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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
21-2 数刻先の恐怖
 流石に、まずいかな。
 相談した方が良いだろうか。
 いや、でも向こうは向こうで皆大変そうにしている気がするし、やっぱり自分で何かしら考えて動いた方が良いだろうか。
 口からため息が漏れそうになるのはうちの上の人達がよく吐き出している様子を見ているからか。
 そんな事よりも、この緊急事態と言えそうな状況を何とかしなきゃいけない。

葦原あしわら中:異常あり』

 机の下で見つからないように、手元のスマートフォンで連絡を入れる。
 どうして、こんな事になったんだろう――。



 小鳥遊夏樹は頭を悩ませていた。
 家から学校へは6kmほどある。
 皆が通っている高校の近くを抜けて大橋を渡り、商店街を越え、オフィス街を通って駅を越え、しばらく歩いた先の時代遅れな男子中学校。
 元々こっちの方には殆ど術士の目が無い。
 だからこの学校に通う僕と狐面と、たまに現れる術士の誰かで見回っている。

「夏樹、装衣換装してもいいよ?」

 耳元で小さな姿の風琉がささやく。

「最悪生徒全員に印象操作案件なんだけど?」
「だよねぇ……」

 風琉と共に教室中を横目で見回すけど、今は授業中だ。
 授業中、なんだけど……。

「風琉、とりあえず何人いるか分かる……?」
「……6」
「多いなあ……」

 教室中にはむせ返るような濃い妖の気配がある。
 今はまだ、平穏だ。
 だけどギリギリの状態。
 薄氷の上を歩いている気分で、一歩間違えば戦場になりかねないような緊迫とした空気が教室内に溢れかえっている。
 下手ヘタに結界は張れない。
 どの生徒を巻き込むかは風琉しか理解していない為に、一般人の生徒を巻き込んでしまう可能性があるからだ。
 つまり結界を張る意味がない。
 見た感じ、普通の生徒はこの教室内にバケモノが混じっているとは気付いていない。
 だけど教師を含め、怪しい人間がちらほらと人間のフリをしている。
 皆夏休みまでは普通だったはずだ。
 普通だった人間が、どうしてこうも妖臭がするのか。
 そもそも妖が人間のフリをするのは女王クラスの筈なのに。
 それとも女王の家臣、傀儡かいらいと呼ばれるものなのだろうか。

「――失礼します!」
「来た、装衣換装!」
「あいよ」

 突然教室に転がり込んできた狐面が声を張って黒い玉を飛ばす。
 玉は着地した途端にはじけ、教室は煙で充満した。
 既に妖の位置は風琉のサインにより把握している。
 風琉の風が教室を舞い、煙の流れを誘導してくれる中で制服に忍ばせてある手製の投げナイフを妖へと討つ。
 風で煙を巻き上げると生徒は一瞬にして全員眠らされ、ナイフの刺さった五体の妖が揃って霧散していく姿を確認できた。
 ……ん?

「……一匹逃した!?」
「――小鳥遊様後ろ!」

 狐面の声に体を逸らせる。
 同時に袖に準備していた護身用ナイフを抜き取り、人の額に突き立てた。

「……っ!!」

 一秒遅ければ攻撃を受けるところだった。
 手に持っていたのはボールペンだけど、本気で振りかぶり、先が目に突き刺さりそうな程に近い。
 見た目は人間だが、表情から感情はすっぽ抜けたような、ほどほどに会話できるレベルの、人の皮を被った妖。
 完全な人の姿をした不気味な妖は、静かに霧散していった。

「流石小鳥遊様、すばしっこいですね」
「ふぅ……どうなることかと思った。ありがとう、助かったよ」

 やってきた狐面は同じ制服を着ている。
 この学校付の狐面だろう。

「しっかし、なんですか? これ」
「人の姿になると言えば女王なんだけど……どう見ても雑兵だよね」
「師隼様へ新たな報告が増えるなぁ……」
「それと他にもいないか調べるようにお願いできないかな?」
「分かりました。お勤めご苦労様です」
「お互い様」

 狐面は一瞬にして姿を消してしまった。
 夏樹は換装を解き、クラスの人間と同様に眠るフリをすることにして腕を組み、突っ伏す。
 人数の減ったクラス、何があったのか誰も知らない時間、減った人間の情報は後々師隼の手で葬られる事になるだろう。
 小さな不安材料を残して時は進む。



***
「ねえ師隼、面白い話……聞いてない?」
「君が言う面白い話はきっと面白くない話だな。どうした?」

 現れたのはにこりと楽しげに囁く魔女。
 師隼は手慣れた様に微笑む。

「良い物見つけたの。このまま離すのは危ないから、一応護衛が欲しいわ」

 そう言う麗那はちらりと竜牙に視線を移した。
 その横には日和がちょこんと座っている。

「……何をすればいい」
「今から放す獲物が周囲に危害を加えなければ、それでいいわ。師隼は力を使う準備をしてほしいのだけど……いける?」
「嫌な予感しかしないな」

 多分師隼は既に頭痛がし始めているだろう。
 ここ数日毎日見ているその姿は、日和の想像を超えて忙しそうだった。
 そして師隼が発する、その微妙な表情がなんとなく分かるようになってきた。

「ここでやっていい事なのか?」
「ちゃんと場所は移すわよ。――という事でごめんなさいね、お姫様。そこで大人しく待ってられるかしら?」
「あ、はい、大丈夫です」

 日和が頷くと魔女は従者を二人引きつれて部屋の外へ出て行った。
 日和は気にする事なく波音のノートをじっくり見ている。
 比較的静かな部屋で行う勉強の時間だが、緻密で分かりやすく記載された波音のノートのおかげで勉強速度と集中力が通常の1.5倍となった。
 置野家の使用人にも『勉強が趣味なのではないか』と言われる程の日和には絶好の環境である。

「……」
「金詰様」
「……」
「金詰日和様」
「……っ! はい?」

 小声で名前を呼ばれた。
 少し驚いた勢いに任せて振り返るものの、誰もいない。

「すみません、こちらにございます。金詰日和様」

 振り向いた方向とは逆の方から声がして振り返る。
 そこに居たのは女性の狐面だ。
 黒いパーカーを羽織っている。

「ああ……えっと、どうされましたか?」
「……いえ、金詰様の様子が知りたいと申される方がいらっしゃいましたので、ご確認に。お加減はいかがですか?」

 一瞬誰の事だと思ったが、こんな心配性は一人しかいない。
 絶対玲だ。それ以外あり得ない。

「私は大丈夫です。寧ろ良くしてもらっています。それよりも兄さんは大丈夫ですか? 夏休み前からあまりよくないように見えますが……」

 狐の面をしているのに、何故か表情が手に取るようにわかる。
 驚き固まった様子を見せた狐面の人はくすくすと笑っていた。

「流石兄妹ですね、分かりますか。あの方なら問題ありません、私が見ておりますので。他に金詰様から心配な事はありますか?」
「えっと……じゃあ、波音が無事か知りたいです。私のせいで、仲違いをしてしまいました……」

 波音とはノートを受け取る際に毎日顔を合わすが、正直互いに視線は外れている。
 未だに距離は遠いままだ。

「気になさっているのですね……。水鏡様なら大丈夫、今は奥村弥生という少女とよく一緒にいますが特段特別な事はありません。仕事もしっかり熟しております」
「そう、ですか……なら良かった。あの、私から言うのも変かもしれませんが、二人をよろしくお願いします……」
「……ええ、分かりました。それでは、失礼します」

 ふらりと狐面の気配が去った。

「……あれ?」

 勉強に戻ろうとした所で視界の端に違和感を覚えた。
 師隼の机に書類があった気がするが、どこにいったのだろう。
 それとも気のせいだったのだろうか。

「……ふぅ、すまない。戻った」

 勉強に戻ろうとすると師隼が帰ってきた。
 息をつく師隼の表情には疲労が見える。
 一緒についてきた竜牙は涼しい顔をしていた。

「おかえりなさい。えっと……師隼、大丈夫ですか?」
「ああ、少しずつ力が弱まってきているから……こればかりは仕方ないね」

 師隼は椅子に勢いよくもたれ掛るとそのままぐったりとしている。
 本当に辛そうだ。

「休むならしっかり休め。お前に部屋はないのか」
「あー……うん、今はちょっと、立て込んでて……」

 竜牙に言われる師隼は普段見ないようなぐったりした姿を見せている。
 師隼の身体は完全に伸びきっていた。
 竜牙は無言で隣の部屋の扉を開ける。

「あっ、竜――」

 師隼は咄嗟に手を伸ばすも、時すでに遅し。
 竜牙の眉間に皺が寄り、まるで蛆虫ウジムシでも見るかのような表情になった。

「――……えっと、だから、立て込んでるんだ……」
「……わあ」

 扉が開けられた室内は空気が入り込み、数枚の紙が舞う。
 部屋の中は書類の束が乱雑に撒かれ、床も家具も見えなくなっている。
 あまりの惨状に流石の日和も声が漏れた。

「他にこれらを管理する人間は?」
「……」

 じと目で見る竜牙の視線を師隼は逸らす。
 非常にわかりやすい。
 なんだかいたたまれない気持ちになって、日和は手を上げた。

「あの……私、お手伝いしましょうか?」
「いや、ああ……頼んで、いいかい…?」

 師隼は一瞬断りそうな表情をしたが、竜牙の鋭い視線が向いた。
 そして、がっくりと項垂れて潰れてしまった。

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