残酷な描写あり
第6回 王者が語る 亡者が願う:1-2
「怖がって逃げられるよりよかったんじゃない?」
「まあな」
それはその通りである。山の中で逃げられて、獣の餌食にでもなられたら後味が悪すぎた。こんな最期を迎えるぐらいなら、木々の詩会に取り込まれて、楽しみながら徐々に朽ちていった方が本人は幸せだったろう、などと述懐する破目にはなりたくない。
「明日出発した後で、あいつが隙を見て逃げ出して——この寺院にでも逃げ戻ってくるなら、それでもよかったんだけどな」
「〈誓約〉を立ててなければね」
「……わかってるから言わねえでくれ」
目を覆う。あははと楽しげな声がしたのは、寧ろ救いだ。笑い飛ばしてもらう他ない。
セディカが実はずっと恐怖を押し隠しているのだとしても。人里に着いたところで思い切って逃げ出して、あの二人は妖怪なのだ、助けてくれと、寺院なり何なりに駆け込んだとしても。気分がよくはないにせよ、別に構わないのだ。たまたま行き合っただけの少女に、拘りも思い入れもない。
だが、この〈連なる五つの山〉にいる間はセディカを守る、とトシュは自らに責務を課してしまったわけで。残念ながらこの寺院は山の中にあるために、セディカがこの寺院に留まってしまえば、トシュはあの〈誓約〉から解放されないことになる。それは勘弁してほしい。
「〈連なる五つの山〉にいる間、に限定した辺りは冷静だったんだけどねえ」
「いや……それは寧ろ逆っつうか」
トシュはぼそぼそと訂正した。
「何かあったときに、ここは『この山』じゃなくて隣りの山だから無効だ、とか言われたらムカつくなと思ったんだわ」
「それはそれで冷静だったと思うけど」
ジョイドは評価を撤回しなかったが、完全に売り言葉であったとの自認があるトシュは慰められなかった。おまえには関係ない、で干渉を阻もうとする者に対する反発——攻撃する筋合いのない相手を思う様に踏み躙っている者ほど、他人から自分への働きかけはそう斬って禁じようとする。とはいえ、あのとき野牛はそういう意図でセディカとの関係を問うたのではなかったはずだ。
今少し格好をつけるなら、人脈や縁故によって人生が左右されることへの反発であるとも言えた。トシュ自身は大いに恵まれているからこそ、セディカのような、縁に恵まれなかったがために不遇をかこつ者にぶつかると、悪者にされたような不快感を覚えるのだ。不公平の体現者、理不尽の権化。守り手たるべき親を一人は早くに失い、一人には見捨てられた無力な少女を見せつけて——何が、言いたい。
そうはいっても、そんな気の毒な少女のためだからといって、〈誓約〉を立てるとは明らかにやりすぎなのである。一般的な誓いとは区別されるそれは、それだけ重く、実効を持つ。守れば天や神の加護や祝福を得られる代わり、破ったときの報いが洒落にならない——端的に言って、破滅が待っている。伴侶に捧げたり主君に捧げたり、自分自身の名誉や誇りを懸けたりするものであって、ただの親切としては度が過ぎているのだ。しかも、それほど重大な宣言をしておいて、あの後は特に危険な目にも遭わなかったのだから、空回りにも程がある。
「そんな話はいいんだよ。で、おまえは何を読んでるんだ?」
トシュは強引に話を変えた。同時に身を起こしたからだろう、ジョイドは片手で読んでいた本を掲げながら、机に置いてあった方の本も取り上げて示した。
「折角寺院だから、経典借りた。あと、〈錦鶏集う国〉の官製史書」
「二冊あんのかよ」
一晩で読む気か。
「経典借りられますかって先に訊いちゃったんだもの。でも、どう考えても〈錦鶏〉でしか読めない〈錦鶏〉の史書にするべきだった」
「どう考えても、なあ」
「鳥を名前に冠してる国は気になるのよ。まだ寝ないんならおまえも読んだら」
建国神話もおもしろいよと勧めるのに、初代国王が生きてる国の建国神話ねえと疑わしげに返す。強行の過ぎた話題転換は特にからかわれも触れられもせず、これだからこの相棒は助かるのだと——口に出しては台無しなので、胸のうちだけでトシュは呟いた。
「まあな」
それはその通りである。山の中で逃げられて、獣の餌食にでもなられたら後味が悪すぎた。こんな最期を迎えるぐらいなら、木々の詩会に取り込まれて、楽しみながら徐々に朽ちていった方が本人は幸せだったろう、などと述懐する破目にはなりたくない。
「明日出発した後で、あいつが隙を見て逃げ出して——この寺院にでも逃げ戻ってくるなら、それでもよかったんだけどな」
「〈誓約〉を立ててなければね」
「……わかってるから言わねえでくれ」
目を覆う。あははと楽しげな声がしたのは、寧ろ救いだ。笑い飛ばしてもらう他ない。
セディカが実はずっと恐怖を押し隠しているのだとしても。人里に着いたところで思い切って逃げ出して、あの二人は妖怪なのだ、助けてくれと、寺院なり何なりに駆け込んだとしても。気分がよくはないにせよ、別に構わないのだ。たまたま行き合っただけの少女に、拘りも思い入れもない。
だが、この〈連なる五つの山〉にいる間はセディカを守る、とトシュは自らに責務を課してしまったわけで。残念ながらこの寺院は山の中にあるために、セディカがこの寺院に留まってしまえば、トシュはあの〈誓約〉から解放されないことになる。それは勘弁してほしい。
「〈連なる五つの山〉にいる間、に限定した辺りは冷静だったんだけどねえ」
「いや……それは寧ろ逆っつうか」
トシュはぼそぼそと訂正した。
「何かあったときに、ここは『この山』じゃなくて隣りの山だから無効だ、とか言われたらムカつくなと思ったんだわ」
「それはそれで冷静だったと思うけど」
ジョイドは評価を撤回しなかったが、完全に売り言葉であったとの自認があるトシュは慰められなかった。おまえには関係ない、で干渉を阻もうとする者に対する反発——攻撃する筋合いのない相手を思う様に踏み躙っている者ほど、他人から自分への働きかけはそう斬って禁じようとする。とはいえ、あのとき野牛はそういう意図でセディカとの関係を問うたのではなかったはずだ。
今少し格好をつけるなら、人脈や縁故によって人生が左右されることへの反発であるとも言えた。トシュ自身は大いに恵まれているからこそ、セディカのような、縁に恵まれなかったがために不遇をかこつ者にぶつかると、悪者にされたような不快感を覚えるのだ。不公平の体現者、理不尽の権化。守り手たるべき親を一人は早くに失い、一人には見捨てられた無力な少女を見せつけて——何が、言いたい。
そうはいっても、そんな気の毒な少女のためだからといって、〈誓約〉を立てるとは明らかにやりすぎなのである。一般的な誓いとは区別されるそれは、それだけ重く、実効を持つ。守れば天や神の加護や祝福を得られる代わり、破ったときの報いが洒落にならない——端的に言って、破滅が待っている。伴侶に捧げたり主君に捧げたり、自分自身の名誉や誇りを懸けたりするものであって、ただの親切としては度が過ぎているのだ。しかも、それほど重大な宣言をしておいて、あの後は特に危険な目にも遭わなかったのだから、空回りにも程がある。
「そんな話はいいんだよ。で、おまえは何を読んでるんだ?」
トシュは強引に話を変えた。同時に身を起こしたからだろう、ジョイドは片手で読んでいた本を掲げながら、机に置いてあった方の本も取り上げて示した。
「折角寺院だから、経典借りた。あと、〈錦鶏集う国〉の官製史書」
「二冊あんのかよ」
一晩で読む気か。
「経典借りられますかって先に訊いちゃったんだもの。でも、どう考えても〈錦鶏〉でしか読めない〈錦鶏〉の史書にするべきだった」
「どう考えても、なあ」
「鳥を名前に冠してる国は気になるのよ。まだ寝ないんならおまえも読んだら」
建国神話もおもしろいよと勧めるのに、初代国王が生きてる国の建国神話ねえと疑わしげに返す。強行の過ぎた話題転換は特にからかわれも触れられもせず、これだからこの相棒は助かるのだと——口に出しては台無しなので、胸のうちだけでトシュは呟いた。