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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
幕間・ある日曜日の仕事
 日曜日。
 本来なら休みであろう学校の制服を身に纏う男女が、一軒の民家を訪れていた。
 その手首には揃って黒い数珠がつけられており、靴下等も黒に揃えられている。
 身に着けているのは学校の制服ではあるが、完全に喪に服した姿であった。

 この日は、その対象となった少年の家族・親族が全員揃っている唯一の日。
 だからこそ、この二人はわざわざその全員が集まった少年の家に来ていた。
 その理由は、友人として挨拶に来た訳では無い。
 親友との別れの日となる為に、最期を見届けに来たのだ。

「わざわざ海人の為に来てくださり、ありがとうございます……」

 便宜上、そう言わざるを得ない母親は涙を流しながら、やってきた少年少女に薄らと笑いかけた。
 その涙は本物だろう。
 涙を向けられた主は、ある日突然水に溶けて消えてしまったのだから。

「……いえ、中学からの馴染みで、部活でも仲良くさせて頂きましたから……」

 顔を伏せ、声を落とす玲は気持ちにけじめをつける為にこの場に立っている。
 本来ならばこうして被害者家族に顔を向けるのは師隼の仕事だ。
 それでも自分がここへ来たかった。
 来る理由があった。
 だから師隼には我儘を言って、その現場を目撃してしまった狐面の少女と共に大平海斗の家ここへと足を運んだのだった。

「……こちらの主から話は聞かれたかと思います。この度は挨拶させていただく機会を作って下さり、ありがとうございます」

 今はその面を外した少女は、以前見た姿よりも憂いた表情をしている。
 正座をし、礼儀正しく頭を下げて、集まった親族の前で畏まる姿は完全に故人を偲んだ姿。
 本来ならば罵声を浴びせられてもおかしくない状況なのだが、この家族は違ったようでどの人間も難しい顔を浮かべている。

「……神宮寺さんからは、『本来海人の体は見つからない場合もある』と聞かされました。その上で、『無事に見つかってよかった』と言われました。正直に言うと、私達はどう言葉をお返しすれば良いのか分かりませんでした。大事な息子なのに、事件に巻き込まれた息子なのに、誰を責めれば良いのか……それとも責めることこそが間違っているのか……。家族で話し合いしましたが、一先ず死んだ姿でも、海人に会えた事を喜ぶことしか、できませんでした……」

 師隼がどう説明したのかは分からない。
 だが、受け取り方を迷わせる言い方をしたのだと玲は察した。
 事をやりやすくする手法の一つだ。
 母親はずいぶん疲れ切っているし、父や兄は悔しそうにはしているが、言葉が詰まっている様子だ。
 海人に弟は居ないが小学生くらいの少年はこちらを睨んでいる。
 そんな彼も、何かを言ってくる気配は無い。
 ただ、ここに集まった人間は理解している事だろう。
 巻き込まれた事件というのは、この国で行われる司法には属さぬ蚊帳の外のものであり、国に関わる者は一切踏み込めない場所にあるものだと。
 だから、何も言えないし、何を言ったところで答えなんて出てくる訳がない。

「お気持ち、お察しいたします。僕も、親友の突然の訃報を聞いて、気が気でいられませんでした。……ところで、僕達が来た理由は分かっておいでですか?」

 静かに、声を落として玲は問う。
 母親だけが、静かに頷いた。

「皆さんは、同じ考えですか?」

 少女は辺りを見回して、確認を取る。
 父親と中年の夫婦が、不審な表情で首を傾げた。
 多分小学生の少年の、ご両親だろう。

「……良いんです。これは私の一存、希望ですから」

 反応を見るからに、大平海斗の親戚は今から何をするのか、その話をこの母親はしていないのだろう。
 だからこそか、母親の目は真っ直ぐだった。
 玲はその覚悟に何も言う事無く、ただ有能な狐面の少女に向いて目線で合図を送る。

「……わかりました。じゃあ、頼めるかな」
「……はい。では、失礼します」

 少女はまず、立ち上がって狐の面をつけた。
 そして何か言葉を紡いで、鍵をかける様に腕を捻る。
 すると、ぴたりとそこにいた大平海人の家族が人形のように固まった。
 印象操作――彼らは今、時が止まっているように認識させられ、思考も状況の把握も何もかもが出来なくなっている。
 今までそうだったものが、違うように認識してしまうようになる――狐面が使う術の一つだ。

「次に行きましょう」

 少女は家族に背を向けるとそのままリビングを出て、階段を上がる。
 玲はただその背をついて行くだけ。
 今少女が行っている任務を見届けるだけ。

 2階の一番奥の部屋の前で、少女は扉に軽く触れる。
 また、先ほどとは別の言葉を紡いで少女は扉に術をかけた。
 記憶封印――今、大平海人という少年の記憶が封印され、その存在を認識できなくなる状態となる。
 同時に部屋の扉にも印象操作され、目の前にあるのは壁に変化してしまった。
 この魔法は家族全員にかけられ、ここに部屋があった事すら忘れる。
 少女が行った一部始終を見ていた玲の目は細くなる。

 ――ああ、これで、さようならだ。

 なんとなく感じていた友人の気配が静かに消えた。

「……では高峰様、帰りましょう」
「うん、ありがとう」

 狐の面をしているから、少女の表情は分からない。
 それでもその声は、終始徹底して感情を感じることはできなかった。
 やはりこの少女はこうした隠密活動では有能な人間なのだろう。

 二人はそれから大平海人の家を出た。
 少女が狐の面を外すと大平家の時の魔法が解けて、次は大平家の一生続く魔法がかかることだろう。
 大平家の記憶から、大平海人の存在は完全に消えた。
 海人の部屋も印象操作されて、誰も視認できなくなった。
 憶えているのは、術士であり狐面の術が効かない玲だけだ。

「妖関係で死傷者が出るのは、本当に嫌だね……」

 玲は深いため息を吐く。
 現場に遭遇する事は何度もあるが、こうして被害者によって影響を受けるであろう人間が狐面の術をかけられる。
 そんな大きな現場を目にしたのは今が初めてだ。
 大抵は印象操作や記憶封印というものは、妖によって死亡した――所謂事故現場を目撃した人間や、死体そのものに使う。
 全ては警察等に見つからないようにする為。
 また、警察なんて介入しても殺人事件が解決する訳もなく、単に現場が荒らされるだけとなる。
 犯人が妖だなんて誰も信じないし、理解もできない。
 世の怪異と同じ扱いだ。
 そういうものは、専門家に任せれば良い。
 専門家は師隼を代表とした術士側、だからこそ、自分たちで全てやらなければいけない。
 今回こそ友人だったが、それが例え自身の近親的な人間であっても――。

「……高峰様は、人の記憶を消したことがありますか?」

 珍しく、狐面の少女が聞いてきた。
 玲は貼り付けた笑顔ではなく本当の笑顔で口を開き、答える。

「あるよ、同じ人間を何度も。魔法が解けてしまえばきっと、本人は驚くだろうね……」

 玲は狐面が基本的に使用する印象操作は使えない。
 だが、記憶の封印はしっかり教えてもらって乱用してきた。
 特段妖に狙われやすい少女を想いながら、くすりと笑う。

「――失礼しました。無駄な質問でしたね」

 狐面の少女は整った顔を初めて歪ませて、玲から視線を外した。

「問題ないよ。……僕はね、自分を兄と慕う妹以外にはあまり使いたくないんだ。今回はそれだけの為に、君には同行を頼んだ」
「……そうでしたか。元はと言えばこちらの仕事ですので、問題はありません」
「……自分の妹の為ならいくらでも汚れられるんだけどね。ごめんね」

 苦笑いを浮かべる玲に、少女は抑揚なく答える。

「問題ありません。元より、こちらは汚れるための仕事なのですから」

 本当に、この少女は有能な狐面だ――。
 道を逸れた誰かを思い出しながら、玲は狐面の少女と共に師隼の屋敷へ戻っていく。
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