残酷な描写あり
第8回 王子の誇り 息子の怒り:1-3
作中よりも過去における死ネタ、殺害方法への言及が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「思い当たる節はないか? 例えば、聞くところによると、庭園は国王陛下の命令で封鎖されたそうだな。弟がそれを奪って消えた現場だから辛くなる、とかいう話だそうだが、俺が思うに、罷り間違って井戸を暴かれるとまずいからだぜ」
井戸の中には本物の国王がいる。
「同じ頃から、あんたは後宮への出入りを禁じられてるらしいじゃないか。学問に集中させるためだと。それも多分、お母上と引き離すのが目的だ。親子で話してる間に、お父上の様子がおかしいと悟られるかもしれんからな」
夫婦や親子であれば、他人には気づかないことに気づくかもしれない。そして母と子であれば、他人には話さないことを話すかもしれない。庭園を封鎖したのと同じことで、危険の芽は摘んでおきたいのだろう。
「それにな、太子どの——ご主人、すまない——太子どの、我が主人も母上と死に別れた身だ。親が死んだなんていう嘘はとても吐けない」
そこまで言った後で、トシュは脇へ避けた、ようだった。
「とにかく、こいつは受け取ってくれ。俺らが嘘を吐いていようと、これがあんたら王家の宝なのは変わらねえだろ」
ややあって、セディカの掌から翡翠が取り去られた。顔を上げれば、太子は自らの手の中をみつめていた。
「……父上が、亡くなられたと?」
呟きは弱々しく聞こえた。
「そなたたちは何者だ。それが事実であるとして——何故、父上は他の誰でもなく、そなたたちに伝えた」
「何故と俺らに訊かれてもな。うちの大事なお姫さんを巻き込みやがって、どういう了見なのかこっちが訊きたいわ」
「無礼な口を利くのはおやめなさい」
立ち上がりながらセディカはたしなめた。王族相手の言葉遣いでないのは最初からだけれども、度が過ぎる。
口出しされるとは思わなかったのか、トシュは軽く目を瞠ったが、聞き入れる、というより折れる素振りを見せた。
「俺は方士だ。大陸の東の果てに生まれて、大陸の西の果てで修行を積んだ。名乗ることにこの際意味があるかは知らんが、名はトシュ=ギジュ。相棒のことを勝手に話すわけにはいかんが、あいつもやっぱり方士でな。同じ方士ならやつの手管もわかるだろうとお父上は踏んだんじゃないか。——ご主人は俺らに巻き込まれただけさ」
重要な事実が欠けている、とセディカは思った。人間よりも妖怪の血が濃いという事実を抜きにして、トシュが何者であるかを語ったことにはなるまい。だが、必要なことは告げたとも思った。国王がトシュとジョイドを指名し、セディカに仲介を頼んだ理由は、これで十分説明できている。
太子は——顔を半ば、覆った。
「信用せよと?」
トシュが腕を組む。いつの間にか例の棒は菜箸ほどに縮まっていた。
「簡単に信用されても、それはそれで〈錦鶏〉の将来が心配になるけどな。——これは提案なんだが、今からこっそり王宮に戻って、後宮のお母上に会ってみたらどうだ。妻と息子じゃ見える顔も違うだろ」
返事はしばらくなかった。
「このこと、他に誰が知っている」
「外にいる俺の相棒だな」
太子は挑むようにトシュを睨みつけてから、剣に近づいて拾い上げた。離れたまま、こちらへ切っ先を向ける。
「わかった、母上にお会いしよう。我が戻るまで、そなたたちはこの本堂から出てはならぬ。もし悪しき企みありとわかれば、そなたの相棒とやらも含めて三人とも斬り捨てる。撤回するなら今のうちだ」
「承知した」
トシュが片手を顔の横に上げたのは、誓う、という意志表示だろう。……これはいつか聞いた〈誓約〉になるのだろうか。
寧ろ太子は撤回されることを待っているようだったが、やがて剣を鞘に納めると、後退りに扉まで戻って、こちらを睨んだまま外へ出た。扉が閉まって数秒、トシュが肩の力を抜く。
「お疲れ、お姫さん」
そっちも楽にしていいぞ、という呼びかけのようにそれは聞こえたが、セディカは反応を示さなかった。何と言おうか——心当たりがなかったので。
トシュの手が目の前でひらひらと踊った。
「……おいおい、ちょっと落ち着かせただけだろうが」
焦られる覚えはないが、注意を引こうとしたのだろうことは伝わったので、目だけでなく頭も動かして見上げる。しばしの凝視の後、匙を投げたような、叱られることを覚悟したような調子で天井を仰がれた。解せない。
「ま、あれだ。外のやつらを呼ばないとは、話のわかる王子様だったな」
「本当よ。ずっと無礼を働いていたのに」
「って、口は利くのかよ。はん、あいつの親父は偉いだろうが、俺の親父も大分偉いわ」
何だか子供っぽい反抗をしてから、真面目な顔になる。
「朝も言ったが、おまえは小人に憑かれてただけだ。後で何か言われても恍けとけ」
辻褄はジョイドが合わせる、と頼もしいのか無責任なのかわからないことをトシュは請け合った。セディカは笑いも呆れもせず、ただ、そうだろうなと思った。
井戸の中には本物の国王がいる。
「同じ頃から、あんたは後宮への出入りを禁じられてるらしいじゃないか。学問に集中させるためだと。それも多分、お母上と引き離すのが目的だ。親子で話してる間に、お父上の様子がおかしいと悟られるかもしれんからな」
夫婦や親子であれば、他人には気づかないことに気づくかもしれない。そして母と子であれば、他人には話さないことを話すかもしれない。庭園を封鎖したのと同じことで、危険の芽は摘んでおきたいのだろう。
「それにな、太子どの——ご主人、すまない——太子どの、我が主人も母上と死に別れた身だ。親が死んだなんていう嘘はとても吐けない」
そこまで言った後で、トシュは脇へ避けた、ようだった。
「とにかく、こいつは受け取ってくれ。俺らが嘘を吐いていようと、これがあんたら王家の宝なのは変わらねえだろ」
ややあって、セディカの掌から翡翠が取り去られた。顔を上げれば、太子は自らの手の中をみつめていた。
「……父上が、亡くなられたと?」
呟きは弱々しく聞こえた。
「そなたたちは何者だ。それが事実であるとして——何故、父上は他の誰でもなく、そなたたちに伝えた」
「何故と俺らに訊かれてもな。うちの大事なお姫さんを巻き込みやがって、どういう了見なのかこっちが訊きたいわ」
「無礼な口を利くのはおやめなさい」
立ち上がりながらセディカはたしなめた。王族相手の言葉遣いでないのは最初からだけれども、度が過ぎる。
口出しされるとは思わなかったのか、トシュは軽く目を瞠ったが、聞き入れる、というより折れる素振りを見せた。
「俺は方士だ。大陸の東の果てに生まれて、大陸の西の果てで修行を積んだ。名乗ることにこの際意味があるかは知らんが、名はトシュ=ギジュ。相棒のことを勝手に話すわけにはいかんが、あいつもやっぱり方士でな。同じ方士ならやつの手管もわかるだろうとお父上は踏んだんじゃないか。——ご主人は俺らに巻き込まれただけさ」
重要な事実が欠けている、とセディカは思った。人間よりも妖怪の血が濃いという事実を抜きにして、トシュが何者であるかを語ったことにはなるまい。だが、必要なことは告げたとも思った。国王がトシュとジョイドを指名し、セディカに仲介を頼んだ理由は、これで十分説明できている。
太子は——顔を半ば、覆った。
「信用せよと?」
トシュが腕を組む。いつの間にか例の棒は菜箸ほどに縮まっていた。
「簡単に信用されても、それはそれで〈錦鶏〉の将来が心配になるけどな。——これは提案なんだが、今からこっそり王宮に戻って、後宮のお母上に会ってみたらどうだ。妻と息子じゃ見える顔も違うだろ」
返事はしばらくなかった。
「このこと、他に誰が知っている」
「外にいる俺の相棒だな」
太子は挑むようにトシュを睨みつけてから、剣に近づいて拾い上げた。離れたまま、こちらへ切っ先を向ける。
「わかった、母上にお会いしよう。我が戻るまで、そなたたちはこの本堂から出てはならぬ。もし悪しき企みありとわかれば、そなたの相棒とやらも含めて三人とも斬り捨てる。撤回するなら今のうちだ」
「承知した」
トシュが片手を顔の横に上げたのは、誓う、という意志表示だろう。……これはいつか聞いた〈誓約〉になるのだろうか。
寧ろ太子は撤回されることを待っているようだったが、やがて剣を鞘に納めると、後退りに扉まで戻って、こちらを睨んだまま外へ出た。扉が閉まって数秒、トシュが肩の力を抜く。
「お疲れ、お姫さん」
そっちも楽にしていいぞ、という呼びかけのようにそれは聞こえたが、セディカは反応を示さなかった。何と言おうか——心当たりがなかったので。
トシュの手が目の前でひらひらと踊った。
「……おいおい、ちょっと落ち着かせただけだろうが」
焦られる覚えはないが、注意を引こうとしたのだろうことは伝わったので、目だけでなく頭も動かして見上げる。しばしの凝視の後、匙を投げたような、叱られることを覚悟したような調子で天井を仰がれた。解せない。
「ま、あれだ。外のやつらを呼ばないとは、話のわかる王子様だったな」
「本当よ。ずっと無礼を働いていたのに」
「って、口は利くのかよ。はん、あいつの親父は偉いだろうが、俺の親父も大分偉いわ」
何だか子供っぽい反抗をしてから、真面目な顔になる。
「朝も言ったが、おまえは小人に憑かれてただけだ。後で何か言われても恍けとけ」
辻褄はジョイドが合わせる、と頼もしいのか無責任なのかわからないことをトシュは請け合った。セディカは笑いも呆れもせず、ただ、そうだろうなと思った。