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作者: Ganndamu00
32話:実験施設ネメシスコア
 空からダンジョンが落ちてきてから数日経った。
 大混乱は起きたもののミッドガル帝国は迅速にその混乱を収束させて、治安が回復していた。その過程で、ロイヤルダークソサエティは混乱が完全に収まる前に好き勝手しようと禁忌を加速させた。
 ダンジョン内部にいる魔物の臓器を人間に移植すれば、拒絶反応さえ抑えられれば、常人を超える力を得られる。

 それを目指したロイヤルダークソサエティの一派が実験施設「ネメシス・コア」で、誘拐した住民を素材に使って実験していた。

 地下300メートル。
 日の光が届かない、永遠の赤と黒の世界。警報が骨を削るように鳴り続ける。赤い回転灯が血の膜を壁に塗り、蛍光灯は白すぎて網膜を灼いた。

 空気は消毒薬と腐った肉と焦げた油の混ざった臭いで満たされている。ラスティは剣を逆手に握り、靴底でタイルを蹴った。床は冷たく、乾きかけた血痕が靴底に粘ついて離れない。
 ゴーレムギアの装甲はもはや白ではなく、黒と赤に染まっていた。青いマントは無残に裂け、端が血で固まっている。

 髪が汗と血で額に張りつき、頬を伝う汗に赤い筋が混じる。風読みの契約者である彼女は、風の精霊と交わした代償で、感情の起伏が激しい。

 今は怒りと悲しみが混じり、瞳が異様に輝いていた。

『報告。二十五メートル先の右折より量産型ダークソルジャー、三機確認。武装はガトリングとプラズマカッター。パイロットは全員生体融合済み、意識残存率八十七パーセント』

 通信機から流れるのは、輸送空母「クジラ」に待機するシャルトルーズの声。黒い髪の少女は、施設の全システムを掌握し、監視カメラのレンズを赤く瞬かせながら二人を導く。

 彼女の声はいつも冷静だ。通路を埋め尽くすように現れた三機のダークソルジャー。

 錆びた銀の装甲は、かつては美しかったのだろう。関節からは赤黒い潤滑油が糸を引き、床に滴る。
右腕の六連ガトリングが回転を始め、火薬と腐った肉の臭いが鼻を突く。

 左腕のプラズマカッターが唸りを上げ、青白い刃が空気を焼き、壁に焦げ跡を残す。パイロットの顔は半分が剥がれ、露出した筋肉が痙攣している。

 眼窩に埋め込まれた光学センサーが赤く脈打ち、縫合された口から泡と血が漏れる。

「辛いな」

 ラスティの声は掠れ、感情が抜け落ちていた。剣が青白く発光し、雷霆の魔力が渦を巻く。一歩踏み込み、剣閃。
 最初のダークソルジャーの胴が斜めに裂け、装甲が溶け、内部の生体組織が煮えたぎる。焼けた肉と油の臭いが爆発的に広がり、蒸気が噴き出す。

 巨体が膝を折り、床に崩れ落ちるとき、断面から赤黒い液体と白い脂肪が糸を引き、ゆっくりと広がった。

 エクシアは横をすり抜け、風を纏った剣を一閃。残る二機の首が同時に跳ね、頭部が床を転がる。
眼球が飛び出し、床を転がりながら壁にぶつかって潰れた。

 首の断面から脳漿と脊髄液が噴き出し、壁に赤白の抽象画を描く。二人は止まらない。息を合わせ、廊下を疾走する。ガラス張りの実験室が並ぶ区画。
蛍光灯の下、無数の惨劇が晒し者にされていた。

【実験室A-03 心臓移植応用試験】
天井から鎖で吊るされた中年男性。
胸が縦に裂かれ、心臓の代わりに赤い魔物の心臓が埋め込まれている。それは人間のものより三まわり大きく、表面に結晶が浮き、ドクドクと不規則に脈打っていた。血管のように伸びる管が機械と繋がり、血と魔物液を循環させている。男の目は開いたまま、涙と血が混じって頬を伝う。隣のトレイには、摘出された人間の心臓が転がっていた。
 まだ温かい。
 壁のモニターに表示された文字。成功率0.3%
 失敗例:結晶暴走→胸腔内爆発
 被験者No.117 生存時間 4時間12分


【実験室B-12 子宮内膜症治療応用】
 手術台に固定された三十代の女性。
 腹部が大きく開かれ、子宮が摘出されている。代わりに赤い魔物コア炉が埋め込まれ、脈打つたびに管が腸と連動し、排泄物と魔物液が混じった液体がバケツに滴る。
 女性の目は、覚醒剤の百倍とも言われる快楽で白目を剥き、口角から泡を吹いていた。隣のホルマリン瓶に、摘出された子宮が浮かんでいる。

 壁の記録。生産効率:0.8g/日
 副作用:腸腐食・永続的幻痛
 出産機能完全喪失
 被験者No.089 「もう子供は産めないけど、幸せです」と笑顔で証言

【実験室C-07 四肢切断患者救済プロジェクト】
 十歳前後の子供。両腕はチタン合金の義肢に置き換えられ、背中から冷却フィンが突き出している。
義肢の関節からは膿と油が滲み、床に黄色い水溜まりを作る。
 子供は口から血と胃液を垂らし、虚ろな目で天井を見つめていた。階段の踊り場。胸を開かれた子供の死体が転がっている。肺の代わりに魔物の臓物が詰め込まれ、まだ脈打っていた。
 摘出された人間の肺は、隣のトレイに置かれ、萎縮して黒ずんでいる。


 それらのデータを集めだデータバンクの扉。
 厚さ一メートルの特殊合金。
 ラスティは剣を構え、魔力を集中させる。剣先が白熱し、空気が歪む。
 一撃。
 扉が溶け、内部が露わになる。サーバーラックの冷気と、腐った血の臭いが混じり合う。

 中央のデータコアは、紅い羊膜のような膜に包まれ、胎児のように脈動していた。

「エクシア」
「ええ、情報を抜き取るわ」

 エクシアが前に出る。彼女は世界封鎖機構から渡されたアーティファクトをコアに刺す。サーバーが唸り、モニターに膨大なデータが流れ出す。

【プロジェクト“プロメテウス” 最終報告書】
A-001 両腕魔物コア義肢置換 拒絶反応で暴走 腕が自らパイロットを絞殺
B-112 脳内魔物コア注入 極楽状態 被験者「神だ」と叫びながら頭蓋を殴り潰す
C-009 子宮魔物コア炉改造 出産時に子宮が裂け、内臓が飛び散る映像あり
D-045 眼球魔物コアセンサー 緑内障完治 副作用:常時幻覚 被験者「虫が這う」と叫び眼球抉り出し
E-300 全身80%ダークソルジャー化 パーキンソン病抑制成功 感情回路削除 家族写真に無反応、涙腺のみ残存
F-019 脳死患者脳再起動 成功 記憶喪失 家族の名前を叫びながら頭を壁に打ち続ける
G-077 脊髄魔物コア置換 歩行回復 感覚過敏 触れるだけで絶叫、皮膚を自ら剥ぐ

「酷いな」

 ラスティの喉が鳴った。声にならない声だった。エクシアがデータを吸い上げながら呟く。

「生きている実験体、地下四階、生体実験区画。総数百二十七名。うち子供四十名。全員、意識あり」

 彼女の声が割れた。蒼色の瞳に涙が浮かぶ。

「行こう」

 ラスティが剣を握り直す。
 エクシアが頷く。

「全員、連れ帰りましょう」

その瞬間、地下四階から這い上がってきたのは子供の泣き声。
 肉を焼く音。
 機械の唸り。
 血と腐敗の臭い二人は駆け下りる。階段を飛び降り、扉を魔力で溶かし、飛び込んだ先は、すでに地獄の底だった。

 地下四階 生体実験区画ネメシス通路は赤い照明に染まり、排水溝を血と体液が流れ、赤黒い川を作る。

【室-03 子宮炉増産実験】
十歳から十二歳の少女が三人が並べて固定されていた。腹部が開かれ、子宮が魔物コアに置換されている。炉は脈打ち、少女の小さな体を内側から焼きながら魔力結晶を生産していた。

「お腹が……お歌を歌ってる……」

少女は焦点を失った目で天井を見つめ、口角から泡
を吹いていた。

【室-05 ダークソルジャー幼年パイロット育成計画】
 五人の子供が、小型ダークソルジャーのコクピットに強制接続されている。神経が直接機械と繋がれ、痛みは百倍に増幅される。
 一人の少年が、機械と混じった声で呟いた。

「……お母さん?」

 中央ホール。百二十七の強化ガラス檻が整然と並ぶ。全員が意識があり、全員が声を上げていた。

「助けて……」
「痛いよ……」
「ママ……どこ……?」
「もう……殺して……」

 エクシアが風を巻き、ガラスを粉砕する。
 ラスティが雷霆で檻のロックを焼き切る。だがその瞬間――ホール奥の巨大な扉が開いた。重装型ダークソルジャー「プロメテウス・シリーズ」十二機。

 金髪は油にまみれ、眼窩は赤いセンサー。肋骨の間から火炎放射器が突き出され、ハンマーアームが溶接されている。巨人の巨体を縮め、アマゾネスの敏捷性を維持した最終形態。

「殺す……助けて……憎し……はぁばばは」

 合成音が重なり合い、怨嗟の渦を巻く。ラスティは剣を構え、全魔力を解放した。魔力がゴーレムギア全体を覆い、髪が逆立つ。

「あまり良い気分じゃないな。せめて安らかな眠りを与えよう。ごめん」

 戦いが始まった。十二機の包囲網。
 火炎放射、プラズマカッター、ハンマーの嵐。ラスティは盾となり、全ての攻撃を受け止める。甲冑が焼け、肉が焦げる。それでも一歩も退かない。エクシアは風の残像となり、背後を突く。
 一機、また一機。
 首を刎ね、胸を貫き、血と油と火花を撒き散らす。合成音の断末魔が重なり、ホールに響き続ける。最後のプロメテウスが膝をついた。

 かつての人間だった残骸。
 首を飛ばされる寸前、機械の声が途切れ途切れに漏れる。

「………………ありがとう……」

 静寂。
 ホールは残骸と血油の海。床は膝まで浸かるほどに液体で満たされていた。

 七時間後。世界封鎖機構汎用輸送型航空戦闘空母「クジラ」格納デッキ。二十四基の治療カプセルが整然と並ぶ。

 救出した百二十七名のうち、生きてここまで運べたのは二十四名だけだった。残りは輸送中に魔物コアが暴走し、胸が爆発したり、頭を壁に打ち付け続けて死亡した。自らカプセルを開け、首を吊った。

 一番前のカプセル。
 一人の少女が残った。重傷で、顔の半分が機械化され、声は失われている。死体のはずの唇が、わずかに動いた。

「ありが、とう……」

 機械合成音。
 エクシアの頬を、涙が伝う。エクシアはカプセルの前で膝をつき、握る手が白くなるほど強く握りしめていた。涙が床に落ち、音を立てる。シャルトルーズはモニターを見つめたまま、静かに呟いた。

「殺すわ。ロイヤルダークソサエティ。資金提供した国家。実験を黙認した全ての存在。皆殺しよ。こんなことを許しはしない」

 ラスティは無言で踵を返す。
 血と油に汚れた白銀の装甲は、もはや銀ではなく黒に近かった。破れた青いマントが、床に血の跡を引く。魔力の剣を消滅させ、誰にも声をかけず、出口へ向かう。
 背中が遠ざかる。
 ドアが開き、閉まる。クジラの四基の魔力エンジンが低く唸り始めた。
 高度一万メートル。
 雲の上を滑るように進む。
 次の戦域へ。
 次の地獄へ。
 甲板に立つラスティは、空を見上げ た。
 空は、永遠に夜だった。
 オーロラが揺れ、血のような赤と毒のような緑が混じり合う。彼は誰にも聞こえない声で呟いた。

「やりきれないな、これは」

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