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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
21-1 終わりの始まり
 一週間ほど、日和は学校を休んで師隼の屋敷で住むこととなった。
 扱いは女王への利敵行為としての謹慎、しかし実際は状況の確認と日和の安全の確保である。
 怪しい人物を特定した師隼は金詰日和を匿った方が動きやすいと判断したのだろう。
 狐面は師隼によって新たな任務を言い渡され、仕事へ散る。



「1年、奥村弥生……ですか」
「そう、知ってる?」

 高峰玲が問うのは唯一身近に知っている狐面の少女こと、治水ちすい夏芽なつめ
 普段は女子高生として学内に身を置いているが、実際は成年間近の女だ。

「一応、存じてはいます。ただ……」
「分かってる、正也の事だろう?」
「はい」

 玲が案じている事は知っている。
 奥村弥生は置野正也の双子の妹である。
 本来術士について調べることは神宮寺師隼によって禁忌とされている。
 しかしある程度は知っていた方が自由に動けると想定し、夏芽は勝手に優先して調べていた。

 置野の家にはルールがある。
 例え兄弟が生まれても、本家である屋敷に住むことができるのは後を継ぐ術士の力を持つ者だけだ。
 今回であればそれが置野正也であり、では追い出される側はどうするのかというと嫁いだ側の家に渡されることが多い。

 奥村弥生はハルの実家に渡されていた。
 そこまでは調べがついているのだが、実は前から不思議な事はあった。
 ハルの実家である奥村家はしっかりとした家はあるが、和音みこごと女王に襲撃される以前にはもぬけの殻になっていて、その親族の消息は途絶えている。
 弥生自身も和音みこが死ぬ直前までは生きていたが、その後本人自体の消息も絶っている。
 それが突然今年になって入学してきた上、置野正也の目の前で普通に生活しているのだから驚きだ。
 明るくて天真爛漫、変な噂は立っていないし妖の様な邪悪な力も感じない。
 普通に見ればただの女子高生だが、あまりにも普通過ぎてよく分からない。
 家も商店街を超えた先である事は調べはついているが、いっそ現地で調べた方が良いだろうかとさえ思う。

「高峰様のご要望でしたら調べますが」
「……無理をしない程度には頼みたいかな」

 諜報活動は昔からやってきた。
 とは言っても元々は関東の術士を統治する大柄な男の下で育てられたのが私だ。
 神宮寺師隼が3年前に兄と入れ替わりで統治するようになり、狐面の数の拡大と共にこの篠崎へやってきたので集められる情報は少ない。
 また、どこで問題の情報を仕入れられるかは分からない。
 どうするべきかと思いあぐねていると、玲の瞳が半眼になった。

「難しいなら大丈夫だよ」
「……いえ、調べさせてください。腕が鳴りますね」

 思わず地が飛び出る。
 この男も似たような性格のようだからか、最近ついつい余計な言葉が口から出るようになった。
 この男――高峰玲はあからさまな平和主義という顔をしているが、その内面はかなり黒いように見える。
 平気な顔で義妹の過去を無かったことにしているとは以前聞いていた。
 気になった事は個人的に調べているようだし、何よりよく話しかけられる自分の素性は勝手に情報を仕入れたようで、自身に術をかけていない時に声をかけられた。

『もしかして、治水夏芽さんですか――?』

 あの時程恐ろしい男だと思った事はない。
 だが、同時に信頼を置ける人物を模索しているからこその行動だとも思う。
 人の駒から自身の駒として引き抜こうとするとは、ずいぶんな男だ。

「何から何まで頼み込んでごめん」

 にこりと笑顔を向けてくる。

「それが私の仕事ですから。そして――貴方の駒でもありますし」

 既に情報によって買収されたようなものだ。
 笑顔の裏が真っ黒な新たな主は飾りの笑顔で「ありがとう」と答えた。

「じゃあ、ついでにもう一つ仕事頼んでも良いかな?」
「……なんですか?」

 少し嫌な予感がして、つい言葉が重くなる。

「日和ちゃんの様子も見てきて欲しいな、心配だから」
「……」

 この男は重度の心配性である。
 相手が妹ならば。
 だが、簡単に言ってくれるような仕事ではないことは瞬時に理解した。
 何故ならば、金詰日和の隔離は神宮寺師隼・有栖麗那・そして一部の術士様達のみ、秘密裏に行われているからだ。

「――それは……ついでの別の仕事も混ざってませんか?」
「うーん、君が仕事しやすいかなと思ったんだけど」

 ああ、計算ずくだ。
 思わず息が漏れる。

「……わかりました。どうにか、接触してみます」

 情報の仕入れる先など絞れる。
 だったら最初から乗り込めと言うのだろう。
 この人物の頭の中は元主に似ている節がある。
 こちらは怪しい素振りがあればすぐに光に焼かれるというのに。



***
「……はい、今日の授業分よ」

 波音は非常にむくれている。
 一週間も学校を休むのだから仕方がない。
 だけど学校のことを知るには彼女しか居ないし、頼めないのだ。
 特に、授業に関しては。

「すみません、ありがとうございます……」
「……それじゃ、帰るわ」
「なみ――……」

 ノートを渡し、波音は一瞬の隙も無く帰っていく。
 波音の背中はあっという間に遠くなって、日和の伸ばした腕だけが取り残された。
 二人の関係は、ラニアと会っている事がバレてからギクシャクしたままだ。

 日和は黙って椅子に座り、ノートに視線を向ける。
 今日あった授業が事細かに書いてあるが、正直夏休みに書いた時よりも緻密ちみつで、しっかりと書かれている気がする。
 波音なりに気を遣ってくれたのだろうか。

「……波音」
「日和」

 ぽそりと、去って行った友人の名が口から零れた。
 それを見ていたように、いつの間にか入ってきていた竜牙が扉にもたれ掛っていた。

「竜牙……」

 竜牙は扉を閉めると、日和の隣にひざまずく。
 背の高い竜牙の視線が若干下になり、軽く見下ろす形になった。

「すまない、少しの間だけだ。この場所で待っていてくれるか?」
「私は、大丈夫です。……師隼に感謝しないといけませんね」

 師隼の屋敷内に日和の部屋が割り当てられた。
 ここで一週間過ごすことになるという。
 その間たまに竜牙が様子を見ることになるが、殆どは練如が世話をするらしい。
 名目上は謹慎という形で住む形になったが、本当の理由がなくてもこういった事態になることは仕方ないと日和は思っている。
 何もなく一週間を過ごす訳にもいかないので、基本誰かの視線が無い時は師隼と過ごすことになると言っていた。
 それでも措置としてはかなり優しいもののように思う。
 なんならもっと厳しい扱いを受けるのだろうと思っていたのに。

「……何かあったら、言ってくれ」

 いつも上にある顔がよく見える。
 あまりにも心配そうな表情に、自身の罪悪感と不安に塗れた心から少しだけくすっ、と笑みが溢れた。

「ありがとうございます、竜牙。竜牙も心配性ですね」
「本気で心配しているからな」
「はい。……竜牙、少しだけ……お願いしてもいいですか?」
「なんだ?」
「……少し、不安です。この、足りないと感じる感情は……寂しさですか?」

 竜牙の腕が伸びて抱き寄せられる。

「私だけでは埋まらないかもしれないが」
「……すみません」

 慣れてしまっていた。
 竜牙の温かさが身に染みて、離れるのが怖い。
 大きなことをしでかしてしまったのもある。
 こうなることよりももっと酷い事を想像したが、大きく怒られた訳でもない生ぬるさすら感じるこの環境では、これもある意味では辛い。
 こんなこと、分かっていた筈なのに。

「今は私達に守られていればいい。お前が危険を冒す必要は無い。今はこの場所で、匿わられてくれ。必ず迎えに行く」
「……わかりました。私、竜牙を待っています……」

 ゆっくりと竜牙は離れ、部屋の外へ消えていく。
 去り際に頭に乗った手が、今までに何度も乗った手を思い起こした。



***
 どうして悔しい思いが残っているのか、そんな事は分かっている。
 私が日和を信じきれていなかったからだ。
 あの鳥になった女王を倒した後も、後味の悪い気持ち悪さが心に潜んで火がくすぶる。
 本当は今までの様に過ごしたいけれど、自分が面倒な性格なのだという事は自分が一番よく分かっている。
 更に今は新しい任務も増えた。
 女王を倒しに行くその日まで、私は日和には近付けない。

(終わったら、また沢山話をしたり、一緒に過ごしたい……)

 ずしりと重くなる心は、奥底にしまう。
 今は監視、そして引き付けなければならない。

『……奥村弥生を知っているかい?』
『クラスに居るわね。よく話しているわ』
『なら話が早い。今、日和と仲が良いとは言えないだろう? そのまま奥村弥生と接触して欲しいのだが』

 師隼は奥村弥生を疑っている。
 今まで接触した中では妖の気を一切感じなかった。
 いや、もし日和の父を食らった女王であれば気を隠すのも容易いのだろう。
 日和の誕生日となるその日まで、私は別行動だ。

「……おはよう、奥村さん」
「あ、水鏡さんだーおはよう」

 弥生はゆるく笑って手を振る。
 但し、体は後ろの席――金詰日和に向かっていた。

「……今日も来ないわよ」
「体調悪いのかなぁ。……そういえばあの件、どうだった?」

 にこりと笑った弥生と、やっと視線が合った。

「……確かにいたわ。日和は無事よ」
「そっか、よかった」
「……ここで話すことではないと思わない?」
「じゃあお昼に聞いても良い?」

 この女は、どこか読めない。

「……分かったわ」

 まるで駆け引きだ。
 置野正也の双子の妹、妖を見る目を持つという術士能力の無い女。
 明るくて周りの視線は好印象ばかり。
 所持品は女子力が高く、手芸部に入ってるからか手先が器用で、日和の髪をよく弄んでいる。
 勉強面ではいささか難あり、運動神経は中の上ほど。
 家はうめばち商店街の奥、麻生と呼ばれる工場区の近くらしい。
 それは『天空の女王』と名がつけられた、日和が気にしていた女王が潜んでいた地域に近い。
 本人には『置野正也の妹』という自覚はあるらしいが、それをひけらかす訳でもない。
 夏休みに遊んだ時にバイトがどうとか言っていたので、放課後は何処かで働いているらしい。
 なんというか、見て呉れでは本当に血筋がなければ一般生徒となんら変わりはないように見える。
 寧ろその辺の同年代よりも生き生きとした生活をしている気がする。
 最初に話しかけた時は鎌を掛けたつもりだが、あまりそれらしい気配は感じなかった。
 正也に問おうにもずっとあの状態が続いている。
 あの呪いは多分口封じが施してあるだろうし、やはり監視を続けるしか方法は無いのだろう。
 今は、私が頑張らないといけない番だ。
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