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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百二一話 黄歇、楚王に意見する
 王によって左徒に降格させられた屈原は、汨羅江の畔に左遷されられる。しかし常に秦軍の動きに目を光らせていた。司馬錯の侵攻に際し、食客であり弟子の黄歇を、王に拝謁させる。
 司馬錯は楚の地へ向け、動き出した。巴国の都の跡地より東へ進み、長江の支流を越え、楚の国境を犯した。
「ここが黔中郡(けんちゅうぐん)か。広い平地だな。巴蜀とはえらい違いだが、ここも秦の領土に加えてやろう」
 司馬錯は黔中郡の城を攻撃し、一つまた一つと、陥落させた。


 同年 楚

 令尹を解任され、左徒となっていた屈原は、左遷され都の郢から離れていた。郢のすぐ南に位置する汨羅江の畔にある城に居を構え、常に秦の動向に目を光らせていた。
「秦軍は趙攻めに失敗し、次は必ず我が楚を攻めるはずだ。先が読めぬ臣下に惑わされているが……我が王は、秦と相対することができるのであろうか」
 いつものように、自室に篭もり地図を眺め、天下の情勢を俯瞰(ふかん)する屈原。
 彼を訪ね、一人の青年が部屋に入ってきた。慌ただしい様子から、屈原は、内容を察した。
「大変です屈原様!」
「秦が動き出したのであろう」
「左様でございます。いかがしましょう」
「以前、話した通りにしてくれ。郢へ向かい、項叔大将軍に迎撃させるよう、進言するのだ。できるな、黄歇(こうあつ)よ」
「私は先生の代理です。見初められてから、我が才を活かすよう教育を施していただきました。若輩ではありますが、必ずや王を説得してまいります」
「では行って参れ。私の意見も、私がいわなければ受け入れられよう」
 黄歇は郢へ向かい、翌日の朝議に参内した。
「昭陽よ! 我が楚が秦に攻められている。どうしたらよいのだ!」
「落ち着いて下さい王様。辺境の城が攻められた位で、取り乱してはなりませぬ」
「そうか……落ち着いているそなたのことだ。名案があるのであろう? 申せ、どのようにして敵を押し返すのだ」
「それは、これこら考えることです。その為にも、まずは王様が落ち着く事が肝要なのです」
「そ、それもそうだな……。どのように迎撃すべきかは、これから考えれば良いのだ」
 そういって深呼吸をする王に、黄歇は唖然とした。楚王は秦の攻撃を、全く予想すらしていなかったのかと、そう思ったのだ。だが屈原の反省を活かすため、いきなり批判はせず、宥めることにした。
「楚王様、昭陽殿のいう通り、今はまず落ち着くことが大切です。焦ってはなりません」
「それもそうだな、そなたは屈原と違い、気遣いができる男のようだ」
 楚王がそういうと、昭陽は、嘲笑った。
「しかし昭陽殿、私は我が耳を疑いました。どのように迎撃すべきかは、これから考えるですと? そなたは臣下の筆頭にも関わらず、秦の侵攻を予期できなかったと申すのか」
 油断した昭陽は突然、真顔に戻って、黄歇を凝視した。
「楚王様、左徒の屈原様はこの事態を予想し、迎撃方法も既に考えついております」
「実(まこと)か……? 思い返せば、屈原は誰にも劣らぬ賢人であった。その考えを聞かせてくれ」
春申君(生年不詳〜没:前238年)……戦国時代の楚の政治家。姓は黄、諱は歇(あつ)戦国四君の一人。
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