残酷な描写あり
第11回 山を離れる 宮に乗り込む:1-1
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
昨日一日の記憶を消したい。
頬が熱くなるのを我慢しながら扉を叩く。昨日の時点で既に同じような思いを味わっていた気がするが、しかし、巫女ぶった芝居をしたことにも二人の前で泣いたことにも、トシュのせいだという逃げ道があった。トシュだけの前で泣き喚いたことには、逃げ道が全くない。
出てきたトシュは寝間着のままだった。
「ちょい待て。寝てたわ」
「あ……ごめんなさい」
「いや、ちょうどいい頃合いだよ。起こしてもらってよかった」
「あ、あの」
引っ込もうとするのを急いで引き止める。
「昨日……あの……ありがと」
ああ、と微笑が返ってきた。
「落ち着いたか」
「うん」
今日は大丈夫、と頷くに留め、今度はトシュが引っ込むに任せた。もう少し何か言おうかとも思ったものの、自分語りになりかねない気がしたので。
母が死んだとき、泣きじゃくる自分を抱き締めて慰めた父の、体温の悍ましさを今朝になって思い出した。昨夜のうちに思い出さなかったのは、トシュが抱き締めるどころか、頭や肩に手を置くことすらしなかったからだ。思い返せば、ジョイドの前で泣き出したときもそうだった。父とは、違う——自分に懐かせる好機だとでも考えたらしい父とは。母を亡くした幼い娘を本当に思いやっていたのなら、西国人が帝国で生きていても苦労するだけだから、母は却って幸せかもしれない、とは言わない。
父のことがあるから、真っ当ないたわりが身に沁みる。痛切なありがたみを伝えようとすればするほど、だが、二人への感謝よりも父への非難が目立ってしまいそうだ。さりとて、どさくさ紛れに撫で回さないでくれてありがとう、とだけ言われても意味がわからないだろう。
やがて着替えたトシュが再び扉を開け、当然のようにセディカは中へと誘われた。今日の予定を確かめ合うだけなのだけれども、どうにも「口裏を合わせている」気分になるのは、妖怪であるという正体を隠していることが意識されるのだろうか。それとも妖怪云々とは関係なく、巫女服を着たり小人になったりしては、散々周りを誤魔化してきているせいか。
机の上に目が行ったのは、何だかたくさんの紙が置いてあったためだった。呪符や護符の類いと思しきものもあれば、細い巻き物になっているものもあり、これから畳むつもりか折り目のないものもあった。
「計画変更だね。王宮には王様も一緒に乗り込んでもらうよ」
「計画通りなんじゃねえか、そこは」
元より、国王も一緒に、という予定ではあったのだ。死者から生者に変わっただけで。
「王様から目を逸らすためには、セディがこのままご主人様役で目立っててくれた方がいいけど。偽物と対決するときに、狙われるかな?」
「本物の王と俺を差し置いてか?」
「大事にしてるように見えてもまずいかなって」
「……そりゃ、人質にでもされたらやりにくいが。主人と従者でなけりゃ、何だってことにするんだよ」
まあ血縁にも同僚にも見えないねえ、とジョイドは認めた。
「仕方ないか。危ない役を頼むような気はするけど、セディ、このままでいい? 身を守る護符は渡しておくから」
ええ、と少し怖い気もしながら了承すれば、ジョイドは机から紙を何枚か取り上げた。これは胸の辺りに、これは腹の辺りに、これはベールの中にでも忍ばせておくこと、折ってもよいしピンで留めてもよい、などと軽い講釈が入る。
「これも貸しておこうか……これは普通の人が持ってても気休めかなあ」
例の首飾りを外しかけて、迷う。
「これで守れるのは、これの内側だけなんだよね。首にかければ全身守られるっていうわけじゃないんだ。紐を伸ばせれば結構便利なんだけど、仙術や法術を扱えるようじゃないとそういう使い方はできないし」
「首が守られれば大分心配は減ると思うぞ」
その後押しを受けて、結局、紐を少し伸ばしてから差し出した。これが役に立つのはつまり、首を斬られそうになったときだろうかといったことを、深く考えないようにセディカは努めた。
頬が熱くなるのを我慢しながら扉を叩く。昨日の時点で既に同じような思いを味わっていた気がするが、しかし、巫女ぶった芝居をしたことにも二人の前で泣いたことにも、トシュのせいだという逃げ道があった。トシュだけの前で泣き喚いたことには、逃げ道が全くない。
出てきたトシュは寝間着のままだった。
「ちょい待て。寝てたわ」
「あ……ごめんなさい」
「いや、ちょうどいい頃合いだよ。起こしてもらってよかった」
「あ、あの」
引っ込もうとするのを急いで引き止める。
「昨日……あの……ありがと」
ああ、と微笑が返ってきた。
「落ち着いたか」
「うん」
今日は大丈夫、と頷くに留め、今度はトシュが引っ込むに任せた。もう少し何か言おうかとも思ったものの、自分語りになりかねない気がしたので。
母が死んだとき、泣きじゃくる自分を抱き締めて慰めた父の、体温の悍ましさを今朝になって思い出した。昨夜のうちに思い出さなかったのは、トシュが抱き締めるどころか、頭や肩に手を置くことすらしなかったからだ。思い返せば、ジョイドの前で泣き出したときもそうだった。父とは、違う——自分に懐かせる好機だとでも考えたらしい父とは。母を亡くした幼い娘を本当に思いやっていたのなら、西国人が帝国で生きていても苦労するだけだから、母は却って幸せかもしれない、とは言わない。
父のことがあるから、真っ当ないたわりが身に沁みる。痛切なありがたみを伝えようとすればするほど、だが、二人への感謝よりも父への非難が目立ってしまいそうだ。さりとて、どさくさ紛れに撫で回さないでくれてありがとう、とだけ言われても意味がわからないだろう。
やがて着替えたトシュが再び扉を開け、当然のようにセディカは中へと誘われた。今日の予定を確かめ合うだけなのだけれども、どうにも「口裏を合わせている」気分になるのは、妖怪であるという正体を隠していることが意識されるのだろうか。それとも妖怪云々とは関係なく、巫女服を着たり小人になったりしては、散々周りを誤魔化してきているせいか。
机の上に目が行ったのは、何だかたくさんの紙が置いてあったためだった。呪符や護符の類いと思しきものもあれば、細い巻き物になっているものもあり、これから畳むつもりか折り目のないものもあった。
「計画変更だね。王宮には王様も一緒に乗り込んでもらうよ」
「計画通りなんじゃねえか、そこは」
元より、国王も一緒に、という予定ではあったのだ。死者から生者に変わっただけで。
「王様から目を逸らすためには、セディがこのままご主人様役で目立っててくれた方がいいけど。偽物と対決するときに、狙われるかな?」
「本物の王と俺を差し置いてか?」
「大事にしてるように見えてもまずいかなって」
「……そりゃ、人質にでもされたらやりにくいが。主人と従者でなけりゃ、何だってことにするんだよ」
まあ血縁にも同僚にも見えないねえ、とジョイドは認めた。
「仕方ないか。危ない役を頼むような気はするけど、セディ、このままでいい? 身を守る護符は渡しておくから」
ええ、と少し怖い気もしながら了承すれば、ジョイドは机から紙を何枚か取り上げた。これは胸の辺りに、これは腹の辺りに、これはベールの中にでも忍ばせておくこと、折ってもよいしピンで留めてもよい、などと軽い講釈が入る。
「これも貸しておこうか……これは普通の人が持ってても気休めかなあ」
例の首飾りを外しかけて、迷う。
「これで守れるのは、これの内側だけなんだよね。首にかければ全身守られるっていうわけじゃないんだ。紐を伸ばせれば結構便利なんだけど、仙術や法術を扱えるようじゃないとそういう使い方はできないし」
「首が守られれば大分心配は減ると思うぞ」
その後押しを受けて、結局、紐を少し伸ばしてから差し出した。これが役に立つのはつまり、首を斬られそうになったときだろうかといったことを、深く考えないようにセディカは努めた。