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作者: 櫻木創人
プロローグ
5月は初夏と言うに差支え無い。

まさに夏の入り口といった陽気。ちょっと気の早い太陽の光が降り注ぐ街中を歩きながら、半袖で過ごすくらいがちょうどいいな、と呟いた。

週末、天気に恵まれているということもあって街はごった返していた。内外問わず観光客が尽きることの無い場所柄とはいえ、この時期は特に多い。仕事先に少し歩いていくだけでも揉まれたくらいだから、観光地ど真ん中はどんな風だろうかと考え、想像するだけで疲れてしまいそうだとすぐ考えるのをやめた。

向かっている目的地、バイト先は観光名所の近くにある。といっても間近ではなく徒歩10分くらいの、観光客が通りやすい大通りから一つ分だけ奥に入った静かな通りの中。閑静という言葉がこれほど当てはまる場所も珍しいが、そんな場所で客商売をするのもどうなのだろうか、と思う。思ったところでどうしようもないし、どうする気も無いのだけれど。

昔ながらの喫茶店のような見た目の、よく言えば雰囲気がある、悪く言えばリフォームをケチっているような建物が僕のバイト先、『休憩所さらだぼうる』だ。

「いろんな種族が行き交う世の中、色んなお客さんがゆっくりできるように先代が命名したんだよ」と、いつだったかマスターはそう言っていたが、マスターは結構適当な人だからその逸話もあまり信頼ならない。いや、ほとんど、大方、九分九厘信頼ならない。

少し重たい木の扉を引いて開けるとカランカランとベルの音がする。まだお昼前の店内はがらんとしていて、お客さんは誰もいない。

「お、お出ましだねえ。」

カウンターの中で暇そうに文庫本を読んでいたマスターがからかうように力の抜けた声を掛けてくる。基本的にこの時間はお客さんがいないから、マスターはカウンターの内側で本を読んでいる。奇麗に切りそろえられた短い黒髪、整った顔立ち、すらっとした体型。芸能人にも引けを取らない見た目だな、と思うが、それを本人に言うことは無い。言った先の未来が良いものには思えないからだ。大方、好意を持っていると勝手に思い込まれてイジられる、お客さんに話を盛られたうえで言いふらして変な噂が立つ、ルッキズムがどうのと言って煙に巻かれる、辺りは予測できる。もしかしたらこれ以上もありえると考えると、触らぬ神に祟りなし、というやつだ。

確かにマスターは容姿端麗で、お客さんに対しても気配りが出来る大人の女性なのは間違いない。
ただ、それ以上に変人である。「自分は月からやってきた」などと妙ちくりんなことをいって憚らないし、営業時間の間ずっと店にいるから、いつ寝ているのか分からない。誰もマスターの年齢や本名、種族を知らないし、200年前の写真にそっくりな人が写っているだの、1000年前の文献の逸話にそっくりな人が出てくるだの、不思議な噂が事欠かない。本人もそれを否定しないから余計質が悪い。

善人で変人、マスターを形容するならそんな言葉になる。

「街中、今日もすごい人出でしたよ。」

「まー、週末だからね。私達にはあんまり関係ないことだけど。」

文庫本を片手にニヒヒと笑いながらマスターは言った。確かに特殊な営業形態の上、やる気があるのか分からない立地のこの店には関係ない話ではある。

休憩所ウチが特殊な点はいくつかある。年中ほぼ無休。決まった休みは年に一回しかなくて、時折突発の休みがあるくらいである。営業時間も11~16時、少しの休憩をはさんで18時~7時までというほぼ24時間営業。そして、何でも作る。酒類以外、公序良俗に反するもの以外で、出来る範囲のものならなんでも作る。もしこの環境だけを見せられ、この店で働けと言われて首を縦に振る人ははいないと思う。いたとしたら相当に死にたがりか、死んでも死んだと気づかない人だろう。

そんなことを言いながらお前は実際働いているではないかと言われそうだけれど、意外なことに僕の労働環境は良識に基づいている。寧ろ、そこいらの労働者より恵まれていると言える。

出勤時間も常識的な時間だし、都合に合わせてもらえるし、賃金に文句もない。住むところも世話してもらっており、頭を下げても下げ足りないくらいだ。

そんなちょっとおかしなこの場所にやって来るお客さんは、種族も、性格も、好みも、抱える事情も様々である。人生バラ色、何の不安もなさそうなヒト、毎日不平不満と戦っているヒト、生きていくことに疲れ切っているヒト、この店で働いていると色々なヒトがいて、退屈することは無い。そんな様々なヒトたちが忙しい人生の中でゆったりとしたひと時を楽しめるように、というのがこの店のモットーだ。

「それじゃあ今日もよろしくね。」

「はい。よろしくお願いします。」

マスターと挨拶を交わしてまた一日が始まる。さぁ、果たして今日はどんなお客さんがやって来るんだろう?
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