第一章「【ベータ】」②
■■ある夜、沢渡家にて■■
――雨月くん? 面白い人だよ。周りからは変わった人扱いされているけど、あれで結構とっつきやすいし。
ああそっか、【烏輪祭】に出るんだっけね、彼。なるほど、つまり、栄華ちゃんは事前リサーチをしたいわけだ。
そうだね、私も意外だったさ。雨月くんって進んでこういう大会出ない人だと思っていたから……もちろん優秀な人なんだけど。
……ははは、そうかもな。彼のことに関しては、ちょっと過剰に評価したくなっちゃうんだよ、私は。
――【ベータ】。
ん。何って、彼のちょっとしたあだ名みたいなものだよ。
三年生の中では、それなりに有名人なのさ――『雨月桂』は。
■■紫藤学園高等部 体育館裏■■
「【二番手】、あるいは【未完成】……。どちらにしても、あまりいい意味ではありません。そんな人が私のパートナーだなんて」
「……へえ、よく知ってたね、その名前。誰に聞いてきたんだよ」
「姉です」
「ああ、そりゃそうか」
桂はバツが悪そうな顔をして、こめかみのあたりを搔いている。
「全く……ままならないものですね。社会的な集団に所属している以上、これも致し方ないことではあるのですが」
二人は現在、教師の目を逃れて、高等部の体育館裏に来ていた。
石階段に座り込む桂へと相対するようにして、その正面に、ハルガが腕組みをしながら立っている。
冷静さを欠かないよう努めているようだが、小刻みに腕を指で軽く打っている様子から、その苛立ちを隠しきれていない。
「ふむ、しかし、パートナーね。ってことは、【烏輪祭】の代表は君になったのか。それで、おれのところに――」「ええ、苦情を入れに来ました」「苦情を入れに来たんだ……」
桂はどこか寂しそうに膝をそっと抱えた。
「どんな苦情? 君の素振りを見てると、分からない気はしないでもないけど」
「私の背中を任せるのは、一番になれるような人間でなくては困るのですよ」
「そうは言っても本当の一番はもう去年出場しちゃってるしな」
【烏輪祭】には、一度選手として出場すると、その翌年、出場が禁止になるというルールがある。
本来、一番手ではない桂に【烏輪祭】出場の白羽の矢が立ったのも、そのあたりが理由だ。
「それでも、私は不服なのですよ。本来、【烏輪祭】は選考会である【玉兎祭】で結果を出した人間が出るべきでしょう? なのに、あなたはそこに出場すらしていない」
静かに憤慨した様子で、ハルガは淡々とまくしたてる。
「雨月さん、あなたのご実家が名のあるお家柄なのは存じ上げていますが、そんなものに自分の今後の進退を預けるほど、私は殊勝な人間ではないのですよ」
「…………」
そこでようやく桂は得心がいったというような顔をした。
彼女が申し入れたい『苦情』とは、つまりはそういうことなのだ。
桂が【烏輪祭】に出場する背景に――なんらかの『力』が一枚噛んでいると、沢渡栄華は踏んでいた。
「なので、今日は代役を連れてきました。本来、【烏輪祭】に出るはずだった人間をね」
「代役、代役ねえ。あれか、どっちが【烏輪祭】出場に相応しいかこの場で戦って示せ、と……」
言いながら、桂はハルガの後方を眺めている。
そこに何者かが控えていることに、彼も気付いていたようだ。
「そういうことです。理解が早くて助かります」
「……分からないなあ、おれたち、ただの一介の生徒だろ。仮にここで果たし合いめいたことをしたって、その結果次第で学校側が決定を覆すとは到底思えないんだけど」
「覆しますよ? もう決裁者の了承は得ています」
「決裁者? まさか川木教頭の……?」
「ええ、先ほど言ったでしょう」
ハルガはうっすらと笑みを浮かべて言った。
「私、脅迫はそれなりに得意なんです」
「うわあ……」
桂はドン引きしていた。
それから彼は億劫そうに立ち上がる。
「……とりあえず、才能以外、君はお姉ちゃんと正反対だということが分かった」
「そうですね、『はねっかえり』だとよく言われます」
「いいじゃないか、『はねっかえり』。君のお姉ちゃんもそのくらい自分に正直ならやりやすいんだけど。……で、おれは誰と無理やり戦わされるわけ?」
「諸星海遊という生徒を知っていますね」
「知らない。誰」
「……私の同級生です。一応、【玉兎祭】の【玉兎】部門を制覇した生徒なのですが」
「へえ、やるなあ」
「ええ、つまりは、私たちこそが、現在の紫藤学園における最も強力な【魔戒師】なのですよ。【烏輪祭】に出場するべき二人なのです」
実質上の【烏輪祭】予選として学内開催される【玉兎祭】では、評価指標が二つ存在する。
【魔戒師】としての単純な『戦闘力』を測る【烏輪】部門と、【魔戒】の強力さ――【戒力】を測る【玉兎】部門だ。
ちなみに去年の受賞者は、【烏輪】部門が『鳩島九郎』という男子生徒、【玉兎】部門がハルガの姉の『沢渡謳歌』という女生徒である。
もちろん、今年度は桂が出場すると決まったように、【玉兎祭】二部門の覇者が【烏輪祭】に出場するというのは、あくまで通例にすぎず、そのこと自体にはハルガも納得している。
しかし、彼女が疑念を抱いているのは、そもそもの桂の実力についてだ。
家柄に関する話も、正直なところどうだっていい。
ただ、実際にその能力を推し量るまでは、ハルガに桂をパートナーとして迎える心構えなど作れようはずもなかった。
「いや、『最も強力な』は言いすぎだろ。鳩島も君のお姉ちゃんもまだ卒業してないんだから」
「鳩島先輩も姉も、もう【観測隊】の人間です。学生という枠組みは超えているでしょう」
「……まあ、それはそうか」
どっちも最近めっきり見かけてないし、と桂は独りごちる。
「それでは健闘を祈っています。あくまで建前は『どちらが大会出場に適しているか』というところですから、諸星を返り討ちにできれば、あなたにも出場の目はありますよ」
「そうなのか。それは勝つべきか、負けるべきか、大いに悩むところではあるね」
「そういうのを減らず口と言うのですよ――」
それからハルガは踵を返して、来た道へと歩き出した。
彼女は考える。
【二番手】の少年は、自分の背後で今何を思っているのだろう。
その様子から見るに、彼はこういう機会において自分から手を挙げるタイプとは思えない。ともすれば、周囲の後押しで勝手に出場を決められたか。
そう考えれば、周りに振り回された挙句、自分のような目的のために手段を選ばない人間に目を付けられるなど、あまりに気の毒ではある。
しかし。
それでも尚、ハルガの意志は揺らがない。
それだけ、彼女にはこの大会にかける思いがあるのである。
「――【花戒・勿忘種】」
背後を一瞥すると、桂の姿が消えていた。
少しの間、ハルガはどこか物憂げな表情を浮かべる。
「……『健闘を祈る』というのは本当なんですよ。私は、だって、強い味方が欲しいだけなんですから。【烏輪祭】に勝つためにね」
一言そう呟くと、やがて、ハルガは何事もなかったかのように、体育館裏を去って行った。
▼▼第一章「【ベータ】」③へ続く――