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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百十九話 完璧帰趙
 藺相如は和氏の璧を秦王に献上する。しかし使者である自分を蔑ろにする秦王の態度に激昂する。
 秦 咸陽

 藺相如は咸陽へ入った。そして宮殿に入り、秦王に拝謁した。
「趙からの使者、藺相如が、秦王様に拝謁致します」
「面をあげよ、楽にせい」
「感謝します」
 藺相如は苦笑いをしていた。細く小さな体とは不釣合いな程堂々とした目からは、並々ならぬ殺気が漂っていた。秦王は章台に女性を並べ、果物を食べながら、笑っていたのである。
「貴様、余を睨んでおるのか。無礼であるぞ!」
「睨んでなどおりませぬ。元より目が細く、真剣になると、このような顔になってしまうのです。つまりこの目は、真剣さの現れ。分かりやすく申せば、秦王様への、敬意の現れなのです」
 秦王は笑った。動じずに白々しいことを言ってのけた藺相如に、興味が湧いたのだった。自分が魏冄にしているように、容赦なく言葉の刃を他者へ向けられるこの男の度胸が、好ましかった。
「この男、面白いな。そう思うであろう、唐姫よ」
「えぇ、本当に。大胆不敵ですね」
「藺相如よ、玉は持ってきたか。天下の名宝、和氏の璧だ」
 秦王がそういうと、藺相如は笑った。
「無論、和氏の璧をお持ちいたしました。互いに兵を引き、再び盟を結び、手を取り合う為に」
 そういって藺相如は、木箱の中から、和氏の璧を取り出した。
 秦王は歓喜し、「なんと美しい……! 寄越せ!」と叫んだ。使者を介して受け取った璧を見て、秦王は高笑いをした。そして妾の唐姫を初め、周囲の女性たちに代わる代わる見せていった。
 名宝を女性達にベタベタと触らせる秦王に、藺相如は、憤慨した。
「秦王様は、その璧を宣太后様へお贈りなさるおつもりなのだとか。ですが実は、その璧には、傷があるのです。お伝えさせて頂きたい故、今一度私にお渡し下さい」
「実(まこと)か。それは一大事だ。余は母上へ璧を贈る為に、兵を引いて、優勢であった軍神も韓から引き戻した。その上、十五の城をくれてやるというのに、名宝に傷があるとなれば、余は天下の笑いものだ」
 藺相如は丁重に璧を受け取った瞬間、豹変し、激高した。
「和氏の璧を粗雑に扱うなど、言語道断! 秦王様は誠実な御仁と聞いた故こうして璧を持ってきたが、そなたは誠実さの欠片もない!」
「貴様! 無礼な!」
 腹を立てる秦王は、藺相如を捕らえるよう、近衛兵に命じた。次の瞬間藺相如は「近寄れば璧で自らの頭を叩き割る!」と叫んだ。
 璧に傷をつけられては困ると思った秦王は、近衛兵を下げた。
「藺相如よ、どのようにすれば、余に誠実さがあると証明できるのだろうか。まさか先に、城を渡してからなどとは、いわぬであろうな」
「そう申し上げたいところですが、流石にそれが難しいことは存じ上げております。五日のあいだ、酒や女を断ち、身を清められてから出直してください」
「よかろう。そちの申す通りにしてやろう」

 その日の夜、藺相如は客室に従者を呼び寄せた。
「秦王はやはり虎狼の国の王だけあって、ふざけた男だった。使者を前にして女と戯れるなど、不誠実にも程がある。璧を渡しても、城は譲渡されぬであろう」
「では今すぐ璧を持って逃げましょう!」
「使者である私が咸陽を出れば、危害を加えられたわけでもないのに交渉を放棄したとして、趙王様が天下の笑い者となる。私はここに残る故、そなたは密かにここを抜け出し、邯鄲へ戻るのだ」
「それでは、藺相如様は秦王に……!」
「申すな。私は自分の身くらい、自分で守ってみせる」

 五日後、秦王は藺相如を宮殿に呼び寄せた。
 秦王が璧を要求すると、藺相如は、従者に命じて趙へ持ち帰らせたことを知らされた。
 秦王は立腹した。
「貴様ふざけよって! そなたの行動は、趙の威厳さえ貶めるのであるぞ!」
「従者に璧を邯鄲へ持ち帰らせたのは私の独断。趙王は無関係です。罰するのであれば私を罰してください。私は自らの王にも他国の王にも迷惑をかけたとして、天下の笑いものになるでしょう。しかし、それでいいのです」
「貴様……!」
 秦王は、藺相如が趙王を立てる為、自らを平気で貶めるその姿勢に、恐ろしさを感じた。
 そして自分が藺相如を斬れば、交渉の使者を殺したとして、秦が天下から卑劣な存在であると貶されてしまうことを、理解した。
 秦王は平静を取り戻した振りをし、いった。
「使者を斬るなど、言語道断だ。そのようなことをしていい道理はない。そなたを邯鄲まで送り届けよう」
「ありがとうございます」

 それから藺相如は、秦の目論見を看破し、生きて帰還したことで、趙王から賞賛された。
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