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作者: 水無月 龍那
残酷な描写あり
5.うちの自慢の座敷童だから

「っ!」
 気付いたら、その子をお兄さんの前から引き剥がし、床に叩きつけていました。
 どうしてそれだけの力が出せたのか、動けたのかも分かりません。
 ただただ、胸が苦しくて。辛くて。
 目の前の物を受け入れたくない。
 そんな。単なるワガママのような衝動だったのかもしれません。

 ぽたぽたと落ちる涙が、袖に赤いシミを作っていきます。
「……どうして、お兄さんが……倒れて……っ、刺され、て……るん、ですか!」
「どうして?」
「だって。そんなこと、あるはず……させないって。思って……」
「あるはずない、なんて」
 琥珀色の目が、ボクの眼を覗き込んで言います。
「事実、そうじゃない」
「――っ」
 突きつけられた言葉に喉が詰まった瞬間。
 身体が浮いて、勢いよく吹き飛ばされました。
 壁に叩きつけられた衝撃で呼吸が一瞬止まって。頭の奥がくらくらします。
「残念ね。貴方の“お兄さん”はもう居ないわ」
 立ち上がって服を整えながら、女の子は嬉しそうに笑います。
「……それは」
「本当よ」
 落ちていたガラスの小瓶がひとりでに転がってきて、ボクの前でことん、と立ちました。赤黒く汚れた瓶の底に、同じ色の水滴が揺れています。
「血……?」
「そう。これがうまくいけば、あの身体をテオのものにできる」
「どう、して……?」
「彼には、新しい身体が必要だから」
「……?」
「大事な人なの。物を動かして音を立てる位しかできなかった私を、怖がらずに受け入れてくれた」
 なのに、と視線が動いて。睨むようにお兄さんを見ました。
「あの夜。彼は帰ってこなかった。バラバラになって、暗い路地に散らばってた」
「いったい、何の話……」
「なんとか繋ぎ合わせたけど、それはもう、応急処置を施しただけの容れ物。一度死んだ身体は、時間が経てば劣化する。だからちゃんとした身体をあげなくちゃ。それなら――テオを殺した本人に、責任を取ってもらうのが一番じゃない?」

 何の話をしているのか、全然分かりませんでした。
 でも、ひとつだけ分かることがあります。
 この人は、お兄さんの身体を奪おうとしている。

 ボクも同じようなことをしています。だから、責めることはできません。
 でも。
 ボクは座敷童だから。この家に住んでいる人を。お兄さんを。
 不幸にするような事は絶対にしたくありません。
 
 それなら、ボクはどうすべきなのでしょう。何ができるのでしょう。
 何か。なにか。なにか――……。
「……っ」
 でも、考えるほど何もできないと分かってしまって。
 家の中の悪い物を追い出す力すらないという無力さが、悔しくて。
 自分の中に何か重たい物ががぐらぐらとしてきて――。
 
「――ふうん。変わった力の使い方ね?」
 首を傾げて、その人はぽつりと言いました。
「え……?」
 ぐちゃぐちゃとしていた感情が途端に取り上げられて、ぴたりと止まりました。
「えっと。座敷童、だっけ? 貴女、そうなんでしょ?」
「……」
「あの吸血鬼が言ってたわ。人間じゃないってことよね?」
「……はい……」
「そうね。よく見れば人間じゃないのは分かるわ。でも、間違うくらい弱そうだし……。んー。座敷童って何なの?」
 そう、問う声は、心の底から不思議そうでした。
 座敷童を知らない、単純な疑問だったのでしょう。
 でも、ボクには、ボク自身の在り方そのものを問われているように感じました。
「座敷童、とは……家に幸運を運ぶ、存在です」
「幸運? 具体的に何かできるの? 影を操ったり、物を自由に動かしたり?」
 ボクは首を横に振ります。
「いえ……そのような、ことは……」
「そこに在るだけで幸運を呼び寄せるってことかしら……?」
 頷いたボクを見た彼女は「ふーん……?」と、首を傾げて。
 
「呪いの宝石みたいね」
 そう、言いました。
 
 呪いの宝石。そうかもしれません。
 ただ居るだけで、その家の幸せを積み上げて、崩していくだけの存在。
 座敷童だと言われるがまま信じ込んでいるだけの、違う何かかもしれません。
 だって、ボクは作られた存在です。
 
「そうかも……しれません」
 でも。は喉に詰まりながら出てきました。
 
 座敷童ではないかもしれないけれど。
 座敷童として作られたのだから。

「ボクは……座敷童、だから。お兄さんは」
 ぐっと、息を飲んで。言い切りました。
 
「むつきさんは、絶対っ、不幸になんか……させないんです!」

「――そうだね、さすが我が家の座敷童」

「「!?」」
 突然の声に、ボクと女の子は一緒に同じ方を見ました。
 いつの間にかお兄さんは目を覚まして、こっちを見ていました。

 きっと、同じくらい驚いた顔をしていたのかもしれません。
 何があったのか分からない。
 目の前の物が信じられない。
 嬉しさか驚きとか、戸惑いとかが混ざってよく分からない。
 そんな顔だったのでしょう。

「二人ともそんなに驚かないでよ」
 身体のあちこちに刺さっている物を抜きながら、お兄さんは笑いました。
 顔色は良くありません。でも、声はしっかりしているように思えます。
「吸血鬼が簡単に失血死とかしても困るでしょ」
 片手で持てなくなった物を横に置いて、お兄さんの言葉は続きます。
「それに、こんな事でしきちゃんの自称保護者に説教されるのはゴメンだし、他人に僕の身体を明け渡すなんてもっとだ」
 最後のひとつを床に放ると、相槌のようにかつんと音がしました。
「これでいいかな……うん」
 身体を一通り確認して、お兄さんは近くへやってきました。見下ろすようにボクを……いえ、女の子の方に目を向けました。
 お兄さんの青い目が、女の子をじっと見ています。
「貴方……ねえ、テオは――」
「君さ」
 言葉を遮ったお兄さんの目が鋭く光りました。
「テオと一緒に居た子でしょ」
「え、ええ……そう、だけど」
 気圧されたのか、戸惑いがちに答える彼女に、お兄さんはにっこりと笑いかけました。
 
「そう、じゃあ。片付けとくからさ。連れてきてよ」
「え」
「テオ、居るでんしょ? だから」

 ちょっと話をしよう。
 
 そう言ったお兄さんの顔は。
 いえ、ボクもお兄さんの表情を多く知っている訳ではありませんが。

 お兄さんの顔はとても楽しそうで。
 青い瞳は冴え冴えと冷たくて。
 なんだか背筋が寒くなりそうな、冷たい笑顔でした。
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