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作者: こむらまこと
第24話 犬吠埼沖糧食盗難事件〈四〉
 一等八面閃光フレネルレンズ。それが、付喪神・ルミエールの本体である。
 1874年に犬吠埼灯台の光源として設置、点灯されて以来、何十年にもわたって数多の船を海難から護り続けてきた。しかし、諸般の事情により付喪神として顕現するより前にその役目を終え、現在は「犬吠埼灯台の初代レンズ」として旧霧笛舎内で展示されている。
 数ヶ月前のある日のこと、ルミエールは灯台のてっぺんにある灯室という部屋の中から、ボンヤリと外の景色を眺めていた。
『なーんか面白いこと、起きねえかなあ』
 そんなことを呟きながら、自分の後継として設置されたレンズをポンポンと叩く。
 犬吠埼灯台のような大きな灯台というのは、大抵が人里離れた場所に存在する。この犬吠埼は観光地としても有名なので人間の出入りは比較的多いが、それでも、ここが辺境の地であることに変わりはない。目の前の大海原を眺めて過ごすのは嫌いではなかったが、ここでの生活はいかんせん刺激が少なすぎた。
『……あの船、どこに行くんだろう』
 ふとルミエールは、遠く航路を北上する船に目を留める。
 多種多様な形や大きさをした船が、来る日も来る日も北へ南へ流れていく。灯台の役割が船を導くことというのはもちろん知っていたが、その船がどこから来てどこへ行くのか、そもそも目的は何なのかなど、今まで考えたこともなかった。
『俺もあの船に乗って、どこか知らない場所に行ってみてえなあ』
 もちろん、本気で考えたわけではない。付喪神である自分は、本体から遠く離れて活動することはできない。その本体だって、巨大なフレネルレンズなのだ。余程のことが起きない限り、ここから他の場所へ移ることも無いだろう。
『それでも、ちょっとだけ乗ってみたりとか、できねえかな……』 
 そんなことを考えながら、自分の隣にあるレンズに何気なく触れた次の瞬間。
『……は?』
 ルミエールは、犬吠埼の遥か沖合を航行する貨物船の上に立っていた。
『はあ!?』
 慌てて周囲を見渡し、遠く左舷さげん方向に白亜の塔が立っているのを認める。ここからだと小さくて分かりにくいが、それでも、それが犬吠埼灯台であることは本能的に理解できた。
『うそ、なんで……』
 呆然と立ち竦むルミエールは、あることに思い至る。
 自分の後継として70年程前に設置された、あのレンズ。付喪神として顕現するまでにはもうしばらく時間がかかるが、その妖力が着実に増大しつつあることを、ルミエールは日々感じ取っていた。
『そうか、あいつが力を貸してくれたのか』
 もっとも、自我は未だ形成されていないはずなので、仲間であるルミエールの意識に自動的に反応して、その願いを叶える力を分け与えたといったところだろう。
『そうとなれば、遠慮なく楽しんでやるぞ!』
 元より怖いもの知らずのルミエールは、かつてないほど本体から離れていることなど全く気にせず、意気揚々と貨物船の探検を開始した。
 貨物が積み込まれた船倉せんそうを覆うハッチカバーの上を軽やかに跳ねながら通り過ぎると、船の操舵室や居住区がある部分に到達し、躊躇せず船の内部へと侵入する。
『意外と狭いんだな』
 それなりに人間の存在には気を配りつつ、物珍しげにキョロキョロと船内を見回しながら通路を進んでいく。
『――美味そうな匂いがする』
 やがて、食べ物の匂いを辿って辿り着いたのは、船の調理室。そっと中を覗くと、何人もの人間が大きな鍋をかき回したり包丁で食材を切り刻んだりと、忙しく働き回っていた。
 見たところ霊力の強そうな人間は居なかったが、さすがに人の密集した調理室に入ることは避けて、すぐ隣の食堂に入ってみる。
『これってもしかして、おにぎり?』
 そこでルミエールは、十数個のおにぎりが大皿に並べられているのを見つけた。犬吠埼を訪れた観光客が食べているのを見かけたことはあるものの、ルミエール自身はまだ一度も口にしたことが無い。
 ちなみに、このおにぎりは乗組員の軽食として作られた物だったのだが、そんなことを知るはずもないルミエールは、純粋な好奇心からおにぎりを手に取って、試しに少しだけ齧ってみた。
『うん、ウマいな』
 良い具合に塩が効いた白米のシンプルな味が、口の中に広がる。
 もうひと口、今度は大きく齧ってみる。
『ん! ウマい!!』
 口の中を満たす魚介類の香ばしい匂いと旨味に、ルミエールは目を丸くした。齧ったところを確認すると、ピンク色の具材が顔を覗かせている。おにぎりの具材の定番中の定番、鮭だった。
 出来たてのおにぎりのあまりの美味しさに、ルミエールは夢中になっておにぎりにがぶりつく。1個だけでは飽き足らず、2個目のおにぎりにも手を伸ばす。
 背後で叫び声が上がったのは、2個目のおにぎりを半分ほど食べた頃だった。
『こ、子供っ!?』
『っ!?』
 振り向くと、自分を見て唖然としている人間の姿が目に入る。完全に油断し切っていたルミエールは、あたふたと手を振り回した。
『あっ、いや、そのっ!』
 焦りながらも、咄嗟に自分の本体であるフレネルレンズの姿を強く念じる。
 次の瞬間、ルミエールは、自分の本体が展示されている旧霧笛舎内に戻っていた。
『び、びっくりしたあ』
 無事に帰還できたことに安堵すると同時に、自分がしでかした大冒険の無謀極まりないことをジワジワと自覚し、ぶるりとその身を震わせた。
 それからというもの、ルミエールは週に2、3回のペースで船に「跳ぶ」ようになった。人間の食べ物の美味しさを知ってしまったことにより、もっと色々な食べ物を試してみたいという欲求にかられてしまったのだ。それに、単純に船に「跳ぶ」こと自体が楽しかったというのもある。
 ルミエールは船に侵入する度に、必ず調理室や食料庫を探し出した。ある時は食料庫からお菓子を持ち帰り、またある時は調理室にて、人間の隙をついて定食のトンカツを鮮やかな手つきで口に放り込み、更には冷蔵庫にデザートのプリンがあるのを見つけてその甘さに感激する。
 そうして十分に船に「跳ぶ」経験を重ねたある日のこと、ルミエールは初めてあかりを誘った。
『そんなに本体から離れて、本当に大丈夫なの?』
 灯室にて、あかりが不安そうに沖合を行く白い船を見つめている。
『心配するなって! もし危なそうだったら、俺が力を分けてやるからさ』
 対するルミエールは、頼もしい笑みを浮かべてガッツポーズをとってみせる。
 あかりは、かつて福岡県の沖ノ島灯台に設置されていたフレネルレンズの付喪神だった。しばらく前にその役目を終え、現在は犬吠埼灯台の資料展示室にて、回転装置と一体となった堂々たる姿で展示されている。
 そんなあかりが付喪神として顕現したのは、かなり最近の事だった。ルミエールも響も、あかりが新しい仲間として加わったことをとても嬉しく感じており、とりわけルミエールは、兄貴分としてあかりに良いところを見せたいものだと、常々機会を伺っていたところである。
 そういうわけでルミエールは、2回目となる巡視船「あずま」への侵入を果たした。「あずま」を狙ったのは、偶然ではない。初めてあかりを連れていくにあたり、万全を期して侵入したことのある船を選んだのである。
『これ、ヘリコプターっていうんだ。ほら、たまに空を飛んでるやつ』
『すごーい。こんなに大きいのね』
 初めて船に乗ったあかりのために、船内をひと通り案内してやってから食料庫へと向かう。
『あれ?』
 そこには、前回は無かったはずの結界が存在していた。あかりが、怯えた様子で扉に貼られた御札を凝視する。
『ねえ、もう戻った方が良いんじゃない?』
『せっかくここまで来たんだ。こんな結界、すぐに壊してやるよ』
 あかりに格好良いところを見せたいルミエールは、付喪神としての意地もあり、俄然張り切って結界を壊しにかかった。
『うおりゃあああああ!!』
 バチンッ。
 小さく火花が散って、燃えカスと化した御札がパラパラと床に落ちる。
『ヘヘンッ、どんなもんだい!』
 不安そうに燃えカスを見つめるあかりの前で、ルミエールは得意げにふんぞり返る。
 そして、食料庫から普段より多めにお菓子を頂戴して、犬吠埼灯台に帰還したのだが。
『げえっ!?』
 そこで2人を待ち構えていたのは、険しい顔をした響だったというわけである。



 ルミエールが語り終えると、響が缶ジュースを片手にため息をついた。
「コソコソ隠れて何かやってるなとは思ってたのよ。でもまさか、本体から何kmも離れたところで人間たちの食料を盗んでたなんて、思いもしなかったわ」
 ルミエールが日々退屈な思いをしている事は響にも分かっていたため、当面は様子見に徹するつもりだったという。しかし、まだ右も左も分からない状態のあかりを巻き込んだとなると、ルミエールと同様にあかりのことを大切に想っている響としては、追求しないわけにはいかなかった。
「しかし、『門』も造らずに瞬間移動とはのう。レンズとやらは実に興味深い」
 カナがスティック状のチョコレート菓子をポキポキ齧りながら、感心したように頷いている。
 一同は今、犬吠埼灯台敷地外の駐車場にいた。カナや付喪神たちは皆、駐車場を区切る低いブロック塀や車止めのブロックなど思い思いの場所に腰掛けて、どこまでも広がる青い海を眺めながらマイペースにお菓子やジュースを飲食している。
「そこは感心するところじゃないでしょう」
 まりかはカナを窘めると、ちょうどポテチを食べ終えたルミエールに質問をした。
「響にバレてからは、一度も船には行ってないの?」
「……2回行った」
 少し逡巡してから、気まずそうにルミエールが白状した。その視線は、呆れ顔の響とまりか、そしてカナの間をそわそわと行きつ戻りつしている。
 見た目こそ少年の姿をしているが、ルミエールは紛うことなき付喪神だ。まりかとカナが尋常ならざる存在であることは、とっくに理解しているらしい。そして、それは響とあかりについても同様だった。3人とも、カナからは程よく距離を置いて座っている。
「ルミエール。君に頼みがある」
 ルミエールの斜め向かいに腰掛けていた明が、そっと切り出した。ルミエールは黙ったまま、目だけで先を促す。
「今後は一切、無断で船から食べ物を持ち出すのは止めて欲しい。これは俺だけでなく、船に関わる全ての人間からの願いだ」
 穏やかながらも、断固とした口調でそう言い切る。
「……」
 ルミエールが、しょげ返った顔をして目を伏せた。
 今、彼の中で色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っているのだろうと、注意深く見守りながら明は考える。
 付喪神たちをどう説得するのかについて、明とまりかは、事前にとことん話し合っていた。その最中で2人が合意したことのひとつに、「盗み」という言葉は使わない、というものがある。
 人間側から見れば、ルミエールがしていたのは明らかな窃盗行為である。しかし、ルミエールは「人間」ではない。
 まりかの母、エリカのように、恒常的な実体を得ているなどのいくつかの条件を満たせば、就籍して人間社会で暮らすことは可能だし、その場合は当然、人間の法律も適用される。だが、ルミエールや響、あかりはそうではない。少し語弊はあるが、今回のことは船倉に住み着いた鼠が食料をくすねていたのと大差がなく、もっと言えば自然現象のようなものであるとすら表現できてしまう。
 まりかと明がもっとも憂慮していたのは、「盗み」という言葉を使うことにより、付喪神たちに必要以上の罪悪感を抱かせてしまうことだった。盗まれた側からすれば、例え相手が怪異や妖だったとしても、きちんと反省してほしい、悔いてほしいと願うところだろう。しかし、そんな人間側の懲罰感情を彼らに押し付けることが適切であるとは、まりかも明も考えてはいなかった。
 それよりもここは単純に、どうして船の食べ物を勝手に持ち出されると困るのかということを丁寧に説明して、人間側の事情を理解してもらった上で協力を求める方がずっと穏当だし、現実的である。
 そういうわけで、明はあえて感情を込めずに淡々と、船員にとっての食の重要性や船という特殊な環境下での生活について3人に解説した。
 話し終えると、一同の間に沈黙が訪れた。穏やかな海面上では海鳥が鳴き交わし、カナは炭酸のペットボトル飲料をラッパ飲みしている。
「……もう、船には行けないの?」
 ルミエールが俯いたまま、ひどく切なげな顔で呟いた。
「ちょっと」
「待って」
 何か言おうとした響を、まりかが制す。
「いや、行けるさ」
「へっ?」
 思わぬ言葉に、ルミエールは意外そうな顔で明を見た。
「俺らが困ってるのは、食い物を持ち出されることに対してだ。予め分かっているなら、何の問題にもならない」
 明はポカンとした表情のルミエールに笑い返すと、少しだけ改まった口調で、こう宣言した。
「海上保安庁は、あなたたち付喪神を歓迎する」
「フンッ。なーにをエラそうに」
 カナはペットボトルから口を離すと、明の言葉を小さく混ぜっ返した。
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