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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百二十話 司馬錯、出撃す
 秦王は藺相如がいるあいだは趙攻めを諦め、楚への侵攻を考える。司馬錯に命じ、漢中や西県の兵を率いさせ、楚へ進軍させる。司馬錯は高齢であり、これが生涯最後の戦になると感じていた。
 秦王は和氏の壁を手にできず、また趙や韓から軍を引き、敵の警戒を強めさせたことで、戦機を失った。自らが主導した行動が全て失敗に終わり、面子が丸潰れになった秦王は、魏冄の影響力が強まることを恐れた。
 魏冄を出し抜く為、朝議にて秦王は、次の戦について言及した。
「余は決めた、楚を攻めるのだ。趙か楚かで意見は割れたが、今となっては、楚で良いな。丞相の意見を聞かせてもらおう。今もまだ、楚攻めの好機であるな?」
「無論そうです、それ故に私は……」
 魏冄の言葉を遮り、秦王は「では決まりだ」といい、次の議題へ移した。
「出兵の時期はいつか、そして、誰を向かわせるべきか。張唐将軍、此度は国尉白起や胡傷将軍が参内しておらぬ故、軍を代表してそなたの意見を聞かせてくれ」
「申し上げます。趙へ出兵した際、我が軍は漢中や咸陽、函谷の兵を動員しました。長い膠着状態で、上述の地域を含む関中一帯では、兵糧の蓄えが少なくなりました。一方、巴蜀では、税の徴収額も増え、武具兵糧の蓄えも多いです。また立地からしても最も楚に近いです。以上の理由から、大将軍司馬錯殿が、巴蜀の兵を率いて出兵すべきと存じます」
「なるほど、良い意見だ。既に老齢とはいえ、司馬錯は健康と聞く。しかし巴蜀は兵が平時は人夫として労役に就いている。秋の収穫の後は灌漑に勤しむ必要がある為、率いる兵は別にすべきだ。張唐よ、どこの兵を用いるべきか」
「しからば此度も、漢中の兵を用いるべきです。兵は趙攻めで自らの力不足を疑い、動揺しています。楚を攻め、自らが精強な秦兵であることを、再確認させましょう。それから、西県の兵を主力として動員しましょう。普段は西方の板楯族から国境を守っていますが、ここ数年は、板楯族の攻撃の手が緩んでいると、国尉から聞いています。腕が鈍らぬようにも、彼らを用いるべきです」
「よかろう。此度は、張唐将軍の案を採用し、漢中郡と隴西郡の兵力を用いて、楚へ侵攻する」


 同年 司馬錯

 秦王の詔を受けた司馬錯は、隴西郡と漢中郡の兵を率い、東進した。
 司馬錯は健康であったが既に高齢であり、この戦が生涯最後の戦になる予感がしていた。
 移動中の馬車から、少しづつ遠ざかっていく成都を見て、感慨深い気持ちになっていた。
「私が攻め落とした地に都を築いた。今や秦にとって重要な地となり、自らその太守の座に就いた。これ以上、なにを望もうか。さらばだ我が蜀の地よ。私は将として、本懐を遂げようぞ」
西県……現在の中華人民共和国甘粛省隴南市礼県。宝鶏市に近く、当時の秦の西端の地。
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