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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
子どもを想うと――
 島が僕の家臣になって翌日。
 今一番、会いたくない人が屋敷を訪れた。

「雲之介さん……少しやつれましたね……」

 その方を居間に招いて、二人だけで正対する。
 心配しているのだろう、既に涙目になっている。

「ええ。自分でもやつれたと思いますよ――お市さま」

 それしか言えなかった。
 志乃と友人だった彼女には、言葉もない。
 それは負い目から来るのだろう。

「雲之介さん、あまり自分を責めないでください」

 本題に切り込んだお市さまは――無理矢理笑った。
 綺麗なものが歪んで見えるような心境。

「決して、あなたは、悪くないのですから」
「……ええ。悪いとすれば、志乃は運が悪かったのでしょう」

 僕は立ち上がって、閉めきった障子を開けて、庭を見た。小鳥がさえずり、きらきら輝く日光が池の水面に反射する。

「でもやりきれない思いがありますよ。もしも施薬院で働くことを反対していれば、死なずに済んだのかもしれません」
「……それは、詮の無いことです」
「それも分かっているのです。しかし、志乃がいない現実を受け止めるたびに、そう考えてしまうのです」

 今まで考えていた、どうしようもない想いを吐露する。

「僕はね、志乃のことを愛していたんです。いずれ上様が太平の世を築く。そんな日の本が生まれたら、何も思い煩うことなく、穏やかに、静かに暮らせるような、何気ない日々が来るんだと信じていました」
「…………」
「でもその未来は閉ざされてしまった。もう二度と訪れないのです」

 そう。志乃はもう居ない。
 僕に安らぎをくれる志乃は居ない。
 叱ってくれたり、慰めたり。
 僕以上に優しかった志乃は――もう居ない。

「お市さま。僕は何のために生きればいいのですか?」

 卑怯な問いだ。誰も答えられないに決まっている。己で答えを導かなければいけないのに、他人――それも初恋の人に委ねようとするのだから。

「志乃の居ない世界で生きていくのは――本当に悲しいです」

 お市さまは答えない。
 いや答えられないのだろう。

「比叡山攻めに僕は参加します」

 沈黙が続いてしまったので、話題を変えてみる。
 お市さまはそれにも答えなかった。
 相変わらず、僕は庭を見ながら、喋り続ける。

「志乃のために復讐します――いや、殺します。そうしないと心の寂しさを埋められない。復讐の充実感で埋めないと、寂しさで死んでしまいます」

 結局は自己満足なんだ。
 秀吉の言うとおり、僕が堕ちてしまえば、志乃は苦しむだろう。
 それでも――僕は、やらねばならない。

「もしも、復讐を果たしたら――」

 お市さまの声。強張っている。

「雲之介さんは、どうなさるつもりですか?」
「……分かりません」

 ざあっと木々が風に揺らぐ。
 薫風が身体中に当たる。
 心地良くなかった。

「復讐を果たしてみなければ、分かりません。志乃のいない世界で生きるかもしれません。でも、もしかしたら――」

 言葉を続けられなかった。
 後ろから、優しく抱きしめられた。
 お市さまだとすぐに分かった。

「死なないで、ください」

 お市さまは――涙声だった。
 前に回された手を、握ってしまう。

「志乃さんが死んで、雲之介さんまで死んでしまったら、胸が張り裂けそうです」
「…………」
「それに、晴太郎やかすみちゃんはどうするんですか?」

 僕の子供。志乃の形見。
 それこそ、胸が張り裂けそうになる。

「子供たちのことを大切にしてあげてください。あの子たちは、志乃さんが生きていたという証なのです」

 志乃が死んで、僕を嫌うようになった、かすみ。
 志乃が死んで、僕に嫌われまいとする、晴太郎。

「雲之介さんは、二人を愛していないのですか?」

 徐々に強くなる、抱きしめる力。

「……僕は、晴太郎とかすみを、愛しています」

 嘘偽りのない、真実の言葉だった。
 その証拠に、僕の目から、ぽろぽろと涙が流れる。
 止まらない涙。床に雫となって落ちる。
 ああ、ようやく泣けた。
 志乃が死んで、ようやく泣けた。

 
◆◇◆◇

 
 お市さまが帰った後、尾張国の雨竜村から文が届いた。
 雪隆と島、そしてなつめが居る前で、僕は文を読む。

「なんて書いてあるんだ?」

 雪隆が僕に聞く。

「志乃の死を知らせた――その返事だよ」
「……だから、なんと書いてあるんだ?」

 言いたくないけど島まで聞いてきたから、言わざるを得なかった。

「弥平殿とお福さん――志乃の両親の様子が書いてある。弥平殿は許さないと言っている。お福さんは毎日泣いているらしい」
「……ま、当然よね」

 なつめがあっさりと言う。伊賀者らしい割り切り方だった。

「自分の娘が死んだのだから、その反応は――」
「なつめ、止さないか」

 島が厳しい声で制する。そして話をすぐさま変えた。

「それで、俺たちを呼んだのは、比叡山攻めのことか?」

 僕は頷いた。みんなに話さないといけなかった。

「参加したくなかったら、しなくていい。別に責めたりしない」

 誰だって悪僧とはいえ、僧侶を殺したくないだろう。
 せめてもの配慮だった。

「水臭いことを言わないでくれ、雲之介さん。俺は参加する」

 雪隆は真っ先に言った。

「志乃さんの仇は俺たちの仇だ。それに主君の奥方の仇を討つのは家臣の務めだろう?」
「よく言った雪隆。俺も同じ気持ちだ」

 島も力強く頷いた。

「遠慮するな。仏罰がなんだというのだ。そんなもの大したことはない」
「雪隆……島……」

 すると意外なことに「私も参加するわ」となつめも言い出した。

「戦うのは苦手だけど、ま、なんとかなるわ」
「どんな風の吹き回しだ? てっきり嫌がると思っていたが」

 島の疑念になつめは「信心深く見えたかしら?」とおどけた後、真剣な顔になる。

「私だって、志乃さんのこと、嫌いじゃなかったんだから」

 僕は「子供たちの面倒を見てほしかったけど」と言う。

「でも、その決意は無駄にできないな」
「そうねえ。珍しく血迷っているのかもね」

 話がまとまると、雪隆が訊ねた。

「それで、いつ比叡山を攻めるんだ?」

 僕は「八日後だ」と答えた。

「でも出立は明日だ。一足先に僕の部隊は京へ行く」
「どうしてだ? 京の治安維持のためか?」

 島の問いに「それもあるけど」と肯定した。

「秀吉に無理言って、先に京に向かうのは、理由があるんだ」

 三人は僕の言葉を待った。
 僕は一呼吸してから言う。

「志乃の死について、詳しく聞かないといけないんだ」

 
◆◇◆◇

 
 京の施薬院。僕はそこで明里さんに会った。
 道三殿と玄朔にも同席してもらった。そのほうが話しやすいと思ったからだ。

「……話ってなんですか? 雲之介さん」

 明里さんは目を伏せて、もじもじしている。
 何か隠しているのだと、一目で分かった。

「志乃が死んだときのことを、詳しく聞きたい」
「……以前、話しましたが」

 僕は「あれでは分からない」と早口で言った。

「あれでは説明のつかないことがある」
「……なんでしょうか?」
「晴太郎のことだ」

 身体をびくりと反応させる明里さん。そして小刻みに震えだす。

「晴太郎は、優しい子だ。しかし母親が死んだのならば、毎日泣き続けるだろう。でも晴太郎は、この僕に『捨てられる』ことを恐れている」
「そ、それは――」
「何かあったのだろう? 教えてくれないか?」

 明里さんの呼吸が荒くなる。そして助けを求めるように道三殿を見た。

「道三殿。あなたは当時、施薬院に居なかった。それは確かか?」
「……ええ。そうです」
「玄朔も同じだね?」
「そうです」
「ならば明里さんしか知らないのか。志乃が死んだ光景を見たのは。いや、患者たちも知っているはずだな」

 僕は天井を見上げて、溜め息を吐く。

「仕方ない。患者たちに聞くことにする。何、相手は動けない人間だ。素直に吐いてくれるだろう」
「な、何をするつもりですか!?」

 玄朔は驚いた目で僕を見つめる。

「僕は、何でもやるつもりだ。そう、何でもやる」
「そ、そこまでして、どうして知りたいんですか!?」
「晴太郎の苦しみを知らないと、あの子を救えない」

 僕は三人を睨みつけた。
 明里さんは目を逸らした。
 玄朔は睨み返す。
 道三殿は受け止めた。

「あの日、志乃が死んだときのことを全部話してくれ」

 しばらく黙っていると、明里さんが「分かりました……」と言ってくれた。

「約束してください……晴太郎くんを、責めないと……」

 涙混じりに言う明里さん。
 僕は「実の息子を責める親がどこに居る?」と問う。

「僕は晴太郎を愛している」
「……あの日、僧兵の一人が、施薬院に来ました」

 語り出した明里。
 知らねばならない、妻の死の原因を、僕は――
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