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作者: 遠堂沙弥
残酷な描写あり
16 「遠雷の魔女システィーナ」
 遠雷の魔女、それは雷という自然の類を自在に操る優れた魔女とされていた。
 数年ほど前に各地で激震が走るほどの大事件を引き起こした張本人でもある。
 多くの情報が飛び交い、錯綜し、ついにその詳細が正しく全国に伝達されることはなかった。それほど事件の起きた地域では大混乱が巻き起こっており、唯一確かな情報として伝えられた内容はこれだけだ。

 遠雷の魔女がたった一日で、クローバー国を滅ぼした。
 虐殺された人間の数、およそ七千人に及ぶ。

 この魔女による大量虐殺事件がきっかけで、各地の魔女たちはより一層人間たちから畏れられるようになってしまった。約三百年前にも似たようなことが起きている。
 その時もたった一人の魔女によって一つの国が滅ぼされたと伝えられている。その時に殺された人間の数は一億人近く、当時かなり大きく栄えていた国だったことが国民の人数で窺えた。
 その悲劇が再び繰り返され、魔女に偏見を持たない人間は少しずつその数を減らしていっている。
 魔女は遥か昔から「魔女狩り」と称して人間に多く殺されてきたが、魔女が人間を殺すことは大罪とされ、その意識は徐々に拡大し浸透していた。
 そうすることで魔女の存在を淘汰できると、人間たちは信じているのだ。
 魔女の強さの源は、人との繋がりにこそあるのだから。

 ***

 ルーシーは息を呑む。
 今から約八年前、遠雷の魔女が引き起こした大事件によりルーシーは魔女としてより強く非難され、孤独な生活を強いられた。忘れもしない。

(でも、この女の子が? 遠雷の魔女? 全然予想してなかった……。あれだけたくさんの人間を殺した魔女だと聞いてたから、もっと……。強そうで、残忍で、冷酷そうな、そんな大人な感じの魔女をイメージしてたけど……こんな)

 見れば見るほど年齢より幼く見えるシスティーナ。
 恥ずかしがりなのか、動く度にフードが上に上がって顔が全部現れそうになると両手でフードを掴んで引っ張り、またすぐ顔の半分を隠してしまう。
 体はずっともじもじしており、まるで尿意を我慢しているかのような仕草だ。
 随分とニコラに懐いている様子で、ニコラにフード越しで頭を撫でられた時には嬉しそうに口元が微笑みで溢れていた。ほとんど鼻と口しか見えず、口は終始口角を上げてにへらにへらと笑みを讃えているので、その口から見えるギザギザの牙のような歯がひどく目を引いた。
 システィーナは肩下げカバンを開けると、中から黒猫のぼろぼろになったぬいぐるみを取り出す。

「ニ……ニコラ、あのね……? ごめんね……? ず、ずっと……大事に、してたんだけど……。な、な、何かに……引っかけちゃって……。ほ、ほつれて、破れ……ちゃって。そ、その……、中の……綿が……出ちゃって。直し方、……わかんなくて。ごめんね! ごめんね!」

 垂れ目がちの赤い目は今にも泣きそうに潤みながら、必死にニコラに許しを請う。
 ニコラはぼろぼろになった黒猫のぬいぐるみを受け取ると、破れた部分を確認し、それから自分の肩下げカバンから作っていた新しい猫のぬいぐるみを取り出す。こちらは灰色の毛に黒い縞模様がついた柄をしている。

「これはもう古いだろう。新しいのを作っておいたよ。黒猫が気に入ってるなら直している間、こっちの新しい子を可愛がってやってくれないか。今日は裁縫道具を持ってきてないんだよ」
「わぁ……! う、嬉しい! た、た、たくさん……、来ても、……いいんだよ! 猫ちゃん、だ、大好きだから!」

 嬉しそうに灰色猫を抱きしめるシスティーナを見つめながら、ニコラは修繕が必要な黒猫を肩下げカバンにそっとしまった。
 そんなやり取りを見て、ルーシーは思わず口を挟まずにいられない。

「あ、あの。お師様と、こちらの……システィーナさんは、お知り合い……仲がいいんですか?」

 もし親しい間柄だと言うのなら、今まで一体どんな気持ちで遠雷の魔女の話をしていたのだろう。
 確かにルーシーが遠雷の魔女に対してどんな感情を抱いていたのか、ニコラに詳しく話して聞かせたことは一度もない。それはどうしてもニコラにルーシー・イーズデイルだった頃の話をしたくなかったからだ。
 しかし度々ではあるが遠雷の魔女に関して聞こうとしていたことはある。それがどこから来る興味だったのかニコラには知る由もないだろうが、なぜそこで親しい関係だと口にしなかったのか。ルーシーはどうしても気になった。
 それ以上にこの胸のもやもやをどうにか解消させる為、そこははっきりさせておかなければいけないとも思った。
 ニコラが娘くらいの少女に親しく接すれば接するほど、なぜかルーシーの心のもやは晴れない。
 このもやの正体を知りたかった。

「システィーナは魔女の中でも最年少だからね、お前を除けばだけど。昔から面識があっただけさ。特に何か思い入れのある感情があるわけじゃないよ。知り合い、それだけだ」

 思っていた以上にはっきりと言い切るニコラの言葉に、ルーシーの方が驚く。
 システィーナはまるで姉か母のように慕っているように見えただけに、ニコラから「ただの知り合い」と断言され、それをどんな気持ちでシスティーナが聞いているのか。ルーシーの方が気を使い始めてしまう。

「お師様、ただの知り合いって! それはちょっと冷たすぎませんか。システィーナさん、こんなにお師様のこと慕ってそうなのに」
「うぅ……、ニ……ニコラ……。でも……,や、や、優しく……して、くれる……から。こ、こんな風に、普通に……話して、くれるの。ニコラ……だけ、だから」
「えっ、それでいいんですか? システィーナさん」

 えぐえぐと瞳いっぱいに水分を溜め込みながら、灰色猫をぎゅっと抱き締め、システィーナは言う。

「僕、ち……小さい、時に……。たくさん、人を……殺しちゃった……から。それで、みんな……あんまり、良く……思って……なくて。ぼ、ぼ、僕……こんな、だから。話し……にくいんだと、思う。だ、だから、夜会に……いつも参加、してる……けど。あんまり……、しゃべれ……なくて。だ、だから……ニコラが、た、ただの知り合いって……言っても。ぼ、僕は……全然、気にしない……よ」

 話をしているだけなのだが、息も絶え絶えになりながらシスティーナはだんだんと声が小さくなり、最後には聞き取るのがやっとなほど囁き声になってしまう。
 ここまでぎこちない喋り方をする人間に会ったことがないルーシーは、外見では今の自分よりずっと年上であろうシスティーナに対して、思わず同情に近い感情を抱いてしまっていた。
 彼女の見た目の印象、話し方、魔女たちからも忌避されている様子を聞いていると、システィーナが何千人もの人間を殺した極悪の魔女であることさえ忘れてしまう。

「ぬいぐるみだって、友達がいないシスティーナの慰めになったらと思って作っただけさ」
「う、うん。あり……がとう、ニコラ!」

 ニコラのこの態度に少なからず違和感を拭い去れないルーシーは、このアンバランスな態度の二人を観察しながら、一体どこがおかしいのか探そうとしていた。
 そこもはっきりさせなくては、ニコラがシスティーナに優しくした時に湧き上がる気持ち悪い感情が何なのか、その正体を掴めなくなりそうだと思ったから。
 行動とは裏腹に冷たい態度で接しようと努めているように見えるニコラに対し、親しげに懐いてくるシスティーナ。
 ルーシーが複雑な表情で黙っていると、知っている声が話しかけてきた。

「あらやだー! おひさー!」

 明るい声に振り向くと、そこには幽魂の魔女ヴァイオレットがグラス片手に立っていた。
 ヴァイオレットを見るなりニコラの顔は不機嫌で溢れ、システィーナはまた恥ずかしそうにもじもじしながらフードを思い切り引っ張って顔を完全に隠してしまう。

「お前も来てたのかい、ヴァイオレット」
「当たり前じゃない! 今夜は二人も来そうな予感をビンビン感じてたからね! 来て正解だったわ! それに随分と珍しい組み合わせだこと! 氷結の魔女に遠雷の魔女、そしてお弟子さん。不吉すぎる組み合わせでお姉さん、わくわくしてきちゃった!」
「軽口もいい加減にしなって前にも言ったはずだよ?」

 そう迫力ある声音で脅すと、ニコラはカバンのすぐ取り出しやすい場所に差していた細い杖を取り出し、それをヴァイオレットに向けた。威嚇、攻撃の構えで一瞬ひやりとする。
 ニコラがどうやら本気のようであることを察したヴァイオレットが、あわあわと両手を振って制止しようとしていたところに、またしても誰かが声をかけてきた。

「そこまでです、皆さん」

 透き通るような声であるにも関わらず、その声は室内に響き渡るようによく通る。
 その声が響いた瞬間、室内にいた魔女たちが緊張に包まれ、ぴりりとした空気に変わった。見ると全員がこちらに注目しているのがわかる。ルーシーが声の主を確認する。

 輝くような銀髪は長いストレートで、床に引きずるほどだった。切れ長で細い目は赤い色を帯びている。肌の色はルーシーが今まで見たことがないような褐色だが、日に焼けたものではなく生来の肌色なんだと、きめ細かい綺麗な肌質がそれを物語っていた。
 白に近い銀髪に褐色の肌は、どこか目を引く美しさが漂っている。明暗がうまく調和されているのだろう。彼女がその場に立つだけで、全身が金縛りにでもあったように瞳を奪われてしまう。
 息を呑む美しさとはまさに彼女のことを言うのだろうと思う。同性であるルーシーでさえそう思うのだ。きっと世の男たちならば、見た者全員彼女の虜になっていたことだろう。

「聡慧の魔女……、ライザ……」

 ニコラが一言、それだけ口にした。
 魔女の夜会に参加する最大の目的である聡慧の魔女ライザが、今ルーシーたちの目の前に立っている。胸が高鳴る思いがした。ライザを見つめているだけで、なぜか心が安らぐと同時に心臓を鷲掴みにされているような痛みも感じる。
 不快感ではなく、安らぎと緊張を同時に感じるという表現し難い不思議な感覚にルーシーもまた動けずにいた。
 威圧、殺意、そのどれでもない。
 強いて言うのであれば、まるでこの世界の創造主である神を目の前にしているような感覚だ。
 心の安寧を約束する神であると同時に、いつでもその命を摘み取ることが出来るという脅威の存在。
 そんな絶対的な存在を目の前にしているような感じだった。きっとそれはここにいる誰もが感じていることなのだろう。ライザが声をかけてから、ニコラが一言発するまで、誰一人として動くことが出来ずにいるのだ。
 緊張が走る中、ニコラはやっとの思いで構えていた杖を下げてカバンにしまう。すると全身にかけられていた緊張が解けたように、がくりと急に重力を感じて脱力する。

「魔女の夜会では喧嘩は禁物、その約束事を忘れたわけではないでしょう」
「すまないね、ライザ。ついカッとしちまった」
「氷の心で徹してる氷結の魔女ニコラにしては、随分と珍しいこともあるものなんですね。感情が昂るあなたを見ることが出来た、ということで今の出来事は不問といたしましょうか」

 にこりと微笑みながらそう告げるライザに、しかし誰もつられて笑ったりはしなかった。
 まるで最後の警告だとでも言われているような気持ちになり、全員がうつむいて視線を逸らす。
 それからライザはヴァイオレットの元へ歩いて行き、軽く頭を小突くと再三注意を促した。

「あなたはいつも悪ふざけが過ぎるのです、幽魂の魔女ヴァイオレット。あなたが喜怒哀楽の喜と楽の部分の感情しか表現出来ないことは承知しています。ですが、だからといって誰かれ構わずからかっていいわけじゃないことを、いい加減覚えましょうね」
「あ、は……はぁい」

 いつもおどけた調子のヴァイオレットでさえ、恐怖に満ちた笑顔で返事をしている。聡慧の魔女がどれほどの実力の持ち主なのか全く知らないルーシーであるが、全員の態度と彼女から発せられる雰囲気でなんとなくわかる。
 きっと絶対に逆らってはいけない人物なんだと、そう本能が訴えていた。
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