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作者: 水無月 龍那
残酷な描写あり
5.結果としては喜ばしいことだろう?
 彼女の答えはなかった。
 良い家だったか。そうでなかったか。きっと判断基準を持たないのだ。
 この家だけを見て、この家の中だけで過ごしてきたのだから。

「難しいことを聞いたね」
 言葉をかけると、ふるりと頭が揺れた。
「ねえ。君はこの家を守りたい?」
 彼女はこくりと頷いた。
「この家がなくなったら……君はどうなるのだろう?」
 しばしの沈黙の後、首が左右に振れた。分からないのだろう。
 消えるのかもしれない。あるいは、この地に縛られ続けるのかもしれない。
 ――ああ、その可能性があった。
「君はもしかして。この家の血に、縛られているのかい?」
「……」
 答えはなかった。私はそれを肯定と捉えた。
「――そう。ならば、私もここで果てることとしよう」
 弾けるように彼女の顔が上がった。くるりとした目が、絶望したような色で私を見る。

 あんなに死にたくないと思っていたのに。
 彼女を想うなら、それすら捨てられるような気がした。
 私の家の座敷童。
 彼女の幸せのためには、この家はもう不要だ。
 しかし、彼女はこの家の血に縛られている。

 そう。血に。

 それならば。私の血を彼女の居場所にすればいい。
「大丈夫。血が絶えれば、君はこの家から解放されるだろう」
 それだけでは足りないのも分かっている。

 彼女の血は、この家にある。
 祀り棚の下。土間の隅。
 その土の中に、彼女の血は染み付いている。

「君が守るべき家を絶やした私は、この家の禍だ。ならば君は私を赦しはしないだろうね」
 彼女は怯えた目で私を見ている。恐ろしいのだろうか。無理もない。
「赦しは要らない。それでいい」
 私は彼女の手をそっと取った。
「もし、血が君の居場所なら。私がそれを与えよう。私が君の居場所になると約束しよう」
 吐息が。手が震えている。ひどく冷えている気がする。
「考えなくて良いんだよ。私のことなど、忘れたって構わない」
 手を優しく握り込み。額を寄せ。
「この血で。私の命で君をこの家の呪いから解放できるなら――」

 唐突に。感覚が戻ってきた。

 僕の手にあったのは、大きく筋張った。けれども病に細ったような――男性の手。
 それは座敷童の女の子――しきちゃんの手じゃなくて僕の前に膝をついた彼の手だ。
「いや、待ってよ。何でそこでお前の手なの!?」
 その手を咄嗟に払いのけ、全力で嫌な顔をしてみせると、彼は小さく笑った。
「いやすまないね。此処が私の最期なのだよ」
 最期。それは命の終わりを意味する言葉だ。僕はそれを否定して首を横に振る。
「嘘だ」
「嘘じゃないさ」
「最期だって言うんなら、死に際まであるはずだろ」
 僕の言葉に彼はきょとん、と瞬きをして。くつくつと笑った。
「そうだね。うん。その通りだ。察しがいい」
「……馬鹿にしてる?」
「そのつもりは無いよ。気を悪くしたなら謝ろう」
 彼は貼付けた笑顔のまま両手を上げてひらひらと振ってみせた。
 その笑顔に何故か、親兄弟を殺めた時の心境を思い出す。

 あの時。彼はきっと笑っていたのだろう。
 穏やかに。清々しく。
 それこそ晴れ渡る青空のように。

 比例するように僕の気分は悪くなっていく。
 まるで霧の街の曇天のように。

「――まあ。あれから先を話すなら。私は彼女をあの家から解放するに至りましためでたしめでたし。という訳だよ」
「うわ、信用ならない」
 率直な感想を述べると彼は「本当なんだけどなあ」と笑った。
「で?」
「うん?」
 僕の不機嫌な声にも彼は穏やかな返事をする。
 人を殺めていた事に関しては、僕は文句を言えない。
 けれども。

 ぽろぽろと零れる彼女の涙を思い出す。
 しきちゃんをあれだけ泣かせておいて、どうしてそんなに笑っていられるのか。
 いや。きっとそこも……文句は言えないんだろうけれども。
 言わずに居られなかった。

「彼女をあんなに悲しませて、泣かせておいて。どうしてそんなに笑ってられるのかだけ教えてよ」
「簡単な答えだよ」
 彼はどろりとした笑みを浮かべる。
「私はあの場で彼女を家から解放した。結果、あの家から外に出られるようになったんだ。あそこでは泣いていたかもしれないが、結果としては喜ばしくないかい?」
「……」
 どうやって解放したか、は聞きたくなかった。
 こんな事態に至った原因。しきちゃんからの話。今見た光景。
 それで容易に想像はつく。
 
 この灰色の髪の青年は、自害したんだ。
 彼女自身にその血を浴びせ、染みこませ。己の存在を刻み込んだ。

 今回の件まで意識したことはなかったけど。血に魂という物が混ざっているのなら、僕も数多くの命をこの身に取り込んできた可能性がある。
 そしてそれは、きっと真実だ。
 だから、僕はしきちゃんの血を飲んだことで彼までも取り込んでしまった。
 そしてこの状況に至ったのだ。

 考えるだけでなんだかイライラしてくる。
 何か言ってやりたい。けれども何と言えば良いか分からない。
 そんな僕に、彼は溜息をついた。
「もう良いかな」
「何が」
 低温の返事にも彼の反応は変わらない。
「これ以上話すことはないだろう? 私は君の夢を見た。君は私の夢を見た。これで君はどっちがどっちか分からなくなるだろうさ」
「いや」
 思わず反論する。
「僕は僕だ。彼女にも言ったけど、僕はこれまで数えきれない程の命を糧にしてきた」
「それが?」
「だから、だよ。たったひとりの命に。想いに。僕がここで負ける訳にはいかない」
「意地だね」
 悪いか、と顔を背けると彼は何を読み取ったのか「良いと思うよ」と言ってきた。励ますようなその声にも何か裏があるような気がして、素直に受け取れない。
 というか、彼の言葉を素直に受け取る気なんて完全に失せていた。
「でもね。君は知って、実感して、思い知るべきだ。想いは時に呪いへと変化する。それはひとつという単位でくくるべきではない。呪いと化した想いは、その」
 僕を指差したのか、衣擦れの音がする。
「身体と心を蝕むという事を。気付いているだろう? 彼女に対する共感が。感情が、衝動が、君と私、どちらの物か分からなくなってきている」
「……」
 言い返せなかった。

 彼女の語ってくれた境遇に、僕と似た所があったという親近感。
 血を吸ってから感じている、言いようのない感情。
 茶色い目を鏡で見た日から、夢に現れては消えていく影に沸き上がる衝動。
 確かに呪いとしては上等だ。
 身体を乗っ取られそうになる程の感情が、一体どこから出てくるのか分からなかった。
 自分の血に混じっている呪いだと彼女は言っていた。
 それを僕が吸って、取り込んでしまったからだと。
 それだけじゃなかった。
 
 僕と彼女の。彼女と彼の。彼と僕の。想像以上に重なる境遇を持つという偶然が、それらを結びつけた。だから、彼の呪いは彼女と同じくらい、僕を蝕んでいる――。

 答えないでいると、彼は「そう言う訳さ」と言った。
「答えが見えただろう? たったひとつ。されどひとつ。私と君の境界は、これからどんどん曖昧になる。そうしていつかは、私は君として。君は私として生きるんだよ」
「……」
「ふふっ、沈黙かい? 私は別に構わないよ。このまま感情を拒絶して苦しむのと、身を任せて楽になってしまうの、どちらが彼女の幸せになるか考えてみると良い。君の過去も私の過去もそう違わない。ひとつになった所で、君の殺めた数が大きく増える訳でも――」

 何が引っかかったのか分からない。
 けれども頭の中でぷつ、と小さな音がした。

「う、る……さいっ!」
 思わず彼の頭を掴んで床に叩き付ける。ごがん! と頭が床板を割る音がした。
「ああやかましいやかましい! 貴様が僕と一緒になるだと? 勝手に重ねるな! お断りだ! ああ死んでもゴメンだね!」
 ぎりぎりと頭を押さえ付ける。灰色の髪が指に絡む。彼は何も言わない。何の反応もない。もしかしたら頭を割ってしまったのかもしれないが、これは夢の中だ。僕の、夢だ。知った事ではない。夢の中でないのならば、このような亡者は改めて亡き者にせねばならない。
「それが貴様の挑戦だって言うんなら受けて立ってやる。誰がなんと言おうとこの身体は僕のものだ。感情も罪も僕のものだ。貴様の罪は貴様で抱えろ。勝手に合算なんてされてたまるか。誰にも渡しはしない。何が何でも。何度でも。捩じ伏せてやる!」
 一気に捲し立て、大きく息をつく。手の下の頭は何も言わない。
 僕の荒い息と声の残響だけが残る。
 あまりに反応のない手の中に不気味さを覚えた瞬間。
 
 どんどんどん!
 何かを叩く音が響いた。
 
「――!」
 何事かと向けた視線の先には、土間と外を隔てる戸。音に合わせて大きく揺れている。
「ああ、時間切れみたいだ」
 そんな声と共に、押さえ付けていた感覚がふっと消えた。支えを失った僕の腕が割れた床板に飲み込まれ、バランスを崩す。
「っ!」
 慌てて引き抜こうとした手に、割った板が刺さる。痛い。いや夢だ。構わず引き抜くと、ばきぱきという音と共にあちこちが引き裂かれ、板片をくっつけた手が抜けた。立ち上がりながら大き目の欠片を引き抜くと、血が手を濡らした。
 青年は割れた額から血をだくだくと流して、僕と戸の間に立っていた。
「このまま君が自分を見失ってくれたら隙が出来たんだけど――邪魔だねえ。勘のいいのはこれだから困る」
「何が」
 彼は答えないまま、戸に突っかかっていた心張り棒を外す。
「ほら。落ち着きなよ。あれは――君の友人じゃないかな」
「え」

「――須藤!」
 その戸の向こうから聞こえる声。その声はよく知っている。柿原だ。
 腕の傷の痛みも、彼への憤りも、全てが真っ白になった気がした。
 どうして、という僕が漏らした疑問に彼は「さてねえ」と曖昧な笑みを返す。
「ほら、さっさと此岸にお帰りよ。私はいつでも君を見てるし、隙を見せたりしたらその時は――分かってるよね」
「うるさい。そのような隙見せたりするものか」
 睨み返すと、彼はやっぱり泥のように穏やかな笑顔で「そうだね」と戸を引いた。
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