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作者: 山のタル
残酷な描写あり
112.侵入者2
 リチェ達は目的の森に足を踏み入れていた。
 森の中は木々が異様なまでに密集して生えており、足元はいくつもの根が入り組みあい非常に危険な状態だ。更に頭上は何重にも大量の葉が重なって覆っているため、存在するはずの夜空と月明りすら目にする事ができない。リチェ達は足場も視界も悪い闇が支配する森を、はぐれない様に集団で慎重に歩いて奥を目指していた。
 
「これほど深い森とは、少々予想外だなぁ……。確か『淵緑の森』だったかな? 名前通りの場所だ……」
 
 リチェは森に入った事を既に後悔し始めていた。代り映えしない木々ばかりの景色に方角を確認する手段もなく、足元も見えない暗闇で危険な道無き道を手探りで進むなんて、わざわざ自分から遭難しに行くようなものだった。
 一応通った場所の木には印を付けて帰り道の目印にしているので帰ることは出来るだろうが、少し先すら見えないこの暗闇だと一度目印を見失ったら再び見つけることは困難になるだろう。
 
「目印を見失わないよう気を付けくれよ。じゃないと帰れなくなるからな」
「分かりました」
 
 一番後方にいる部下にもう一度注意しておき、リチェはどこにあるかも分からない見えないゴールを目指して歩みを進めていく。
 
 
 
 しばらく道なき道を進んだところで、リチェ達は明らかに人の手が加えられた開けた道に出た。
 
「やっぱりあった!」
 
 目的の物を見つけてリチェは安堵した。
 リチェは事前の調査で、ターゲットと近隣の村には少なからずの交流があることを見抜いていた。その証拠となったのが、時折村に来るというターゲットの従者とされる人物の存在だ。始めは噂程度だったが、調査を進めるとその人物は実在していることが確信に変わった。
 そこで閃いたのが、ターゲットの住処と近隣の村とを繋ぐ道の存在だった。少なからずでも交流があるのなら、迷路のような森の中に利便性を考慮した住処と森の外とを繋ぐ道が必ず隠されて存在しているはずだとリチェは考えた。
 リチェは自分の考えを信じて、まずは第一目標としてその道を探すことにした。そしてその考えは、目の前に現実として現れたことで証明されたのだった。
 
「僕達が森に入った方角はあっちだから、こっちの方向に進めばよさそうだな」
 
 自分達の歩いてきた方向から逆算して進む方向を確認してから近くの木に大きな目印を付けたリチェ達は、道に沿うように木々の間に身を隠しながら更に森の奥へと進んで行った。
 
 そして遂に、リチェ達は目的地に辿り着いた。
 道の先には大きく切り拓かれた場所があり、そこには貴族の別荘の様な大きな屋敷が建っている。こんな人が立ち入らないような深い森の中に建物なんて滅多にあるわけがなく、よく見れば所々の窓から薄明かりが漏れていたので、リチェはそこがターゲットの住処だと確信した。
 
「ここで間違いなさそうだ。よし、作戦を第三段階に移行する。各員周囲へ散開し多方面からの観察で情報を集めるんだ。そして十分な情報を手に入れた後、潜入作戦に移行する。各員これからは単独行動になるが、決して発見されない様に気を引き締めて慎重に行動することを心掛けるのを忘れるな。では散か――」
「リチェ様、あれ!」
 
 散開命令を出そうとしたリチェの言葉を遮り、部下の一人が屋敷の方向を指差した。
 リチェはすぐにその方向に顔を向ける。そして目にしたのは、屋敷の入り口の扉が開いてそこから一人の人物が姿を現した瞬間だった。
 リチェは入り口から離れた場所にいたので、現れた人物をよく観察しようと目を細める。頼りになる月明りはまだ雲で遮られていたが、開いた入り口から漏れ出る灯りで何とかその人物の輪郭を確認することができた。
 
「小さい、子供か……?」
 
 それがリチェの第一印象だった。その人物は遠目からでも分かるくらい小柄な輪郭で、子供という言葉以外では表現できそうになかった。
 更に情報を得ようとリチェが強く目を細めた丁度そのタイミングでようやく雲が晴れはじめ、差し込む月明かりが現れた人物を明るく照らし出した。
 そしてリチェは、その人物のある大きな特徴に気が付いた。
 
「頭にあるアレは、長い耳? ……成る程、あいつは兎人ラビットマンか」
 
 頭からぴょこんと生える白い長い耳を見て、それが兎人ラビットマン特有の耳であることをすぐに理解した。
 
「どうやらあの人物は、ターゲットではなさそうだな」
 
 リチェが事前に聞いていた情報では、今回のターゲットは小柄な青い髪の女性で、種族は恐らく人間、そして見たことない白い独特な衣装を身に纏っていたという話だった。
 現れた人物の背丈は小さかったが、少なくとも子供の様な背丈ではないはずだ。そして髪も青ではなく白色で、なにより種族も違う。一応服装は上下無地の白という中々見ないファッションをしていたが、よくある造りや形の衣装なので独特な衣装とは言えそうになかった。
 
「どうしますかリチェ様? あの子供を捕らえて、ターゲットの情報を聞き出しますか?」
 
 部下の一人がそんな提案をした。リチェは悪くない考えだと思った。
 リチェに下された命令はターゲットの情報を集めて持ち帰ることだ。ターゲットの屋敷から出てきた人物なら、ターゲットに関する情報は少なからず確実に持っているはずなので欲しい情報を手に入れられるだろう。
 それに例えリチェ達が情報を引き出せなかったとしても、法国に戻ればサジェスがいる。サピエル法国で尋問官の任を任されているサジェスなら、工作部隊のリチェ達よりも確実に情報を引き出すことができるので、連れ帰るだけでもリチェ達の目的は達成できる。
 だから部下の提案は非常に利にかなっており、今のこの状況では最適解と言えるだろう。
 
 しかし、リチェは即答せず判断を迷っていた。
 リチェは普段から慎重を期す男で、万全の状態を作り出してから物事を動かすタイプの人間だった。そんな性格をしているから、まだ何の準備もできていない段階で突然舞い込んだチャンスに飛び込む決定をすぐに下せず迷っているのだと、部下達は思っていた。それはあながち間違っていない。これまでにも何度か今回と同じようなケースがあり、その時もリチェは決定をすぐに下せなかった過去があったからだ。
 しかし当のリチェは、今までケースとは明らかに違う、何か妙な違和感を感じていた。
 
(部下の提案は恐らく最適解だ。本当なら僕も今すぐその通りに行動したいけど、何かが変だ……。嫌な予感がする……。でも、それは何だ? 僕は何に違和感を感じているんだ?)
 
 リチェは思考の答えを求める様に、子供をじっくりと観察する。するとすぐに動きがあった。
 子供は入り口から離れる様に歩き始めた。しかし、数歩歩いたところですぐにまた立ち止まる。そして何かを探すかの如くキョロキョロと辺りを見渡していた。
 
「……何かを探しているようですね」
「ああ。……でも何を?」
「「「……」」」
 
 リチェの問いに誰も答えられなかった。リチェは自身も分かっていないのだからそれも当然だなと思った。
 
「しかしリチェ様、これはあの子供をさらうまたとないャンスではないですか? 屋敷の中にあと何人いるか分かりませんが、少なくとも近くに感じられる気配はあの子供一人だけです。入り口から離れた今、我々なら子供一人を攫うなどわけはないでしょう」
 
 ここにいるのは特殊工作部隊の中でも、リチェが認めたエリートばかりだ。部下の言うように、誰にも気付かれず子供一人を攫うなんて朝飯前だ。
 
「……確かにその通りだね。ここにいるメンバーなら、子供一人攫うなんて簡単――」
 
 リチェはそこで言葉を途切れさせた。突然の事に部下たちは心配そうにリチェを見るが、リチェは部下の視線を気にしている余裕はなかった。
 
(子供……? 何故子供がこんなところにいる? いや、元々あの屋敷で暮らしているのならいても不思議じゃない。問題はそこじゃない。何故、こんな夜遅くに子供が一人で屋敷の外に出てきた?
 何かを探しているようだが、一体何を探している? いやそもそも、何故で探している? 屋敷の住人は何故一緒にいないんだ? 放任主義なのか?
 それにあの子供も変だ。今は月明りが出たとはいえ、足元は依然暗いままだ。そんな状態で物を探すのなら普通は視線を落として足元を注意深く探すはずなのに、あの子供は一度も視線を落とさない。視線を水平にして、まるで遠くにある物を探しているようだ。そんなところを見ても、視線の先にあるのは漆黒の森だけだというのに……。一体、何を探しているんだ……?)
 
 観察すればするほど湧き出てくる疑念に、リチェは底知れぬ悪寒を感じた。
 そしてキョロキョロと辺りを見渡していた子供の視線がリチェ達が隠れている暗闇の中に向いた時、ピタリッと動かしていた首の動きを止めた。
 直後、月明りを反射して宝石のように輝く赤い瞳をした子供が口角を上げて何かを呟いた。その声はあまりにも小さく、リチェ達がいる場所に届くことはなかった。しかしリチェは口の動きから、その子供が呟いた言葉を正確に読み取っていた。
 
 『見・つ・け・た!』
 
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