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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百十八話 趙の名士
 和氏の璧と城の交換の為、趙王は、秦へ璧を持っていく使者を選定する。璧を奪われ殺される恐れから誰が適任か決めかねていると、藺相如が名乗りが上げる。
 前280年(昭襄王27年) 邯鄲

 趙王は三晋同盟の盟主である魏の孟嘗君と協議し、和氏の璧と秦の城の交換に応じることで、軍を退かせることにした。
 そこで趙王は朝議を開き、誰を使者に向かわせるかについて、意見を募った。
「交換に応じて使者を向かわせるなら、互いに兵を引くことはできるだろう。しかし、問題は秦が、誠実に璧と城の交換を行うのかということだ。璧を持って秦へ向かえば、使者が殺され、璧を奪われるのではないか。楽乗将軍は、誰が適任と思うか」
「恐れながら、私は武人ゆえ、外交は苦手です。妙案等、浮かびませぬ」
「左様か、では廉頗将軍はどうだ」
「策など無用です。交換に応じず、戦を続けましょう! 敵の兵糧が尽き次第、攻めれば良いのです!」
「確かにそれも一理あるが……文官の者、妙案はないか。どうだ?」
「恐れながら……」
 そういって奥の方で、名乗りを上げる者が居た。空耳かと思ったが、再び奥の方から、「恐れながら……申し上げます」と声が聞こえた。
「近う寄って申せ、名をなんと申すのだ」
「私は、藺相如と申す者です。恐れながら、申し上げたきことがございます」
「ほう、聞かぬ名だが、心当たりがあるのなら、申してみよ」
 藺相如と名乗る男は、妙に目が座っている男だった。
「私自らが、璧を持って使者として秦に入ります。秦王が交換に応じるようであれば璧を渡します。交換に応じず璧を奪おうとするのであれば、私は、璧を守り抜きここへ戻って参ります」
 藺相如はそういってのけた。簡単にいい切ったこの藺相如という男を、廉頗は睨みつけた。「世間知らずの大口叩きめが」と、心の中で罵った。
 趙王も、訝しむ顔をしていた。だが、その顔は次の瞬間には、霧が晴れたように明るくなった。
「藺相如か、そなたの名を以前も聞いた気がしたが思い出した。かつて臣下が、そなたの知勇を讃えていた。余もそなたの言葉を聞き、その大胆さや度胸に心を惹かれた。そなたにこの件を、任せたいと思う」
「御意、璧を完(まっと)うして参ります」
 趙王は、藺相如を咸陽へ連れていく為、秦軍に兵を引くように求めた。
 秦はそれに応じ、軍を引いた。
 趙もそれに合わせて軍を引き、藺相如を咸陽へ向かわせた。 

 廉頗は苛立っていた。藺相如という、戦をしたこともない男が、秦を舐め腐っている。秦の強大さや、残忍さを知らない人間が、璧を完うするなどと大口を叩いたことが、癪に触ったのだった。
「舌先三寸で趙王を説得し、秦王も口八丁で黙らせるつもりのようだが……あぁ腹立たしい。大言壮語する輩など……秦で殺されてしまうぞ……!」
 廉頗は苛立ち、物に当たり散らした。
藺相如(生没年不詳)……戦国時代、趙の政治家。完璧や刎頸の交わり等の故事で有名。
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