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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第三四話 函谷関の戦い 五
 魏冄が魏、韓との停戦交渉を行うあいだ、秦軍は各関で死闘を繰り広げる。その中で公孫起は、敵軍を大いに挫く。
 丞相魏冄が魏、韓へ向かい、国の盾として停戦交渉に臨むあいだ、国の鉾(ほこ)としての将軍羋戎は、開戦から一年以上も敵を撃退しつづけていた。


 紀元前296年(昭襄王11年) 武関 秦陣営

 合従軍は魏の芒卯、公孫犀武が率いる数千の兵のみを函谷関に残し、武関に集結していた。これまで奇襲や突発的な小競り合いは幾度となく起こってきたが、大軍が集結するのは数ヶ月ぶりのことであった。
 丞相魏冄による魏王、韓王との階段ももうじき終わる。
 羋戎は、兄である魏冄が吉報を持ち帰ることを信じていた。
 つまりこの大戦が事実上の決戦として、自分にってこの三年に渡る戦の鉾としての役割の集大成になると、悟っていた。
 合従軍の動きに呼応するように、羋戎は兵を武関へ集め、整列させ、時を待った。
「我が兄上が韓、魏を説得し引き下がらせれば、自ずと勝利は見えてくる。兄上が吉報を持ち帰るまで、ここで耐え忍んでみせよう……!」


 同年 武関 合従軍陣営

「ようやく任鄙将軍を函谷関から、ここ武関へよこしたか。『力は任鄙、智は樗里疾』。我が宿敵と並び評される将と直接、戦ってみたかった」
 匡章は任鄙との戦場で干戈を交えるため、先陣となった。
「そして、敵は私と孟嘗君によって練られた大計について知らない。呑気に趙、魏、韓など山東の国々を狙っても無意味だ。この戦……勝たせてもらおう」

 羋戎任鄙軍数万は、匡章、暴鳶軍数万の軍と武関にて衝突した。それに呼応し、函谷関でも司馬昌軍数千が、芒卯、公孫犀武軍数千と衝突した。

 先に戦線が大きく動いたのは武関であった。主力の匡章軍は執拗に任鄙軍を攻め、任鄙軍が大きく損害を被ると、戦線は徐々に合従軍側が優勢となっていった。
「任鄙よ、そなたの力はそんなものか。知将樗里疾には到底及ばぬな」
 匡章は余裕綽々で、攻めつづけていた。


 武関 秦陣営

 公孫起は、騎兵部隊の将軍公孫奭とともに、激戦を繰り広げていた。正面衝突では、兵の質に勝る匡章軍に押されてしまう。しかし、騎兵や馳車が多い匡章軍を、武関前の平地から外れた山林地帯へ誘うことができれば、公孫奭ら勇猛な歩兵部隊による形勢逆転が望めた。
 将軍任鄙は決断した。
「伝令、命令を伝えろ。苦戦している前線の公孫奭率いる全歩兵部隊は、徐々に右方の山林地帯へずれろ。前線はその後方の高陵君率いる騎兵、涇陽君(けいようくん)率いる馳車を匡章軍主力に当てるのだ」
「将軍。お二人はまだ若く、敵主力に当たらせるのは少々危険と存じます。それに、王族の方にあまり経験を積ませるなと、秦王様が申しておりましたが……」
「将、外に在れば君命も受けざる所なり。王の命令より、勝利が優先だ。また二人には向寿将軍がついているから安心できる。そしてなにより、高陵君、涇陽君の両名は聡明だ。即位して十年も経つ秦王に歯向かうような愚かな真似はせぬ」
「御意!」

 将軍公孫奭は、匡章軍を上手く誘導しながら山林地帯へ退いた。そして馬が速度を落とし攻めあぐねているところを、投石やありったけの弓矢でで攻撃し、殲滅した。
「将軍の命令だ! 連中をぶっ殺せ!」
「やっちまえ!」
 優勢となり士気が上がった兵士らを焚きつけるように、公孫起は叫んだ。
「逃げる敵兵の背を襲え! 点数の稼ぎ時だぞ!」
 その声で農民兵士たちは、意気揚々と敵を襲った。怖いものなしといった様相の兵士をみて、公孫起は将軍公孫奭に「馬を奪いましょう」と提案した。乗馬できる兵士は、武関へ向かう匡章軍の横腹を攻めた。兵らは槍や戟を振るい、弓矢を射掛けて、多くの敵を討った。
「一撃離脱でよい! 釣られた敵は山林で射殺せ!」
「さすがです公孫起殿! 乗馬がお上手だ!」
「無理をするなよ驁。目的は撹乱であって、死の危険を犯す必要はない!」
「承知した!」
 公孫起は、歩兵部隊の中で目立つようになっていた。その類い稀な指揮能力と臨機応変さは、公孫奭の目に止まった。
「公孫起。そなたは将の器たりうる存在やもしれぬ……!」
高陵君(生没年不詳)……秦の王族。魏冄らの親類。

涇陽君(生没年不詳)……秦の王族。魏冄らの親類。
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