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作者: 月緋ノア
残酷な描写あり R-15
新しい装束に身を包み
真っ赤な顔をしたミアベルが、リノアを繁々と見つめる。
 脱衣所の扉を閉め、背中でもたれかかってミアベルは大きく息を吐いた。その頬は紅潮し、肩で息をしており息が荒い。表情には焦りが滲み、リノアを見つめる瞳はその肢体に釘付けになっている。

「な、なんて格好をしてるんですか。しかもそんなにびしょ濡れで」
「それはその……すまない。えっと、何をそんなに怒ってる?」
「女性がそんなに易々と異性に身体を晒すものじゃありません。それと、身体を清めたらしっかりと水を拭き取ってですね……えっと、タオルは――あった。これで拭いてください」

 ミアベルが視線を逸らしながらタオルをリノアに手渡す。それを受け取り、リノアが困ったように身体に付着した水滴を拭っていく。頭を軽くわしゃわしゃすると、多方面に水が飛び散った。そして首、胸、腕と上半身から下半身へとタオルを滑らせていき、ようやく全身を軽く拭き終わったところで、ふむと首を捻った。

「これでいい?」
「はい。……リノアさん、今までどんな生活をしてきたんですか?」
「え。薄暗い部屋で、雨を浴びて、運ばれてくる食事を食べて、身体を動かして眠る。そんな生活だった」
「それって……」

 ミアベルが表情を暗くするのをリノアは見逃さなかった。しかし、その言葉の続きを催促するよりも前にミアベルが表情をころっと変えた。そしてそそくさとタオルのあった場所へと向かい、上下の下着を持ってくる。

「これ、着方はわかりますか?」
「ええっと……さっきは上手く脱げたからやれる、と思う」

 リノアは渡された薄青のショーツを履き、次に同じ色のブラジャーを手に取った。それをまじまじと睨みながら、ううんと唸る。胸に当てる部分はわかるが、それを留める部分は一度は外せたが留められるだろうか。肩紐を通し、乳房にカップを当てがう。そして背中へと手を伸ばし、ホックを指でなぞる。何度も試してみるがこれが上手くいかない。

「うん……? 上手くいかないな」
「何事も経験ですから最初は上手くいきません。今回は私に任せてください」

 頼む、と言われたミアベルはリノアの背後へ。そしてブラジャーのホックを手に取り、易々と固定する。そしてリノアの後ろ姿をしげしげと眺め、感心したように頷く。

「はい、できました」
「ありがとう、ミアベル。あなたがいてくれて助かる。……それじゃあアールセンたちのところへ戻ろうか」

 脱衣所から出ようと扉へと手をかけたリノアをミアベルが遮る。両手をリノアへと突き出し待ってくださいと鋭く云った。

「私が取ってきますから待っていてください。その格好で外に出るのも、あまり良くありませんから」

 そうなのか、と戸惑いがちに返すリノアを尻目にミアベルが脱衣所を出て行った。
 一人取り残されたリノアは天井を仰ぐと、精霊灯籠がゆらゆらと光を灯している。

「本当に知らないことばかりだ、わたしは。でも、アールセンの視線からは嫌な感じがしなかったな。なぜかしら?」

 ふうと肩を落として脱衣所の壁にもたれかかった。視線を泳がすと、脱衣所に備え付けの姿見が目に入る。そこに映った自分の姿をぼんやりと眺めて、リノアはため息をついた。
 リノアは他者に自身がどう見られているか、などという考えを持っていない。それほど多くの他者と接してこなかったこと、それを踏まえて自身の姿を見たことがなかったからだ。しかし今は、少しずつだが自分の持つ何かに関して興味を持ち始めていた。

「どうかしたんですか、リノアさん」
「ミアベル、あなたには私がどう見える?」
「え……?」

 リノアが自身の胸に手を当てて、両手に荷物を抱えて戻ってきたミアベルに問いかけた。リノアの完全に乾き切っていない瑠璃色の髪の先端から水滴が滴る。
 唐突な問いかけにミアベルが目を丸くした。そしてじっくりとリノアを上から下まで観察して、彼女の奥に見えるそれを凝視しながら、ゆっくりと口を開く。

「とても魅力的な方だと思います。女性としても、あなた自身としても。少なくとも、まだ日の浅い私でもそう思うくらいには」
「そうか。ありがとう」
「いいえ。……服を持ってきたので着てください。あとは、いろいろ装備もあるみたいです」

 床に広げられた服や装備を一瞥して、リノアは首を縦に振った。
 衣服や装備の一つ一つに手間取ったものの、ミアベルの助けもあり順調に全ての装備を身につけてリノアは脱衣所を出た。

「ほう、よく似合っているじゃないか」
「やはり私の目に狂いはなかったな。しっかりと着こなせている」

 アールセンとヘイロンが揃って感嘆するのを横目に、リノアは部屋の開けた場所へと移動した。その後ろに続くミアベルがリノアに耳打ちすると、リノアは渋々といった様子で。

「どうだろう、こういうのは着たことがないからよくわからないんだが」

 リノアが軽く身体を動かして、全身の装備を披露した。
 胸元が開いたオフショルダーのナイトドレスが足元まで伸びている。その色はこの世界では珍しい群青で、光の具合で色の見え方が変わる珍しい素材でできていた。肘の辺りには羽根飾りのようなものがあり、そこから覗く腕から手にかけては黒のロンググローブに覆われている。一際目を引くのは腰の右側あたりから入った強烈なスリットだ。そこから薄墨色の臀部と太ももがむき出しになっている。その膝上くらいからは編み込みのブーツが覗き、膝下はベルトが巻き付いたかのような硬質な作りになっていた。

「とてもよく似合っている。見違えるほど綺麗だぜ。そのまま舞踏会にも行けそうだ」
「ふむ。悪くないな。その髪色とドレスがよく合っている。そのスリットは少し過激なデザインかもしれないが、情報によれば必要なはずだから我慢してもらえるかな」
「ああ、わたしは気にしないが」
「必要なんですね、これは。アールセンさんの好みとかそういうのじゃないんですね」
「ミアベルちゃん……」

 じとっと湿った瞳でアールセンを見つめ、疑り深い声音でミアベルが口を尖らせた。その視線はリノアのスリット部分とアールセンを交互に移動している。
 ミアベルと目が合ったアールセンが複雑な表情で頭を掻きながら、思い立ったように立ち上がった。話を逸らそうとするかのようなタイミングに、ミアベルはさらに怪訝な顔をする。

「そんな顔をしないでおくれよミアベルちゃん。普通の服じゃ困ることがあるんだよ。――まあそれはいいんだ。リノアに俺から渡したいものがあってな」
「渡したいもの?」

 アールセンが懐から手のひらサイズのアクセサリーを差し出し、リノアの手に握らせる。すると、室内だというのにどこからともなく心地よい風が吹いてリノアの髪を揺らした。

「お守りみたいなものだ。それと、俺がいなくてもあの大剣を浮かせて携帯することができる。結構便利なものだから、壊したり失くしたりしないように頼むぜ? ミアベルちゃん、これは耳飾りだから、着けてやってくれないか」
「え、あ、はい。わかりました」

 自分で着けてあげればいいのに、という言葉を呑みこんでミアベルはリノアの手に乗せられた耳飾りを手に取る。それをリノアの左耳に飾り付け、へえと声を出した。
 それはいかにも手の込んだ耳飾りだった。ライトグリーンの小羽根が連なったようなデザインで、とてもじゃないが一朝一夕でできるようなものではない。

「よし、デザイン的にもよく似合っている。――これで一通り装備を身につけたわけだが、どうだリノア、感想は」
「……悪くない。だがいいのか、こんなにも貰ってばかりで?」
「とっておきの宝石を見つけたし、これからも働いてもらうからそれで返してもらうさ。それに、怪盗は見目麗しくなくちゃあな」

 ウインクと同時にアールセンはリノアの手を取りその甲に口付けをした。無意識にぴくりと反応したリノアだが、彼のその行動の意味がわからず困惑の表情を浮かべる。その隣でミアベルがきっと目を細くした。

「これからよろしく、の挨拶だぜ」
「……ならわたしもアールセンにしておく。あとミアベルも」
「ええっ?」
「ああいや、これは俺の挨拶なんだ。だからリノアはしなくていい」

 それまで涼しい顔をしていたアールセンが急に取り乱して首を激しく横に振った。リノアたちから顔を逸らして窓に振り返り、窓を開ける。
 夜間に比べれば大したことはないが、それでも熱気のこもった湿った空気が入り込んできた。それを浴びて乾いた笑いをこぼしたアールセンを、背後からヘイロンが笑う。

「くつくつ、よくお似合いの顔ぶれになってきたじゃないか。アールセン、君は今とてもいい顔をしている。やはり君はそのほうがいい、ゆめゆめ大切にすることだね」
「もちろんわかっているさ。お前さんこそ、珍しく笑ったじゃないか」
「ふふ、あまりに気分が良くなったものでね、自分でも驚いているよ。――それじゃあ、また」

 ヘイロンは満足そうな笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、ひらひらと手を振ってアジトから去っていった。それを見送ってからアールセンが晴れやかな笑顔で振り返る。

「それじゃあ仕切り直して、出発と行こう。目指すは肥沃なる大地に続く東門――街を襲ったエシフはその先にいるはずだ」
「エシフ? あのでかい大顎のことか……彼らを化け物にした」
「その通りだリノア。だが彼女は元々あんな化け物じゃなかったんだ」
「聞いたことがあります。確かそれって、御伽噺だったんじゃ……?」

 ミアベルの言葉にアールセンが笑い、そして苦い顔をしてため息をついた。窓から入ってくる外気のような、濁った顔だ。

「それがそうでもないんだよ、ミアベルちゃん。まあ、ここで話していると長くなる。歩きながら話そう。リノアもそれでいいか?」

 もちろんだ、と応えたリノア。しかし、その胸中から湧き上がる得体の知れない感情を彼女は捉えかねていた。
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