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作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第6回 王者が語る 亡者が願う:1-1
「セディがいないと静かだね」

 本を読んでいたジョイドがふと沈黙を破った。まだ眠るつもりはないもののベッドに寝そべっていたトシュは、頭をもたげもしないまま笑う。

「あいつがうるさいみたいじゃんか」

 といっても、セディカがいないから、が理由であることは確かだ。あの少女はもう別室に引き上げたのだから、敢えて賑やかにする必要もないし、話の途中にあれこれ解説を挟む必要もない。

 山を越えてきた旅人たちは、驚きと少々の疑いとを以て迎えられた。この山を越えてきたんで? と最初に出てきた下男は目を円くし、下男に呼ばれてきた院主は、自分がこの寺院に来てからというもの、そんな人間が現れたことはなかったといぶかしんだ。院主の言うことはもっともであった。トシュとジョイドが以前越えたときには、〈錦鶏〉側から帝国側へ向かったし、この寺院は素通りしたし、二人は純粋な人間ではない。

 山賊が出ないって聞いたもので、とジョイドが前々から用意していた建前を述べた。あの首領虎が住み着いたときから、人間の山賊など〈連なる五つの山〉には出没しない。無論、人間のために追い払ってやったわけではなく、虎自身の住み心地のためだ。その当時この山々を根城にしていた山賊が、もし風流を解し詩を好む者たちであったら、むしろ虎は意気投合してその後ろ盾になったかもしれない。

 無茶をしますなあと下男は感心していたが、院主は納得が行かないようだったので、もうしばらくジョイドは弁舌爽やかに喋ったり喋らなかったりし、セディカをゆえあって帝国から落ち延びてきた高貴の令嬢に、自分とトシュとをその従者にしてしまった。いや、肝心のところはわけありげに口をつぐんで匂わせたのであるから、相手がそのように解釈したかどうかはわからないが。二人が従者でも何でもないことを除けば、さほど事実とかけ離れてもいないはずだ。セディカは実家のことをはっきり話さないから、本当のところはわからないものの。

 別にジョイドの独断ではなくて、二人はそれらしくセディカの荷物を引き受けたり、セディカに敬語を使ったりと、寺院に踏み込む手前から芝居を始めていた。山で拾ったのだと素直に話せないわけでもないが、それではセディカが自分のことを、明かすにしても隠すにしてもすにしても、一人で背負わなければならなくなる。二人に振り回される格好になった方が、幾らか気は楽になるだろう。尤も、今となってはトシュはいささか複雑な心境であった。寺院に近づいてからの少女は、至って自然にと言おうか物の見事にと言おうか、いかにも使い慣れている様子で、二人を従者らしく扱ったので。

 かくて三人は一夜の宿を借り、修行用の建物に併設されている寝室の、片方をセディカが、片方をトシュとジョイドが、使うことになった。寺院で一人きりになるのは心細かったのか、少女は青年たちの部屋にやってきて、しばらく喋っていた——というよりも、二人が喋るのを聞いていたけれども。そのときは別に主人然とした態度を取ることもなかった。あれは素直に作戦を遂行しただけなのだ。

 寺院にいても平気なのねとセディカが呟いたときには、口が軽いぜおひいさん、とトシュは自分の唇に人さし指を当てた。誰かが聞き耳を立てているわけでも、偶然聞きつけそうな近くを通りかかっているわけでもなかったが、二人が妖怪であることを前提とした発言は、人里では控える習慣をつけてもらわなくてはならない。慌てて口を押さえたセディカは勘違いしているかもしれないが、知られたところでトシュとジョイドが困るわけではない、知った人間の方がおびえる破目になるのである。ジョイドの設定をおもしろがって、その設定を補強するように「お姫さん」と呼び始めたことについては、セディカは苦笑していたものの嫌がりはしなかった。

「プライドの高いお嬢様だよ。これ幸いと助けられときゃいいのに」

 口を開いたついでにトシュは呟いた。不当な恩を受けている、とでも言うべき抵抗を覚えている節があの少女にはあった。真っ当に恩を注いでくれるはずの実の親に見捨てられたくせに、他人の助けを拒絶していては八方ふさがりにしかならないと思うのだが。

 致し方ない面はある。四分の三は妖怪である、とはアクシデントのような形で明かしてしまったけれど、だからといって少女が二人を理解できたはずはない。つまり、父親譲りの、当の父親には遠く及ばずとも大きな力を、何の修行も積んでいない人間が感じ取れるわけがないのだ。生まれ持ったものにどれほどの開きがあるか、スタートラインがどれほど不公平であったかを真に理解したなら、寧ろ二人にはその不公平をならす義務があるととらえそうなものだ——が、要するに、そのこと自体を理解できるように生まれついていないのだから、どうにもならない。
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