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残酷な描写あり R-15
第二十四話 王弥
 「歯応えのない連中だとか思ってたら、めちゃくちゃ沸いてきたなぁ。 ひょっとして、すんなりこの城を取れたのは罠だったか? 将帥は誰だろう」

城壁の上に椅子を構えて、石勒せきろく臨朐りんきょうの周囲を埋め尽くす大軍勢を眺めていた。
苦々しい表情で、予定が狂ったことを内心認めつつあった。

「あれは“屠伯とはく”こと苟晞こうきの軍です」

背後から口を挟んだのは新参の張賓ちょうひんだった。
長年の部下みたいな雰囲気で傍にちゃっかりいるのは驚きである。

「え? 苟晞って、兗州えんしゅう刺史ししじゃなかったっけ。来るの早くない」

「苟晞は汲桑きゅうそう討伐の功をもって青州せいしゅう刺史ししに転封されています。 併せて征東大将軍・開府儀同三司、仮節・侍中・都督青州諸軍事を加え、東平郡公に昇格しています」

石勒は汲桑の名を聞いて一瞬眉を寄せたが、張賓にはその理由はわからない。
すぐに石勒は平静に戻り、つぶやいた。

「要するに苟晞は左遷されたのか」

張賓はフッと笑う。

「今の話でそれを見抜くとは流石です。 たくさんの飾りがついて華やかに聞こえますが、地理的には都のある司隷部から遠ざけられた。司馬越しばえつの側近らに警戒されたようです」

張賓が続ける。
司馬越は初め汲桑を討った苟晞を激賞し、義兄弟の契りまで結んだ。
それを見て面白くない側近の潘滔はんとうは、苟晞が野心的で油断のならない男であると司馬越に説いた。
結局、苟晞は虚名の官位とともに都から遠い青州に送られてしまった。
石勒の侵攻に際して初動が遅れたのは別に罠ではない、と張賓は言う。
除け者にされた苟晞は、司馬越一派の配された他地域からまともな連絡が入らない。
加えて、持ち前の潔癖症が災いし、地元出身の役人を多く刑戮けいりくしてしまったため、下からの情報もお粗末だ。
結果として、初動が遅れたのである。

「とはいえ、強敵には違いありません。 下手に打って出るよりも援軍の到着を待ちましょう」

「援軍が来る話なんかお前にしたっけか」

「いいえ、将軍が略奪の禁止を厳命なさったので察したまでです」

包囲の軍勢の西方から濛々と土煙を上げて迫ってくるものがあった。
俄に包囲軍は動揺し始めた。

「地元出身者の将軍が後からやってくるから、揉めたくない、とかね」

張賓は笑みを浮かべた。

「……なんか、いまタメ口だった?」

包囲の苟晞軍を更に包囲するような形で歩騎五万の軍勢が出現した。
新手の軍勢は漢の旗と合わせて、黄色の生地に墨で豹をあしらったのぼりを立てている。
その中から一人の騎馬武者がゆっくりと進みでる。

「青州よ! 俺は帰ってきた!」

大きな鎧の両胸に幟と同じ豹の意匠がある。
兜はもっと直接的で、牙を剥き出しにする豹の顔を模しており、角の代わりに耳が立っていた。
しかし、それらよりも異様なのはその長い弓だった。
焦がした竹の軸に側木を貼って作られたその黒い弓ーー後世、弓胎弓ひごのゆみと呼ばれるものに近い構造をしていたーーは、八尺の長さがあり、持ち主よりも背丈があった。
弓の持ち主、騎馬武者は王弥おうびである。
青州の貴族の出でありながら、出奔して邪教の蜂起に加担。
その妖賊の首魁が討たれると、配下を引き連れて盗賊に早変わり。
やがて旧友の劉淵が漢を起こすと馳せ参じて大将軍に任じられた。
一方、苟晞軍の中からも一人の騎馬武者が姿を表した。

「厄病神め! 戻ってくれなどと誰も思っとらんわ! 兄の出るまでもない。 この苟純こうじゅんが引導を渡してくれる」

「苟純だと? さんざん追い回された恨みは忘れてねえぞ!」

王弥は盗賊時代に苟晞の弟である苟純の追討を受け、各地を逃げ回ったことがある。
直接あいまみえたことはないが、怨敵といってよかった。
王弥は血走った目で弓を構え、矢を番えて、引き絞る。
しかし、苟純と王弥の距離はとても矢の当たる間合いではない。
王弥は過去の怨恨に弓の射程さえ忘れてしまったらしい、と苟純はせせら笑った。

「避けろッ! 馬鹿ッ!」

「えっ?」

兄である苟晞の絶叫に、弟の苟純は思わず手綱を引いた。
反応した馬が、首と前脚を立ち上げる。
その刹那、西瓜すいかを割るような音が戦場に響いた。
馬の上顎から上が消失し、血飛沫が雨のように苟純を濡らした。
苟純は、事態を理解したが、理解すればするほど平静でいられない。
当たらないどころか、この威力。
手綱を引かなければ、自分の頭が吹き飛んでいた。
化け物だ。
苟純はひとりでに叫び出していた。
恐怖が感染し、動揺が苟晞軍に急速に広まっていく。

城壁の上からその様子を見ていた石勒は、直ちに城門から十八騎率いる騎兵五千を出撃させた。

この日、石勒と王弥は苟晞軍を打ち破り、合流した。
同じ頃、劉聡率いる本隊も壺関を通過。
これにて匈奴漢の冀州攻略軍は出揃ったのである。
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