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作者: 山田奇え
第一章「【ベータ】」①


 物語とは、最後から二番目の希望のことである。
 
 ――河際贋作かわきがんさく『魔女の遺骸』より抜粋



■■紫藤学園しどうがくえん高等部三学年廊下にて■■

 
 
 神秘の衰退した現代において、『魔の法則』に代わる超常の理を求めた人々は、『戒律』によって自然を制御する【魔戒まかい】を扱うようになった。

 新世代の【魔戒師】を輩出するこの学校――紫藤学園では今年度、九軒くのぎ市内の一〇代魔戒師たちが一堂に集い、その腕を競い合う【烏輪祭うりんさい】が開催される。


「……一体どういうことなのです、この選出は」


 【烏輪祭】開催が目前へと迫ったある日の放課後。

 彼女――沢渡栄華さわたりはるがは苛立ちを募らせながら上級生クラスの廊下を足早に歩いていた。

 すれ違った生徒たちに奇異の視線を向けられながら、「沢渡さんの妹」とか「代表者」とかいった単語が飛び交うのも無視し、目的の三年A組教室の前へ到着する。

 それから一呼吸置いて、張り詰めた感情ごと爆発させるように、勢いよく扉を開け放った。


「三年A組二番――雨月桂あめつきけいはいらっしゃいますかっ!」

 
 最初に目に入ったのは、教室の一番廊下側、前からの席に座る生徒。

 スポーツ刈りをそのまま伸ばしたような髪型に、黒縁メガネ。校則に触れない程度に着崩した制服。

 どこか冴えないというか、ともすれば、学校という背景に紛れ込んでしまいそうな――いまいち雰囲気のない男子高校生である。


「――――」
 
 
 彼は持ち帰る教科書をカバンに入れる途中で一時停止していたが、ハルガと目があった瞬間に視線を逸らす。

 その様子にピンとくるものがあって、教室にいる他の生徒を睨みつけると、やはり勘が当たっていたようだ。

 狼狽えたような声を出しながら、その生徒は「そ、そいつです」と、黒縁メガネの彼を指差していた。


「――……あなたが雨月桂?」

「違います」


 即答である。


「でも、同級生さんはあなたがそうだとおっしゃっていますが」

「きっと怖かったんだよ。君が明らかに穏やかな様子ではないからね。彼の方こそが『雨月桂』さ。おれがそうだと君に勘違いさせて、上手くケムに巻こうって魂胆なわけ」


 彼は極めて冷静そうにそう述べたあと、「この人でなし!」と自分を指さした生徒を罵倒していた。

 その様子からは、たしかに、とても【烏輪祭】の代表とは思えない俗物感があふれ出ている。


「あの……」


 ハルガは訝し気に目を細めていた。

 彼はそう言っているが、とはいってクラスメイトが嘘を吐いていたような様子はない。

 だとすれば、やっぱり、この男子生徒が『雨月桂』だと思うのだが。

 値踏みするような彼女の視線に気付いてか、その男子生徒は言った。
 

「たしか、君はハルガちゃんだよね。沢渡の妹の」

「ええ、そうですが」

「沢渡謳歌おうか――去年の【烏輪祭】優勝者にして、あの『鳩島はとじま』と双璧をなす学園最強格の生徒。そんなやべーやつの妹が急に現れたら、雨月くんも腰だって引けるさ」

「……なるほど、それは悪いことをしたかもしれませんね」

「――ああ、そうだとも。だから、今日のところは帰るといい。そして、できることならもう来ないでほしい」


 彼は一拍置いて、続ける。


「なぜかと言えばそれは無闇に一人の生徒が他のクラスに訪問すること自体防犯の観点から校則上でもあまり推奨されない行為であるからしてそれをなしにしても自分の教室で放課後をのんびり過ごしている生徒からすればズケズケと自分のテリトリーに入ってこられたようで心中穏やかではないだろうしそもそもこういう騒ぎを好ましく思わない人もいるだろうからねきっとそうだろう君はもっと自重するべきだうんうんそうあるべきだとも」

 
 …………。

 随分とよく回る口だ。

 それも無闇に早口である。
 
 それから、「やれやれ」と呟いて、彼は帰り支度を再開する。その一連の動作を眺めているとふと目に留まるものがあった。


「そのカバン、名札が付いていますね」


 男子生徒はぎくり、と硬直していた。


「『雨月桂』と書いてあります」

「へ、あ、ほんとにぃ? ほ、ほんとだーどこかで入れ替わっちゃったのかなー雨月くんのカバンと」


 明らかに動揺している。
 
 ハルガは、その様子をようやく確信が付いた。

 おもむろに男子生徒に近づくと、制服の胸ぐらを掴み上げる。


「うわあ怖い! なんだ急にこの後輩!」

「おや、おかしいですね。このブレザー、裏側に『K.Ametsuki』と刺繍がしてあります」

「…………」

「これはどう言い逃れを?」


 この距離だと、彼の額を冷や汗が伝うのをはっきり見てとれた。


「へ、へへ……」

「……はあ」
 
 
 ハルガは一つ小さなため息をつく。

 そして――。

 
「どりゃあ!」「ぐぁあああ」


 そして、そのまま彼――雨月桂を背負い投げした。
 

「痛ってえ! 何しやがるこの……」

「私は他人にあまり口が達者ではないので、交渉事には向かない性質たちなのですが」


 それから、しゃがみこんで、ひっくり返った桂に視線を合わせながら言う。


「――圧力をかけて脅迫するのは大の得意です」

「え……」

「力。そう、力はすべてを解決するのですよ」

「怖い! こんなやつ本当にいるんだ!」

「次はあの教卓の角とか痛そうですねえ」

「やめてそんなとこにぶつけないで」


 そのまま、ハルガは彼をゆっくりと掴み上げる。


「うわあ片手だけで人間を持ち上げるな! どんな身体能力だ!」

「それ」「ぎゃふん」


 悲鳴を上げながら教卓――ではなく、地面に叩きつけられる幼気いたいけな男子高校生。

 打ち所が悪かったのか、いよいよ桂は放心状態でハルガを見上げていた。
 

「……おれが雨月桂です。ホントすみませんでした」

「ええ、そうでしょうとも」

「この強引さ、覚えがある……。沢渡の家系ってのはみんなこうなの」

「あら、姉と仲がいいんですのね」

「関係値はそれなりに。――仕方ない。ちょっと体が痺れて動かないからこのままの姿勢で失礼するけど、一体おれになんの用件が――」

「おっと、その前に」


 ハルガは再度桂を担ぎ上げる。

 
「は、ハルガ嬢……?」

 
 彼女は教室の外に気をやりながら、窓の近くまで歩み寄った。


「クンクン――教員の匂いがしますわ。騒ぎに勘付かれたようです」

「君、野生動物かなんかなの?」


 ハルガは窓を開けて下方を確認している。


「は、ハルガ嬢……?」

「なんでしょう」

「今何を吟味してる?」

「高さを確認しています」

「意図は訊いてもいい?」

「ここから逃げます」

「どうやって」

「飛び降りて」

「もう初対面から君が分かんなくなっちゃったな、おれ……」


 雨月さんは天を仰ぎながら、「大会出場なんて気軽に引き受けるんじゃなかったなあ」とかボヤいている。

 まあ、実際、ハルガがこんな行為に及んでいる意図も、にある。


「【花戒かかい風花かぜはな】」


 ふわり、と――。

 ハルガの足元に花びらが舞い、その両脚が宙へと浮き上がった。


「シートベルトとかないの?」

「ありません。もしあなたを取り落としてしまってもあしからず」


 そして、彼女はそのまま窓の外へ飛び出していった。



▼▼第一章「【ベータ】」②へ続く――

 
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この作品は2024/3/9に改稿を行いました。

・内容の変更
・書式の変更

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