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作者: こむらまこと
第23話 犬吠埼沖糧食盗難事件〈三〉
 三方を海に囲まれた断崖絶壁に屹立する、犬吠埼いぬぼうさき灯台。1874年にイギリス人技師の設計によって建造されたこの白亜の塔は、それから140年以上が経過した現在もなお、110万カンデラの眩い光を放って夜闇を進む船を導き続けている。
「まさに絶景ね」
「圧巻だな」
「うむ!」
 朝7時を少し回った頃。まりかとカナ、そしてあきらの3人は、雄大な太平洋を臨む犬吠埼灯台へとたどり着いた。
 幸いにも、本日は晴天なり。海況もすこぶる良好で、晴れ渡った青空と穏やかに波打つ海面が遠く水平線で交わり、ひとつの青に溶け合っている。
「これは、なんとも泳ぎ回りたくなる光景ではないか」
「頼むから、崖から飛び込んだりしないでよね」
「分かっとるわい!」
 口うるさく注意するまりかに、カナが小さな拳を振り上げて言い返す。
 カナの服装は、例によってアニマルデザインのパーカーである。昨日、出発ギリギリまで悩んだ末に、フードがサメの顔となった紺鼠色のものを選んだのだが、縁どりがサメの歯を模した白いギザギザになっているのがカナにピッタリであると、まりかと明はこっそり思っている。
 ちなみに、まりかの説得により、今回は太ももまでの黒いタイツを履かされている。最初は落ち着かない様子だったが、初めての電車の旅やホテルで過ごす体験により気が紛れたらしい。傍目には特に気にしていないように見える。
「せっかくだから、後で登ってみようっと」
「登る?」
 心地よい海風を受けて両手を大きく広げていたカナが、怪訝そうな顔でまりかの方を振り返る。
 まりかの服装は、スーツでも赤橙の衣装でもなく、動きやすさ重視の普段着だった。足元はスニーカーで、髪はスッキリとまとめて〈夕霧〉のみを挿している。また、明もスーツや制服ではなくボサっとした感じの普段着を身に付けていた。これは何も気合いが入っていないとかではなく、極力しようという、2人なりの配慮によるものである。
 カナの問いに、まりかがボストンバックの肩紐を掛け直しながら、白亜の塔を指さした。
「犬吠埼灯台は『参観灯台』と言ってね、一般の人でも灯台の上まで登れるのよ」
「むう! それはなんとしてでも登らねば!」
「ちょっと!」
 まりかの静止も聞かず、カナは一目散に灯台へと走り去ってしまった。今回は普段の外出時のようなスリッパではなく、水遊びにも使えるメッシュシューズを履いているため、カナがその気になれば十分機敏に動けるのである。
「はあ、全く」
「追った方が良くないか?」
 やれやれと首を振るまりかに、明が心配そうな顔で確認する。
「大丈夫よ。こういう時は、好きにさせてあげるのが一番なの。それにね」
 ふと、まりかが意味深な表情を浮かべた。
「あの子、子供じゃないから」
「えっ?」
「行きましょう」
 明が問い返す前に、まりかが歩き出した。明も慌てて後を追う。
 明は、早足でまりかを追い越して先に受付に辿り着くと、受付の担当者と何やら言葉を交わした。事前に話は通してあるとのことで、明はすぐにまりかの方を向くと、そのまま敷地内に入るように促した。
「本当に入館料を払わなくてもいいの?」
「まだ開館前だし、業者扱いにしてくれるってさ」
「なんだか申し訳ないし、代わりに募金でもしようかしら」
 そんなことを話しながら、白い壁にぐるりと囲まれた犬吠埼灯台の敷地内に足を踏み入れると、灯台の少し手前まで進んで一旦立ち止まった。
「さてと。どっちから確認しようか」
「そうねえ」
 明とまりかは、敷地内に存在する建物のうち「犬吠埼灯台資料展示室」と「旧犬吠埼霧信号所霧笛舎」を見比べながら思案する。
「……製造年が古い、つまり、年上の子から順に話を聞いてみるとか」
「そうだな、そうするか」 
 まりかの提案に明が同意して、再び歩き出そうとした時だった。
「あら。こんな早い時間に、もうお客さん」
「っ!」
 唐突な気配の出現に、2人は素早く振り向いて声の主に向かい合う。
「……付喪神」
 まりかはそう呟くと、安心して肩の力を抜いた。同じく、明も警戒を解いて自然体に戻る。
 2人の背後、間合いよりも数歩遠いくらいの位置に立っていたのは、1人の少女だった。
 外見年齢は10代後半。ほっそりとした身体には、半袖のブラウスと水色のロングスカートを身に付けている。黄色いカチューシャを挿した黒髪は腰までのストレートヘアで、足元を飾るのは目にも鮮やかなエナメルの赤い靴だった。
 少女の姿をした付喪神は、2人の反応を見ても特に驚く様子もなく、首を傾げて小さく笑う。
「そろそろ来るんじゃないかなって、思ってたところなのよ」
 少女の、薄曇りの空の下に立ち込める深い霧のような灰色の瞳が、明を見て、次にまりかを見た。
「あら」
 意外そうな声を上げて、少しだけ目を見開く。
「あなた……あの時の子ね。姿はすっかり変わってしまったけれど、間違いないわ」
「えっ、私のこと覚えてたの?」
 今度は、まりかが驚きの声を上げる。
「ええ、だって」
 少女がクスリと笑った。互いに驚き合う自分たちの様子に、愉快さを感じたらしい。
風の乙女シルフィードが、人間の子供を連れていたのよ 。あんな珍しいこと、ここでは滅多にお目にかかれないじゃない?」
 明が、怪訝そうな顔でまりかを見た。まりかは苦笑いして少女を見返している。 
 事務所で作戦会議を重ねる中で、まりかは明に対し、一度だけ家族旅行で犬吠埼灯台を訪れたことがあると話していた。そして、その時に付喪神らしい少女の姿を見かけたことも。
 しかし、自身の家族構成やエリカの正体などの私的領域プライベートに関わることは、まだ何も話していないのだ。
「あら、何か不味いこと言っちゃったかしら?」
 2人の微妙な反応に、少女がはたと口を抑える。
「いいえ、気にしないで。それより、もし名前があるのなら聞いてもいいかしら。私はまりか、よろしくね」
 まりかは、半ば強引に話題を変えた。明も、何事も無かったかのように少女の方を向いて、自己紹介をする。
「俺の名前は明。海上保安官なんだけど……海洋怪異対策室って聞いたことある?」
 そっと探るように、少女の反応を伺ってみる。
 少女は明の質問には答えず、胸に手を当てると、そっと大切そうに自分の名を口にした。
「あたしの名前は、ひびきというの。響って呼んでくれていいから」
 響は、敷地の奥の方を指さした。
「ここで突っ立ってるのもなんだし、向こうでお話しましょう」
 そう言って、スタスタと歩き出す。まりかと明は顔を見合わせて頷き合うと、響の後に続いた。
 3人は「犬吠埼灯台資料展示室」の前を素通りして、その隣に広がる小さな草地にたどり着く。
「やっぱり、あなたは霧鐘むしょうだったのね」
 を目にするなり、まりかが腑に落ちたという顔で頷いた。
「ふふっ、知っててくれて嬉しいわ。みんな、レンズの方にばかり気を取られるんですもの」
 響が嬉しそうに笑って、コンクリートの台座に安置された本体を見上げる。
 それは、霧鐘と呼ばれる巨大な鐘だった。
 閃光によって船を導く灯台に対し、霧鐘は、濃霧に覆われて視界不良となった船を、一定の間隔で打鐘だしょうして音を響かせることによって遭難を防ぐ役割を持つ。
 この霧鐘はかつて、青森県は下北半島の尻屋埼しりやざき灯台に設置されていたが、その後紆余曲折を経て、現在は犬吠埼灯台敷地内のこの場所で、ひっそりと余生を送っている。
 響は、コの字型の水色の鉄骨に吊り下げられた自分の本体から目を離すと、コンクリートの台座に背中を預けて明を見た。
「海洋怪異対策室のことなら、少しだけ聞いたことがあるわ。人間に対する明らかな害意が無い限り、怪異や妖を無闇矢鱈と傷つけるようなマネはしないんですってね」
「ああ、その通りだ」
 すかさず明は、はっきりと答えた。
 響はそれを疑うでもなく、小さく首を傾げて笑いかける。
「何があったか、聞かせてもらえないかしら」
 明とまりかは、再び顔を見合わせた。何もかもを把握しているとでもいうような口振りの割に、全く焦る様子の無い響に対し、2人は戸惑いを感じている。
(悪意は、無いみたいだけど)
 まりかは、素早く周囲の気配を探った。ごくごく微弱な霊力をさざ波のように周囲に広げて、反響定位エコーロケーションの要領で怪異や妖、人間の存在について確認する。
(……後ろに2人いるわね)
 ただ、害意の様なものは特に感じられない。このまま放置しても問題ないだろう。
「明、とりあえず全部話してみない?」
「ああ、そうだな」
 明は首肯した。どの道、ここのにはこちらの事情を詳しく説明するつもりでいたのだ。
「それじゃあ、私が主に説明するから、明は海保の被害について補足してくれる?」
「ああ、頼む」
 こうしてまりかと明は、霧鐘の付喪神・響に対して事件の概要を説明し始めた。響は一言も口を挟まず、時折小さく相槌を打ちながら、ひたすら耳を傾けている。
 2人が話し終えると、響は小さくため息をついた。それから、まりかと明の少し横まで進んで、建物の陰に向かって声をかける。
「ルミエール。そこで聞いているんでしょう。あなたにお客様ですって」
 数秒後、響とは別の付喪神が顔を覗かせた。そろそろと顔の半分だけを出して、こちらの様子を伺っている。
 まりかは、2、3歩前に出ると、安心させるように笑いかけて手を差し伸べた。
「あなたとは多分、初めましてよね。大丈夫よ、何もしないから」
「……」
 まりかの呼びかけに、その付喪神がおそるおそる建物の陰から出てくる。
 そして、その後ろには3人目の付喪神がいた。不安そうな様子で、2人目の服をギュッと握って立っている。
「あなたがルミエールなの?」
 まりかが、優しい声で問いかけた。
「うん」
 ルミエールが、ぶすっとした声で短く答える。
「その後ろの子の名前も、聞いていいかな」
 今度は明が、穏やかな声で問いかける。
「こいつは」
「私は、あかり!」
 ルミエールの声を遮って、3人目の付喪神が精一杯叫んだ。
「そう」
 その微笑ましい光景に、まりかと明は思わず頬を緩ませる。
 2人の付喪神は、どちらも子供の姿をしていた。
 少年の姿をしたルミエールと、小さな女の子の姿をしたあかり。
 ルミエールの外見年齢は、大体10歳くらいに見える。耳の上までの栗色の巻き毛に、長い睫毛に覆われたヘーゼルアイの瞳。足元は裸足で、白いシャツと緑色の吊りズボンの袖と裾を捲ったその姿は、いかにもガキ大将といった印象である。
 一方のあかりは、ルミエールよりも更に幼く、7、8歳くらいに見えた。肩より少々短い黒髪に、焦げ茶色の瞳。少し丈の短い赤色の着物と草履という組み合わせは少々古めかしく感じるが、同時に心地の良い懐かしさも感じられた。
「ルミエール」
 響が、相変わらずぶすっとした様子の仲間に呼びかける。
「あなた、この2人に何か言うべきことがあるんじゃないのかしら」
「……うっせーな」
 ルミエールがボソリと呟いた。
 キッと顔を上げると、思いっきり響を睨みつけて叫び出す。
「大体、俺より遅く生まれたくせして年嵩ぶるのは止めろって、いつも言ってんだろ!」
「たった数年の違いじゃない。それに、あたしの方がよっぽどオトナな性格をしてると思うけど?」 
 響が、自分より背の低いルミエールを煽るように見下ろす。
 しかし、ルミエールがすかさずビシッと言い返した。 
「なーにがオトナだよ! 響だって、俺が持ち帰ったポテチをちゃっかり食ってたじゃねえか!」
「そ、それは……」
 響が、気まずそうに視線を逸らして口を抑えた。
「だって、捨てるのももったいないし……ねえ?」
 まりかと明をチラリと見て、ペロリと小さく舌を出す。
「ほら見ろ! 偉そうなこと言えねえじゃねえか!」
「2人とも止めてよお」
 あかりが半泣きになって、ルミエールのシャツを引っ張っている。
「えっと、取り込み中のところ悪いんだけど」
 まりかが、少し大きい声を出して間に割って入った。付喪神たちにこの場を任せては、とても話が進みそうにない。
 まず、まりかはルミエールに向き合った。両手を膝について、少し目線を低くする。
「ルミエール。あなたが、今回の事件の主犯ということでいいのかしら」
 穏やかに、かつ有無を言わせぬ雰囲気を醸し出しつつ問いかける。
「う、うん……」
 まりかから何かしらの圧を感じ取ったのか、興奮状態だったルミエールが素直に頷いた。
「あかりも、一緒に船に行ったの?」
 今度は、少し声を柔らかくしてあかりに訊ねる。
「え、えっと」
「あかりは1回だけだ! それだって、俺が強引に連れてったから、その」
 ルミエールが、あかりを庇うように必死に言い募る。
「本当なの?」
「う、うん……」
 あかりが、躊躇いがちに頷いた。
 まりかが、身体を起こして小さく息を吐く。
「あ、あのさ!」
 ルミエールが、思い詰めたような顔でまりかに話しかけた。響とあかりも、不安そうな様子で2人の人間を見つめている。
「まさか、俺たちを祓いにきたなんてこと」
「しないわよ」
「しねえって」
「へっ?」 
 ルミエールが、虚を衝かれたような顔をした。
「今日はね、あなた達と話がしたいと思って来たの」
 言いながら、ボストンバッグの中からある物を取り出す。
「あっ、お菓子!」
 ルミエールの顔がパッと輝いた。響とあかりは、思いもよらないといった顔でお菓子と人間たちを交互に見ている。
「みんなで食べながら話しましょう」
 まりかが、にこやかに小さな付喪神たちを誘う。
「敷地の外側には出られるか? さすがに、ここで飲食するわけにはいかねえから」
 明が、響を見て確認した。
「ええ、その程度なら全然平気」
「良かった。それじゃあ、行きましょう」
 まりかが門に向かって歩き出した。
「ルミエール……」
「大丈夫だって」
 不安そうなあかりをルミエールが促し、まりかの後に続く。
「こんなの、良いのかしら」
 困惑した様子で呟きながら、響も歩き出す。
(食べ物で釣るというのも、あんまり良くない気はするけどな)
 響の斜め後ろを歩きながら、明が苦笑いする。もっともそれは人間の子供の話であって、この最果ての地に住む3人の付喪神たちに菓子を振る舞うくらいのこと、たまにしたってばちは当たらないだろうとも思っている。
 そういうわけで、お菓子で緩んだ雰囲気の元、ちょうど灯台から降りてきたカナも加わり、ルミエールの口から事件の全容が語られることとなったのだった。
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