残酷な描写あり
R-15
金色の頁:遠雷
セナを断罪すべく降り立ったルジャと無数の天使たち。セナとルジャの戦いの火蓋が切って落とされる。
稲妻が如き速度で剣がセナへと襲いかかる。しかしセナはそれよりもほんのわずかに早く駆け出していた。
セナは一歩目からトップスピードへと持っていき、二歩目にはほとんどの剣は空を切り裂くばかりだった。だが、真正面からのものに関しては目と、そして空気の震える音を辿って避けるしかない。
「ブランクきっついなぁ……」
セナはぼやきながらも、わずかな隙間を縫うようにしてルジャとの距離を詰めていった。稲妻を潜り抜けていくたびに、ドレスの裾が切り裂かれてボロボロになっていく。しかしそのおかげで、初動よりもセナの動きははるかに良くなっていった。
「莫迦な」
「きみたちも、これくらいは造作もないくせに」
セナが足払いを仕掛けるも、ルジャはその動きを見切り飛び退く。その先でまたも剣を生成し、そのままセナへと刃の雨を降らせた。
「杖を使えばいいのに」
呟きながらセナは低姿勢のまま飛び退き全ての剣を躱し、今度はルジャの懐へと潜り込む。
セナが手を地面についたまま身体のバネを利用して逆さに蹴り上げると、彼女の足がルジャの顎を蹴り抜き上体を大きくのけ反らせた。そのままセナは空中で身体を捻りつつ、ルジャの首へ足を絡める。
「くっ?」
「あたし、飛び道具だけは嫌いなの」
全身のバネを使いセナはそのままルジャを持ち上げ、宙を後ろ向きに回転していく。
「だって、臆病者の得物でしょう?」
「貴様……っ」
ルジャは咄嗟のことに身構えるだけで反応がわずかに遅れた。裁定の天秤として、彼は未だかつてここまでの抵抗を受けたことがなかった。それだけではない、つい先ほど全ての攻撃を回避されたにも関わらず、彼はアンスールとしての自負を捨てきれなかったのだ。
それが今まさに、ルジャの身体を宙で回転させている。
「落ちて」
セナが地面に手をつき、そのままの勢いでルジャの頭を地面に叩きつけた。鈍い音と共に天使が地面に転がり、ぴくりとも動かない。表情すらも固まっている。
「自分の感覚の届く場所で殺す覚悟もないくせに、裁定とか断罪とか笑っちゃうね。自分の手を汚すのがそんなに嫌なんだ?」
セナが振り向きざまに吐き捨てるも、ルジャは反応を示さない。
この程度で倒せる相手でないことをセナは重々承知していたし、警戒も続けていた。しかし、それでもルジャに動きはない。
些細な動きも見逃すまいと、セナは両目でルジャの顔を覗き込みながらしゃがみこんだ。
「勝つ、というのは貴様のような狩人にとっては殺すことなのではないのか? 私にとっても今はそうだ。今回の裁定の本懐は、貴様を葬ることにあるのだから」
セナがびくりと反応し飛び退く。ルジャは変わらず空へと正面を向けた格好のまま、口を開いた。
「それは悪手だ。貴様ならば迅速に私の喉笛を掻っ切るのが最良だと理解していたはず。なぜそうしなかった?」
ルジャは倒れたまま、言葉を投げる。手に杖を握りしめつつ、セナを見ることはなかったものの力だけは行使しており、わずかな空間の揺らぎとともに続々と剣が生まれていた。
「余裕と油断は紙一重か。あたしも鈍ったみたいね」
口ではそう戯けるセナの内心は違った。
セナはアンスールの狩り方というものを心得てはいなかった。見た目だけは人によく似たそれの命を、どう奪うかの算段はついていなかったのである。過去においても彼女はアンスールを殺したわけではなかったために、手段に迷いが生まれていた。
「形勢は逆転。果たしてお前はここからどうする?」
ゆらりと仰向けのままルジャが地面より浮き上がり、体勢を整え地面に降り立った。双眸はまっすぐにセナを捉え、冷ややかな眼差しに染まる。
「至らぬ身ではその程度だ。最善を選べない貴様は弱い」
「最善だけを選ぶ人生なんてあたしは嫌だね。でも、不思議じゃない?」
「何がだ?」
「あたしと無駄話をすることはきみの最善なの? どう考えても無駄だと思うけれど。それとも、きみは相手と無駄話をするのがルールなのかな?」
セナは狩人であるゆえに、最善を尽くす必要性をよくわかっている。特に獲物と決めた相手に対しては、どう対処すればいいのかを常に思考していなければならなかった。だからルジャとの間にできてしまった距離をどうやってもう一度埋めるか、考えあぐねている。
「確かにそうだ。不思議なものだが、お前との会話には何かしらの意味がある。だから先ほどの質問に戻ろう。……なぜお前は、私の喉笛を切らなかった? それだけの隙が私に生まれたのを理解していたはずだろう」
ルジャが自身の喉を指差し、首をわずかに傾けてセナに問う。
「あたしはアンスールの殺し方を知らない、それだけ。知っていたならそうするよ。エインヘルのことだって命を奪ったわけじゃないんだし。——確かに、倒したといえば倒したんだろうけどね。でももし、その方法を取るとしたら」
セナが細い指先でとんとんと自身の頭を突いた。金色の瞳がわずかに光を帯び、彼女は少しだけ得意げな顔をする。しかしその方法を、彼女は使おうとしなかった。
耳を澄ませたセナには、空気の揺らぎが音として耳に届いてきている。
「その時は、あたしが狩人じゃなくなる時だね」
「? どういう意味だ?」
「さてね。でも、おしゃべりはここまで」
セナには歌が聞こえている。戦闘意欲を根こそぎ奪い取り、優しい気持ちにさせる歌が。
彼女は長く息を吐き出して、空を見上げた。
「……ふん、流石に冷静だったようだ。私の原則を破るために、必要な存在だ」
空には、白いワンピースを着た美しい女性が浮いている。灰色の、鳥のような大翼を広げ、両手を祈るように組んでいた。風に揺れる亜麻色の前髪の隙間から、金色の光がのぞいている。
「ルジャ、あなたは優秀ですが融通が効きません。ですので、私の娘という可能性の芽を摘もうとするのであれば、私も歌わざるを得ないでしょう」
「融和よ、我らは創造種だ。どれだけの存在を創ったと思っている。より強く柔軟なる生命を創造するためにどれだけ産み落としたと思っている。その娘も、所詮はそんな存在の一つに過ぎぬはずだろう?」
灰色の翼の天使が、ルジャの作り出した障壁をものともせずに入り込んだ。そしてセナとルジャの間に降り立ち、男へと振り返りやれやれと首を振る。女の顔には感情が溢れており、もう一人よりもよほど人間の所作に近い。
「あなたにはわからないでしょう。なんならどうです? 今からでも女の身体を持って命を産んでみてはいかがでしょう。そうすればあなたにも理解できると思いますよ、裁定」
「融和のエインヘルよ、戯言を抜かすな。——貴様にも裁定は下っている」
「いいえ、そうでしたね。あなたはどちらも行える肉体でしたか。天秤とは双方を持ち、併せ持つものですから」
「……貴様、変わったな」
「それほどでもありません」
融和の天使——エインヘルがセナを取り囲む剣の一振りを指先でなぞると、全ての剣が霧散した。そしてセナへと振り返り、優しい微笑みを向ける。
彼女の顔は、セナにとてもよく似ていた。
「無事で何よりです、愛しいセナ。ジュディスも無事のようですね」
「ええ。これだけの騒ぎなら駆けつけてくれると思ってた」
セナの無事を確認し、エインヘルはルジャへと振り返る。その目が冷徹さを帯びるのをルジャは見逃さなかったが、エインヘルの歌により彼自身もすでに戦闘の意欲を奪われてしまっていた。
「同胞に権能を使うことも厭わぬとは、落ちたものだ。貴様の冠は元々我々の中でも異端だったが、さらに異端に染まるとは」
「何があったかは知っているくせに、随分な皮肉を言うのですね。——何にせよ、セナへの裁定は覆させていただきます」
ルジャが天秤を振り上げると、音の波紋が広がっていく。それを感じ取ることができたのはセナとエインヘル、そして無数の天使たちだった。
「何か、気配が……良くないですね。姉さまの元へ行かなければ」
ジュディスは音こそ感じられなかったが、天使たちの纏う気配の変化を肌で敏感に感じ取った。肌が粟立つ感覚とともに、嫌な予感がジュディスの背中を駆け上がったのである。
しかし、ジュディスが動くことは叶わなかった。それまで静観に徹していた天使たちが彼女を取り囲み、押さえつけたからだ。感情の揺らぎが全く感じ取れなかったジュディスは反応が遅れ、地面に組み伏せられてしまう。
「これは良くありませんね……姉さまとエインヘルさまは——」
ジュディスの視線の先で、二人は翼の群れに集られているようだった。ひとりひとりが規格外の天使たちがこぞって畳み掛けるとなれば、反撃の余地はないだろう。歯がみをするジュディスの両目が淡く光り、しかし涙に濡れて見える世界を滲ませる。
歪み、溶ける彼女の世界がやがて遠雷を捉えた。
「耳を塞いで、姉さま」
最愛の姉に届くようにと、しかしそれでいて彼女にだけ届けばいいと願いを込めて、ジュディスは声を絞り出した。その目が、振り向く姉を捉える。
「ん、了解。……少し大変だけど、なんとか——エインヘルっ」
「ええ、聞こえていますよ。ふふ、どうやら彼の王が参られるようです。賑やかになりますね」
セナはドレスの隙間から伸びるしなやかな素足で天使の群れを凌いでいた。エインヘルは歌を口ずさみながらも天使を指一本、羽根の一枚たりとも寄せつけてはいなかった。
耳がいいセナには、遥か彼方より響く荘厳な足音が確かに届いていた。その音が大きくなるにつれ、雷鳴が近づいてくるにつれ、本能に刻まれた恐怖が心を揺さぶる。しかし、それとの邂逅の時がすぐ目前に迫ってくると、セナの中では高揚の方が勝った。
「使徒たちよ、彼女は余が貰い受けよう」
声の主は立ち止まり、大地を震撼させながら嘶いてみせた。
セナは一歩目からトップスピードへと持っていき、二歩目にはほとんどの剣は空を切り裂くばかりだった。だが、真正面からのものに関しては目と、そして空気の震える音を辿って避けるしかない。
「ブランクきっついなぁ……」
セナはぼやきながらも、わずかな隙間を縫うようにしてルジャとの距離を詰めていった。稲妻を潜り抜けていくたびに、ドレスの裾が切り裂かれてボロボロになっていく。しかしそのおかげで、初動よりもセナの動きははるかに良くなっていった。
「莫迦な」
「きみたちも、これくらいは造作もないくせに」
セナが足払いを仕掛けるも、ルジャはその動きを見切り飛び退く。その先でまたも剣を生成し、そのままセナへと刃の雨を降らせた。
「杖を使えばいいのに」
呟きながらセナは低姿勢のまま飛び退き全ての剣を躱し、今度はルジャの懐へと潜り込む。
セナが手を地面についたまま身体のバネを利用して逆さに蹴り上げると、彼女の足がルジャの顎を蹴り抜き上体を大きくのけ反らせた。そのままセナは空中で身体を捻りつつ、ルジャの首へ足を絡める。
「くっ?」
「あたし、飛び道具だけは嫌いなの」
全身のバネを使いセナはそのままルジャを持ち上げ、宙を後ろ向きに回転していく。
「だって、臆病者の得物でしょう?」
「貴様……っ」
ルジャは咄嗟のことに身構えるだけで反応がわずかに遅れた。裁定の天秤として、彼は未だかつてここまでの抵抗を受けたことがなかった。それだけではない、つい先ほど全ての攻撃を回避されたにも関わらず、彼はアンスールとしての自負を捨てきれなかったのだ。
それが今まさに、ルジャの身体を宙で回転させている。
「落ちて」
セナが地面に手をつき、そのままの勢いでルジャの頭を地面に叩きつけた。鈍い音と共に天使が地面に転がり、ぴくりとも動かない。表情すらも固まっている。
「自分の感覚の届く場所で殺す覚悟もないくせに、裁定とか断罪とか笑っちゃうね。自分の手を汚すのがそんなに嫌なんだ?」
セナが振り向きざまに吐き捨てるも、ルジャは反応を示さない。
この程度で倒せる相手でないことをセナは重々承知していたし、警戒も続けていた。しかし、それでもルジャに動きはない。
些細な動きも見逃すまいと、セナは両目でルジャの顔を覗き込みながらしゃがみこんだ。
「勝つ、というのは貴様のような狩人にとっては殺すことなのではないのか? 私にとっても今はそうだ。今回の裁定の本懐は、貴様を葬ることにあるのだから」
セナがびくりと反応し飛び退く。ルジャは変わらず空へと正面を向けた格好のまま、口を開いた。
「それは悪手だ。貴様ならば迅速に私の喉笛を掻っ切るのが最良だと理解していたはず。なぜそうしなかった?」
ルジャは倒れたまま、言葉を投げる。手に杖を握りしめつつ、セナを見ることはなかったものの力だけは行使しており、わずかな空間の揺らぎとともに続々と剣が生まれていた。
「余裕と油断は紙一重か。あたしも鈍ったみたいね」
口ではそう戯けるセナの内心は違った。
セナはアンスールの狩り方というものを心得てはいなかった。見た目だけは人によく似たそれの命を、どう奪うかの算段はついていなかったのである。過去においても彼女はアンスールを殺したわけではなかったために、手段に迷いが生まれていた。
「形勢は逆転。果たしてお前はここからどうする?」
ゆらりと仰向けのままルジャが地面より浮き上がり、体勢を整え地面に降り立った。双眸はまっすぐにセナを捉え、冷ややかな眼差しに染まる。
「至らぬ身ではその程度だ。最善を選べない貴様は弱い」
「最善だけを選ぶ人生なんてあたしは嫌だね。でも、不思議じゃない?」
「何がだ?」
「あたしと無駄話をすることはきみの最善なの? どう考えても無駄だと思うけれど。それとも、きみは相手と無駄話をするのがルールなのかな?」
セナは狩人であるゆえに、最善を尽くす必要性をよくわかっている。特に獲物と決めた相手に対しては、どう対処すればいいのかを常に思考していなければならなかった。だからルジャとの間にできてしまった距離をどうやってもう一度埋めるか、考えあぐねている。
「確かにそうだ。不思議なものだが、お前との会話には何かしらの意味がある。だから先ほどの質問に戻ろう。……なぜお前は、私の喉笛を切らなかった? それだけの隙が私に生まれたのを理解していたはずだろう」
ルジャが自身の喉を指差し、首をわずかに傾けてセナに問う。
「あたしはアンスールの殺し方を知らない、それだけ。知っていたならそうするよ。エインヘルのことだって命を奪ったわけじゃないんだし。——確かに、倒したといえば倒したんだろうけどね。でももし、その方法を取るとしたら」
セナが細い指先でとんとんと自身の頭を突いた。金色の瞳がわずかに光を帯び、彼女は少しだけ得意げな顔をする。しかしその方法を、彼女は使おうとしなかった。
耳を澄ませたセナには、空気の揺らぎが音として耳に届いてきている。
「その時は、あたしが狩人じゃなくなる時だね」
「? どういう意味だ?」
「さてね。でも、おしゃべりはここまで」
セナには歌が聞こえている。戦闘意欲を根こそぎ奪い取り、優しい気持ちにさせる歌が。
彼女は長く息を吐き出して、空を見上げた。
「……ふん、流石に冷静だったようだ。私の原則を破るために、必要な存在だ」
空には、白いワンピースを着た美しい女性が浮いている。灰色の、鳥のような大翼を広げ、両手を祈るように組んでいた。風に揺れる亜麻色の前髪の隙間から、金色の光がのぞいている。
「ルジャ、あなたは優秀ですが融通が効きません。ですので、私の娘という可能性の芽を摘もうとするのであれば、私も歌わざるを得ないでしょう」
「融和よ、我らは創造種だ。どれだけの存在を創ったと思っている。より強く柔軟なる生命を創造するためにどれだけ産み落としたと思っている。その娘も、所詮はそんな存在の一つに過ぎぬはずだろう?」
灰色の翼の天使が、ルジャの作り出した障壁をものともせずに入り込んだ。そしてセナとルジャの間に降り立ち、男へと振り返りやれやれと首を振る。女の顔には感情が溢れており、もう一人よりもよほど人間の所作に近い。
「あなたにはわからないでしょう。なんならどうです? 今からでも女の身体を持って命を産んでみてはいかがでしょう。そうすればあなたにも理解できると思いますよ、裁定」
「融和のエインヘルよ、戯言を抜かすな。——貴様にも裁定は下っている」
「いいえ、そうでしたね。あなたはどちらも行える肉体でしたか。天秤とは双方を持ち、併せ持つものですから」
「……貴様、変わったな」
「それほどでもありません」
融和の天使——エインヘルがセナを取り囲む剣の一振りを指先でなぞると、全ての剣が霧散した。そしてセナへと振り返り、優しい微笑みを向ける。
彼女の顔は、セナにとてもよく似ていた。
「無事で何よりです、愛しいセナ。ジュディスも無事のようですね」
「ええ。これだけの騒ぎなら駆けつけてくれると思ってた」
セナの無事を確認し、エインヘルはルジャへと振り返る。その目が冷徹さを帯びるのをルジャは見逃さなかったが、エインヘルの歌により彼自身もすでに戦闘の意欲を奪われてしまっていた。
「同胞に権能を使うことも厭わぬとは、落ちたものだ。貴様の冠は元々我々の中でも異端だったが、さらに異端に染まるとは」
「何があったかは知っているくせに、随分な皮肉を言うのですね。——何にせよ、セナへの裁定は覆させていただきます」
ルジャが天秤を振り上げると、音の波紋が広がっていく。それを感じ取ることができたのはセナとエインヘル、そして無数の天使たちだった。
「何か、気配が……良くないですね。姉さまの元へ行かなければ」
ジュディスは音こそ感じられなかったが、天使たちの纏う気配の変化を肌で敏感に感じ取った。肌が粟立つ感覚とともに、嫌な予感がジュディスの背中を駆け上がったのである。
しかし、ジュディスが動くことは叶わなかった。それまで静観に徹していた天使たちが彼女を取り囲み、押さえつけたからだ。感情の揺らぎが全く感じ取れなかったジュディスは反応が遅れ、地面に組み伏せられてしまう。
「これは良くありませんね……姉さまとエインヘルさまは——」
ジュディスの視線の先で、二人は翼の群れに集られているようだった。ひとりひとりが規格外の天使たちがこぞって畳み掛けるとなれば、反撃の余地はないだろう。歯がみをするジュディスの両目が淡く光り、しかし涙に濡れて見える世界を滲ませる。
歪み、溶ける彼女の世界がやがて遠雷を捉えた。
「耳を塞いで、姉さま」
最愛の姉に届くようにと、しかしそれでいて彼女にだけ届けばいいと願いを込めて、ジュディスは声を絞り出した。その目が、振り向く姉を捉える。
「ん、了解。……少し大変だけど、なんとか——エインヘルっ」
「ええ、聞こえていますよ。ふふ、どうやら彼の王が参られるようです。賑やかになりますね」
セナはドレスの隙間から伸びるしなやかな素足で天使の群れを凌いでいた。エインヘルは歌を口ずさみながらも天使を指一本、羽根の一枚たりとも寄せつけてはいなかった。
耳がいいセナには、遥か彼方より響く荘厳な足音が確かに届いていた。その音が大きくなるにつれ、雷鳴が近づいてくるにつれ、本能に刻まれた恐怖が心を揺さぶる。しかし、それとの邂逅の時がすぐ目前に迫ってくると、セナの中では高揚の方が勝った。
「使徒たちよ、彼女は余が貰い受けよう」
声の主は立ち止まり、大地を震撼させながら嘶いてみせた。