残酷な描写あり
R-15
第6話 魔人と小悪魔2
ロッジで一人になったフォルトは、悪魔カーミラについて考える。
リリスと言っていたが、日本では女性型の悪魔として知られていた。角や翼、尻尾があることから人間でないのは確かだ。
それにしても……。
「前の主人は人間の肉を食ってたのか。ブルブル……」
「お待たせ!」
「おわっ!」
フォルトが独り言を呟いていると、カーミラが戻ってきた。
その手には調理した肉を持っており、面前に差し出してくる。
「速いな!」
「保存しておいた肉を焼いただけですよぉ。じゃあどうぞ!」
「ちなみに……。何の肉だ?」
「魔界に生息してるゴールデンラビットですねぇ」
「ラビット……。ウサギか?」
「そうでーす!」
フォルトは渡された肉に食いつきながら、いきなりカーミラの顔を見る。簡単に聞き流してしまったが、またもや聞き捨てならないことを言った。
こちらの世界には、魔界があるらしい。
「魔界を知らないですかぁ? 御主人様は知ってるはずですよぉ」
「知らん……。あ、知ってたわ」
「アカシックレコードが解放されていますからねぇ」
「でも言われないと分からなかったぞ?」
「思い出すのにキーワードが必要みたいですねぇ」
「キーワード?」
「例えば、魔界っていうキーワードですね!」
「聞いたら知っていた、とか?」
「そんな感じですねぇ。さすがは御主人様!」
その後もフォルトは肉を食べながら、カーミラとの会話を楽しむ。
人間が嫌いな割に饒舌である。どうも彼女と会話するのは、精神的に問題がないようだった。悪魔とはいえ、体を交わらせた女性だからか。
あの柔らかさを思い出すと赤面してしまいそうだ。
「御主人様、ほっぺたに食べかすが……。ちゅ」
「こっこら!」
「いいじゃないですかぁ。私も溜まってましてぇ」
「そっそうか……。じゃない! 知ったことか!」
「冷たいですねぇ。でもそこが素敵でーす!」
「はははっ!」
「ふふっ」
フォルトは何の遠慮もなしに笑った。本当に何十年ぶりだろう。作り笑いなら何度もやったが、心の底から笑うのは久々だった。
そして、ふと現実を思い出してしまう。今はおっさんと言われる歳だ。体型も学生の頃と比べれば、随分と太っていた。
彼女のような可愛い女性を隣に置くと、何となく自虐心に苛まれる。
(何でこんなに好いてくれるんだろ。それは考えちゃ駄目なことか? 好意を持ってくれているなら受け入れりゃいいだけか。俺に選ぶ権利なんて無いしな)
「すまないな。歳の行ったおっさんで……」
「はい?」
「なぜか分からんが、俺を好いてくれてるのだろ?」
「うん!」
「カーミラにはふさわしくないと思ってな」
「魔人は力がすべてですよ? 面体は関係ないでーす!」
「そっそうか?」
「気になるなら、スキルの『変化』を使ってみては?」
「これのことか? 使ってみよう。『変化』っと……」
フォルトはアカシックレコードから引き出されているスキルを使って、今まで気になっていたビール腹を引っ込めてみた。
すると、若い頃のような体型になった。
「おおっ! これはすばらしいな」
「魅力的になりましたねえ」
アカシックレコードが解放されて、元の主人が知っていた情報が分かる。
情報を引き出すにはキーワードが必要だ。これから生きていくためには、必要な知識を引き出す必要があった。
日本で言われているアカシックレコードは、過去と現在と未来の情報だったはず。しかしながら、こちらの世界では違うようだった。
このあたりはいずれ精査するとして、今は別のことを考えた。
(さっきまで死のうと考えて、今は生きるために考えている。勝手なもんだ。俺も人のことは言えないな。次にソフィアさんと会ったら謝ろう)
勝手に召喚されたことでソフィアを責めたが、本質的にはフォルトも同様だ。
彼女は命令に逆らえないだけなので、責めるべきは別の人間だろう。と考えだしたところで、カーミラが首を傾げて問いかけてきた。
「御主人様、これからどうしますかぁ?」
「ロッジを追い出されるから、仕事を探す感じかな?」
「御主人様を追い出すなんて生意気! この国を滅ぼしちゃおう!」
「は?」
さっきから人間を殺すとか、国を滅ぼすとか過激である。しかしながらよく考えれば、カーミラは悪魔なのだ。
人間を嫌っているのかもしれない。
「人間が嫌いか?」
「惰弱で脆弱。殺しても一向に減らないゴミ虫でーす!」
「辛辣だな」
「悪魔だからね!」
「俺も人間なんだが?」
「すでに御主人様は魔人でーす! 強くて憧れますよお」
「実感が……」
確かにフォルトは、受け継いだスキルが使えた。アカシックレコードから解放された情報も引き出せている。
それでも、肉体的な強さは感じない。だからこそ、人間から変わっていないのではと思った。とはいえ人間でなくなったのならば、やることは一つだろう。
「俺は魔人の力を隠そうと思う」
「七つの大罪を持ってるのに勿体ないですよぉ?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよぉ。使えるものは使ったほうがいいでーす!」
「でもなぁ」
「それにですね。力を抑えても良いことなんてないんだから!」
これが悪魔の囁きというものだろうか。
フォルトは戸惑いながらも、カーミラの言葉に納得してしまった。もう自分を抑えなくて良いかもしれないと……。
今までは、自分を抑えていた。学生の頃から、仮面を被っていたようなものだ。本性を隠して、相手に合わせていた。
それにも挫折して、中年になるまで引き籠っていた。
「まぁそのうちな。カーミラも一緒に来るのか?」
「当たり前ですよぉ。私は御主人様のシモベでーす!」
「助かるよ。これからも頼りにしていいか?」
「御主人様から頼られるなんて、地獄に落ちる気分でーす!」
(地獄に落ちる……。嫌ってことか? いや、この顔は違うな。天国に昇る気分と言いたいのか? さすがは悪魔)
カーミラは幸せそうな表情を浮かべている。
その顔を見ると、フォルトの頬が急に熱くなる。自分には過分な女性だが、ここまで好かれると恥ずかしくなってしまう。
「それより御主人様、もう一回ね!」
「ええっ!」
「私も気持ち良くなりたいなぁ」
耳元で囁かれた言葉に、フォルトは戸惑った。後ろに下がろうとするが、いつの間にか、カーミラに手を握られている。
そして彼女は、体ごとぶつかってくるのだった。
◇◇◇◇◇
フォルトは夢心地な気分で、カーミラと見つめ合っていた。すでに彼女の虜と言っても過言ではない。もうどちらがシモベか分からない。
そんなことを考えていると、ロッジの扉が軽くノックされた。
「誰だ?」
「この感じは人間ですねぇ。私は隠れてまーす!」
「あぁ、そうしてくれ」
面前からカーミラが消えて身を隠した。
フォルトはスキル『変化』を解除して、体型をおっさんに戻した。続けて扉を開け、誰が来たかを確認する。
「誰かな?」
「あったしぃ! おっさん、随分と寝てるじゃん」
扉の前に立っていた人物は、一緒に召喚されたアーシャだった。
満面の笑みを浮かべているが、何かあったのだろうか。
「どうしたんだ?」
「あたしとノックスは残るからさ!」
「シュンの従者になるって聞いたな」
「別れの挨拶ぐらいはしとこうかなってね!」
「そうか」
「それと一週間も出てこないしさ。心配したわけぇ」
「は?」
「何をしてたん?」
(俺は一週間もロッジで寝てたのか! あのときの頭痛は思い出すだけで痛いが、姿が見えない声のせいだな。腹が減ったのも頷ける)
フォルトが急に考え込んだので、アーシャが怪訝そうな表情を浮かべる。しかしながら、すぐに目を逸らして遠くを眺め始めた。
満面の笑みも徐々に消えていき、不満を感じさせる表情に変わる。
「ノックスと交代で来てたんだぁ」
「心配してくれたんだな?」
「勘違いしないでね。キモいから!」
「………………」
「生きてたなら、ノックスのときに出てきてよ!」
「悪かったな」
満面の笑みは、シュンの従者として城に残ると決定したからだ。
そして不満の正体は、フォルトが面前にいることだった。
「まあいいや。多分もう会うこともないからさあ」
「そうだな。俺はロッジを出ることになる」
「どこかで見かけても話しかけないでね。キモいから。きゃは!」
「分かった分かった。じゃあ元気でな」
アーシャはもう話したくないのか、踵を返して走っていく。遠ざかる背中を見ていると、醜い感情がフォルトの心を支配してきた。
これは、七つの大罪である嫉妬と憤怒だ。自分を見捨て、シュンの従者になった二人に対する嫉妬。罵倒されたことに対する憤怒。
今までは、波風を立てないようにしていた。しかしながら魔人に変わった今なら、彼女に何かをやってしまいそうだった。
(次に会ったら……)
「行っちゃいましたねぇ。あの小娘を殺しますかあ?」
「平気さ。人殺しなんて……」
「そうですかあ?」
「なぁカーミラって……」
「はい?」
ふと疑問が浮かんだフォルトは、腕に絡みつくカーミラに問いかけた。
それに対して彼女は、可愛らしく小首を傾げる。アーシャとは違って、満面の笑みが崩れることはなかった。
「いきなり消えて、どこに行ってたんだ?」
「魔界ですよ魔界」
「へぇ」
カーミラは簡単に言っているが、フォルトに仕組みは分からない。
現状では知っても意味が無いので、頭に留めておけば良いだろう。
「御主人様と魔力で繋がっていれば、簡単に移動できますよぉ」
「魔力?」
「それがシモベになるということでーす!」
「ふむふむ」
「御主人様はすべてを継承したので、シモベ契約も継続なんですよ」
「なるほどな」
「えへへ。赤い糸ってやつでーす!」
やはりフォルトには分からないが、そういうものだと納得した。
カーミラは悪魔だが、嘘を言っているように見えない。他に信用できる人がいないため、彼女を頼るしかない。
いや違う。彼女しか信用できなくなった。
「なるほどな」
「その赤い糸を太くしましょうよ!」
「まっまたか!」
「えへへ」
カーミラがフォルトの胸へ飛び込んできた。『変化』のスキルを解除したので醜い姿のままだが、気にせずに纏わりついてくる。
そして行為が終わった後、ロッジを出ると決心した。
このまま生活しようにも、三週間後には追い出されるからだ。彼女も一緒に来てくれるので、ロッジに残る理由が無かった。
「ロッジを出る」
「御主人様がいる所じゃないからね!」
「でも、今の服装は何とかしたいもんだ」
「だったら、前の御主人様の服を着ますかあ?」
「助かる! 部屋着じゃ恥ずかしい」
カーミラは魔界に戻って、服を持ってきた。
濃い赤紫の上着に、黒いスラックスと靴。他にも裏地が赤黒いマントである。どこかで見たことがあるようなデザインだ。
(これって……。吸血鬼のコスプレじゃね? 部屋着よりはマシなんだが、さすがに気恥ずかしいな。まぁ何でもいいか)
「それを着る前に、ジェシカさんに伝えてくるよ」
「じゃあロッジで待ってまーす!」
フォルトはロッジを出て、教会に向かった。
最初に向かったときは息を切らしたが、今回は疲れない。魔人に変わったことで、昨日までの自分ではなかった。
教会に到着して中に入ると、ジェシカが祈りを捧げている。悲鳴を上げられても困るので、彼女が気付くように近づいて声をかける。
「あの……」
「フォルト、さんでしたか。私に何か?」
「お世話になりました。本日でロッジを出ていきます」
「そうですか。出ていかれますか。ではお元気で……」
(軽いな。一週間もロッジから出てないのに心配すらしないとはな。それでも神官なのか? 心なしか喜んでいるようにも……)
フォルトがいなくなると嬉しいのか。ジェシカの笑顔を見ると、またもや悪感情が心を支配してくる。
これは憤怒と色欲だ。カーミラは魅力的だが、ジェシカも容姿やスタイルは良い。整った顔立ちと神官としての清楚な仕草に心が揺さぶられる。
(いずれ……)
「何か仰いましたか?」
「いっいえ! 何も……」
「それと三人に会うことはできません」
「なぜですか?」
「城に入るには許可証が必要になります」
「では頑張って勇者になってください、と……」
「はい。お伝えしておきますわ」
(会わせたくないんだろ? 顔も見たくもないってか? 分かってるよ。でも、こんな扱いをされる覚えはないんだけどな)
悪感情の支配が強くなる。
今すぐにでもジェシカを壊したくなるが、人間的倫理観がフォルトを制止する。とはいえ、悪感情は燻ぶったままだった。
カーミラの言った言葉が思い出される。
抑えても良いことはないという言葉を……。
「ロッジから出られましたら、二度と戻れません」
「戻るのにも許可証が?」
「はい。ですので、忘れ物がないようにしてください」
「大丈夫です。ありがとうございました」
(念入りに追い出しやがるな。そんなに出ていってほしいのか? 召喚した者の責任とか言ってたくせにな)
フォルトは悪感情を隠したまま、ジェシカに背を向けて歩きだす。
出ていく前に着替える必要があるので、急いでロッジへ戻った。すると満面の笑みを浮かべたカーミラが、新婚のように出迎えてくれるのだった。
リリスと言っていたが、日本では女性型の悪魔として知られていた。角や翼、尻尾があることから人間でないのは確かだ。
それにしても……。
「前の主人は人間の肉を食ってたのか。ブルブル……」
「お待たせ!」
「おわっ!」
フォルトが独り言を呟いていると、カーミラが戻ってきた。
その手には調理した肉を持っており、面前に差し出してくる。
「速いな!」
「保存しておいた肉を焼いただけですよぉ。じゃあどうぞ!」
「ちなみに……。何の肉だ?」
「魔界に生息してるゴールデンラビットですねぇ」
「ラビット……。ウサギか?」
「そうでーす!」
フォルトは渡された肉に食いつきながら、いきなりカーミラの顔を見る。簡単に聞き流してしまったが、またもや聞き捨てならないことを言った。
こちらの世界には、魔界があるらしい。
「魔界を知らないですかぁ? 御主人様は知ってるはずですよぉ」
「知らん……。あ、知ってたわ」
「アカシックレコードが解放されていますからねぇ」
「でも言われないと分からなかったぞ?」
「思い出すのにキーワードが必要みたいですねぇ」
「キーワード?」
「例えば、魔界っていうキーワードですね!」
「聞いたら知っていた、とか?」
「そんな感じですねぇ。さすがは御主人様!」
その後もフォルトは肉を食べながら、カーミラとの会話を楽しむ。
人間が嫌いな割に饒舌である。どうも彼女と会話するのは、精神的に問題がないようだった。悪魔とはいえ、体を交わらせた女性だからか。
あの柔らかさを思い出すと赤面してしまいそうだ。
「御主人様、ほっぺたに食べかすが……。ちゅ」
「こっこら!」
「いいじゃないですかぁ。私も溜まってましてぇ」
「そっそうか……。じゃない! 知ったことか!」
「冷たいですねぇ。でもそこが素敵でーす!」
「はははっ!」
「ふふっ」
フォルトは何の遠慮もなしに笑った。本当に何十年ぶりだろう。作り笑いなら何度もやったが、心の底から笑うのは久々だった。
そして、ふと現実を思い出してしまう。今はおっさんと言われる歳だ。体型も学生の頃と比べれば、随分と太っていた。
彼女のような可愛い女性を隣に置くと、何となく自虐心に苛まれる。
(何でこんなに好いてくれるんだろ。それは考えちゃ駄目なことか? 好意を持ってくれているなら受け入れりゃいいだけか。俺に選ぶ権利なんて無いしな)
「すまないな。歳の行ったおっさんで……」
「はい?」
「なぜか分からんが、俺を好いてくれてるのだろ?」
「うん!」
「カーミラにはふさわしくないと思ってな」
「魔人は力がすべてですよ? 面体は関係ないでーす!」
「そっそうか?」
「気になるなら、スキルの『変化』を使ってみては?」
「これのことか? 使ってみよう。『変化』っと……」
フォルトはアカシックレコードから引き出されているスキルを使って、今まで気になっていたビール腹を引っ込めてみた。
すると、若い頃のような体型になった。
「おおっ! これはすばらしいな」
「魅力的になりましたねえ」
アカシックレコードが解放されて、元の主人が知っていた情報が分かる。
情報を引き出すにはキーワードが必要だ。これから生きていくためには、必要な知識を引き出す必要があった。
日本で言われているアカシックレコードは、過去と現在と未来の情報だったはず。しかしながら、こちらの世界では違うようだった。
このあたりはいずれ精査するとして、今は別のことを考えた。
(さっきまで死のうと考えて、今は生きるために考えている。勝手なもんだ。俺も人のことは言えないな。次にソフィアさんと会ったら謝ろう)
勝手に召喚されたことでソフィアを責めたが、本質的にはフォルトも同様だ。
彼女は命令に逆らえないだけなので、責めるべきは別の人間だろう。と考えだしたところで、カーミラが首を傾げて問いかけてきた。
「御主人様、これからどうしますかぁ?」
「ロッジを追い出されるから、仕事を探す感じかな?」
「御主人様を追い出すなんて生意気! この国を滅ぼしちゃおう!」
「は?」
さっきから人間を殺すとか、国を滅ぼすとか過激である。しかしながらよく考えれば、カーミラは悪魔なのだ。
人間を嫌っているのかもしれない。
「人間が嫌いか?」
「惰弱で脆弱。殺しても一向に減らないゴミ虫でーす!」
「辛辣だな」
「悪魔だからね!」
「俺も人間なんだが?」
「すでに御主人様は魔人でーす! 強くて憧れますよお」
「実感が……」
確かにフォルトは、受け継いだスキルが使えた。アカシックレコードから解放された情報も引き出せている。
それでも、肉体的な強さは感じない。だからこそ、人間から変わっていないのではと思った。とはいえ人間でなくなったのならば、やることは一つだろう。
「俺は魔人の力を隠そうと思う」
「七つの大罪を持ってるのに勿体ないですよぉ?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよぉ。使えるものは使ったほうがいいでーす!」
「でもなぁ」
「それにですね。力を抑えても良いことなんてないんだから!」
これが悪魔の囁きというものだろうか。
フォルトは戸惑いながらも、カーミラの言葉に納得してしまった。もう自分を抑えなくて良いかもしれないと……。
今までは、自分を抑えていた。学生の頃から、仮面を被っていたようなものだ。本性を隠して、相手に合わせていた。
それにも挫折して、中年になるまで引き籠っていた。
「まぁそのうちな。カーミラも一緒に来るのか?」
「当たり前ですよぉ。私は御主人様のシモベでーす!」
「助かるよ。これからも頼りにしていいか?」
「御主人様から頼られるなんて、地獄に落ちる気分でーす!」
(地獄に落ちる……。嫌ってことか? いや、この顔は違うな。天国に昇る気分と言いたいのか? さすがは悪魔)
カーミラは幸せそうな表情を浮かべている。
その顔を見ると、フォルトの頬が急に熱くなる。自分には過分な女性だが、ここまで好かれると恥ずかしくなってしまう。
「それより御主人様、もう一回ね!」
「ええっ!」
「私も気持ち良くなりたいなぁ」
耳元で囁かれた言葉に、フォルトは戸惑った。後ろに下がろうとするが、いつの間にか、カーミラに手を握られている。
そして彼女は、体ごとぶつかってくるのだった。
◇◇◇◇◇
フォルトは夢心地な気分で、カーミラと見つめ合っていた。すでに彼女の虜と言っても過言ではない。もうどちらがシモベか分からない。
そんなことを考えていると、ロッジの扉が軽くノックされた。
「誰だ?」
「この感じは人間ですねぇ。私は隠れてまーす!」
「あぁ、そうしてくれ」
面前からカーミラが消えて身を隠した。
フォルトはスキル『変化』を解除して、体型をおっさんに戻した。続けて扉を開け、誰が来たかを確認する。
「誰かな?」
「あったしぃ! おっさん、随分と寝てるじゃん」
扉の前に立っていた人物は、一緒に召喚されたアーシャだった。
満面の笑みを浮かべているが、何かあったのだろうか。
「どうしたんだ?」
「あたしとノックスは残るからさ!」
「シュンの従者になるって聞いたな」
「別れの挨拶ぐらいはしとこうかなってね!」
「そうか」
「それと一週間も出てこないしさ。心配したわけぇ」
「は?」
「何をしてたん?」
(俺は一週間もロッジで寝てたのか! あのときの頭痛は思い出すだけで痛いが、姿が見えない声のせいだな。腹が減ったのも頷ける)
フォルトが急に考え込んだので、アーシャが怪訝そうな表情を浮かべる。しかしながら、すぐに目を逸らして遠くを眺め始めた。
満面の笑みも徐々に消えていき、不満を感じさせる表情に変わる。
「ノックスと交代で来てたんだぁ」
「心配してくれたんだな?」
「勘違いしないでね。キモいから!」
「………………」
「生きてたなら、ノックスのときに出てきてよ!」
「悪かったな」
満面の笑みは、シュンの従者として城に残ると決定したからだ。
そして不満の正体は、フォルトが面前にいることだった。
「まあいいや。多分もう会うこともないからさあ」
「そうだな。俺はロッジを出ることになる」
「どこかで見かけても話しかけないでね。キモいから。きゃは!」
「分かった分かった。じゃあ元気でな」
アーシャはもう話したくないのか、踵を返して走っていく。遠ざかる背中を見ていると、醜い感情がフォルトの心を支配してきた。
これは、七つの大罪である嫉妬と憤怒だ。自分を見捨て、シュンの従者になった二人に対する嫉妬。罵倒されたことに対する憤怒。
今までは、波風を立てないようにしていた。しかしながら魔人に変わった今なら、彼女に何かをやってしまいそうだった。
(次に会ったら……)
「行っちゃいましたねぇ。あの小娘を殺しますかあ?」
「平気さ。人殺しなんて……」
「そうですかあ?」
「なぁカーミラって……」
「はい?」
ふと疑問が浮かんだフォルトは、腕に絡みつくカーミラに問いかけた。
それに対して彼女は、可愛らしく小首を傾げる。アーシャとは違って、満面の笑みが崩れることはなかった。
「いきなり消えて、どこに行ってたんだ?」
「魔界ですよ魔界」
「へぇ」
カーミラは簡単に言っているが、フォルトに仕組みは分からない。
現状では知っても意味が無いので、頭に留めておけば良いだろう。
「御主人様と魔力で繋がっていれば、簡単に移動できますよぉ」
「魔力?」
「それがシモベになるということでーす!」
「ふむふむ」
「御主人様はすべてを継承したので、シモベ契約も継続なんですよ」
「なるほどな」
「えへへ。赤い糸ってやつでーす!」
やはりフォルトには分からないが、そういうものだと納得した。
カーミラは悪魔だが、嘘を言っているように見えない。他に信用できる人がいないため、彼女を頼るしかない。
いや違う。彼女しか信用できなくなった。
「なるほどな」
「その赤い糸を太くしましょうよ!」
「まっまたか!」
「えへへ」
カーミラがフォルトの胸へ飛び込んできた。『変化』のスキルを解除したので醜い姿のままだが、気にせずに纏わりついてくる。
そして行為が終わった後、ロッジを出ると決心した。
このまま生活しようにも、三週間後には追い出されるからだ。彼女も一緒に来てくれるので、ロッジに残る理由が無かった。
「ロッジを出る」
「御主人様がいる所じゃないからね!」
「でも、今の服装は何とかしたいもんだ」
「だったら、前の御主人様の服を着ますかあ?」
「助かる! 部屋着じゃ恥ずかしい」
カーミラは魔界に戻って、服を持ってきた。
濃い赤紫の上着に、黒いスラックスと靴。他にも裏地が赤黒いマントである。どこかで見たことがあるようなデザインだ。
(これって……。吸血鬼のコスプレじゃね? 部屋着よりはマシなんだが、さすがに気恥ずかしいな。まぁ何でもいいか)
「それを着る前に、ジェシカさんに伝えてくるよ」
「じゃあロッジで待ってまーす!」
フォルトはロッジを出て、教会に向かった。
最初に向かったときは息を切らしたが、今回は疲れない。魔人に変わったことで、昨日までの自分ではなかった。
教会に到着して中に入ると、ジェシカが祈りを捧げている。悲鳴を上げられても困るので、彼女が気付くように近づいて声をかける。
「あの……」
「フォルト、さんでしたか。私に何か?」
「お世話になりました。本日でロッジを出ていきます」
「そうですか。出ていかれますか。ではお元気で……」
(軽いな。一週間もロッジから出てないのに心配すらしないとはな。それでも神官なのか? 心なしか喜んでいるようにも……)
フォルトがいなくなると嬉しいのか。ジェシカの笑顔を見ると、またもや悪感情が心を支配してくる。
これは憤怒と色欲だ。カーミラは魅力的だが、ジェシカも容姿やスタイルは良い。整った顔立ちと神官としての清楚な仕草に心が揺さぶられる。
(いずれ……)
「何か仰いましたか?」
「いっいえ! 何も……」
「それと三人に会うことはできません」
「なぜですか?」
「城に入るには許可証が必要になります」
「では頑張って勇者になってください、と……」
「はい。お伝えしておきますわ」
(会わせたくないんだろ? 顔も見たくもないってか? 分かってるよ。でも、こんな扱いをされる覚えはないんだけどな)
悪感情の支配が強くなる。
今すぐにでもジェシカを壊したくなるが、人間的倫理観がフォルトを制止する。とはいえ、悪感情は燻ぶったままだった。
カーミラの言った言葉が思い出される。
抑えても良いことはないという言葉を……。
「ロッジから出られましたら、二度と戻れません」
「戻るのにも許可証が?」
「はい。ですので、忘れ物がないようにしてください」
「大丈夫です。ありがとうございました」
(念入りに追い出しやがるな。そんなに出ていってほしいのか? 召喚した者の責任とか言ってたくせにな)
フォルトは悪感情を隠したまま、ジェシカに背を向けて歩きだす。
出ていく前に着替える必要があるので、急いでロッジへ戻った。すると満面の笑みを浮かべたカーミラが、新婚のように出迎えてくれるのだった。
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