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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
20.裁判
 初公判の開かれる六月五日。私は留置所からレディプティオ州立裁判所に移された。

 パトカーの後部座席に刑事に両側を挟まれながら乗る。車から逃げ出さないようにするためらしい。脂臭い大の男二人に囲まれるのは苦痛だった。
 助手席に座る刑事が地元紙の第三面を読んでいる。新聞の左下の小さい欄に私の事件が載っていた。

 事件は『コンフェシオンコルリス東区市民会館殺人未遂事件』という名前で報道された。まだ詳しい犯行動機などは世間に伝えられていない。

 私の右隣にいる、留置場で取り調べを行った刑事が言った。

「裁判の論点は、情状酌量の余地があるか否かだ」

 刑事は横目で私を見て、いじわるな笑みを浮かべる。

「必死に御慈悲を乞うことだな」

 刑務所行きになれば、二度とこいつの嫌な顔も拝めなくなる。嬉しいやら虚しいやらだった。

 レディプティオ州立裁判所にたどり着くと、刑事が私の両脇を挟んで車から下ろし裁判所内に連行した。

 白壁と赤絨毯の質素で広い法廷内の傍聴席には、『ユミン・ナリメさんを救う会』の参加者が十数名、チャグ、おじさん、おばさん、今回の事件に興味を持ったらしい新聞記者、雑誌記者、ノンフィクションライターが集まっていた。傍聴席の柵越しにある証言人席には、父と連れ添いで来た叔父が着席している。父は私を弁護するために証言する気らしい。

 証言台の後ろにある被告人控え席に座って、私はじっと俯いていた。背後の傍聴席から救う会の参加者たちが「負けるな」と熱い眼差しを私に向けているような気がして、落ち着かない。

 開廷予定時刻の三分前に裁判官たちが法廷に入ってきて着席し、中央席の老人裁判長がガベルを鳴らして言った。

「これより開廷します。被告人は証言台に立ってください」

 私は控え席から起立し、証言台に立った。台から見て左側にある検察席には、いかにも冷徹で厳格そうな面立ちのおじさんの検察官がいる。
 裁判長と裁判官、弁護士、検察官、正面左右中央から視線がこちらへ集中して緊張し、私は顔を上げられなかった。

「被告人は住所、生年月日、職業を言ってください」

「住所はユゴ市第三村郡ヤケ村、生年月日は一九四四年三月十七日、職業はユゴ市役所の戦争調査隊員です」

「では検察側、起訴状を読み上げてください」

 検察官が起立し、起訴状の紙を読み上げる。

「ユミン・ナリメ被告は四月二十五日、コンフェシオンコルリス東区市民会館で開かれた戦争体験講演会で父のアト・ネメントさんに対し拳銃を向ける殺人未遂行為に及び、警備員三人に取り押さえられ逮捕されました。検察側は被告を殺人未遂及び銃刀法違反の容疑で起訴します」

 裁判官が私に言った。

「被告人、起訴状の内容に間違えはありませんか?」

「はい、間違いはありません」

「では、被告人は一旦席へお戻りください。検察官は冒頭陳述をお願いします」

 検察官側は事件前の経緯、犯行動機などを冒頭陳述で語った後、警察が警備員三人、戦友会属の現役大佐から聴取した内容を事件の証拠として提示した。犯行現場目撃者がおり、私も容疑を認めているのでクレイズは証拠に異議なしとした。

 裁判長が言った。

「では、証人尋問に入ります。アト・ネメントさんは証言台に立ってください」

 いよいよここからが勝負だ、と私は固唾を呑む。証人尋問と被告人質問で、裁判長が情状酌量を受け入れたくなるようにしなければならない。クレイズから教わった言うべきことを反芻し、頭に叩き込む。

 父は席から立ち上がり、叔父に肩を支えられながら証言台まで向かった。

 私は歩いてくる父のほうへ目を向け、「父さん、頼むわよ。あんたのせいでこうなったんだからなんとかしなさいよ」と心の中で懇願した。

 父は証言台の椅子に座ると、マイクに向かい口を開き、戦争体験講演会で語ったような自身の体験を三十分かけて述べた。

 彼の語った内容は、自分がいかに鬼畜な人間であり、ソニさんにどれほど惨い仕打ちをしたか、そして彼女が犯されたことにより産まれた子供が自分のせいで人生を狂わされてしまったのを心の底から悔いている、というものだった。

 初年兵教育で戦争の道具に改造されたこと。戦場での殺人訓練で人殺しに慣れさせられ人間性を失ったこと。村々で虐殺と陵辱の限りを尽くした日々のこと。母を三週間も監禁し犯したこと。聞くに耐えない罪業の全てを父は暴露した。

 父の凄惨で胸糞悪い戦争体験話は、法廷内に重い空気を立ち込めさせた。裁判長、裁判官、検察官、クレイズは「もう聞いていられない」というように暗く陰った表情で俯いていた。

「僕はナリメさん二人の人生を台無しにした、最低最悪の人でなしです。ナリメさんが僕を殺したいほどに憎むのは当然のことです。僕はナリメさんに銃口を向けられた時、とても嬉しかった。ようやく僕は裁かれて死ねるんだって。でも止められてしまい、ナリメさんは逮捕され罪人になってしまった。このままでは二度もナリメさんの人生を壊すことになってしまうと思った僕は、自分の持ち得る全てをかけてユミン・ナリメさんを救う会を立ち上げました」

 父が少し頭を上げ、裁判長のほうを見つめるのが見えた。

「裁判長、この事件の全責任は僕にあります。僕こそがこの事件の真犯人なのです。本来裁かれるべきはナリメさんではなく、この僕です。彼女が罪人になることは決して望みません。裁判長様、どうか彼女に寛大な判決をお願いします⋯⋯」

 裁判長の表情は険しく、父に対する心証を悪くしたことが見て取れる。父こそが事件の真犯人だろうと裁判長がそう判断してくれたなら、結果は大きく変わるかもしれないと私は期待に心臓を高鳴らせた。

 沈黙が流れた後、裁判長は重いため息混じりに口を開いた。

「⋯⋯なるほど、被告人の犯行はネメントさんの戦争犯罪も一要因となっているのですね」

 そこで検察官が手を上げ、口を挟んだ。

「確かに被告人の犯行動機は、ネメントさん、あなたにも原因があるかもしれません。しかし、あなたを殺そうとしたのは被告人の勝手な意思であり、あなたが事件の全責任を負っているのではありません。あくまで裁かれるのは被告人であり、被告人の犯行のみです。その点を忘れないでください」

 検察官の冷淡で無機質な声色に「減刑なんぞさせんぞ」という意気込みを感じられて、私は竦んでしまう。

 父の肩が落胆したように半ば下がるのが見えた。彼の隣にいる叔父が「兄貴⋯⋯」となだめるように呟く。

 まずい、いきなり検察官から鋭い攻撃を食らってしまった。不安に胸がざわつくものの、私は首を横に振って「いいやまだだ」と自分を鼓舞した。私にはクレイズ弁護士がいる。裁判長たちが父の証言と照らし合わせて、判決を考えてくれるのを願おう。

 検察官の意見に対しクレイズが反論した。

「ナリメさんはヤケ村を虐殺した帝国兵の子供ということで差別され、学校ではいじめに遭い、誰も彼女を助けようとはしませんでした。母親はネメントさんの惨い仕打ちで精神を病み養育放棄状態で、福祉機関に頼ることもできませんでした。

 ナリメさん母子には救いの手が全くなかったのです。そうした孤立無援の中で追い詰められて考えたのが、父を殺して自分も村人たちと同じく帝国兵を憎む一員なのだ、鬼畜の子ではなく皆と同じ共和国民なのだと証を立てようとしたのです。ナリメさんの犯行は彼女個人だけの問題ではなく、様々な不幸が重なったゆえに起きたことなのです」

 検察官は首を横に振り、鋭く冷ややかな目を細めてクレイズに反論する。

「被告人がヤケ村から出られる好機はいくらでもあったと思います」

 検察官の予想外の発言に、高い場所から突き落とされたような衝撃を受けた。ヤケ村を生涯出られぬ世界としか思えなかった私にとって、検察官の発言は不可解で驚くべきものであった。

 検察官は机から一枚の紙を持ち上げる。

「警察の取り調べ資料に、被告人は十六歳で社会に出て市役所に働きに出たが、給料が足りずヤケ村から出られないとある。市役所務めなら、母子家庭補償など福祉支援金制度があることをなぜ知らなかったのか。申請して受理されれば金銭的にも余裕が出て、母子と街で暮らせていたかもしれないのに、なぜそうしなかったのか」

 母子家庭補償。そんなものがあったなんて知らなかった。今までひたすら父を追いかけ復讐することばかり考えていて、彼を殺害しない道など頭にはなかったから。

 検察官は横目で私を一瞥する。無知なあなたの落ち度では? という疑問を投げかけられているような彼の瞳を見て、焦りが冷や汗を伴って込み上げてきた。

 検察官に次々と道を閉ざされていくような気がして、胸に募る不安は膨れ上がっていく一方だった。

 クレイズが反論した。

「終戦記念日の時、ナリメさん宅の畑に除草剤をばらまかれるという嫌がらせを受け、ナリメさんは母親に野宿してでも家を出ようと告げました。しかし、母親はヤケ村から出たくないとごね、出ていくなら死んでやるとナリメさんに言いました。母親が自殺してしまうことが恐ろしくて、ナリメさんは結局ヤケ村から出ることができなかったのです。たとえ母子補償をナリメさんが知っていたとしても、結果的には出られなかったでしょう」

 検察官は間を置かずに素早く返した。

「そのことも、誰かに相談できたはずです。機能不全の家族がいてヤケ村から出られないと福祉機関にでも相談すれば、母親から親権を剥奪してナリメさんを保護できた好機もあったかもしれないのに」

 私の額から冷たい汗が伝い落ちる。助かる道は他にあったかもしれないのにも関わらず、父を殺害することばかりを考えていたという印象を裁判長に与えてしまったら、一気に私に対する心証が悪くなってしまう。

 焦りに焦る私を検察官は氷のような冷たい眼差しで一瞥し、止めを刺すように鋭い口調で言った。

「ナリメさん、あなたは復讐することばかりを考えて、別の人生の道を探そうとしなかった。あなたの犯行は不幸の袋小路に入ってやむなく犯した必然などではなく、最初から綿密に計画し、明確な殺意をもって及んだことでしょう。情状酌量の余地などありません」

 クレイズが無言になる。彼の沈黙に追い討ちをかけられ、気が触れそうになる寸前の私は「どうして黙っているのよ」とクレイズに視線で訴えた。反論の言葉が見つからないのか、彼は難しい顔で俯き沈黙している。

 いつまでも無言を貫くクレイズに、焦燥感が爆発寸前に行き届きそうになった。クレイズさん、あなた弁護士でしょう? 何か反論してよ。これじゃあ検察官に意見を押し通されちゃうじゃない。何とかしてよ。そう叫びだしたくなる衝動を私は必死に堪えた。

 父も落胆したように肩を落としたまま何も言おうとしない。

 法廷にいる誰もが、言葉を発するのを悩ましく思うかのように沈黙を貫いていた。

 このままでは検察官に「身勝手な犯行」と言いくるめられて情状酌量は白紙になり、半世紀並みの懲役が確定してしまう。

 静寂の中で一人身を焦がしながら、誰か助けて、誰か口を開いてと私は心の中で懇願することしかできなかった。

 沈黙を破るように裁判長が口を開いた。

「では、被告人質問に入りま⋯⋯」

「裁判長、待ってください!」

 突如、背後からチャグの声が上がった。
 裁判長が制止する。

「傍聴席の方は静かになさってください」

 ガタッと柵を乗り越える音がし、傍聴席がざわついた。後ろを振り返ると、チャグが法廷に乗り込んで証言台へ向かう姿が目に入った。堂々と侵入してきたチャグに、私は驚き声を上げてしまう。

「チャ、チャグ!」

 チャグは父のそばに寄り、「ネメントさん、僕に証言させてもらえますか」と訊いた。

 父は半ば戸惑ったような表情を浮かべて椅子から立ち上がり、席からどいた。

 父が倒れないように肩を支えている叔父がチャグに言う。

「頼むよ、ホル君」

 チャグの横顔が微笑む。

「はい⋯⋯」

 裁判長が呆れたような声でチャグを叱責する。

「そこの方、傍聴席にお戻りください。言うことを聞かなければ強制退場⋯⋯」

 チャグは裁判長のほうを向いて姿勢を正し、深呼吸した。

「裁判長、僕はナリメさんの生い立ちや事情を知りながらも彼女を救い出すことができませんでした!」

 チャグが声を張り上げると、周りが水を打ったように静まり返った。静寂が再び戻った法廷内に、必死に訴えるようなチャグの声が響く。

「ナリメさんが学校でいじめられていることも、家族に捨てられて物置小屋で暮らしていることも、お母様が精神を病んでいることも、ナリメさんが村人たちのいじめから解放されてたいと願っていることも、僕は全て知っていました。その上で僕はナリメさんを救いたいと思っていました。彼女と親密な仲にもなりました。それなのに、それなのに⋯⋯僕は福祉機関にナリメさんのことを相談せずにいました」

 泣きそうなのか、チャグの声は震えていた。

「一度ナリメさんをうちの養子にしようかと僕の母と相談したことがありました。しかし父は「母親がいるのに養子になんかできるか」と突っぱねました。父に止められてから、他所様だから第三者にはどうしようもないという諦めを覚えました。友達なのに、苦しんでいるのをわかっているのに、僕は他所様の家庭事情に第三者がずけずけと踏み入るのはいけないと思って、踏み止まっていました。今思えば、父の反対を押し切ってでもナリメさんを養子にできるようにすればよかったと後悔しています。

 僕は戦争調査隊という戦争の被害者を救う仕事に就いておきながら、ナリメさんの苦しみを見てみぬふりしていたのです。僕がナリメさんの家庭に深く踏み込んで手を差し伸べていれば、今回の事件は阻止できていたはずなのです。だからナリメさん一人だけの責任ではありません。

 裁判長、この事件が起きたのは僕のせいでもあるのです。何卒、ご理解のほど⋯⋯」

 裁判長は数秒黙り込んだほど、静かに頷いた。それが肯定なのか否定なのかはわからなかった。

「あなたのお気持ちはよくわかりました。ひとまず、傍聴席へお戻りください」

 チャグは頭を下げて踵を返し、傍聴席へ戻ってゆく。

「チャグ⋯⋯」

 チャグは私のほうを見て、半ば申し訳なさそうな顔を浮かべる。

「ユミンちゃんごめんね、急に。我慢できなかったんだ」

 いきなり柵を越えてきたのには驚いたけれど、でも誰もが沈黙する中、堂々と証言台に立ってくれたのは嬉しかった。

「ありがとう⋯⋯チャグ」

 ガベルを叩く音が響き、証人尋問が終了する。

「次に被告人質問に入ります。被告人は証言台へ立ってください」

 目と鼻の先に刃の矛先を向けられたような緊迫感に襲われた。心臓が肋骨を叩くほど激しく脈を打ち始める。裁判長に慈悲を求める機会がいよいよ最後を迎えた。

 失敗したら、もうおしまいだ。

 緊張でかくつく足を動かしながら証言台に立つと、検察官が私に訊いてきた。

「あなたが犯行を計画したのはいつからですか?」

「三年前、私はヤケ村で村人たちや小学校の同級生から「鬼畜の子供」と罵られ、いじめられていました。ヤケ村を虐殺した帝国兵たちと私の姿が似ていて、過去の心傷を抉るから村人たちは怒りと嫌悪感を私にぶつけていたようです。

 私はいつまで村人たちを苦しめる疫病神を演じ続けねばならないのだろう、といつも悩んでいました。そんなある日、私は小学校の図書館で狼羊という絵本を読みました。狼羊のお話はこんな感じです。

 狼が牧場の羊たちを襲い、雌羊を嫁にして子供を産ませました。産まれた狼羊は顔が狼で身体が羊で、仲間の羊たちは彼を狼だと恐れ忌み嫌いました。狼羊は父の狼を殺して、自分も狼を憎む一人なのだと証を立てて皆に認めてもらおうとしました。

 私は狼羊に自分の境遇を重ね、父を殺して自分もヤケ村を虐殺した者たちを憎む一人なのだと皆に認めてもらおうと思いました。皆に認めてもらえたら村人たちも心傷を抉られなくて済むし、私もいじめられなくなるって」

「どのように父親を探したのですか?」

「ヤケ村を訪れた戦争調査隊に勝手に付いていき、ホル一家にあった戦況報告書などからソゴ山の分遣隊基地の場所を探し出し、基地で父の名前を発見しました。当時の戦況資料を探り、叔父さんの居場所を突き止めて連絡を取り、彼から父のいる場所を聞きました」

「なるほど、戦争調査隊や叔父を『利用』して父を探したと」

 利用したとは随分な言われようだが、検察官は私を有罪にするのが仕事だから悪く言うのは仕方ない。

「最後になりますが、あなたが巻き添えにした方々に何か言うことはありますか?」

 周りに迷惑をかけたと認識しているか否かを問われているのかもしれない。私は傍聴席のほうを振り返った。

「皆さん、ご迷惑をおかけてしてすみませんでした。そして⋯⋯」

 私はチャグのほうを向き、父を殺すことを隠して彼に協力を募ってきたことを謝罪した。

「チャグ、今まで騙していてごめんね」

 チャグは小さく笑って首を横に振る。

「いいよ。おかげで僕も過去の追求の旅ができたことだし。むしろ、ありがとう。楽しかったよ、ユミンちゃん」

「チャグ⋯⋯」

 楽しかったよという言葉が心に滲みた。

 ガベルを叩く音が法廷内に響き渡り、私は慌てて裁判長のほうを向いた。

「ユミン・ナリメ被告」

 いよいよ判決を言い渡される時が来たのか。心臓が破裂しそうなほどに高鳴り、全身の毛穴からじっとりと汗が滲み出る。私は背筋を伸ばして返事をした。

「はい⋯⋯」

 裁判長は穏やかな口調で言った。

「あなたは犯行を計画的に練り、明確な殺意を持ち、戦争調査隊などに殺害計画を隠して父親の足取りを探った。有罪を免れることはできません」

「はい、わかっております」

「しかし⋯⋯」

 否定の句を置いてから裁判長は白い眉をハの字にし、憂いを湛えたような表情を浮かべて続けた。

「本事件の背景には帝共戦争があり、父親は戦争で人間性を失ってナリメ被告の母を犯した。結果産まれたナリメ被告はヤケ村を虐殺した帝国兵の子供として差別と迫害を受けた。被告人の運命はまさに生まれた時から狂わされていた。ヤケ村の誰もが被告人を排除し、救いの手を差し伸べようとはしなかった。

 しかし被告人は、ヤケ村の人々が自分の姿を帝国兵と重ねて苦しんでいると思い、彼らに認められて和解するため、父の殺害を計画した。犯行動機には、父親への憎悪だけでなく、ヤケ村の人々の心傷をえぐらないようにしようという優しさも垣間見える。

 復讐以外の道はなかったのか⋯⋯ということについてですが、ナリメ被告は生来より帝国兵への怒りと憎悪に燃え、もはや人生そのものが黒い感情に塗り固められてしまったのだろうと思います。

 私も若い頃に親しかった友人に借金を背負わされて逃げられ、彼を激しく憎んで報復することばかりを考えていました。人間は憎悪に囚われると、相手に対する攻撃ばかりに意識が向いてしまうのです。それは、幼なじみの親友を殺されて敵愾心の塊と化したナリメ被告の父親も同じだったろうと思います」

 裁判長は証人控え席に座る父のほうを見た。

「本事件は殺人未遂事件であり、そして帝共戦争が招いた悲劇の一つと見ます。この事件が、未だに国から救済されていない戦争被害者たちに光を当てるきっかけになればよいと私は思います」

 裁判長は私を慈悲に満ちたような優しい目で見つめ、ガベルを叩いた。

「では、判決を言い渡します」

 法廷に満ちる静寂を更に深く重い静寂が上塗りしてゆく。

「ユミン・ナリメ被告に⋯⋯情状酌量の余地があると見なし、本来ならば懲役六十年のところを⋯⋯」

 裁判長は静かに息を吸い、判決を下した。







「懲役五年の判決を言い渡す」
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