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作者: ビーグル
第3話 空が割れた日 7 ―空が割れた日 世界が……終わった―
 7

 ……………ザ………ワ………ザワ……ザワ………


 しかし、突如、孤独の世界に轟音とは違うノイズが混じった。

「…………?」

 目映い光に目を閉じていた勇気は、その事に気が付くと、その音を聞き分けようと轟音の中に耳を澄ました。

「…………」

 聞こえてきたのは、

 泣き叫ぶ子供の声……

 怒声を発する大人の男の声……

 激しい車のクラクションの音……

 ………。

 そして、勇気が耳を澄まし始めると、轟音は徐々に徐々にと消えていった。
 瞼を照らしていた目映い光も、薄らいでゆくのが分かる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 自分の吐息が聞こえた時、勇気は瞼を開いた。

「また……消えたのか……う……うぅ……」

 勇気の視界は白い靄がかかった様になっていた。強い光を受けたせいだ。焦点もブレて、全てが二重に見える。

「ク……クソッ……」

 目を擦って、まばたきをくり返していると不快感は徐々に消えていく。

「………」

 靄もブレも無くなると、勇気は辺りを見回した。

「あっ……」

 最初に目に入ったのは電柱に衝突した一台の車。クラクションの音はその車から発せられていた。幸いにして車の持ち主は無事だったらしく、車のドアを片手で掴みながら、車外に立ってキョロキョロと辺りを見回している。

 次に、泣き叫ぶ赤子を守ろうとベビーカーに覆い被さる母親の姿。

 その近くでは、腰を抜かして地べたに座り込んだ男が訳も分からず叫んでいる。

 輝ヶ丘高校からも生徒達の叫び声が聞こえてきた。

 そして、暫くすると高校の目の前の住宅街に立ち並ぶ家々からは、住民達がゾロゾロと外に出てきて、怯えた顔で空を見上げ始めた。

 ……ザワザワ……ザワザワ

 皆が思い思いの言葉を口にする。

「何が起こったの?」

「大地震? ついに来た?」

「一体何なんだ……」

「勇気くん……大丈夫?」

 その中に愛の声が聞こえた。

「桃井……」
 勇気は地面に倒れたまま、首を傾け後ろを振り返った。

「大丈夫?」

 愛と目が合うと、彼女は心配そうな顔で勇気に問い掛けた。

 しかし、

「………」

 勇気は答えを返さずに、愛からすぐに視線を外してしまった。そしてそのまま、体を反転させて、仰向けになって大空を見上げた。
 勇気は愛の質問にどう答えて良いのか分からなかったんだ。生きているのだから大丈夫とも言える。でも、心はボロボロだ。勇気は空を見詰めながら唇を噛み締めた。

「………」

 傷付いた勇気の心とは反対に、轟音と光が止んだ空には、朝から何も変わらない心地よい青空が広がっている。
 いや、変わらない訳がない。空に生まれた亀裂は未だ消えてはいなかったのだから。

「………やはり、消え去ってくれなかったか」

 勇気は亀裂に視線を移した。勇気は『もしかして』を期待していた。破壊的な光と轟音が消えた事で『もしかして、亀裂も消えてくれたのではなないか……』と。"今日"何が起こるのか知っている者として、『あり得ない』と分かりつつも、一縷の望みをかける想いで、勇気は空を見上げたんだ。
 だが、その望みは捨てられ。全ては逆に動いた。その事実を勇気は、拳を強く握って見守った。

「………」

 亀裂を睨む勇気の目に映ったんだ。蜘蛛の巣状になった亀裂の一辺一辺がまるで意思を持つように動く姿が。
 そして、蜘蛛の巣状の亀裂は動く度に、まるで卵の殻を中から割るように脈打ち、そしてひび割れ、更に細かくなっていく。
 しかし、今度の勇気はその光景を見ても一つも表情を変えなかった。

「………」

 亀裂が動いているのを知った時、勇気の視界の隅に再び現れたんだ。"恐怖"が……
 でも、もう勇気は慌てない。『抗う術は全て失われた……』そう思うから。
 今、勇気の視界に映る"恐怖"は、初めて見えた時よりも色濃くなり、大蛇のように蠢いて、勇気に向かって『こっちへ来い』と手招きを送っていた。『恐怖の先にある世界……絶望の世界へ一緒に行こう』と。

「………」

 この時、一陣の風が吹いた。その風が、勇気の髪をなびかせ、前髪が目に落ちる。

「………」

 勇気はすぐに髪をかき上げた。空が見えなくなるからだ。空の変化は続いている。
 そして今、細かくなった亀裂の一つが………落ちた。


 "空の欠片"がひらひらと。


 落ちた"空の欠片"は、風に飛ばされ砂埃の様に粒子状になって消えていく。


 更に、二つ三つと欠片が落ちる……


 欠けた空の跡はどんよりと紅く、血の色に似ていた。

「………」
 それを見た勇気は思った。

― 地球が、この世界が、血を流している……

 四つ……五つ……六つ………欠片は落ち続ける。

 ほんの僅かな時間だった。"空が割れる"という壮大な筈の出来事は、いとも簡単に終わってしまった。
 はじめの欠片が落ちてから、ほんの僅かな時間しかかからずに、空にはくれないの穴が空いた。

「………」

「………」

「………」

 勇気はこの光景をただ黙って見ていた。
 しかし、黙って見ていたのは勇気だけじゃない。言葉で説明出来ない出来事に直面すると人間は、言葉を発さなくなるものだ。勇気の周囲の人々も、騒ぐどころか、ただ押し黙り、静寂の中、空を見詰めているだけだった。

 そして、空が割れるのを目撃すると、

「………」

 勇気は目を瞑った。

 紅の穴から、"蛍"が現れたからだ。いや、本物の蛍じゃない。勇気がそれに似てると思っただけ。

 目映く光る、蛍に似た光体が、一匹、二匹、三匹……と、この世界に侵入してきた。

「………」

 勇気は腕時計を叩いた。

「………」

 しかし、何も起きない。

「………そうか」

 自分に何も変化が起こらない事を知ると、勇気は小さなため息を吐いて、瞼を開いた。

「終わった………」
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