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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
復讐の是非
 志乃が死んで、一ヶ月経った。

「雲之介さん、もうすぐ評定が始まるぞ」

 雪隆が長浜城の僕の執務室に来て、知らせてくれた。

「分かった。すぐに向かう」

 年貢の帳簿を閉じて、脇に置いた刀を取り、執務室を出る。
 雪隆を伴って、廊下を歩くと庭先で遊んでいる子飼いたちが見えた。
 元気そうだなあ。

「あ、雲之介さん……」

 虎之助が気づいたのを機に市松と桂松、佐吉と万福丸が一斉に僕を見る。
 全員、何を言っていいのか、分からないという顔をしていた。
 そういえば、子飼いたちに会うのは、久しぶりだった。

「みんな元気がいいね。その調子で武芸や勉学に励んでおくれよ」

 笑顔でそう言うと、子飼いたちは背筋を伸ばして「はい!」と声を揃えて返事した。
 うん。みんな良い子だ。

「さあ。行こうか雪隆」
「……ああ。そうだな」

 評定の間に着く。中に入ると秀吉と半兵衛さん、正勝が居た。

「秀長殿と長政は?」

 雪隆は参加できないので、すぐさま立ち去った。

「二人は不参加よ。主命で忙しいから」
「そうか。なら僕が最後か」

 席に着きつつ「遅れてごめん」と言うと秀吉は首を横に振った。

「いや構わん。それでは評定を始める」

 秀吉は軽く笑って言った。
 秀吉は志乃が死んだことに対して、何も言わなかった。
 慰めたり責めたりしなかった。
 ただ、残念そうにしていた。

「先月、二条城が攻められた件について、上様から主命があった」
「……二人とも、気遣うことないよ」

 正勝と半兵衛さんが僕をちらりと見たので、思わず言ってしまった。

「別にそんなつもりじゃあ――」
「半兵衛。何も言うな」

 正勝が僕を見ずに言う。
 まるで腫れ物みたいだな、僕は。

「……話を続けるぞ。上様はえらくご立腹でな。比叡山を攻めることにした」

 秀吉があっさりと言ったので、最初理解できなかった。
 でもとんでもないことを言っているのは分かる。

「正気なの? 伝教大師、最澄が開祖の、仏教界の頂点よ、比叡山は!」
「わしも正気を疑ったが、本気らしいな」

 ここで秀吉は苦悶の表情を浮かべた。まあ日の本に住む人間なら恐れるだろうな。

「それに前例がないわけではない。過去二回焼き討ちされている」
「焼き討ちした足利義教あしがかよしのり公と細川政元ほそかわまさもとは、悲惨な最期を遂げているけど」
「半兵衛。そのようなことを言うな。わしだって怖いんだ。しかし――」

 そして秀吉は僕たちに向けて言う。

「もし仏罰というものがあるのなら、それは全てわしが引き受ける」
「…………」

 誰も何も言わなかった。

「僕は、参戦するよ」

 自然と声に出てしまった。
 三人は僕を見る。

「……志乃さんの復讐か?」

 正勝が怖い目で睨みつけている。

「そうだよ。それ以外に何があるんだ?」
「……比叡山には悪僧も居るが、善僧も居るんだぜ?」
「それで?」
「……確かに志乃さんを殺した奴も居るけどよ。無関係の人間もお前、殺すのか」

 僕は笑顔で言った。

「うん。全員皆殺しにするよ」

 正勝は限界を超えたようだった。勢いよく立ち上がり、秀吉や半兵衛さんが止める間もなく、僕を殴った。

「ざけんじゃあねえ! そんなことをして、志乃さんが喜ぶと思うのかよ!」

 馬乗りになって僕を揺する正勝。
 挑発するように笑顔のまま言ってやった。

「ああ、きっと喜ぶさ。だって仇討ちなんだから。それに僕もすっきりする――」

 言葉の途中でもう一発殴られる。

「痛いなあ……」
「この野郎……!」
「やめなさいよ! 二人とも!」

 半兵衛さんが間に強引に割って入る。

「正勝ちゃん! 気持ちは分かるけど、駄目よ!」
「――くそが!」

 乱暴に僕を放して、その場に座り込む正勝。

「……全員、殺す」

 僕は逆に立ち上がって、三人に向かって言う。

「悪僧はもちろん、善僧も殺す。比叡山に住む者全て皆殺す」
「く、雲之介ちゃん……」
「志乃の代わりに、殺すんだ……」

 そのとき、秀吉は静かに言った。

「志乃が知ったら、苦しむだろうな」

 その言葉に過敏に反応してしまう。

「なんだって……?」
「雲之介。おぬしの言うとおり、志乃は喜ぶかもしれんな。あるいは謝るかもしれん。でもな、必ず苦しむことになる」
「どうして、そんなことが言えるんだ?」
「優しかった雲之介を変えてしまったからだ」

 秀吉は諭すつもりはなく、ただ思っていることを言っているだけだった。

「自分の死のせいで、雲之介から優しさを消し去ってしまった……それがどれほどの苦しみか、おぬしは分かるはずだ。自分のために、その命を捧げられた苦しみを。弥助という若者に庇われて、今も生きているおぬしならな」
「…………」
「ま、その重荷を背負わせる覚悟がおぬしにあるのなら、別だがな」

 僕は――それでも。

「それでも、志乃を殺した者を、殺してやりたい」

 僕は笑顔のまま、泣いていた。

「僕が愛した人を、奪った者を殺したい。そのせいで僕が地獄に行くとしても、そいつを地獄に送ってやりたい。無限の苦しみを与えてやりたい。僕は、壊れてもいい」

 涙を拭って、僕は言った。
 ぎこちない笑顔で言った。

「比叡山攻めには、必ず参加するよ」
「……雲之介」
「誰がなんと言おうとね」

 
◆◇◆◇

 
 雪隆と一緒に屋敷に戻ると「おう。帰ってきたか」と勝蔵が出迎えてくれた。

「なんだ。どういう風の吹き回しかな?」
「あんたには世話になったからな。一応言っておかないと」

 そう言って勝蔵は手紙を僕に差し出す。

「森家を継ぐことになった。名前は森長可だ」
「良かったじゃないか! おめでとう!」

 手放しに褒めると「こんな大変なときにごめんな」と珍しく愁傷なことを言う。

「明日、出立するんだ。いろいろと悪かった」
「そうだねえ。君はすぐに喧嘩するから、大変だったよ」

 わざと当て付けになるように言ってやる。
 勝蔵は「だから悪かったって」となんでもないように言う。反省していないようだ。

「雪隆。お前との決着はまた今度だ」
「ふん。精々死ぬなよ」
「てめえ喧嘩売っているのか?」
「さっき注意したばかりじゃないか」

 僕はいがみ合っている二人を無視して、屋敷に入る。

「ただいま帰ったよ」
「おかえりなさい、雲之介さん」

 出迎えてくれたのは、なつめだった。
 志乃が死んで以来、乳母のように子供たちの面倒を見てくれている。

「晴太郎とかすみは?」
「……相変わらずよ」

 仕方ないな。僕は二人のところに行く。
 かすみは一人でつまらなそうに積み木で遊んでいた。

「あ、とうさま……」
「かすみか。何をしているんだい?」
「…………」

 かすみは僕を無視して、奥の部屋に行ってしまう。
 やれやれ、嫌われてしまったな。
 晴太郎は……部屋の隅で膝を抱えている。

「晴太郎……」

 晴太郎は、僕を見ると駆け寄って、抱きついた。

「ごめんなさい。とうさま」

 そして小刻みに震えだす。

「ごめんなさい。すてないで。ごめんなさい。すてないで……」
「大丈夫だよ。僕は決して、捨てたりしないよ」

 晴太郎は僕に捨てられると思い込んでいる。何故だか分からない。
 だけど、僕は、家族を守る。
 絶対に、守ってみせる。
 僕は晴太郎を抱きしめ返した。

「なつめ。みんなを呼んでくれ」

 僕は傍に控えていたなつめに言う。

「話したいことがあるんだ」

 
◆◇◆◇

 
「比叡山を攻める、か……」

 島が難しそうな顔をしている。
 雪隆も同じ顔だ。

「坊主共を皆殺しねえ。あんま興味ねえな」

 勝蔵は本当に興味がないみたいで寝そべっている。

「それに、雲之介さんは参加するのか?」
「そのつもりだ」

 雪隆の問いに短く答えた。

「復讐のためか?」

 島が問う。
 哀れむのではなく、覚悟を問う。
 
「そうだよ。それ以外に何もない」
「……そうか。あなたは誤魔化さないのだな」

 島は――僕を真剣に見つめた。

「ならば、俺は客将をやめさせてもらう」

 ああ、とうとうこの日が来たのか。
 とても――残念だ。

「し、島――」
「止めちゃだめだ。島はもう決めたんだから」

 止めようとする雪隆を遮って僕は「今までありがとう」と島に感謝を伝えた。

「未練はあるけど、仕方ないことだ。これからどうするか決めているのか?」
「ああ。もう決めている」
「そうか。じゃあ島の前途を祝して、何か――」
「その必要はない」

 島は僕に向かって頭を下げた。

「客将ではなく、家臣として召抱えていただきたい。雨竜殿」

 思わぬ言葉に流石に何も言えなかった。

「……島、どういうことだ?」

 雪隆がみんなを代表して訊ねた。

「言葉どおりだ。今の雨竜殿を見捨てられんし、そろそろけじめをつけねばならん」

 島は僕に言う。

「島清興。あなたのために働かせてもらいたい」
「こんな僕に、仕えるというのか?」
「ああそうだ。同情もあるが、それでも良くしてくれたからな」
「……ありがとう」

 素直に礼を述べると「気にするな」と笑った。

「その代わり、一つだけ約束してくれ」
「……なんだい?」

 島はこの場に居る者全ての目を見てから、僕に向かって言う。

「絶対に城持ち大名になってくれ」
「…………」
「雨竜殿なら良き大名になれる。それに俺が仕えるお人が、出世しないのは面目立たん」

 こうして島が僕の家臣になった。
 いろいろ言ってきたけど、一番の理由は僕のことがほっとけないからだと思う。
 その厚意はとてもありがたかった。
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