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作者: 嵩都 靖一朗
残酷な描写あり R-15
霧ノ病~Ⅵ
 
 
 
〈異変〉が生じたのは、いつ頃か。
医師の身体からだすでに、原型をとどめていない。

膨張ぼうちょうする。
肩、腕の筋肉。

土気色の粉をく皮膚がヒビ割れ、裂けるごとに突き出す鋼板こうはんのようなうろこ

ビチャビチャ と ... どす黒い体液をき散らしながら肥大していく。
奇怪な生体を見上げながら、カーツェルはつぶやいた。

「 ... フェレンス ... 」

本来ならば、片時もそばを離れるべきではなかった ... 
自身のあるじたる者の名を ... ...


冷え込みを増す大気。


寒気と違和感を覚え、ノシュウェルは丘を振り向いた。
住民の避難誘導に工舎こうしゃ地帯まで向かう隊員が、馬を走らせ
急勾配きゅうこうばいを駆け上る姿が、岩陰の合間にチラホラと確認できる。

異端ノ魔導師はすでに、現場付近で〈境界〉の敷地を確保しているはずだ。

「巻き込まれるなよ ... 」

令を下した部下の無事の帰還を祈りつつ。
彼は、付近に積まれた物資を次々と開いていく作業員に目を配って歩いた。

取り出されたのは、金、銀の装飾と共に、印の掘りしるされたミスリルのくい
手際よく丘の裾野すそのに配備されていく中。
厳重に封印された金縁きんぶち箱型鞄トランクを目にした折り。

胸の階級章を外したずさえたノシュウェルは、おごそかにそれをかざす。

魔術的な文様の中心に、国章であるひし十字が描かれている。
その封を解けるのはあつかいを許可された隊、指揮官のみ。

印をつらねたコードが投映され、呼応して開く。
姿をあらわしたのは、真紅の魔石。

マーキスカットをほどこされたそれは、妖艶ようえんに輝き。
手に取った彼は、しばしのあいだ見入る。
だが直ぐに気を取り直し、足早にくいの設置場所へと向かった。

続いて兵士の数名が石を取り、各所に散る。
それはまるで、街灯に火をともしていくかのような作業。

男達の身長をえる杭の腹に収められていく魔石は、
フッ ... と吸い込まれるようにして装置の中に浮き上がる。
すると、カットの表面にあるツイストラインに沿って回転し、
杭に対し魔力を供給しはじめるのだ。

さあ、これで装置の起動作業は終了した。
しかし法を展開するには、まだ早い。

仕事へ出掛けた鉱夫たちの避難完了まで、あとどれほどかかるだろう。
ザワザワと ... 嵐を予感する木々のように。
ノシュウェルの胸は張り詰めていた。


見上げれば、雲が... いかずちびてうなる。


時を同じくして。窓際に立つクロイツは、
雲間を走る閃光を眺めながら、とある人物と対話した。

「ああ。手筈てはずは整っている。気遣い無用だ。 フフ ... お前こそ ... ... 」

古風な受話器をす通信機器を手に、微笑する監視官。
「フェレンスを拘束されて不自由するのは奴等やつらの方だからな。
 精々せいぜい報復ほうふく矛先ほこさきが行き違わぬよう見張れ」
相手は誰なのか、主題すら明確ではないが。
「うむ。そうだな。お前が私のさくに乗るなど思いも寄らなかった ... 」
異端ノ魔導師をめぐるやり取りであることは察するに容易ようい
「 ククク ... フェレンスに会えないのがそんなに辛いか?」
にぶく光るは、策士の瞳。

話の締めくくりに口元を釣り上げ、ニヤニヤ と笑いながらクロイツは言った。

「そうくな。上手い具合に〈奴等〉を誘い込めたら、
 直ぐにでも引き会わせてやる。お前の、愛しのフェレンスにな ... ... 」


今はまだ、姿を見せぬ役者が一人、
また一人と、舞台そでの暗闇に出揃でそろい始めているようだった。


そんな最中さなか、戦線に立つ。

靴裏をりながら後退あとずさり。
身構え、呼吸をしずめ。

こしの後ろに手を伸ばしたカーツェルは、ベルトに固定した護身用のダガーと
指先程の弾丸 ... ではなく。金属で口の閉じられた硝子ガラス製の魔導莢まどうきょう
同時に抜き取ると、素早くダガーの装填そうてんした。

肥大していく魔物はいくつもの頭角で医院の天井を引っいては突き上げ、あらぶる。
振動しきしむ建材。耳を疑う奇怪なうなり。
ただならぬ物音に、逃げまどう施設関係者。

日常的に閑散かんさんとし、患者も少なく、別棟が主な入院施設という構造も幸いしたのだろう。
診察室付近から一切の人の気配を感じなくなるまで、そう時間はかからなかった。
避難を呼びかけるまでもない。

彼は、目の前の魔物に集中し、出方を待った。

すると、喉元のどもとまで並ぶきばき出して、
額と両のこめかみに位置した赤いガラス球のような瞳を見開いたソレが、襲い来る。

... 刹那せつな

くうるカーツェルの手元から、風刃ふうじんが放たれた。
装填された魔導莢まどうきょうの効力である。

一室から駆け出し、柱ごと壁面を刻んで魔物の行手をはばむ。
魔物が突き上げた天井から崩落していく医院。
ところが、下敷きになっても安々やすやす瓦礫がれきを吹き飛ばす脅威の生命体は、
壁を打ち砕きながら追いせまった。

ハッ ... ! ハァ ... ... !

呼吸を短く切って駆け抜ける。
壁の表面を横に走る亀裂と並び。

ついには、追い抜いたそれが停止した瞬間。
彼は目を見張り、息を飲んだ。

〈 ビシ ッ ... ... ! 〉

直後のひずみで建物全体に生じる割れ目。
零 , ゼロ・コンマ数秒の静止画。

石壁の塗材がパキパキとがれ落ちるのを視界のはしに見ながら。

一歩、二歩。

強く踏み込み身を低くしたカーツェルは、天井が大きく沈んだ拍子、
窓ガラスが一斉に砕け散ったのと同時に窓の外へ向かい飛び出した。

〈 ガシャ ーーーー ン !! ドドド.. ゴゴゴゴ... !! 〉

医院が半壊する。

その光景を外庭で見ていたふくよかな患者は、放心状態で口を開けたまま。
一目散に逃げだす看護師らを他所よそに、取り残されてしまっていた。
だが、崩れ落ちた医院の一角が再び吹き飛ぶのを目撃し、
ようやっと気を取り戻した様子で。
彼女は奇声を上げながら飛ぶように、その場を走り去って行く。

更に、また一方では。
飛び散った瓦礫がれきが、雨のように降ろうとしていた。

その真下を通りかかった鉱夫の、悲惨な局面。
驚愕し目をいて空をあおぐ、彼は祈った。

「ぁああぁぁぁ ... 神様ぁ、神様ぁ、神様ぁ、神様ぁぁ... 」

壁が降ってくる。
マジ ありん。 

ムリ ムリ ムリ !! 死ぬぅぅ ... ... !!

終いには声にすらならない。
絶望し、真上から差す瓦礫がれきの影の中心でへたり込んでしまう鉱夫だったが。
彼は、幸いにも命を救われた。

医院の窓から飛び出し、丁度その場に居合わせたカーツェルが
彼を軽々とかつぎ上げ、素早く離脱したのだ。

肩口で風を切り瓦礫の波と雨を回避しつつ、
一歩 々 、滑り込むように地を踏み。
時としてに宙へとおどり出て。

一蹴りで建物を悠々ゆうゆう飛び越える。
その姿は、魔導師の錬金符を身に宿し空中戦を得意とする、
帝国軍遊撃隊・槍兵そうへい彷彿ほうふつとさせた。

助けられた鉱夫は、とある工舎の屋上に下ろされたところで
直様すぐさまに礼を言おうと口を開きかけるが。
脱力しひざをついたカーツェルの姿を見て、上ずり声をのどまらせてしまう。

「 ヒィ ッ ... ... ! 」

ガクガクと震え、ようやっと言葉をしぼり出す男。

「だだ だ ... 大丈夫なのか ... あんた ... それ ... 」

だが、それはもう突拍子とっぴょうしもない質問に変わってしまっていた。
鉱夫の視線の先には、カーツェルの腕。
白いシャツの両袖がまばらに血で染まっている。

「今すぐに、ここを立ち去れ。 フェレンスの ...
 〈異端ノ魔導師〉の境界に迷い込んで、凍え死にたくなければな ... 」

苦しげに吐き出される息。
警告を聞いた男は、顔面蒼白となってカーツェルと距離を置いた。
そして、礼を言うのも忘れて逃げ出す。

無理もないのだ。

突如とつじょとして医院に現れた魔物キメラ。身に降り掛かる災難。
立て続けに異端ノ魔導師などと聞かされたのでは。

冗談じゃない ... !! 異端ノ魔導師と言ったら、
敵も味方も一括ひとくくりにして戦線をしずめるって、人的災害の代名詞じゃないか ... !!

半ば工舎の外階段を飛び降りた男は、遠くに人影を見つけて声を上げた。

「助けてくれ!! 頼む!!」 

血のしたたる腕をぶら下げ ユラリ と立ち上がったカーツェルは、
男の行く先に帝国軍の制服を見かけ、確信する。

「やっぱりな ... フェレンス。どうやら アイツ が、お前を裏切ったらしいぜ ... 」

カーツェルの視線に気付いて物陰に消える。あれはクロイツの取り巻き。
以前から、軍に属す者と見受けられる動作を、多々目にすることがあったやからだ。

なりりをひそめて住民の誘導に当っているところを見ると、
魔物キメラ討伐にさいしては魔導師の支援を原則とする ... といった軍の規律にしたがう気は無いよう。

「帝都の公会議が終決したんだ ... ... 結果が見て取れる」

恐らくは、フェレンスの扱う〈複合錬金〉の認可を取り消されてしまったのだ。

「あの野郎 ... クロイツとつるんで、お前の身柄を拘束するつもりなんだ。
 腐りきった帝国にくみする奴なんか、どいつもこいつも
 泥沼に首までかって気狂い起こしてるってのに。
 お前、アイツのこと信頼してるとかかしてたよな ?
 俺の忠告を無視してドツボまる気分はどうだ?」

それ見たことか ... とでも言わんばかり。

独り言のように彼は話した。
そのあいだ、シャツの前端まえはしつかみ、ボタンの縫い止めをブチブチと引き破り。

息を荒らげ。

「エリート審問官だか何だか知らねーが。あんな小僧クソガキ ... 」

奥歯を噛み締め、カーツェルは更に言いかける。
しかし、この町の何処どこかで光の弓を引いく、フェレンスのささやきにさえぎられた。

―――『否決の流れは予感していた ... ... 
     だが、彼の意図するものであるかどうかは、まだ分からないだろう?』

放たれた矢が工舎地帯上空を切り裂いて、カーツェルの目に触れた瞬間の事だ。
鳥へと変じたそれと、繋がる視線。

青光せいこうまと長尾ながお棚引たなびく。
カーツェルの頭上を旋回するまぼろしは意思疎通そつうの中継をつとめた。


かた紫紺しこんのローブにそでを通し、
大振りのストールをフード代わりにして肩に巻きながら、フェレンスは言う。

 ―――『いい機会だ。くわだてにじょうじ彼の話しを聞きに帝都へ戻るのも、悪く無い』

すると、鳥を目で追うカーツェルが言いあらためた。

「おやおや ... このに及んでもなお、
 あのような 童 如わっぱごときをかばい立てなさるとは、なげかわしい」

されど不機嫌を隠そうとはしない。
ほどけたタイをえりから抜き取り、彼は歩き出す。

血に染まったシャツを吹き込む風の中にぎ捨てると。
生々しく残る傷痕があざのように色濃く浮かび上がり、
更にジワジワと開いて ... 血をにじませた。

フェレンスは再び馬にまたがって、言葉を返す。

「文句や泣き言は、私の言い付けを守れるようになってからにしてもらいたい。
 許可無くそばを離れるなと、日頃から言い聞かせてきたはずだ。
 そむいたうえあやうく壁の下敷きになりかけたのは
 何処どこどいつだ? それでも私の専任か?」

「お言葉ですが、旦那様。下敷きになりかけたのはわたくしでは御座ございません」
『私があらかじめ、お前の半覚醒をうながしていなかったら?』
「 ... ... ... 」

くやしいが、反論できなかった。

何 ダョ コイツ ... 怒 ッ テ ン ノ ... ? 

聴かれぬよう小声で愚痴ったつもりだが、筒抜つつぬけ。

『茶化すんじゃない ... 』

まぼろしのくせに、上空から威圧的にフェレンスの言葉を浴びせてくる鳥。
ムカついたので視線をらすと、可愛げに不貞腐ふてくされたって無駄だと一喝いっかつされてしまう。

そもそも血だらけで何を言っているのかと。

フェレンスからしてみれば、予感が的中して良かったのか悪かったのか。
近くに居なかったので、こうするしかなかったが。
思いをめぐらせながら、携えた法儀球ほうぎきゅうを前方に放ち、彼は飛んだ。

その向うは断崖絶壁だんがいぜっぺき

急停止する馬を残し、ストールを羽衣はごろもえて羽ばたく。

眼下に望むは、白岩しらいわ渓谷けいこく

かつて、シャンテの都を建築するにあたり、深く深く、切り込まれ。
廃坑となった現在も、坑道は昔のまま。残されているらしいが。

これだけの空間が確保できるのであれば、それが縦方向であろうと支障は無い。
境界をくのに人や建物を巻き込まずに済むのであれば、
ここ以外の場所は考えられなかった。

ただ、一つだけ問題がある。

あのカーツェルが、いさぎよく飛んでくれるかどうかだ ... ...

炭鉱企業の工舎は渓谷沿いに並び。巨大な滑車をゆうする。
分岐装置の切り替えによって、それぞれの坑道から貨車ごと荷を引き上げるためだ。
カーツェルの居る位置からなら、工舎地帯郊外を迂回うかいするより、
公舎をまたいで飛び降りてくれたほうがはるかに近いはずなのだ。

魔物キメラおびき出すなら、断然こちら側。

フェレンスは心を決め、近くを浮遊する儀球ぎきゅうを手元に呼び戻した。

そして言う。

むをん ... 勝手にそばを離れたばつとでも思ってもらおう」

その言葉を耳にしたカーツェルは、もう、嫌な予感しかしない。

お前は飛ぶことが出来ないのだから、当然、普通に落ちて行くだろう。
そなえてやりたいが私は境界をくのに ... ... ウンタラ カンタラ 。
何やらブツブツ言っているのが聞こえるが。

お待ち下さい、旦那様。

「いったい何の話で御座ございましょう ... 」

出来れば聴かなかったことにしたかった。
だが、その時だ。
フェレンスのたずさえた儀球がひび割れ、散る。

〈 ドクン... 〉

「 ... !? 」

カーツェルの意志に反して、高鳴る鼓動。

嫌がると分かっていて、強行するつもりか... !?

聞くまでもなく。
何をどうしたいのかは、先程の訳の分からない話の下りでも粗方あらかた想像がついてしまう。
あらがったところで仕方がない。

とんだ主人の横暴おうぼうだが。
カーツェルは腹をくくった。

くちびるを噛み締めて胸元につめを立てる ... と、
血のしたたる腕の傷に蒼火あおびが宿り。
焼きがすように皮膚をきながら、
印文いんもんかたどる傷跡を辿たどってうでい登る。

蒼火はいつしか彼の胸に達し、心臓をえぐり出した。

〈 ドクン ... ! 〉

息が詰まる程に強く打ち付けるみゃく
だが、胸を裂かれる苦痛とは裏腹に ... 高揚する。
カーツェルうめいた。

「... フェレンス... 嗚呼ああ... ... 」

ポタポタと流れ落ちて止まなかった血が、瞬く間に乾き、気化するかのように散る。
駆り立てられ上気し、カーツェルは身をらして咆哮ほうこうした。


〈 ヴ オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ ォォォ... !!!! 〉


「さあ、ひざまずけ。 ... この関係を望んだのは、お前だろう? カーツェル ... 」

うれう瞳を伏せてささやく。
先頃とは一変して ... フェレンスの声は悲しげだった。


散り々になった儀球の欠片かけらは、崩したパズルのように拡散かくさんし。
いくつもの魔法陣となって術者をかこう。

一部は歯車のように結びつき。
また一部は複製と相対を繰り返したのちに結合。

義球内部を流れ星のように行き交うしるしは時に表を返し、四方につむがれた。

この複雑怪奇ふくざつかいきな魔法陣は、複合錬金における回路基板。
カーツェルの古傷をう蒼火は、くさびの発動を意味した。


   くさびの法 ... それは、魔導兵を召喚するにあたり、
   契約者を相応ふさわしきうつわえる。

   術者に命を捧げると誓った者の潜在能力を引き出し、
   何倍にも増幅させる覚醒段階にほどこされるのがおも

   つまりは、契約者の身体からだきざまれた法ノかせを通じ。
   力の暴走を防ぎつつ、制御せいぎょするための呪縛じゅばくである。

   また、文字通り。

   たがいの心身を強く結び付けることによって。
   おのが全てを召喚のかてとしささげる事となる、契約者の魂に限り。
   術者の保護下に置く役割もあるとされている。


――― 覚醒かくせいせよ ... ...
   〈Despierta la habilidad ... ... 〉

フェレンスの命が下ると共に、進化していく生体。

カーツェルのうでの傷が発する蒼火は冷気をともない、やがて彼の心臓を凍らせる。
だが、鼓動を失っても彼の発する狂気的なうなりは止まない。

失われし ... 禁断ノ翠玉碑エメラルド・タブレットに記された異端の法。

複合錬金・覚醒術。

一個の生命体を人為的に変異させる、そのわざは、
故意に魔物を創り出すも同義であることから、異端の並びに属する。

認可も無く施行しこうすれば、謀反むほん見做みなされるのだ。

フェレンスの拘束こうそくを望んでいたクロイツの狙いはそこにある。
だが、本来であるなら認可が取り消されることなど有りなかった。
何故なぜならば。フェレンスの後楯うしろだてには、とある権力者がいたからだ。

クロイツの対話相手と、カーツェルの言うアイツとは、共通の人物に他ならない。
フェレンスは裏切られたのか。それとも ... ...

疑惑の背景で、轟音ごうおんと共に半壊した医院の残骸ざんがいが、土煙を上げながらうごめいた。

カーツェルのはなった風刃には行動を制限する作用もふくまれていた模様。
所謂いわゆる、呪いである。
にぶい動きで、とうとう、その薄気味悪い姿をさらす魔物。
だが、それはまだ変異なかばと思わしき形態。

ノロノロと中途半端な反撃を見せるも、実にわざとらしいと感じた。
狙いは何か。見えいている。
それを形成する人格の狙いもまた、〈異端ノ魔導師〉なのだ。

だが、思い通りにはさせぬ ... ...

カーツェルは思った。

下僕しもべの支配を示唆しさする ... あるじ詠唱うたよみを聞きながら。

嗚呼ああ ... 偉大なる魔導師。敬愛するあるじよ ... ... われに力を ... ... 〉

り付けられるような痛みにすら心地よさをおぼえる。
陶酔とうすいする彼は知らずらずのうち、式礼にじゅうじていた。
走馬灯のようにかすんで見えるのは、幻覚だろうか。

最中さなかの折り。

カーツェルの両腕に刻まれたかせノ刻印が、蒼火を弾いてくっきりとあらわれた。
一見すると刺青タトゥーのようにも見えるが。

... 違う。

青光りしあるじと繋がるくさびの具現は、冷たく。
全身の肌を青白くめた。
衣服は長い腰布こしぬのに変じ、彼の容姿もまた変貌へんぼうする。

雄々おおしき獅子ししたてがみ幾重いくえにも並ぶ頭角。
数種のひつじ、そして鹿しか、それぞれの特徴を合わせ持つそれは
身体をめぐる刻印と通じ、あるじの魔力をより強く反映して輝いた。

痛みと幻覚から解放された彼は、いさみ引き締まる面差しを持ち上げ。
やがて、背後の魔物に対し向き直る。

百足ムカデのように伸びた胴体どうたいをうねらせるそれは、野太い声で語りかけてきた。

随分ずいぶんと待った。
 ... さて。異端ノ魔導師の下僕しもべ。主人のもとへ案内してもらおうか〉

けものうなりに近い。だがそれでいて驚くべき事に。
うるわしい雰囲気をただよわせる若者の声が重なって聞こえるのだ。

カーツェルの意識をかいし、
渓谷内を浮遊するフェレンスもまた同時に、その声を聴く。

純真なる少女。ルーリィの兄。ルーウィルか ... ...

自らの意志による変異を可能とした。これまでに類を見ない魔物の不可思議な知性。
フェレンスは、まだ見ぬ彼の内に異様な気配を感じていた。


――― 魂ノちぎり ... 冥府へといざなわんとす、なげき昇華しょうか ...
   〈Contrato del alma... Tratando de sublimar el dolor que invita al infierno ... 〉

    下僕しもべよ ...
   〈riado ... 〉

    お前が命を差し出すならば、苦痛を快楽へとえてやろう。
   〈Si usted dedica sus vidas, cambiaremos el dolor al placer ... 〉
    お前が心をささげるならば、怒りも悲しみも喰いつくくし、力へとえてやろう。
   〈Si dedicas tu mente, cambia la fuerza de comer la ira y la tristeza ... 〉


呪文詠唱うたよみくさびを打ち固める。
杖を取り出し、展開した魔法陣を指し魔力を高めると。
谷底から吹く風に巻き上げられる銀髪が、蒼く煌々こうこうとした光を受けてつやめいた。

複合に用いられるのは、精神と万物の基質エリクシール
この世に存在し得ぬ異物の精製をたすは、異端のわざ

基盤たる魔法陣を前後左右、そして上下に拡張し、両腕を広げると共に。
の魔導師は、下僕しもべ掌握しょうあくを完了する。
その姿は、放光する球状のかごとらわれた ... 黒鳥こくちょうのようでもあった。

一方、覚醒をて魔人化したカーツェルは、冷気をまとう巨体を起こし胸を開く。
のどらしながら深く息を吸い込むと、吐く息に チラチラ と蒼火がじった。

一歩、また一歩と踏み込むごとに凍てつく足元。
そして彼は立ち向かう。

半壊した医院の瓦礫がれきをガラガラと押し退けながら襲い来る魔物は、
ひたいを建物に叩きつけつのでカーツェルの足元をえぐった。

案内を要求する言葉とは裏腹に。
蟷螂カマキリのような素早さで足を伸ばし斬りつけ、肩を並べる工舎を次々と引き崩しながら。

身をひるがえ縦横無尽じゅうおうむじんにそれを回避する雪白せっぱくノ魔人は、
必要に応じ氷の壁や柱を足場にして魔物を撹乱かくらん
谷へと誘導するかのような動きをとった。

戦いに応じるような素振りを見せても。
自ら仕掛けることは無く、むしろ後退こうたいしていくのだ。


苛立いらだつ。


思惑おもわくどおりとはゆかぬ展開に、荒々しさを増す追撃。
狙いの魔導師を屈服くっぷくさせるのに正面からいどむ必要は無いのだ。
下僕しもべおびき出すに至った事の次第。
だが、このままでは境界へと引きり込まれてしまう。

それでも、引くに引けぬのだ。

身の凍るような寒さに包まれた暗闇に、手足を喰われながら。
辛うじて侵食されぬままに残った心臓の放つ薄明かりのもと ... とある若者がつぶやいた。

『今ここで、片腕を折らないと ... 魔人を冥府めいふに沈めないと ... 』

あの異端ノ魔導師に、〈禁断ノ翠玉碑エメラルド・タブレット〉の
在処ありかを吐かせることなんか、出来るわけがないんだ。

『何としても、取引に持ち込んでやる ... ... 少し時間がかかりそうだけど、
 良い子で待ってるんだぞ ...? ルーリィ ... 』

必ず世界を変えてやるから ... ... もう、二度と ... 
もう、誰にも ... お前を、けがされないように ... ...


退しりぞく魔人の背後に渓谷がせまる。


早く ... 奴にそそがれる膨大ぼうだいな魔力をつんだ ... ...
早く ... 奴を殺して、魔導師の力を半減させるんだ ... ...

ある時、魔物は長い胴体を高々と持ち上げ、
うろこの合間から突き出た背鰭せびれに憎悪の獄炎をはらませた。
谷の何処どこかで待ち受けるフェレンスの、すような視線を感じ。
激しい危機感をおぼえたのだ。

霧ノ病におかされた若者のれのて。

だが彼は魔物キメラ化してもなお暴走もせず。
いまだ自我を保っているかのよう。
あらゆる欲を失い、心が麻痺まひしていく過程に例外は無いはずだが。

何故なにゆえ... ...

渓谷けいこくはざまに浮遊しとどまるフェレンスのローブが、吹き付ける風に激しくなびく。
複雑な魔法陣を展開する儀球ぎきゅうの内側にいて、杖をふるるい操作する中。
カーツェルの能力をつかさどる魔法陣を目の前にインしるえるあいだも。

フェレンスは、とある可能性について思いをめぐらせていた。
 
 
 
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