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作者: 月緋ノア
残酷な描写あり R-15
御伽話と旅の始まり
ディケムの東門を抜け、街の外へ
 大地のマナの穢れの顕現たるエジダイハが、領主アルティムに唆されて子供を作った。
 この星に存在しなかった種族、人間との子供だ。
 人間の女は長い時間をかけてエジダイハの子供をその子宮で育て、やがて産み落とした。
 子供はレイナスと名付けられた。
 たとえどんな生まれであったとしても、人の姿をした我が子を母親は慈しみ、愛して育んだ。しかしその子供の発育は人間に比べはるかに緩慢だった。レイナスが大人になるよりも先に、母親がマナになって世界へと消えていった。
 レイナスはそして、領主によって大地の大精霊アメリウムに預けられた。
 肥沃なる大地を守護するアメリウム、そして大精霊と精霊たちはレイナスを長い長い時間をかけて大人にまで育て上げた。
 しかし、それが起きたことで、アメリウムは穢れた大精霊として個体を確立した。
 レイナスは、それからずっと巨大な化物として広大な大地を徘徊しては過剰なる肥沃を振り撒き続けている。


「と、まあかいつまんで云えばこんなところだ。俺も風の噂で聞いた程度のことだが、紛れもない事実なのは間違いない」

 アールセンはひどく辛そうな顔をしてそう語った。
 リノア達一行はディケムの街の瓦解した東門を抜け、色彩の溢れる大地へと足を踏み入れたところだった。爽やかで香り豊かな風の吹く、清々しい場所である。
 翡翠色の空の天頂付近にシロスが鎮座しており、穏やかながらも眩しい日差しを落としていた。

「それ、ってなんだったんですか?」
「ん? 俺も詳しくは知らないんだ。とても良くないことが起きたんだってことしかわからない」

 アールセンが微かに視線を下げたことに、ミアベルだけが気づいた。しかしアールセンの表情と声音から微細な感情の変化を感じ取り、あえてそこを突っ込むことはしなかった。それ以上の問答は無意味だと感じ、押し黙る。
 リノアは視界の端から端まで広がっている色鮮やかな景観に目を奪われていたため二人の表情の変化に気が付かなかった。
 
「ふうん。あの巨大な大顎が元々わたしたちと同じサイズの生き物だったなんて、まるで信じられない」

 しかし、リノアが気にしたのはその部分だった。彼女にとっては自分が目にした存在が、元々は自身と同じ規格の存在だったのが一番の驚きである。何が起こってレイナスがそのような怪物になってしまったのか、それが今はリノアの目下の謎だった。

「それはそうだろう。不可思議なことが多いこの世界でも、そこまでのことが起こる事例は多くはない。しかしそれもまた事実」
「へえ。なら、もう一度彼女? と会うのが俄然楽しみになってきた。話が通じるかはわからないけど」
「肝が据わっているようで何よりだ」

 アールセンとミアベルが苦笑し、息巻くリノアを眩しそうに見つめた。その視線に気づかないリノアが、二人の前に躍り出て先に立つ。
 シロスの光を浴びて、リノアの瑠璃色の髪が光沢を帯びた。その背後でふわふわと揺れて彼女を追うのは不恰好な大剣。微かに視認できるほどの竜巻を纏いながら浮かぶそれは、重力を無視しているかのように軽やかな動きをしている。
 リノアが振り返ると、その動きに合わせて大剣が背後へと移動した。それを面白そうに目で追いながらリノアが感嘆の声をあげる。

「これはすごいな。背負う必要がない上に、勝手についてくる。使う時は――こうか」

 リノアが右手を中空へと振りかざすと、大剣は暴風とともに一瞬で掻き消え――リノアの右手から旋風を起こしながら姿を顕現させた。その柄を握りしめ振り抜くと、突風が巻き起こる。草木がざわめき、アールセンとミアベルが気圧されるほどにそれは異彩を放っていた。

「うお、こいつは……」
「うぅっ……呑まれそうです」

 アールセンはその正体に心当たりがあったが、頭を振ってそれを否定した。なぜリノアにそのような気配があるのか、その理由を突き止めるまでは先入観にとらわれたくなかったのだ。
 ミアベルはリノアの奥に見える黒い太陽が、禍々しい光を波紋のように放つのをしかと捉えていた。それが自分へと到達した時に、胸をギュッと締め付けられる感覚を覚え、へたりこんでしまったのだった。
 リノアが咄嗟に大剣を手放してミアベルへと駆け寄る。

「すまない、大丈夫か? あなたを怖がらせるつもりはなかったんだ、ミアベル」
「いえ、大丈夫です。少し当てられただけなので。それにしても本当にすごいですね、その耳飾り……剣がまた背中に戻ってます」
「本当だ、放しただけなのに戻ってくるのね」
「戻ってこなきゃ困るだろ? それにしてもさっきのは……」
「わたしにもわからない。ただ振り抜いただけだから」

 そりゃそうだよな、とアールセンは頬を掻いて遠くへと視線を馳せた。そのままぶつぶつと独り言を呟きながら歩いていく。
 リノアはアールセンを尻目にミアベルの手を引いて立ち上がらせ、全身に異常がないかを確認した。彼女の無事を確認し、安堵のため息を漏らすと、改めて自分達が進む方向へと振り返る。その先ではアールセンが、開けた場所の真ん中で何かを探すように顔をあちらこちらへと向けていた。
 アールセンに近づいた二人が、しかし彼とは違うものに注目する。

「リノアさん、これ、何か変じゃないですか? 私は道だと思っていたんですけど、それにしては何か……新しいような」
「うん。何かを引きずったような感じだ。それに、この辺りだけ草の様子がおかしい気がする」

 開けた場所そのものは、そもそも道だったような様相を呈している。しかし、その中央には土が抉られたような新しい痕跡と、その端をなぞるように茶色く枯れた草花と、緑豊かな新芽が生えていた。

「これは……あの大災禍が通った場所に生えていたものと似ていますね」

 三人はここまでに、レイナスによって破壊された街を通過してきた。そこには、一晩経過したこともあり死体こそなかったが、枯れた草花の形跡がそこかしこに存在していた。それと酷似した痕跡なのである。

「ああ、これを辿ればレイナスの元へと辿り着けるだろう。あれほどの巨体だ、身を隠すことは不可能に近い。だが、これを追いかけるだけじゃあ、スマートじゃない」
「どういうこと?」
「もしものことを考えて、情報を仕入れておかないとな」

 アールセンがにやりとして痕跡とは違う方向へと顎を向けた。そちらへと続く道も確かに存在しているが、レイナスが作った幅の広い道に比べれば随分とこじんまりとしている。しかしアールセンはその方向に吹く爽やかな風を感じていた。何より、その先に何があるかを知っているような口ぶりである。
 リノアとミアベルはその余裕の言葉に怪訝な態度を示しながらも、一理あると頷いた。

「ならば進むとしよう。……ああそうだ、この先には災獣が出没するから気をつけていくぞ。ミアベルちゃんは俺から離れないように。リノアは周囲を警戒してくれ」
「災獣って確か……攻撃性の高い動物のこと?」
「その通りだ。説明はいらないみたいだな」

 リノアは首肯した。
 ヴァルティエからの教えがあったのを思い出したのだ。加えて、それと実際に戦う経験もあったことを。戦闘経験の数こそ少ないが、こういう存在もいるというヴァルティエの教示と経験がリノアの中にはあった。

「任せて、一通りは戦えると思う」
「そいつは頼もしいな。災獣は上手くやれば食べられるから、状態よく頼むぜ?」
「料理は任せてください。それくらいなら私、できますから」
「――楽しみだな。ならわたしも頑張らないと」

 リノアとミアベルが顔を見合わせて笑った。
 リノアは軽くだが、ミアベルは心底嬉しそうな笑顔をしている。彼女はようやく回ってきた自分の役割に喜びを隠せないでいた。それはリノアと出会ってからのほとんどを彼女に救われてきたのために、彼女のためになることがないかを探していたからこそ。

「考えるとお腹が空いたな」
「そうですね。何も食べてませんし」
「なら、向かいがてら一つ狩りでもするとしようか。幸いこの先は野菜や果物には困らない土地だ。誰も管理の権利を主張しない自然の場所だから、楽しく行くとしようぜ?」

 アールセンがふらふらと先導して歩き出した。その後ろにリノアとミアベルが続く。
 舗装されていない自然にできた獣道のような場所へと三人は足を進めていく。その両隣では、草木が緑に生い茂り、果実をつけたり、花をつけたりしている。それを眺めながら歩くこと少し、リノアが立ち止まって視線を上げた。

「美味しそうだな」

 リノアの視線の先にはたわわに実った果実があった。食欲を刺激する赤色で、大きく丸みを帯びている。光を浴びて艶めく果実に、リノアの目は釘付けだった。その隣で目を丸くしたのはミアベル、腹を抱えて笑い出したのはアールセンだ。

「よほど腹へりなんだな。くくっ、あれは食べられるから安心していいぞ」
「大きな果実ですね、あれはなんなんですか?」

 ミアベルが興味深そうにアールセンへと尋ねるのを横目に、リノアは軽快な足取りで樹木を垂直に駆け上がり、たんと幹を蹴り付けて枝先に実った果実をもぎ取った。果実を無くした枝が寂しく揺れてさらさらと音を鳴らした。

「わぁ……やっぱりすごいですねリノアさん」
「それで、これはどんな食べ物なんだ?」

 リノアがしゃくりとそれの表面を齧り取りながらアールセンに問うた。

「あー、それはヴァプルって名前だ。確かファルはそれをリンゴみたいだって言っていたらしいが」
「ふうん……甘酸っぱいのがいっぱい出てくる。しかも歯ごたえがいい感じで美味しい――ミアベルも食べてみたらどう?」

 リノアが恍惚の表情を浮かべてミアベルにヴァプルを手渡した。
 ミアベルはリノアの噛み跡のついたヴァプルをじっと見つめて、自分の心臓が高鳴るのを感じた。そのどきどきが果実への期待か、それとも違うものなのかわからないまま、ヴァプルを食べてみる。

「んん~! とってもジューシーですね……こんなに甘いものを食べたことないです」

 ほっぺが落ちそうになるのを支え上げるような仕草で、ミアベルも至福の表情を見せた。
 二人が互いに食べさせ合いながら幸せそうに頬張るのを見つめるアールセンが肩をおとす。

「ふん、見た目通りなところもあるじゃないか」

 どこか安心したように胸を撫で下ろすアールセンに、二人は気づかなかった。
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