残酷な描写あり
R-15
男二人、友との時間
街を飛び出したブルートは、血に宿った味覚に出会う。
しゃりしゃり、もぐもぐ、ごくん。
「やっぱ新鮮なヴァプルは美味いな」
灰色の顎髭に滴る果汁を気にすることなく、ブルートがヴァプルを齧り続ける。猪頭のせいか非常に雑に食べているように見えた。焦る風でもなく、怒りに任せているようでもなく、ただ淡々と食べ続けている。
ブルートの足元には少しだけ大型化した猪のような獣の亡骸が転がっていた。それには彼の噛み跡が新しく残っている。
「災獣とはいえ、似た見た目ってのは嫌なもんだな。共食いみたいじゃねーか」
猪頭の偉丈夫はちらと視線を落としてぼやいた。男の身体に混じる獣の血と肉は、野生生物を生でも食べられるほどに男を強靭にしている。しかも、これがまた味わい深いのだ。本来の食生活というものを経験してしまえば、戻れないほどに。
ブルートは頭を掻いて、ため息をついた。
「はっ、悪くねえな」
座り込んで災獣の肉をもぎ取り、口の中へ放り込む。それを咀嚼していくうちにブルートはちょっとした感傷に浸っていた。しかしそれを表情に出すことはない。
シロスが傾き始めている。大樹が薙ぎ倒されてひらけた道となっているから、時間の感覚を得るのは容易い。夜までにたどり着けるか否かは重要だが、辿り着けなくとも、ブルートには一晩を生存できるだけの自信があった。
雑食の肉体と、たくましい腕っぷしだ。
そう、急ぐことはないのだ。レイナスは逃亡したのではない、己の住処に帰っただけなのだから。
「おやおや、ようやく追いついたというのに考え事とは、あなたらしくありませんね」
「……んだよお前か、ナーネイ」
「ええ、あまりにも深刻な顔をして飛び出していくので興味が湧きまして」
ブルートとは対照的な、細くしなやかなスーツ姿の長身の男。その頭は蛇である。薄く細められた瞳からは表情は読み取れず、ニヒルな気配をも纏っていた。
蛇頭の男――ナーネイが微笑を浮かべるのを見て、ブルートは嘆息する。
「いいのかよ、上司からの命令に背いてるんじゃないのか?」
「そこはご心配なく。街の外への外出と外泊の申請は済ませています」
「心配してるわけじゃねえがさすが、抜かりねえな」
「ふふ、それほどでも。なので私も同行いたします」
これは断っても無駄だろう、とブルートは諦めた。ナーネイの実力はブルートも認めるところであり、ついこの前に打ち負けたことを思えば頼もしい道連れとなるだろう。しかし。
「あの負けを取り戻させろ」
「はい?」
「拾い屋どもの前でオレが負けたやつだよ」
「あー。ははは、そんなことでしたら喜んで。では、レイナスの元に辿り着く前にどちらが多く災獣を倒したか、とかでどうでしょう?」
望む所だ、とブルートが立ち上がり、自身が食べていた食料をナーネイに差し出した。
そう、血に塗れた災獣の肉だ。それを唖然として見つめ、ナーネイが首をひねる。しかしなおもそれをずいと前に出したブルートに根負けし、ひとまず受け取った。だが血の滴るそれを凝視すると、薄目を開いた。
「これは、なんの真似でしょうか?」
「腹ごしらえは大事だろ? それにだ、友と交わす食事だからよ。――の」
「え?」
「なんでもねえよ。とにかく美味いぞ、食ってみろよ。クセになるぜ?」
ナーネイははっきりと嫌そうな顔をしたが、それでも友からの厚意を無碍にすることはしなかった。むっとする血の臭いに顔を顰めながらも蛇特有の大口を開けて肉を頬張る。そしてあっという間に飲み込んでしまった。口の端からこぼれ落ちる血液をスーツの袖で拭い、唸る。
「野性に目覚めそうな味ですね。これがクセになるのがわかる気がします。ともかく、外で友と食事をするのは久しぶりです。悪くないものですね」
少しだけ照れくさそうに二人は顔を見合わせて、くつくつと笑った。
「よし。それじゃあ行くとしようぜ、化け物退治によ」
「ええ。災獣撃破のスコアも忘れずに。……そういえば耳寄りの情報がありまして」
大樹の幹に背をもたれかけて、ナーネイが思い出したように目を開けた。長い舌が素早く口の周りを這いずる。ブルートがどんな反応を見せるのか楽しみといった顔だ。
「昨晩の情報なので確定ではないのですが、リノアたち一行もこちらへ向かうそうです」
「なんだと? オレの妻が来るというのか」
「もし出会えれば共闘も良い考えかもしれません」
「いいや、ダメだ。あいつにこれ以上危険な目は遭わせられねえ。それに――」
ブルートが言葉を区切って俯くのをナーネイは意外そうに見た。
「それに?」
「あいつらがいなくても俺たち二人ならなんとかなるさ。考えはあるんだ」
「へえ。あんな山を相手に考えがあるとは……楽しみにしていますね。私はできる限りのことを致しましょう」
「命懸けになるのに――訊かないのか?」
「訊いたら、答えてくれるのですか?」
自分の失言に気がついてブルートが押し黙る。はあと大きく息を吐き出して、灰色の頭を雑に掻き乱して視線を遠くに向けた。
そうやって遠くを見つめる昔馴染みのことを、ナーネイは興味深く観察する。ナーネイがこの街に流れ着いた時にはすでにディケムの街で喧嘩に明け暮れて、遊び呆けていた彼をいつも見てきた。そんな彼がただ一人の女に惚れ込み、そしてこんな顔を見せるのは初めてである。
「良い顔をするようになりましたね」
「ああ? なんの話だよ」
「いいえ、こちらの話です。さ、早く進みましょう。こんなところで長話をしていてはいつまで経ってもレイナスの元へ辿り着きません。リノアたちが追いついてきてしまうでしょう。それよりも早く行かなくては、でしょう?」
「そうだな。こんなところで立ち止まってる場合じゃねえ」
先ほどまでのしんみりとした表情はどこへやら、ブルートは鋭い目をして大樹の薙ぎ倒された道を睨む。そこに迷いは微塵もない。拳を握り締め、ぎりっと歯を噛み締めながら、決意を新たにブルートが歩き出す。
どんどん先へ進むブルートを目で追いながら、ナーネイは肩をすくめる。
「あなたはそうでなくては。猛進こそ、ブルートにふさわしいものです」
糸目に笑みを浮かべ、ニタリと裂けた口角を持ち上げながらナーネイは胸を撫で下ろす。
「おら、ナーネイ。ついてくるんならしっかりついてきやがれ。災獣だけじゃなく、災禍に近いやつもいるみたいだからよ」
「はいはい。あなたは相変わらず手がかかりますね。ですが」
しなやかに音を立てず、ナーネイがブルートの背後へと瞬く間に移動した。そして視線を大型の植物型の怪物へと目を向ける。うねる枝葉と這いずる根を舐め回すように視線が撫で、ふむと舌なめずりをした。
「この程度、私とあなたならば障害にもならないでしょう。街の住民と違って加減の必要もありませんし」
「かかっ、いい顔じゃねえか」
男二人が獲物を捉えてせせら笑う。いま災禍が目の前に出てきたことが可哀想になるほどに。
それは決して侮りからではなく、互いの実力への信頼から出てくるものだった。
「食えなさそうだから狩り損になりそうだが、お前にゃいい腕鳴らしになるだろ?」
「ええ。食べられなさそうなのが、本当にもったいないですが」
大樹が命を獲得したような災禍に目をやり、ナーネイは大袈裟に肩をすくめる。
災禍の枝がしなり、根が蠢くたびに災禍は少しずつ移動していた。幹に空いた大きなウロが顔のような様相を呈している。その顔は苦悶の表情を浮かべているようだ。そこには眼球もなければ声帯に当たる部分もないはずなのに、気色の悪い声に近い音が発せられている。それが唸り声を上げたと同時に、枝が伸びて二人へと向かっていく。
ブルートとナーネイが災禍の枝を軽々とかわしながら散開した。ブルートは豪快に走り抜け、大樹の正面へ直進する。対してナーネイは迫り来る大樹の枝を紙一重ですり抜けながら最短ルートを進み、一歳無駄のない動作でトンファーを取り出し構えをとった。
「失礼」
一度側面へと抜けたブルートを視界に入れつつ大樹の懐へと到達したのはナーネイ。体術とトンファーを組み合わせた鋭く重い一撃が大樹の表皮を打ち砕き、続けた数発が災禍の体内をめぐる管をも貫いた。黒の混じった黄色い蜜のような液体が吹き出し、ナーネイの服へと降りかかって服を汚した。
続け様にブルートが大樹へとタックルを繰り出す。全体重を乗せた一撃が枝を揺らし枯葉が散ったが、それでも大樹の形をした災禍が倒れることはない。しかし、顔の形をしたウロから呻き声が漏れた。
「ふむ。流石に頑丈ですね。燃やした方が確実でしょうがしかし――」
懐にいるにも関わらず至極冷静にナーネイが状況を分析している。災禍が幾たびも枝でナーネイを引き剥がそうとするも、彼は意にも介さない。ナーネイの大きな瞳がぎょろぎょろと動くのと連動して身体が反射的に回避行動を取っている、そんな動きだ。しかし、ナーネイの目が捉えているのは災禍の攻撃だけではない。
「これだけの景色が燃えてしまうのは避けた方が良いでしょう。オレイアスの機嫌をわざわざ損ねることはありません」
「何をうだうだしてやがるナーネイ。燃やすのが気に食わないなら、粉々になるまでやるしかないだろうが」
災禍の口と思われる部分へと手をかけ、ブルートが引き裂かんばかりに力を込める。災禍が口を閉じようとウロを震わせるも、それは意味をなさなかった。べきべきと激しい音を立ててウロが広がり、大樹の蜜が噴出する。口の端についたそれを舐め取り、ブルートが笑みを浮かべた。
「飲み物にしちゃあ甘いが、悪くねえ」
「っ、ブルート!」
口元に余裕を滲ませ、わずかな隙を見せたブルートの土手っ腹に衝撃が走り吹き飛んだ。ブルートが立っていた場所には、隆々とした根が姿を現している。それがうねうねと脈打ちながら地面を叩き続けていた。
「はあ、しのごの云っていられる状況ではありませんか。オレイアスどころかこの災禍を怒らせてしまったようです。ま……ブルートはあの程度ではくたばりませんし、一人のほうがやりやすいですから」
ナーネイがまたも大きく肩をすくめ、地面に倒れ伏して伸びているブルートを横目で見やる。
「一つ貸しですからね、ブルート」
なおも災禍が放つ攻撃を必要最小限の動作で避けつつ、言葉の終わりと共にナーネイが飛び退いた。そして蛇頭に据わった糸目の瞼を持ち上げ、左足を微かに持ち上げ半歩前へ滑らせる。ゆらりと構えをとると同時に、大地に激震が走り風が凪いだ。
「友を傷つけた借りは、高くつくと知りなさい」
とん、と大地を蹴ってナーネイが飛び出した。
「やっぱ新鮮なヴァプルは美味いな」
灰色の顎髭に滴る果汁を気にすることなく、ブルートがヴァプルを齧り続ける。猪頭のせいか非常に雑に食べているように見えた。焦る風でもなく、怒りに任せているようでもなく、ただ淡々と食べ続けている。
ブルートの足元には少しだけ大型化した猪のような獣の亡骸が転がっていた。それには彼の噛み跡が新しく残っている。
「災獣とはいえ、似た見た目ってのは嫌なもんだな。共食いみたいじゃねーか」
猪頭の偉丈夫はちらと視線を落としてぼやいた。男の身体に混じる獣の血と肉は、野生生物を生でも食べられるほどに男を強靭にしている。しかも、これがまた味わい深いのだ。本来の食生活というものを経験してしまえば、戻れないほどに。
ブルートは頭を掻いて、ため息をついた。
「はっ、悪くねえな」
座り込んで災獣の肉をもぎ取り、口の中へ放り込む。それを咀嚼していくうちにブルートはちょっとした感傷に浸っていた。しかしそれを表情に出すことはない。
シロスが傾き始めている。大樹が薙ぎ倒されてひらけた道となっているから、時間の感覚を得るのは容易い。夜までにたどり着けるか否かは重要だが、辿り着けなくとも、ブルートには一晩を生存できるだけの自信があった。
雑食の肉体と、たくましい腕っぷしだ。
そう、急ぐことはないのだ。レイナスは逃亡したのではない、己の住処に帰っただけなのだから。
「おやおや、ようやく追いついたというのに考え事とは、あなたらしくありませんね」
「……んだよお前か、ナーネイ」
「ええ、あまりにも深刻な顔をして飛び出していくので興味が湧きまして」
ブルートとは対照的な、細くしなやかなスーツ姿の長身の男。その頭は蛇である。薄く細められた瞳からは表情は読み取れず、ニヒルな気配をも纏っていた。
蛇頭の男――ナーネイが微笑を浮かべるのを見て、ブルートは嘆息する。
「いいのかよ、上司からの命令に背いてるんじゃないのか?」
「そこはご心配なく。街の外への外出と外泊の申請は済ませています」
「心配してるわけじゃねえがさすが、抜かりねえな」
「ふふ、それほどでも。なので私も同行いたします」
これは断っても無駄だろう、とブルートは諦めた。ナーネイの実力はブルートも認めるところであり、ついこの前に打ち負けたことを思えば頼もしい道連れとなるだろう。しかし。
「あの負けを取り戻させろ」
「はい?」
「拾い屋どもの前でオレが負けたやつだよ」
「あー。ははは、そんなことでしたら喜んで。では、レイナスの元に辿り着く前にどちらが多く災獣を倒したか、とかでどうでしょう?」
望む所だ、とブルートが立ち上がり、自身が食べていた食料をナーネイに差し出した。
そう、血に塗れた災獣の肉だ。それを唖然として見つめ、ナーネイが首をひねる。しかしなおもそれをずいと前に出したブルートに根負けし、ひとまず受け取った。だが血の滴るそれを凝視すると、薄目を開いた。
「これは、なんの真似でしょうか?」
「腹ごしらえは大事だろ? それにだ、友と交わす食事だからよ。――の」
「え?」
「なんでもねえよ。とにかく美味いぞ、食ってみろよ。クセになるぜ?」
ナーネイははっきりと嫌そうな顔をしたが、それでも友からの厚意を無碍にすることはしなかった。むっとする血の臭いに顔を顰めながらも蛇特有の大口を開けて肉を頬張る。そしてあっという間に飲み込んでしまった。口の端からこぼれ落ちる血液をスーツの袖で拭い、唸る。
「野性に目覚めそうな味ですね。これがクセになるのがわかる気がします。ともかく、外で友と食事をするのは久しぶりです。悪くないものですね」
少しだけ照れくさそうに二人は顔を見合わせて、くつくつと笑った。
「よし。それじゃあ行くとしようぜ、化け物退治によ」
「ええ。災獣撃破のスコアも忘れずに。……そういえば耳寄りの情報がありまして」
大樹の幹に背をもたれかけて、ナーネイが思い出したように目を開けた。長い舌が素早く口の周りを這いずる。ブルートがどんな反応を見せるのか楽しみといった顔だ。
「昨晩の情報なので確定ではないのですが、リノアたち一行もこちらへ向かうそうです」
「なんだと? オレの妻が来るというのか」
「もし出会えれば共闘も良い考えかもしれません」
「いいや、ダメだ。あいつにこれ以上危険な目は遭わせられねえ。それに――」
ブルートが言葉を区切って俯くのをナーネイは意外そうに見た。
「それに?」
「あいつらがいなくても俺たち二人ならなんとかなるさ。考えはあるんだ」
「へえ。あんな山を相手に考えがあるとは……楽しみにしていますね。私はできる限りのことを致しましょう」
「命懸けになるのに――訊かないのか?」
「訊いたら、答えてくれるのですか?」
自分の失言に気がついてブルートが押し黙る。はあと大きく息を吐き出して、灰色の頭を雑に掻き乱して視線を遠くに向けた。
そうやって遠くを見つめる昔馴染みのことを、ナーネイは興味深く観察する。ナーネイがこの街に流れ着いた時にはすでにディケムの街で喧嘩に明け暮れて、遊び呆けていた彼をいつも見てきた。そんな彼がただ一人の女に惚れ込み、そしてこんな顔を見せるのは初めてである。
「良い顔をするようになりましたね」
「ああ? なんの話だよ」
「いいえ、こちらの話です。さ、早く進みましょう。こんなところで長話をしていてはいつまで経ってもレイナスの元へ辿り着きません。リノアたちが追いついてきてしまうでしょう。それよりも早く行かなくては、でしょう?」
「そうだな。こんなところで立ち止まってる場合じゃねえ」
先ほどまでのしんみりとした表情はどこへやら、ブルートは鋭い目をして大樹の薙ぎ倒された道を睨む。そこに迷いは微塵もない。拳を握り締め、ぎりっと歯を噛み締めながら、決意を新たにブルートが歩き出す。
どんどん先へ進むブルートを目で追いながら、ナーネイは肩をすくめる。
「あなたはそうでなくては。猛進こそ、ブルートにふさわしいものです」
糸目に笑みを浮かべ、ニタリと裂けた口角を持ち上げながらナーネイは胸を撫で下ろす。
「おら、ナーネイ。ついてくるんならしっかりついてきやがれ。災獣だけじゃなく、災禍に近いやつもいるみたいだからよ」
「はいはい。あなたは相変わらず手がかかりますね。ですが」
しなやかに音を立てず、ナーネイがブルートの背後へと瞬く間に移動した。そして視線を大型の植物型の怪物へと目を向ける。うねる枝葉と這いずる根を舐め回すように視線が撫で、ふむと舌なめずりをした。
「この程度、私とあなたならば障害にもならないでしょう。街の住民と違って加減の必要もありませんし」
「かかっ、いい顔じゃねえか」
男二人が獲物を捉えてせせら笑う。いま災禍が目の前に出てきたことが可哀想になるほどに。
それは決して侮りからではなく、互いの実力への信頼から出てくるものだった。
「食えなさそうだから狩り損になりそうだが、お前にゃいい腕鳴らしになるだろ?」
「ええ。食べられなさそうなのが、本当にもったいないですが」
大樹が命を獲得したような災禍に目をやり、ナーネイは大袈裟に肩をすくめる。
災禍の枝がしなり、根が蠢くたびに災禍は少しずつ移動していた。幹に空いた大きなウロが顔のような様相を呈している。その顔は苦悶の表情を浮かべているようだ。そこには眼球もなければ声帯に当たる部分もないはずなのに、気色の悪い声に近い音が発せられている。それが唸り声を上げたと同時に、枝が伸びて二人へと向かっていく。
ブルートとナーネイが災禍の枝を軽々とかわしながら散開した。ブルートは豪快に走り抜け、大樹の正面へ直進する。対してナーネイは迫り来る大樹の枝を紙一重ですり抜けながら最短ルートを進み、一歳無駄のない動作でトンファーを取り出し構えをとった。
「失礼」
一度側面へと抜けたブルートを視界に入れつつ大樹の懐へと到達したのはナーネイ。体術とトンファーを組み合わせた鋭く重い一撃が大樹の表皮を打ち砕き、続けた数発が災禍の体内をめぐる管をも貫いた。黒の混じった黄色い蜜のような液体が吹き出し、ナーネイの服へと降りかかって服を汚した。
続け様にブルートが大樹へとタックルを繰り出す。全体重を乗せた一撃が枝を揺らし枯葉が散ったが、それでも大樹の形をした災禍が倒れることはない。しかし、顔の形をしたウロから呻き声が漏れた。
「ふむ。流石に頑丈ですね。燃やした方が確実でしょうがしかし――」
懐にいるにも関わらず至極冷静にナーネイが状況を分析している。災禍が幾たびも枝でナーネイを引き剥がそうとするも、彼は意にも介さない。ナーネイの大きな瞳がぎょろぎょろと動くのと連動して身体が反射的に回避行動を取っている、そんな動きだ。しかし、ナーネイの目が捉えているのは災禍の攻撃だけではない。
「これだけの景色が燃えてしまうのは避けた方が良いでしょう。オレイアスの機嫌をわざわざ損ねることはありません」
「何をうだうだしてやがるナーネイ。燃やすのが気に食わないなら、粉々になるまでやるしかないだろうが」
災禍の口と思われる部分へと手をかけ、ブルートが引き裂かんばかりに力を込める。災禍が口を閉じようとウロを震わせるも、それは意味をなさなかった。べきべきと激しい音を立ててウロが広がり、大樹の蜜が噴出する。口の端についたそれを舐め取り、ブルートが笑みを浮かべた。
「飲み物にしちゃあ甘いが、悪くねえ」
「っ、ブルート!」
口元に余裕を滲ませ、わずかな隙を見せたブルートの土手っ腹に衝撃が走り吹き飛んだ。ブルートが立っていた場所には、隆々とした根が姿を現している。それがうねうねと脈打ちながら地面を叩き続けていた。
「はあ、しのごの云っていられる状況ではありませんか。オレイアスどころかこの災禍を怒らせてしまったようです。ま……ブルートはあの程度ではくたばりませんし、一人のほうがやりやすいですから」
ナーネイがまたも大きく肩をすくめ、地面に倒れ伏して伸びているブルートを横目で見やる。
「一つ貸しですからね、ブルート」
なおも災禍が放つ攻撃を必要最小限の動作で避けつつ、言葉の終わりと共にナーネイが飛び退いた。そして蛇頭に据わった糸目の瞼を持ち上げ、左足を微かに持ち上げ半歩前へ滑らせる。ゆらりと構えをとると同時に、大地に激震が走り風が凪いだ。
「友を傷つけた借りは、高くつくと知りなさい」
とん、と大地を蹴ってナーネイが飛び出した。