見る星だった。弱々しい声が、風に乗って届いた。
「綺麗な、星だ」
ラスティは目を閉じた。英雄の仮面は、もうどこにもなかった。残ったのは、ただの凡庸な男だけ。
星が瞬いていた。
ミッドガル帝国の首都の上で、静かに。
「エクシアとデュナメスを探してくれ」
『ゴーレム部隊を手配します』
アーキバス前線拠点・第七医療シェルター。
深度180m夜明けのない地下。
無機質な白光が、鋼鉄とコンクリートの壁を冷たく照らす。空気は消毒薬と魔力修復液の甘ったるい匂いで満ち、どこかで低く唸る換気音だけが、生きていることを思い出させる。
医療区画の最奥。
直径五メートルの耐爆ガラス筒が、天井から床まで貫くように据えられている。内部は蒼く透き通った修復液で満たされ、無数の気泡がゆっくりと上昇していた。その中心に、エクシアは浮かんでいた。金髪は血と結晶の欠片で固まり、まるで黒い棘のように逆立っている。
顔の左半分は火傷で赤黒く爛れ、右目の瞼はまだ開かない。胸から腹にかけては、魔力結晶が皮膚を突き破って咲き乱れ、まるで内側から凍りついた花弁のようだった。
右腕は肩の下十センチのところで欠損し、断面は結晶に覆われて光を反射している。数百本のチューブと魔力ケーブルが肉体を縛り、微かな電流が絶えず走るたび、わずかに指先が震えた。ガラスに額を押し当て、ラスティは息を吐いた。
外套は脱ぎ捨て、戦闘服の袖は肘まで捲り上げられている。左腕には、まだ乾かない血糊がこびりついていた。自分のものか、エクシアのものか、もうわからない。
「……私は君を尊敬する」
声は掠れ、ガラスに白い息が広がる。
「君が他者のために命を裂き、本気で怒れることを、すごいと思う」
隣に立つシャルトルーズは、ホロタブレットを胸に抱いたままその場に立っていた。長い黒髪が頬にかかっている。
「報告。現在の生存確率……44.8%。意識回復の見込みは、早くても後七十二時間。右腕の再生は不可能です。魔力結晶の侵食深度が限界値を超えています。このままでは、覚醒時に暴走の危険があります」
「構わない」
ラスティは静かに遮った。
「暴走しようが、壊れようが……生きてさえいてくれれば、それでいい。ちゃんと生きれるように私が守る」
彼はゆっくりと振り返り、医療区画の奥に並ぶ別のカプセルを見た。
そこには、もう誰もいない。
デュナメスの遺体は、爆発の衝撃でほとんど残らなかった。魔力鑑定でようやく彼だと判明した、わずかな組織片だけが、小さな容器に納められている。
ラスティは唇を噛んだ。
血の味が広がる。
「あっけない。こんな簡単に死ぬのか」
言葉は途切れ、拳が震えた。シャルトルーズが、初めて感情を込めて言った。
「慰め。あなたは最善を尽くしました。誰も、あなたを責めていません」
「でも私は、自分を許せないよ」
ふたりは長い沈黙に包まれた。
カプセルの中だけが、規則正しい心拍音を刻み続ける。
ビックボックス攻略戦から十四日後。
ミッドガル帝国首都・中央広場「黎明の碑前」朝だった。
数日ぶりに本当の朝が来た。瓦礫はまだ山積みで、ビルの骨組みが空を突き刺している。それでも、人々は集まっていた。
復興作業の作業服を着た者、包帯を巻いた兵士、母親に手を引かれた子供たち。誰もが、腕に黒い喪章を巻き、胸に白い花を一輪挿している。広場の中央に、黒い防炎布で覆われた巨大な棺が据えられていた。
長さ十二メートル、高さ三メートル。
それは一人のためではなく、ダンジョンの落下から始まり、ロイヤルダークソサエティの悪虐、ビッグボックスで失い、殺された無数の名もなき人々のための、象徴の棺だった。
棺の上には、新制「人類生存旗」が掛けられている。
青地に白い円環。
それは、滅びゆく世界でなお繋がれた、人類の絆の証。
儀仗兵が整列した。世界封鎖機構の黒礼服に銀の飾緒、アーキバスの紋章が胸で光る。銃を逆さに持ち、完全な静寂の中で敬礼する。
その背後で、二十一門の弔砲が天を仰いでいた。ラスティとネフェルト少佐が壇上に上がる。二人の軍服の襟は固く閉じられていた。
ラスティはマイクを握りしめ、ゆっくりと口を開いた。
「私達は今日、ここに立つ。涙を流すためではない。怒りを燃やすためでもない。ただ、忘れぬために。決して、忘れぬために」
風が吹き、旗がはためく。
「デュナメス。彼女の本名は、もう誰も知らない。
だが彼女は、最後に笑って死んだ。『つまんねぇ終わり方だ』と。私は、あの言葉を生涯忘れないわ」
彼女の声が、わずかに震えた。
「彼女は言った。『私の人生ピークだな』と。馬鹿なだった。でも、その馬鹿な彼女が、八百機の敵を道連れにして、仲間を護った。その馬鹿な少女が、我々に、未来をくれた」
広場に、嗚咽が広がる。
「ロイヤルダークソサエティはまだ滅んでいない。ダンジョンはまだ深く、モンスターはまだ蠢いているし、世界で暗躍している。だが、我々はもう、泣くだけじゃない。我々は歩き始めた。復興の槌音が、この街に響いている。それは、先達が遺してくれた希望の音だ」
ラスティは一歩下がり、ネフェルト少佐が前に出た。彼女は原稿を持っていない。ただ、集まった数万の人々を見据えた。
「私はただの軍人よ。終末装置に対応して世界を守ることを使命とする組織の軍人」
声は低く、掠れていた。
「完璧なリーダーでも、正しい存在でもない。我々は巨大な力を有しているけど、アーキバスを頼るしかなかった。ゴーレムを配備させて、ただ、見ていることしかできなかった」
風が強くなり、外套の裾が激しくはためく。
「でも」
彼女は拳を握りしめた。
「みんなたちが流した血は、絶対に無駄にしない。私は誓う。この星を、まだ終わらせない。私たちが、まだ終わらせない」
その瞬間。広場の端で、車椅子がゆっくりと進んできた。右腕は黒い義手に変わっている。顔の左半分には、まだ新しい火傷の痕が赤く残っていた。
エクシアだった彼女は車椅子を自ら動かしている。
ネフェルト少佐は言う。
「……みんなまだ生きてる」
広場に動揺が広がる。
「死んだ者達に報いる為に、生きなければならない」
彼女は右手を掲げた。
「意味不明な理不尽や、破綻した世界。それでも生きるわ」
その一言で、誰かが泣き崩れた。
次に、次に。やがて、数万の嗚咽が一つになり、朝焼けの空に吸い込まれていった。
ラスティはエクシアを見て、初めて笑った。涙で歪んだ、醜い笑顔だった。弔砲の最後の音が鳴り響く。
二十一発目。
朝日が、完全に昇った。瓦礫の向こうに、新しいビルが一本、骨組みを晒しながら立っていた。
その頂上に、人類生存旗が翻る。
まだ、終わっていない。
誰一人として、終わらせはしない。
彼らの物語は、ここから始まる。